16 リーリエとお兄さまと慰霊祭の夜
ガイコツ騒動の翌日、私はニサの斜塔から夕暮れの街を見下ろしていた。
「リーリエ」
呼びかけに振り返ると、ジュースが差し出された。しゅわしゅわのソーダ水に漬けられた、輪切りのオレンジとブルーベリーがいかにも楽しげだ。
「わあ! ありがとう、お兄さま」
「体調は大丈夫か?」
「ええ。ぐっすり寝かせてもらったもの」
王都の街並みに夕陽が赤々と沈んでいく頃、私はお兄さまと二人きり、斜塔の上にいた。少しだけ二人で話がしたいと、私が皆に頼んだのだ。
ちなみに昨晩の私だけれど、ラパンさんに驚いてからの記憶があいまいだ。
どうやら不覚にも、ニサ周遊マラソンの疲労で寝落ちてしまったみたい。そして目を覚ましたら、すでに今日の午後だったと言うわけ。
あはは、せっかく王都に来てるっていうのに。……さすがに、ちょっとヘコんだ。
「昨日は本当に心配したんだぞ」
「ごめんなさい」
「いや、おまえを責めるつもりはない。――だがつき合う男はよく考えろ。おまえのために生き、おまえのために死ぬ者を選べ。そうでなければ私は認めん」
冗談なのか本気なのか分からない宣言をするお兄さま。極端というか過保護というか。まあ、フレイとはべつにそういう関係じゃないけど、とにかく気づかいはありがたいことだわ。
入り日の反対側から、濃紺のベールが空を覆っていく。世界の彩度がゆっくり落ちて、ものの姿かたちが曖昧になっていく。
お兄さまはニサ中央広場を指し、私に説明する。
「もう少しで宵の鐘が鳴る。それを合図に、慰霊の灯を一斉に点灯する予定だ」
「へええ! じゃあここは特等席なのね。……私、今日は何もしてないけど、こんないい場所にいて良いのかしら?」
お兄さまは小さく苦笑する。
「おまえが一番の功労者だろう」
聞くところによると、私がぐっすり眠っていた今日の午前中に、街をあげての「お骨拾いフェスティバル」が開催されたのだという。
「いやもうメチャクチャ拾ったよ! レアそうな部位を見つけると結構うれしい!」とはフレイ談である。なんだレアな部位って。
ニサの人々の大多数は、今回の魔術師の一件により、はじめて街の暗部を知ったのだという。
……私もそうだ。ご遺体の経緯を知っていたら、躊躇なく攻撃することはできなかっただろう。少なくとも、ご遺骨野球みたいなバチ当たり行為はできなかったわ。
やはりニサの人々も、みな心を痛めた。とはいえ、良心だけでは抵抗感を拭いきれないフェスティバルである。
そこで、行政が一枚噛んだ。
既定の袋にお骨を集め、庁舎へと持ち込んだ重量に応じて、商品券を配布することにしたのだ。
なんだかな~と思わないでもないけれど、結果的にお骨拾いフェスティバルは大成功のうちに終了した。
そして日没後には、引きつづき燭火礼拝による慰霊祭を行うのだという。
慰霊祭とはいうものの、大通りには軽食の屋台がちゃっかり立ち並び、薄暮の中に一足早く明かりを灯している。中央広場周辺はキャンドルの点灯を待つ見物客でごったがえし、楽しげな会話の声がここまで届いてきそうだ。
「ねえ、お兄さま。お兄さまは、野百合の谷に帰らないの?」
華やいだ空気にさそわれて、ずっと聞いてみたかった問いが言葉になってこぼれた。
そうだなあ、と、お兄さまは曖昧な相槌を打つ。
「私は家督の無い身だし、それに、父は私のことを快く思っていないだろう」
「そんなことないわ!」
私は即答する。
「お父さまは、お兄さまのポスタ…… 写真を、お部屋に大事に持っているのよ。私、見たもの!」
「……ポスター?」
あ、しまった。
奇妙な沈黙の後、お兄さまの声が落ちる。
「おまえ、見たのか? アレを?」
「…………えっと、はい」
私が気まずく頷くと、お兄さまは空を仰いで、ため息まじりに吐き出した。
「まいったな……」
怪盗王子の件は、やはりお兄さまの中でも完全なる黒歴史らしかった。
叱られちゃうかしら?
少し身構えたものの、私に向き直ったお兄さまは、意外にも穏やかな空気を醸していた。――少しショゲているような、笑いをこらえているような、気取りのない雰囲気だ。
「ねえ、お兄さま」
「なんだ」
「お兄さまは、なぜ村を出たの?」
「そうだなあ、いい大人が情けないことを言うようだが」
「うん」
「私は、父が許せないんだ」
一瞬、ぐっと息が詰まった。
私は唇を引き結び、ゆっくりと頷く。
思いがけない言葉に、じわりと胸が痛んだのは私の感情だろうか。それとも、お兄さまの感情なのだろうか?
「私があそこを出たのは、おまえがまだ二歳の時だ。私が村を棄てたんじゃない。あの美しい野百合の谷が、私を棄てたのだ。――こんな厄介なものは、手に負えないと」
「……うん」
「だが、分かっている。あれはあれで、仕方の無いことだったと。私が傷ついたことは事実だが、全ての人間には事情があるということも、また事実なんだ。
――だから、私は父を許せないままでいいし、父が生涯、私を愛さなくとも構わない。そう割り切って生きてきた。……しかし、」
お兄さまはそこで言葉を区切り、ややためらいがちに、再び言葉を紡いだ。
「父は、私を覚えていてくれたんだな」
「――そうよ」
私の足元に、ぽたぽたと雫が落ちた。
声が震えて裏返ってしまう。けれど、構わず私は訴える。
「そうに決まってるじゃない! お兄さまだってそうでしょう? ずっとずっと離れていても、お父さまのことや私のことを、思っていてくれたんだから」
「ま、まあ父のことはとにかく、おまえのことはいつも気がかりだった。幸せであってほしいと願っていた。私の頭の中では、幼子の姿のままだったが」
「ふえっ……!」
感極まって、思わず変な声が出てしまった。
お兄さまは、すかさず私を抱きしめた。小さな子供をなだめるように、私の頭をぽんぽんと撫でる。
「愛している、リーリエ。――だから泣くな」
私はしゃくり上げながら、お兄さまにぎゅっとしがみついた。
「……私も、お兄さまが大好きよ。もう一度出会えて、本当によかった」
急に泣いたせいで、頭がくらくらしていた。
自分の親と兄との間に、確執があることが悲しかった。けれどその思いとは別のところで、私は世界の奥深さに圧倒されていた。
見えないところで、誰かの幸せを願いつづける人がいるのだということに。
私もまた、まだ見ぬ誰かに、ずっと愛されていたのだということに。
そんなことを、考えたことがなかった。
見えるものだけが、世界じゃないのだ。
(「出会う」ためなんだわ)
ふいに、そう思った。
何の因果か2周目を生きている私に、なにか理由があるのだとしたら。
神様から手渡された宿題が、あるのだとしたら。
それはきっと、愛すべき人たちに、もう一度出会うことなんだわ。
人生をやりなおして、みんなに出会いなおすの。
私はあなたが大好きで、一緒にいられて嬉しいんだって、今度はちゃんと伝えるの。
出会いなおして、絆ぎなおしていく。
きっとそのたびに、世界は豊かになっていくんだわ。
宵の鐘が鳴った。
あいかわらずの酷い轟音で、感動も感傷も吹き飛ばす勢いだ。お兄さまにしがみついたまま、私はちょっと笑ってしまった。
「リーリエ、見てみろ」
お兄さまにうながされ、私は中央広場を見た。
「わあ……!」
そこには、大輪の光の花が咲いていた。
暗い地上に灯された無数の小さなあかりが、大きな大きな花の模様を、描き出していた。
広場に集まる人々の、感動のどよめきが伝わってくる。
鐘の余韻が消えるのを待ち構えて、街中のそこかしこにも、次々と灯がともり始めた。
庁舎の窓辺に、屋上に、家々の玄関先に。
皆がひとつ、またひとつと灯を掲げていくのだ。
今や、ニサの街は光の輪の中にあった。
光の輪の中で、たくさんの人々が笑いさざめいていた。
『すべての人が、幸せでありますように』
ふいに、涙がでるほどの切実さで、漠然とそんなことを思った。
私はそっと指を組み合わせる。――祈りは伝播するかのように、地上の人々が足をとめる。
華やいだ喧噪が次第に凪いで、ひとり、またひとりと人々が掌を組み合わせる。光の花に向って、粛として黙祷を捧げる。
(――そうか)
私は悟っていた。
私の傍らでは、お兄さまが軽く目を閉じ、黙祷を捧げている。
今この瞬間、この街の人々に広がっていく祈りは、この人の感情なのだ。
(これが、この人の本質なのだわ)
他人を幻惑するだとか、感情を乗っ取るだとか、お兄さまはそんな物騒な存在じゃない。
たくさんの人々を励まし、その幸せを祈り、祝福を与えるための人なんだわ。
それは雨のように光のように、すべての人に、喜ばしいものをもたらす力だ。
(それなら、私はお兄さまのために祈ろう)
お兄さまがすべての人の幸せを願うなら、今ここで私だけは、あなたが幸せな人生を送ることを祈ろう。
われながら、いい考えだと思う。
だって「すべての人」の定義には、お兄さまだって含まれるのよ。
私はそう、教えてもらったのだから。




