09 白百合の少女と街の黒歴史
◇ 前話に引き続き、マリア視点でスタートです
「――ひ、」
悲鳴を上げるべく吸い込んだ空気は、しかしスン、と吐き出す息になって消えてしまった。
ああ、人間って本当にビックリすると、悲鳴を上げられないのね……。
(……固まってる場合じゃないわ! 逃げなくちゃ)
このまま転がって移動できるだろうか。間違っても壁には触れたくないけれど。そんなことを思案していると、カツカツと靴音が近づいてくる。
「起きたのか」
ふいに、暖色の灯りが視界を照らした。
古風なランタンを手にした、あの黒衣の男だった。
「――お、起きましたとも! なんたってわたしは、『白百合の乙女』ですからね!」
わたしはとっさに、つとめて明るい声でタンカを切った。
リリちゃんに被害が及んではいけない。
それに、リリちゃんだったらこんな時どう振る舞うだろうか? 今、リリちゃんに成りきるのだ。
「まあ乙女的には、こんなのどうってことありませんけど~? 乙女はさいきょーなので!」
「…………」
冷ややかな目で見下ろされてしまった。
せめてウンとかスンとか言ってほしい。
「……案ずるな。危害を加えるつもりはない。お前は貴重な『素材』だからな」
「そざい?」
なんとも物騒な言葉が飛び出してきた。
「なんですか……なによ、それ? まさか、この部屋の人たちも、みんなあなたがやったって言うの?」
「まさか」
男は即答する。「ここは墓穴だ」
(墓穴?)
わたしは眉をひそめる。
わたしたちを取り囲む、骨、骨、骨の壁。
(こんなの、お墓じゃないわ)
わたしが育った孤児院の裏手にも、墓地があった。
さびれた街の中でも、そこはひときわ静かな場所だったが、ある侵しがたさをたたえた美しい場所だった。生きているものを静かに拒む、死者のための庭園のようでさえあった。
樹木が優しく生い茂り、梢の小鳥は、つつましやかに慰めの歌をうたう。――それが、私の知っている「死」のかたちだ。
こんな穴の中に無残に打ち棄てられているなんて、こんなことは、あってはいけないのだ。
「……こういったものは、街のどこにでもある」
「え?」
「せっかくだ。少し教えてやろう」
私の前に片膝をつくと、魔術師は初めて目深にかぶったフードを外した。
四十前後だろうか、短髪の痩せた男だ。きっと道ですれ違っても気にも留めないような、拍子抜けするほどありふれた容姿の人だった。
ただ意外にも、そのまなざしには知性の欠片が窺える。
「この街の下には、たくさんの人間が埋まっているんだ。ここは地下墓地の一つだが、いまだ誰にも見出されぬ遺骨も、街のそこかしこに散逸しているよ。――かつて『異徒』と蔑まれ虐殺された、罪なき先住民の遺骨が」
わたしは言葉を失う。
男の言葉は分かるのに、理解することを頭が拒否する。
「彼らには何の咎も落ち度もなかった。家族があり、恋人があり、ただ平穏な日常を送っていただけだ。――理不尽な暴力に、蹂躙されるその日までは。そして死してなお、こうして歴史の暗部に打ち棄てられているというわけだ。気の毒なことだな」
男の顔に、薄い笑みが浮かんだ。それがどのような感情であるのか、わたしには分からない。
「しかし、私はモノを動かすのが得意でね。――とりわけ遺骸というものは乗せやすいんだ。まして、それが恨みを抱いて死んだ者であれば尚更のこと。ここは実に都合のいい街だよ。手駒がいくらでも調達できるのだから」
わたしは漠然と悟った。
これは、悪だ。
こういうもののことを、「悪」と呼ぶのだと。
◇ ◇ ◇
「こりゃダメだ、街中ガイコツだらけですよ!」
展望台から街を見下ろし、ラパンさんが声を上げる。
「……どういうことだ、これは」
「わかりませんね。とにかく、一刻も早く術者を確保するしかありません。いま、騎士団にも総動員を掛けてるみたいですし」
「それはそうだが……」
苦々しく呟くお兄さまの胸ポケットで、通信機の着信が鳴る。先刻からひっきりなしだ。ラパンさんとの会話を打ち切り、お兄さまはそちらに応答する。
「マリア……」
私は膝を抱え、顔を伏せた。
マリアを探しに行きたくて仕方がない。けれど、私の両手と両足は赤いリボンで念入りに拘束されていた。
見た目はかわいいただのリボンなのに、どんなに力を入れてもビクともしない。ごく普通の荒縄くらいなら気合で引きちぎれる、この私がよ?
きっとこれ犯人を拘束するような道具よね。いくらなんでもうら若き乙女にあるまじき扱いだわ。
「マリアを探さなきゃいけないのに」
「闇雲に走り回ってもダメだよ。作戦を考えるべきだ」
フレイがため息をついて、私の隣にストンと腰をおろす。
私は顔を上げ、キッとその顔を睨みつける。
「一刻も争う事態なのよ⁉ それに、万が一犯人と鉢合わせでもしたら……」
自分の言葉に怖くなり、語尾が消えてしまう。
ああ、妙に落ち着いた顔のフレイが腹立たしいわ。だいたいコイツ、さっきまで悠長に街並みを眺めていたのよ。こんな時にのんびりしてんじゃないわよ!
「ラパンさん、少し聞いてもいいですか?」
気まずい沈黙を割って、フレイが声を上げる。
「ハイ? なんでしょう」
ラパンさんがこちらを振り返る。
「ラパンさんとリーリエのお兄さんって、お巡りさんなんですか?」
「まあ、違わなくもないです。公安のヘルプですが」
「へえ、そうなんだ」
ちょっとちょっと!
本当にこいつ、なに世間話なんか始めてるのよ⁉
「えっと、犯人が逃げちゃったみたいですけど、見つける方法はあるんですか?」
「あちゃー、やっぱりバレちゃってますね。……まあ、方法ならありますよ」
「へえ! 知りたいなあ」
(――ん?)
私は不審なモノに気付く。顔はラパンさんに向けたまま、フレイの片手が私の手元へそっと伸びてくる。
「犯人の捜索にあたっては『探知機』という道具を用います。この国の容疑者は、みんな確保された時点で魔力パターンを採取・登録されるんですね。今回もその登録データはあるので、それを探知機にかけて、あとはもう反応があるまで探しまくります。探知機自体はたくさんありますので」
解説しながら、ラパンさんが歩み寄って来る。
「なるほど、なるほど」
相槌を打ちながら、フレイは私を隠すように、身体の位置を微妙に変える。
フレイの指が、私の手元の拘束に触れる。結び目にぐっと指を割り入れ、器用にほどいていく。――あくまで、顔はラパンさんのほうに向けたまま。
「えっと、『魔力パターン』ていうのは?」
「うーん、『生まれつきの生命力の成分構成』ってところです。個人の特定に役立ちます」
「へえ~、勉強になるな~」
うわわ、私の手足の拘束が、世間話しながら完全にほどかれたわ!
コイツ、引くほど器用だわ! ――じゃなくて、でかしたわフレイ!




