08 白百合の少女と悪い魔術師
◇ 今回ややホラー描写(骨)注意です
◇ マリア視点です
(ああ、びっくりした)
少し取りこんでいる間に、空気を震わせんばかりの重い金属音が鳴り響いた。もうすぐ鐘が鳴るのだと聞いていなければ、取り乱していたかもしれない。
――早く戻ろう。
魔術師が逃げたと聞いて、あの夜の光景が否応なしに思い出されてしまう。おぞましい記憶を振り払うように、わたしは足早に階段を昇っていく。
しかし、わたしはハッとして立ち止まった。
背後で、甲高い悲鳴が聞こえたのだ。
(……子どもの声だわ)
一瞬ためらったものの、意を決して階段を駆け下りる。
泣き声まじりの悲鳴は、塔の外から聴こえてくる。そうして屋外に数歩踏み出し、わたしは立ちすくんだ。
「きゃあああ!」
女の子が、こちらに向かって駆けてくる。
その背後に迫り来るのは、褐色にくすんだ奇妙なモノ。かろうじて人間の形は留めているが、もはや動くはずのない、骨格だけのしかばねだ。
「――っ、こっちよ!」
両腕を広げ、ひとまず少女を抱きとめる。が、間髪入れずにガイコツが襲い来る。
なにか、なにか対抗できるものは――!
「えいっ!」
ポケットの中で指先に触れたそれを、私は無我夢中でガイコツに押し付ける。瞬間、それは激しく発光し、ガイコツはその場にグシャリと崩れ落ちた。
どっと力が抜けて、少女と一緒にわたしは地面にへたりこんだ。
崩落したガイコツの上に、小さなカードがストンと落下した。
わたしが押し付けたもの、それは〈浄化〉の象徴紋を付与した、ゲームのカードだった。
今日の朝、馬車の中でフレイ君に教えるために描いてみせたものだ。ウッカリ返しそびれていたけれど、おかげで命びろいした……。
「おねえちゃん……」
女の子は、わたしにギュッとしがみついたままだ。
さぞ怖かったことだろう。お父さんやお母さんとはぐれてしまったのだろうか? 一緒に探してあげたいのはやまやまだが、ひとまず身元を大人に預けるべきだろう。
「もう大丈夫よ。わたしと一緒に、塔の中へ隠れましょう。立てるかしら?」
問いかけると、女の子はコクリと頷いた。
「いい子ね」
わたしはその髪を撫で、ゆっくり手を引いて立ち上がる。
「見つけたぞ」
そのとき、頭上から不気味な声が降ってきた。
ぞくりと悪寒が走った。顔を上げると――いつの間に現れたのだろうか、黒衣の男がわたしの目の前に佇んでいた。
「まさか、そちらから出向いてくれるとはな。白百合の乙女よ」
男の腕がこちらへと伸びる。
「――逃げて!」
わたしはとっさに身体をよじり、少女を塔の入口へと突き飛ばす。
「おねえちゃ……」
けれどその声を聞き終わらないうちに、わたしの視界はまっくらになった。
まっくらの中を、ゆらりゆらりと意識が漂う。
まるで、スープになって巨大な釜で煮こまれているようだ。ゆっくり渦巻く対流に乗って、浮き上がり、沈みこみ、わたしは浮沈をくり返す。
ゆめうつつに思い出すのは、村に押し寄せた彼らの姿だ。地面に散らばる仄白い人骨。転がった頭骨の、黒く落ち窪んだ虚ろな眼窩。
だけど、それよりも恐ろしかったのは、血を流してうずくまるリリちゃんの姿だ。
悲しく腹立たしかったのは、――皆を守るためならば、自分など死んでも良かったと吐き捨てた、リリちゃんの苦しげな表情だ。
ねえ、リリちゃん。
わたしは、リリちゃんが大好きよ。
わたしには、何ができるかな?
黴のにおいが鼻をついた。
すえた水と黴の、淀んだ空気の匂い。もう長いこと、忘れていた匂いだ。
ゆっくり目を開けてみるが、あたりは暗い。
湿った土の上にうつ伏せに転がっている、ということは分かる。
(ここは、どこ?)
立ち上がろうとしたけれど、首から下が動かせない。――ロープか何かで拘束されているようだ。これは、ぼやぼやしてる場合じゃないわ!
「ふ、ふぬぬぬ~~!」
芋虫のように奮闘して、わたしはかろうじて仰向けに転がった。……リリちゃんみたいに、縄を引きちぎるのはさすがにムリだった。けれど地面よりも天井を向いているほうが多少はマシだ。
(わたし、誘拐されたんだ)
これは、とんでもないことになってしまった。
わたしに声を掛けてきた黒衣の男。彼こそが誘拐犯であり、例の脱走した魔術師であり、ガイコツを放った張本人にちがいなかった。一体なんのために、こんなことを――
(――『白百合の乙女』!)
そうだ、あの男はそう言っていた。
そちらから出向いてくれるとは、だとか何とか……。そこまで思い出し、私はこくりと唾を飲みこむ。
(白百合の乙女って、リリちゃんのことじゃないかしら?)
きっと、魔術師の目的はリリちゃんなのだ。
けれど、間違えてわたしを捕まえてしまった。――まさにちょうど、白いユリを髪に挿していたわたしを。
ふと、一抹の思いが脳裏をよぎる。
(このまま勘違いしていてくれればいい。わたしがどうなろうとも、それでリリちゃんが傷つかないで済むのなら――)
「……だめだめだめ、ダメぇ~~~‼」
ぶんぶんと首を振って、わたしは大声で自分自身を叱咤した。びったんびったん、魚のように地面を跳ね、弱気な自分を追い払う。
「そんなこと絶対に願っちゃいけないのよ! みんな笑顔で元気に解決、そういうのを考えなきゃいけないの! 考えろ! 考えろわたし~~‼」
カラン、と乾いた音を立てて、何かが落っこちてきた。
しまった。むやみに大騒ぎして、落石でも起こったら大変だ。
「…………」
しかし、遠目に見えたものは、石ではなかった。
さああ、と血の気が引いていく。
周りの暗さにも、だいぶ目は慣れていた。
だからこれは、見間違いで無ければ、骨だ。
わたしは一度目を閉じた。目を閉じたまま、心の中でたっぷり十まで数えた。それから意を決して目を開け、周囲の壁に視線を巡らせる。
人骨の壁だった。
何百とも何千ともつかない、途方もない人数の骨だ。それらが乱雑に折り重なり、めりこみながら、天井までうず高く積み上げられている。
この空間の四方は、無数の人骨で埋めつくされているのだった。




