05 リーリエとデバフ系お兄さま〈1/2〉
「でもさ、どうして象徴紋の効果が消えちゃったんだろうね?」
「うーん。わたしの腕が未熟だったんだと思いますが……」
魔術について話し合うフレイとマリアに、アーマイズさんが言葉を挟む。
「いえ、そうではありません。ニサは大きな街ですから、区域内に特殊な防犯システムが……」
けれど、そこで突然アーマイズさんがフラリとよろめく。
「兄さん!」
「すまない。暑さのせいか、少し眩暈が」
「こんな天気のいい日に、そんな暑苦しい格好してるからでしょ……」
ため息をつくフレイに、アーマイズさんは真顔で答える。
「ああ、装備は重ければ重いほど良い。いつなんどき敵襲があるとも限らないからな」
……私が言うのもなんだけど、アーマイズさん、わりと脳筋の気があると思う。
こうして何やかんやしているうちに、こちらへ軽やかに駆けてくる人の姿がある。金色の髪の頭上から、ぴょこんとウサ耳リボンをはやした女の人だ。
「いやあ驚いた、本当に王子にソックリだ!」
お手柄ですよアルマジロクン、とウサ耳さんは陽気につけたして、好奇心に満ちた目で私を見つめた。
「遠路はるばるようこそ。ラパンドールと言います。ラパンで構いません」
フレンドリーに手を差し出し、私たちとかわるがわる握手。
「あの、私のお兄さまは……」
「ああ、もちろん来てますよ。そこの物陰に隠れてコソコソしてるあやしい人ですね!」
ラパンさんが、ヒョイと馬車の陰を指ししめす。そのとたん、声を上げて誰かがバッと顔を出した。
「ふ、不審者みたいに言うんじゃない!」
わあ、ついにお兄さまとの感動の再会だわ!
まあ限りなく初対面みたいなものだけど――
「――っ⁉」
けれど、私はふいにひどい眩暈に襲われた。
ぐにゃっと足元の地面が歪んで、意識がふわっと浮き上がる。
なんとか踏みとどまって顔を上げると、やけに視界がキラキラと眩しい。
(……え?)
どこからともなく心地よい風が吹きつけ、色とりどりの花びらが身の周りを乱舞する。見れば、私の足元はどこまでも広がる花畑に変わっている。
(ちょっと待って、私はニサの広場にいたはずじゃ……)
「っよ、ようこそ、リーリエ」
名前を呼ばれて顔を上げると、見るからにテンパった男の人がいる。
お父さまの部屋で見た、あの奇妙なポスターの人だわ!
「おにいさま……⁉」
どくん、と鼓動が高鳴った。みるみるうちに幸せな気持ちが湧き上がり、足が勝手にそちらへ駆け出していく。
この人に会えて本当にうれしいわ。駆け寄って飛びつきたい。――だけど、何かがおかしいわ。でもでも、とてつもなくハッピーだわ! 私この人が大好きよ――
「王子、漏れてます。落ちついてください」
ラパンさんの声で、私はハッと我に返る。
(――あれ?)
一面のお花畑は夢のように消え失せ、私はあたりまえに、ニサ中央広場に立っていた。
えっ、なにこれ……どういうことなの?
「はわわ、ぱんけーき! わたし今、ふわふわのパンケーキに挟まってました!」
「ふぁあ! 僕、巨大なネコの腹毛にうもれる仕事をしてた……!」
やや遅れて、マリアとフレイもそれぞれトンチンカンなことを口走る。
「はいはい、とにかく皆さん、早くご挨拶しちゃってくださいよ! 立ち話もなんですから」
ラパンさんがぺちぺちと手を叩き、ついでにお兄さまを私のほうへぐいっと押しやる。
「えっと、リーリエ・リリエンタールです」
「エルクランツ=エミール・ノエルだ。よく来てくれた、リーリエ。……会えて、本当に嬉しい」
私は笑顔で頷く。――だけど、怖い。
お兄さまの言葉に嘘はなさそうだし、もちろん敵意もない。けれど、さっき見た幻覚は一体何だったのだろう? お兄さまの差し出した右手をとるべきか、ためらってしまう。
「私もとっても嬉しいわ、お兄さま」
私はひそかに腹をくくって、その手を握った。
◇
「感情をまき散らす?」
そうフレイが問い返すと、ラパンさんは「しーっ」のジェスチャーのあと、やや声をひそめて説明を続ける。
「そうです。とくに魔術を仕掛けてるわけじゃなくて、この人はそういう体質なんです。だから気を付けてくださいね、気を抜くと伝染っちゃいますので」
「伝染るって……感情が?」
「そうです。それを悪用して裏口就職したんですもんね?」
「しとらんわ」
お兄さまが、ラパンさんの頭をスパンとはたく。
喫茶店のオープンテラスで、私たちは昼食を取っていた。丸いカフェテーブルにお皿とグラスが所狭しと並んで、ちょっとしたパーティー状態だ。
ちなみに、アーマイズさんは体調不良を訴えたため、ローゼンフェルト卿と一緒におうちに帰って行った。あんな暑苦しい格好をしているから……。
(それにしても、なんとなく分かったわ)
空色のクリームソーダを眺めながら、私は納得する。
お兄さまと握手したとき、ほんの一瞬のうちにいろんな気持ちが湧きあがった。不思議だったわ。キラキラしゅわしゅわ、ソーダ水の中に落っこちてしまったみたいに。
温かくやわらかな喜び。ためいきが出るような懐かしさ。それから、花の刺に触れたかのような小さな痛み。
あれはきっと、お兄さまの感情だったのね。
私に会えたことをあんなに喜んでくれていたのに、露骨に警戒したりして悪かったわ。
(『感情を撒き散らす』、ねえ……)
チラリとお兄さまの横顔を窺ってみるけれど、今はとくに何も感じない。さすがに常時ダダ洩れってわけではないみたい。
「それは、他人の感情を乗っ取るってこと?」
ふと、神妙な声音でフレイが呟く。
フレイは大きなバゲットのサンドイッチをお皿に置くと、お兄さまのほうへと向きなおる。
「ねえお兄さん。さっきは楽しい感情だったから良かったけど、たとえばお兄さんが、もっと別の感情を持ったとしたら。……たとえば、怒りとか、憎しみとか。それも、人が大勢いるような場所で」
ひやっ、と私の背筋が凍る。ちょっとちょっと、何言ってくれちゃってんのよこの子は!
「そしたら、大変なことになりますよね?」




