02 リーリエと未知なるお兄さま
「このお部屋です」
マリアに導かれて私たちが足を踏み入れたのは、お父さまの自室兼執務室だ。
「たしかこの辺りに……ありました!」
そう言って、マリアはデスクの脇から細長い筒を取り出した。
「まるで王子様みたいに綺麗な人でしたし、それにリリちゃんに似てるなあって思ったから、お名前を覚えてたんです。……あ、フレイ君、そっちのはじっこ持っててくれますか?」
そう説明しながら、マリアは筒をクルクルと広げていく。あ、これポスターなのね。
「…………‼」
広げられたポスターを前に、私は言葉を失った。
そこには、タキシードにシルクハットを身につけた男の人が、すさまじく寒いキャッチコピーとともに印刷されていた。
『君のハートも盗っちゃうぞ? by怪盗王子
~ 防犯強化月間 施錠の徹底を! ~』
(つらい!)
「つらいぃ‼」
ああっ、言ってはダメだという理性を無視して、爆発的に心の声が漏れてしまったわ!
(これは……気の毒だわ……)
私は固唾を飲んでポスターを見つめる。
いや、写ってるお兄さんの容姿自体はバツグンなのよ。端的にめちゃくちゃかっこいい。それなのに、罰ゲームレベルのキャッチコピーが付けられてる。
「あー、これは似てるね。リーリエにすごく似てる」
フレイがうんうんと頷く。なるほど、たしかにこのお兄さん、私と構成パーツが一緒って感じがするわ。キツい印象の目元だとか、引き結んだような薄い唇だとか、肌や髪の色味だとか。なんていうか「他人に与えるであろう印象」が、私とおんなじなのだ。
「これが、うちのお兄さま……」
「ま、まあまあ! ご本人に非はないですし、むしろポスターとしての印象は最強ですよ!」
マリアが最大限のフォローを入れてくれる。一方フレイはぷるぷると震えている。笑いをこらえているらしい。
「でも、これはかわいそうだよ。絶対イジられるやつじゃん。この人ずっと怪盗王子って呼ばれるよ……ぷふっ」
「いやもう、笑いたきゃ笑いなさいよ!」
とはいえ、私も変な汗が出ちゃったわ。これ、一体いつのポスターなのかしら? このド田舎にあるくらいだから、世間中に出回ってるわよね?
それに、そもそもお兄さまは、何のお仕事をしている人なの……⁉
◇
窓辺から、のどかな光の差し込む昼下がり。
机に肘をついて両手を組み、そこに額をあずけて、青年は完全に意気消沈していた。
「……だいじょうぶですか、王子?」
「あわっ!」
背後から声をかけられ、青年――エルクランツは弾かれたように顔を上げる。
「あはは、『あわ』って何ですか『あわ』って」
「ラパンドール! ノックをしろ! 王子ではない!」
「はいはい王子」
王都、ことクリフニアの中央官庁街「ニサ」。
その大通りに位置する内務省庁舎の、そのすみっこの一角に、この「犯罪記録管理室」はある。
庁舎の一室とはいえ、デスクがひとつ置かれただけの小部屋である。その様子はオフィスというより、むしろ休憩室だとか、あるいは反省室だとか形容したほうがしっくりくる。
しかし、これといった不満はない。
閑職であるに越したことはない。
エルクランツは常々、そのように考えている。
「それで、ちゃんと書けたんですかー? 妹さんへのお返事」
部下ことラパンドールは、椎の実のような目をエルクランツに向けた。その頭上からはトレードマークの大きなリボン――エルクランツは内心「バカリボン」と呼んでいる――が、耳のようにピンと伸びている。
「書くには書いた」
「じゃあ、どうして暗いんですか?」
エルクランツは再び顔を伏せ、ぼそぼそと説明する。
「その……湧きあがるパッションが文面にあふれ出しすぎてしまい……あまりの気持ち悪さに推敲を重ねたところ、最終的に味もそっけもない業務連絡になってしまった……。なんとも冷淡な兄だと思われたに違いない……」
「湧きあがるパッション」
「だからその代わりに、妹の名にちなんだ花を100本ほど贈ったのだが」
「きもちわる!」
「ラパンドール!」
エルクランツはすかさず席を立ち、ラパンドールのリボンを引っ張る。
「ひょえええ⁉ いたたた、やめてください!」
そうなのだ。エルクランツ自身、若干「やらかした」と思っていた。花屋が困った顔をした瞬間に、もう嫌な予感はしていた。
しかし、過ぎたことをあれこれ言っても仕方がない。
バカリボンを開放すると、エルクランツは気を取り直して咳払いをひとつ。
「それで、おまえは何の用だ? まさか冷やかしに来たのか?」
「まさか!」
ラパンドールは丸い目を見開くと、リボンを手早く整えて、ピッと姿勢を改める。
「取り調べ室からの伝言です。――野百合の谷からの魔術師ですが、名前はカシュパル・マチェイカ。コグニト区に籍のある男、とのことです」
「ほう」
「ですが、動機については全く吐かないそうなんです。なので、あと数日経ってもダメなら、王子にアレをお願いするかも――とのコトです!」
「それは……」
エルクランツは言葉を濁し、ため息をつく。
「吐いてくれることを願いたいな。切実に」
◇
だけど、お兄さまのご職業はとにかく、重要なのは「王都在住」だってコトよ!
お兄さまからの返事を受け取った、その翌日。
私たちは早くも、王都へと向かう馬車に揺られていた。
「うりゃあ! 『超亜空ゾーン』から『覚醒』モンスターを召喚よ‼」
「ギャー! カードが飛び散る!」
「はわわわ、『コスト10以下のモンスターが全滅』ですねぇ」
なお、私とフレイは差し向かいでナントカデュエルとかいうカードゲームに興じていた。
「ふははは、私の勝ちね! そんな卑っ怯くさい罠特化デッキで挑もうってのが間違いなのよ!」
「くそっ、バカみたいな火力で殴りやがって……! ていうかカード叩きつけないでよ、床に散らばったじゃんか!」
「もうちょっと、静かにしてくれんか……」
「あ、ごめんなさいローゼンフェルト卿!」
私はあわてて頭を下げる。
王都への旅には、フレイのお父さまが保護者として付いてきてくれることになった。そのおかげでウチのお父さまも折れてくれたのだから、感謝しなくちゃ。
ローゼンフェルト卿は帽子を目深にかぶり、狸寝入りを決め込むことにしたご様子。
「ああもう、カードが折れちゃってる……。誰かさんが雑に扱ったせいでさ」
一方、フレイがぶつくさ言いながらカードをケースに戻していく。
そこに、マリアがすっと手を伸ばす。
「わたし、直してみますよ。象徴紋記述の練習もしたいですから」
「あ、ほんと?」
「はい。上手くできるか分からないですけど」
そう言って、フレイからカードを受け取ると、マリアは指先ですいすいとなぞった。カードが淡く発光し、新品のようにピンとよみがえる。
もう、この子もいつの間に、そんな魔術を身につけたのかしら。
そんなマリアは、銀色の髪に純白のユリを挿している。
昨日、私があげたあの花よ。ずいぶん気に入って、王都にも付けていってくれるみたい。
不思議なのは、ちっともしおれる気配がなくて、今摘んだばかりのようにみずみずしいってことなんだけど――まあ、似合ってるから何でもいっか!
私はそっとカーテンを開けて、外を眺めることにする。
渓流沿いの一本道を、馬車は軽快に駆け下りていく。新緑に覆われた峰々が、どんどん背後に流れていく。
馬はこんなに速いのに、王都までは丸二日かかるとのこと。
ちなみに、速達ならばもっと早くに届くから、私が出した「じゃあ今から伺いますね、お兄さま!」というお手紙は、私たちの一日前には着くはずよ!
まあ何事も……前日に言うならセーフよね!
※ 前日になって「お母さん、明日遠足なんだけど」みたいなやつです(セーフじゃないやつ)
お兄さま=エルクランツ、部下=ラパンドールです。
ちょっと固有名詞がごちゃごちゃしてしまいました。
王都内の「ニサ」ですが、イメージとして千代田区くらいの面積の街を想定しています。