01 リーリエと王都からの手紙
腕を組み、椅子にもたれて、青年は真顔で天井を仰いでいた。
明るいブロンドの髪に碧色の瞳。どこか冷徹な印象を与える顔立ちではあるが、美しい青年である。
その切れ長の目を見開いて、彼はかれこれ10分は無言で天井を見つめていた。
感動を噛みしめているのである。
彼の机上には一通の手紙があった。
差出人の名は「リーリエ・リリエンタール」。
(――妹!)
彼は真顔だったが、脳内ではスタンディングオベーションが鳴りやまない状態だった。
妹から手紙が来た。尊すぎて開封できない。
妹から来た手紙だ。うかつに触ると爆発してしまうかもしれない……自分の中の何かが。
青年の故郷は、人里離れた山間の村だ。
彼はその領主の家に生まれたが、とある事情によって故郷を出た。
以来、王都に暮らして十数年、連絡を取り合うことはほとんど無かった。正直なところ彼は父を敬遠していたし、おそらくは父も自分を疎んじているだろうと思っている。
しかしその一方で、彼の胸中では奇妙な化学変化が起こっていた。
「妹」に関する記憶だけが、極限にまで美化されていたのである。
妹イズ天使。天使イズ妹。
(あのてしてし歩いていた妹が、もう手紙が書ける年齢になったとは……、いや、もう年頃の娘か? 我が妹リーリエ、さぞや美しい少女になったことだろう――)
「大丈夫ですか、王子」
背後から声を掛けられ、青年は肩を震わせる。
「――ノックくらいしろ! 減給するぞ。王子ではない」
「ノックもしましたし声も掛けましたよ」
部下はティーカップを置くと、何食わぬ顔で声音をあらためる。
「王子のご出身って、なんか山のほうでしたよね。リリエンナントカでしたっけ?」
「ああ、そうだが」
青年は軽く目を見開く。
珍しい日もあったものだ、よもや二度も、その僻地の名を見聞きしようとは。
「今日送られてくる予定のヤツ、そこからですよ。なんでも夜盗の魔術師だとか……」
「何だって?」
「いやいや、まだ詳しいことは分かりませんよ! ていうか、それ開けないんですか⁉」
胸ぐらを掴まんばかりの上司をなだめ、部下はあわてて机上に置かれた封筒を指す。さいわいにして、うまく注意が逸れたらしい。
「――読む。だから出ていけ」
「はいはい」
部下を部屋から追い払うと、青年はきちっと椅子に座り直し、姿勢をあらためる。
そうして深呼吸の後、慎重にペーパーナイフを手に取った。
◇
「来た―――!」
封筒を握りしめて、私は中庭へと駆けこんだ。
木陰でのんびりアイスティーを飲んでいたマリアとフレイが目を丸くする。
「手紙が来たわ! お兄さまからの、お返事が!」
「わあ!」
「へえ、ずいぶん早かったね」
パッと表情を輝かせるマリアと、ストローを口にくわえたままモゴモゴ言うフレイ。
私は敷物の上にお邪魔して、ついでにマリアのお茶を一口もらう。はちみつレモンティーだ、おいしい!
「ちょっと。手紙クッシャクシャじゃん」
「う、うるさいわね!」
きれいな空色の封筒は、うっかり握りしめてきたせいで少しばかりヨレていた。私は注意深く便箋を取り出し、敷物の上に広げてみせる。そうして三人で、その文面を覗きこむ。
事の発端は、数日前にさかのぼる。
「お父さま、リーリエは家を出ます!」
「ダメじゃ」
私の決意表明は、即刻ノーを食らってしまった。
「突然どうしたのだ? 外の世界はこわーいのだぞ! ヒマだと言うなら、今すぐ劇団でも吟遊詩人でも呼びつけるが」
「いいえ、そういうわけではありません……」
私はため息まじりに否定する。まったく、お父さまったら過保護で困っちゃう。だからまかり間違って、娘が悪役令嬢になっちゃったりするのだ。
「私は優れた領主になるために、武者修行の旅に出ようと思うのです。もちろん一人では何なので、マリアとフレイも連れていきます!」
「むしゃっシュ……」
お父さまは、噛んだまましばし絶句する。
「……そんなもの、なおさらダメに決まっておろう! しかもよそ様の子を連れて!」
(うーむ!)
そういうわけで、ゴスンゴスンと丸太に木刀を打ち込みながら、私は作戦を考えた。
こっそり家出してしまう、という強硬策も無いではないけど、お父さまを悲しませるのは心苦しい。あの調子だと、心配しすぎて死んじゃうかもしれないし。
何かマトモな口実を考えなくちゃ。お父さまにちゃんと納得してもらえるような。
(行き先くらいは決めるべきよね)
とは言っても、生まれてこのかた十五年、――前回分もカウントするなら三十年、私ってば野百合の谷を出たことがないのよね。箱入娘も極まれり、って感じだわ。だから正直、村の外のことはよく分からない……。
(そういえば、フレイは王都から来たんだっけ)
王都、ことクリフニア。
猫も杓子も行きたがる、夢と魔術の大都市クリフニア!
さぞかし魅力的なところに違いないわ。フレイんちに居候させてもらえないか、頼んでみようかしら? 私とマリアの二人くらいなら、必死でお願いすれば何とかなるかも?
(――ん? 王都? 王都に居候⁉)
ドグワシャッ‼
勢いあまって、打ちこんだ木刀と丸太とが双方こっぱみじんに砕け散る。舞い散る白いキラキラの中、私は叫んだ。
「私、お兄さまがいるんだった‼」
そう、あれは十年以上も昔のことよ!
この「私」が自我を得るよりずっと前に、野百合の谷を出て行った、年の離れたお兄さまがいたはずなのよ。
お兄さまはそれっきり、一度も家に帰らない。だからウッカリ、存在すら忘れていたわ……。
「あった……!」
おぼろげな記憶を頼りに机の引き出しをかきまわすと、奥底から、一通の手紙が見つかった。
古びた封筒に、几帳面な文字でつづられた私の名前。
まだ「私」でない私へと宛てられた、お兄さまからの手紙だ。
私はその手紙に、遅い遅い返事を書くことにした。
ずいぶんお久しぶりです。リーリエは十五歳になりました。村も平和で、お父さまもピンピンしているわ。
――それから、近々友達をつれて王都を見学したいのだけれど、案内してもらえたらとっても嬉しいわ、……というお願いつきで。
ただし、封筒に書かれた兄の住所が今なお有効なのかどうかは、自信のない賭けだった。
『愛するリーリエへ
みな、健勝でなによりだ。
君が王都を訪れるならば、いつでも歓迎しよう。
あいにく観光には明るくないが、ニサ区域であれば充分に案内してやれるかと思う。
エルクランツ=エミール・ノエル』
「わああ、すっごく綺麗な字です!」
「ニサ? 官公庁街じゃん!」
便箋をのぞきこみ、マリアとフレイが口々に感想を述べる。
どさくさに紛れて二人のアイスティーを半分くらいずつ頂いちゃったけど、良かったわバレてないみたい。
「そういうわけで、お兄さまの了承が得られたわ! だから『見聞を広げるために、二泊三日で王都に行きたい』、お父さまには、この説明で行くわ!」
「おー」
「おおー」
ビシッと言い切ると、パチパチパチと拍手が起こった。
そう。幸いなことに、私の手紙はお兄さまの元へと届いたのだ。
そうして今日、さらに幸いにして色よい返事が返ってきたというわけ。
だからフレイとマリアも連れて、とりあえず王都に社会見学に行こうと思うの!
「ひゃあ、楽しみです! 旅行なんて、何を持っていけばいいんでしょう? わくわくドキドキで眠れませんねっ」
無邪気に目を輝かせるマリアの傍らで、フレイは少し声をひそめる。
「お兄さん、姓が違うんだね」
「そうね、『はいちゃく』? だとか何とかで。でも心配無用よ、間違いなく私の兄だから」
「……間違いなく君のお兄さんなら、逆にいろいろ心配なんだけど」
なにやら小声で聞こえたけれど、聞かなかったことにしてあげよう。
「でもさ、なんかそっけない文面だけど、お兄さん本当は迷惑がってたりしない?」
「ああ、それなら大丈夫だと思うわ。……はい!」
私はポケットから輝くばかりの純白のユリを取り出し、フレイの目の前へと差し出した。
「マリアにも!」
さらにもう一本取り出して、マリアのふわふわの髪にヒョイっと挿す。
「このお花、手紙と一緒に贈られてきたの! 私とおんなじ名前の花よ。すっごくたくさんあるんだから。ざっと百本くらいはあるわ!」
「きもちわるっ!」
すかさずフレイが叫ぶ。
「うわあ……僕、ちょっとそういうのナシかも」
「あら、誕生日に何もくれない男の子より、ずっといいと思うけど?」
「えっ……」
何気なしに言ったつもりが、フレイの表情が瞬時に死んだ。ごめんごめん、責めたつもりは無かったんだけどね!
「……エルクランツ、さん?」
あら、どうしたのかしら。
髪に挿した花にも構わず、マリアがじっと手紙の署名を見つめているわ。
「リリちゃん、わたし、この人知ってます!」
「なんですって⁉ ――あわわ!」
マリアの思いがけない一言に、私はうっかりアイスティーのグラスを倒してしまった。