06 春の匂い
アデリーヌ・ヴィレルおよびグリ&グラに対する処罰は、すみやかに決定した。
彼らは一か月間の謹慎処分となった。さすがに良い所のお嬢様とはいえ、続々と挙がる生徒たちの証言を無かったことには出来なかったようだ。
あと、僕はやっぱり肋骨が折れていた。
そのへんの危険性も考慮されての処罰だと思う。ちなみにもう大丈夫だよ、うちの保健医は腕がいいから。
それにしても、今から一か月も欠席したら春休みに突入してしまう。
おそらく彼らは今学期いっぱいは顔を出さないで、新学期のクラス替えで人間関係のリセットを図ることだろう。けれど今回の件はすでに学校中に知れ渡ってしまっているから、どうなることかは分からない。
まあ、彼らがどんな立場に追い込まれようと、それは僕の知ったことではない。
終礼後、僕は玄関先でメイベルを呼びとめた。
「ごめん! 貸してもらった傘なんだけど……」
家から持ってきたものの、どこかでなくしてしまった旨を僕は気まずく説明した。しかしメイベルは目を丸くしたのち、ふっと表情を緩めた。
「もう返してもらったわ。私、落ちている傘を見つけて体育館裏に気がついたんだもの」
蕾がほどけるような、ふわりとした笑顔だった。まるで憑き物が落ちたように、メイベルの纏う空気は軽やかになっていた。
昨日の帰り道、メイベルが僕に明かしていなかったことが一つだけあった。
あの、雷を呼んでみせた魔術についてだ。
「ああいうことが出来るようになったのは、事件の後なの」
前の学校で、メイベルとレオンハルトが陥れられた事件のことだ。
そのショックと罪悪感から、メイベルは一度は死んでしまおうとまで思い詰めたそうだ。
しかし、ナイフを自らの胸に突き立てようとした瞬間、雷光を帯びてナイフが手元から弾け飛んだのだという。
生命の危機に際して、眠っていた力が目覚めるという話はまれに聞く。
そのたぐいまれな素質を聞きつけたこの学校が、すぐに転入の話を持ちかけてきたのだという。
「私、レオンに謝るわ」
メイベルはすみれ色の瞳を、まっすぐ前に向けて言った。背筋をシャンと伸ばして、自分自身の決意を固めるかのように。
「きのうフレイ君に話を聴いてもらって、――強くなりたい、って思ったの」
「うん」
「レオンに謝って、それから、ありがとうって伝える。許してもらえなくてもいい。責められてもいい。彼と話ができるなら、全部ちゃんと聴いて受けとめるわ。……それが、私のするべきことだって思うから」
偉い、という言葉は少し違う気がして、僕はやはり言葉少なに頷いた。
「うん。いいと思う」
メイベルは僕を助けてくれた。いじめっこたちに立ち向かうのは、ものすごく勇気のいることだったろう。メイベルはそこで、間違いなく一歩前に進んだと思う。
だけど彼女が本当に救ってやらなきゃいけないのは、レオンハルトと、それから彼女自身なのだと思う。
「僕はさ、学校を辞めようと思ってる」
「そう、……えっ⁉」
メイベルは目をまんまるに見開いた。
さり気なく言ったけど、そりゃそうだよね。だけど、僕も考えていたことだ。
アデリーヌたちがきちんと処罰されて、メイベルの幸先も良さそうだったら、僕は進級せずにこの学校を辞めようって。
「ど、どうして?」
「いやあ、やっぱりなんて言うかさ、向いてないや」
「辞めてどうするの……?」
「野百合の谷に戻るよ。僕は、あそこで生きていきたい」
言葉にすると大袈裟な気もしたけれど、それが僕の偽らざる気持ちだった。
「みんなと同じように、学校くらい通えないとは情けない」――それもきっと正論だ。
だけど心惹かれてやまないものがあるなら――心惹かれてやまないと気づいてしまったからには、その気持ちを手放したくない。
僕は何度だって思った。「リーリエだったらどうするだろうか」って。
ためらいなく僕の手を引いて、新しい世界を教えてくれた、あの女の子だったら。
僕は、彼女の在り方に倣いたい。
「――あ、もちろん勉強はするよ! したくないから逃げるわけじゃなくてね、通信添削でも何でも方法はあるし。それにまあ、家族が了承してくれたらだけど……」
僕がそう付け足すと、メイベルは「そうね」と笑った。
「いいと思うわ。フレイ君、今とっても嬉しそうな顔してるもの。……あなたって、笑わない人だなあって思っていたの」
「そ、そうかなあ」
その指摘はかなり意外で、僕は自分の頬に手を当てた。
それにしても、一本取られた。メイベルにそんなことを言われるなんて。
「ありがとう。私ひとりじゃ何も変わらなかった。フレイ君、あなたって魔法使いだわ」
風がふいて、ほのかに新しい季節の匂いがした。その行方を追うようにメイベルは顔を上げる。ずぶぬれでうつむいていた女の子は、もうそこにはいない。
「それはさ、レオンに言ってあげなよ」
「……そうね」
メイベルはきょとんとした顔ののち、少し照れたように頬を染めて笑った。
その笑顔を見れば、レオンも安心すると思うよ。
これは僕の憶測だけどね、レオンはメイベルを責めていないんじゃないかな。
もっと自分が強ければ、って彼のほうこそ悔いているような気さえする。
僕がレオンで、リーリエがメイベルだったら、きっとそう思うから。
……まあ、リーリエはとんでもなくたくましいから、「もしも」は「もしも」でしかないけどね。
「フレイ!」
馬車が停まるのも待たず、彼女は客車に並走して僕を呼んだ。
高く結い上げた金色の髪をなびかせ、若葉色の目を輝かせて、でこぼこの道を軽やかに疾走する。
そういえば、最初に会った時にも思ったんだ。妖精みたいだって。
御者があわてて手綱を引き、馬たちが迷惑そうにいななく。僕を乗せた馬車は、目的地よりも少し手前で停まった。
「リーリエ!」
僕は客車のドアを開けて飛び降りた。
澄みわたる青空を春風の吹き抜ける日、僕は野百合の谷に戻ってきた。
僕に、魔法を掛けてくれた女の子の住むところに。
1.5幕終了です。お付き合いくださりありがとうございました!
次話から本編第2章になります。
新規登場キャラクターはリーリエの兄、その部下、フレイ兄です。……と書くと兄度数が高いですね。