04 メイベルの告白
終礼後も雨は降り続けた。
僕は生徒玄関前で立ち往生していた。呼べば使用人が迎えに来るとか、当然のように辻馬車をつかまえて帰るとか、あいにく僕の家はそういう感じではない。
「あの、……傘」
「わ⁉」
振り返ると、メイベルがおずおずと僕に傘を差し出していた。いつからいたの? それはともかく。
「ああ、気にしないで。これくらいなら走って帰るから」
「……二本持ってるから」
メイベルは僕の掌に傘の柄を押しつけ、カバンからも折り畳みを取り出した。女の子が持つにしては渋い色のそれを開きつつ、彼女はさりげなく言った。
「一緒に帰ってもいいかしら?」
――これってまさか、何かそういうアレだったり⁉
(いやいや、僕にはもう好きな子がいるんだ! いやリーリエはそういうんじゃないけどさ……って『好き』? 僕、リーリエのことが……好きなの……⁉)
……などという僕のパニックとは無関係な話題を、メイベルは雨音にかき消されそうな声で、ぽつぽつと紡いでいく。
「フレイ君、いつも助けてくれてありがとう。だけど、もういいの。私のことは構わないで」
「どうして? 僕、迷惑だった? ……あ、今日の体操服⁉」
あわてて問い返すと、傘でなかば顔を隠すようにしてメイベルは首を振る。
「ううん、あなたには感謝してるわ」
「じゃあ、どうして」
お節介だったかなとか独り善がりだったかなとか、いろんな懸念が浮かんでは消える。
そういえば、メイベルはたしか最初にも同じことを言った。それでも僕は彼女の状況が他人事に思えなくて、余計なことをしていたのかも――。
けれどメイベルの返答は、思ってもみないものだった。
「私には、あなたに助けてもらう資格がないの」
どういうこと、とさらに問おうとして、僕は言葉を飲んだ。
メイベルは泣いていた。
肩を震わせ、傘に隠れるようにして、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
◇
メイベル・クロシェは、昔から標的になりやすい女の子だった。
彼女はもともと公立の学校に通っていたが、そこでも嫌がらせを受けていたそうだ。何も心当たりは無いのに、どういうわけか粘着されやすいタチなのだった。
けれど、メイベルは一人ぼっちではなかった。
彼女には心強い味方がいた。レオンハルトという男の子が、いつも助けてくれたのだ。
「君は、僕が守る」
レオンハルトは、そう繰り返し言ってくれた。
彼は、メイベルのヒーローだった。
「……だけど、私はレオンを裏切った」
傘を持つ手を震わせ、メイベルは絞り出すように言葉を紡ぎ続ける。
あるとき、メイベルはいつもの不良連中に取り囲まれた。
その日の嫌がらせは度を越していた。メイベルは数人の男子生徒によって薄暗い器具室に追い込まれ、制服を剥ぎ取られた。
「なあ、今日はおせぇよな、おまえの王子様」
「今日は来てくれないのかなー? どうかなー?」
「うける。あれで来れたらバケモンっすよ」
ひどく嫌な予感がした。
レオンの身に何かあったのでは、と思った矢先、乱暴に顎をつかまれた。
「メイベルちゃん、『取り引き』しよーぜ」
「取り、引き……?」
「お前をこのままの格好で外に放り出すからさ、『レオンハルトがやりました』って大人に泣きつけよ」
メイベルは耳を疑う。しかし男子生徒はニヤつきながら、言葉を続ける。
「そしたら当分、おまえのことは放っといてやるよ。俺ら、超やさしいから」
「おまえ、それめっちゃおもしれーわ!」
「天才だな!」
取りまきが歓声をあげ、口々にわっと囃し立てた。メイベルは、ただ恐怖に目のくらむ思いだった。
「取り引きするよな、メイベルちゃん?」
「取引すれば、ここから出してやれるぞ」
「ちゃんと言えるか見張ってるからな。ズルしようなんて思うなよ」
「ズルしたら、――すぞ」
その日は酷く雨が降っていた。凍てつくほどに冷たい雨が、メイベルの剥き出しの肩を叩いた。
◇
「私は、あいつらの言いなりになった。――怖くて怖くて、なにも考えられなくて、レオンに無実の罪をきせた。私を、ずっとずっと守っていてくれたレオンに……」
メイベルの声が震え、語尾がかすれて消えた。それでもメイベルは告白を続ける。
「そうして私だけが転校して逃げた。……分かったでしょう、私は最低な人間なの。だから罰を受けなきゃいけない。受けるべきだわ。今私がどれだけ虐められたとしても、私が彼に負わせた痛みには、到底かなわない……!」
「メイベル」
僕は彼女に一歩あゆみ寄る。
「君は悪くないよ。――悪いのは、君とレオンハルトをおとしいれた連中だ」
本当ははらわたが煮え返りそうなくらい、僕は腹が立っていた。
メイベルの受けた仕打ちは、あまりに理不尽で、許されるものではなかった。
「だけど、私が弱かったから……! 私がもっと強かったら、あんなことにはならなかった。私は、罰を受けるべきなの」
「この学校でもつらい思いをすることが、罰だって言うの?」
メイベルは黙り込む。雨の音だけが辺りの空気を満たす。
――彼女だって、卑怯じゃないか。
頭の片隅には嫌らしいほど冷めた僕がいて、とげのある声で囁いている。――罰ってなんだよ。それこそ弱虫のままでいるための、都合のいい言い訳じゃないか、と。
だけど僕には、メイベルを裁く理由なんかない。
もし彼女が誰かに非難されたとしても、僕は彼女の味方でいたい。
「ねえメイベル、明日も一緒に帰ろう」
傘の端が触れあって、視界の前に涙みたいに雨粒が流れ落ちる。
「頼りないかもしれないけどさ、明日も僕がついてるから。……話してくれて、ありがとう」
自室のベッドに寝転がり、僕はため息をついた。
(きっと、誰にも事情を話してないんだろうな。……レオンハルトって子にも)
僕がメイベルの立場だったとして、言えるはずもないな。謝ろうとか説明しようとか思う以前に、もう会わせる顔がない。
僕がレオンだとしても辛いだろう。人間が信じられなくなるかもしれない。
だけど、それではクソみたいな連中だけが得することになってしまう。ひどく不愉快な話だ。
(メイベルは明日、学校に来るかな)
心配だな。漠然と思い巡らせながら、僕はいつのまにか眠り込んでしまった。
◇
翌朝、僕は早めに家を出た。
メイベルに借りた傘を持って学校へ向かう。僕の登校時間が早かろうが遅かろうが彼女の出欠には関係ないけど、それでも気持ちの問題だ。
人通りの多い正門を避け、西門から構内に入る。混雑は嫌だから、いつもこちらから登校することにしている。
「おい」
背後から声をかけられた。振り返ると、ヒョロ長い赤髪男子と丸っこい青髪男子の姿がある。――グリ&グラじゃん、そう思う間もなく強引に腕を引っ張られる。
「ちょっと来い」
「痛っ、……なんだよ、離せ」
「いいから来い」
彼らは僕の両サイドを固め、説明もなしに引きずっていく。西門から体育館裏へと、僕はまんまと拉致されてしまった。
「ごきげんよう、フラジオレット・ローゼンフェルト!」
かくして僕を待ち構えていたのは、ドルドルと毛先の渦まくピンク髪の女子生徒、アデリーヌ・ヴィレルだった。