01 少年、辺境にいたる【リーリエとの出会いフレイ視点】
「はじめまして、私はリーリエ」
その女の子の第一印象は「最高」で、それから秒で「最悪」に変わった。
(……妖精だ)
我ながらバカみたいだけど、一目見て僕はそう思った。
明るいブロンドの髪に真っ白な肌。その奥に透明な火を燃やしているかのような、みずみずしい緑色の瞳。彼女はなんだか人間離れしていて、光さえ放っているように見えたのだ。
リーリエ・リリエンタール。
僕はその名前を、大切な魔法の呪文のように胸におさめた。それから少し遅れて、父さんに背中をつつかれてようやく自分も名乗った。
緊張と恥ずかしさで、ぜんぜん声が出なかった。だってこんな妖精みたいな女の子に、生まれて初めて出会ったのだから。
けれど、次の瞬間思いがけないことが起こった。
「フラジオレット・ローゼンフェルト!」
女の子は勢いよく叫ぶと、僕の頭をガシッと掴んだ。
「⁉」
僕はそのまま引っぱられ、おでこがぶつかるほどの距離で、まじまじと顔を覗きこまれた。
「ねえ、あなたってそんな子だったかしら? せっかく綺麗な顔してるのに、しょぼくれてちゃもったいないわ。もっとシャキっとしなさい!」
(ひぇっ……!)
なんだこの子、怖い。
少なくとも、初対面の相手に対する態度がおかしい。
それに、僕は何よりも嫌なんだ。こんなふうに、無遠慮に目を覗きこまれることが。
さわるな、と僕は口の中だけで呟いて、女の子の手を振り払った。
リーリエのお父さんとお付きの女の子は、顔を真っ青にして絶句していた。一方、うちの父さんは何がツボだったのか声を殺して笑い始め、それがまた僕を苛立たせた。
リーリエ・リリエンタール。
その名前を、僕は「最悪」のレッテルと一緒にたしかに覚えた。
王都のにぎやかな街並みを後にして、馬車で丸二日。
閑散とした農村を越え、鬱蒼とした森を抜け、ただひたすらに山道を登り、いよいよ世界の果てまで来てしまったかと思う頃。
僕はこの辺境の地、野百合の谷へと辿り着いた。
それは十月の終わりのことで、僕は十二歳になったばかりだった。
とある事情で、僕は心身ともに最悪の状態だった。
そして何の因果か、最悪の女の子に出会ってしまった。
この出会いが、僕の新たな受難の日々の始まりだった。
「フーレーイー! 遊びましょう!」
さっそく初日からこれである。
無駄に元気をありあまらせたリーリエが、玄関先に襲来してきた。
(何言ってんだあいつ、遊ぶわけないだろ)
そう僕が居留守を決め込んでいると、なんと敵は身内にもあった。
「おお、リリちゃん! 遠慮なく連れてってくれ!」
(父さんんん!)
なんということだ。僕は秒で親に売られてしまった。
「フレイ、さなぎを集めに行きましょう!」
「え? ……えっ?」
「さなぎを集めに行くわよ! ほら早くはやく!」
僕は二度聞きしたが、残念ながら一字一句そのままの意味だった。
結局その日は、野山を駆けずり回って変なサナギを袋いっぱいに集めることになった。イモくらいの大きさの、ふわふわモコモコに毛のはえたサナギだ。
「ぎゃあ⁉」
「あ、気をつけてね。それ強くにぎるとメチャクチャ臭い汁を出すから!」
いや勘弁して。
しかし、勘弁されるわけがなかった。翌日以降もリーリエは襲来してきた。というかほぼ毎日やって来た。僕のド田舎スローライフは、恐怖のサバイバルライフと化した。
「フーレーイー! 遊びに行きましょ!」
(「遊び」の定義とは⁉)
断崖絶壁に貼りついて僕は自問した。「崖の中腹に生えてる珍しいハーブが欲しい」だとか、その日はそんな感じの理由だった。
(こんなカジュアルに死んでたまるか……!)
僕は草をむしり取って生還した。けれど「がんばったわね!」とか言って取りたての草を食わされたショックで意識を失った。
「フーレーイー! ピクニックに行くわよ!」
「それ絶対ピクニックじゃないやつ‼」
一週間が経つ頃には、僕はツッコむことを学んでいた。
「ピクニックよ? 鳥を捕って食べるもの!」
「蛮族的行事⁉」
どこの野性人だよ! のんきなレジャーグッズの代わりに、ナイフだとか罠だとかの物騒なサバイバルグッズを携えて、リーリエは鼻歌まじりに森へと駆けだした。ピクニックって何だっけ?
(あ……あああ……すごいぃい……!)
手ぎわよく鳥の羽をむしり関節を外す令嬢を、僕は他に知らない。
音がすごい。音がやばい。鳥さんごめんなさい、残さず食べるから許してください……成仏してください……!
初対面で人間離れしていると感じた美少女は、なるほど別の意味で人間離れしていたのだった。もう野生の令嬢じゃん。
そんな彼女の傍らには、いつもおとなしい女の子がいた。
お付きの子かとたずねると、リーリエはふくれた。大切な妹分で、名前はマリアというらしい。
マリアはおっとりした子だけど、リーリエに従ってどんな岩場も獣道もさっそうと駆け抜けていく。残念ながら、彼女もまた野生の人なのだった。
(くそ、絶対こんなの普通じゃないよ……!)
僕が不本意ながらもワイルドな遊びにつきあい続けたのは、正直なところ、女の子たちの異常な身体能力が悔しかったからだ。
……とはいえ毎日相手にしていては身が持たないので、隠れ家として図書館に籠ることも覚えた。
大きくても小さくても、やっぱり図書館はいいものだ。
僕は文章の中に沈んでいく感覚が好きだ。文字の書いてあるものなら何だっていいけど、とりわけ本というものが好きだ。……だけど、その話はまた別の機会に。
そうして、あっという間に季節は過ぎた。
冬もなかばを過ぎた頃、僕は唐突に気がついた。
(めちゃくちゃ体調がいい……)
そう。とある事情から心身ともに絶不調で野百合の谷に来た僕だったが、いまや快調も快調、絶好調に健康そのものなのだった。
なんだか釈然としない……。だけど事実だから仕方がない。
僕がここに来たのは、休養のためだった。
僕は王都で、人並みに学生だった。
いや、人並み以上に名高い学校で、その中でも優れた生徒であろうと気を張って過ごしてきた。――貴族の子弟として、清く正しく優れた人間であろうと、まさに血を吐くような思いでどうにか日々を生きてきた。そしたら、身体がおかしくなった。
ありとあらゆる体調不良が僕を襲った。学校に行けなくなった。最終的に、学校のランチルームで盛大にゲロって僕の心は折れた。まあそういうわけ。
だけど野百合の谷に来てからは、寝込んでるヒマなんか無かった。
見た目は妖精・中身は野獣の女の子が嵐みたいにやって来て、毎日僕を振りまわすのだから。
「春になったら、花を植えたいわ!」
ある昼下がり、落ちてくる雪を口で受け止めながら、リーリエは気の早いことを言った。
「バラがいいわ、とびきり赤いやつ」
そう言って、僕を振り返っていたずらっぽく笑う。
どうしてだろう、なんだか目の奥がつーんとした。バカみたいに雪を食べようとしてるリーリエが、むしょうに眩しく見えた。
(春になったら、僕はここにいないかもしれない)
僕は気付いていた。
体調さえ良くなれば、きっと僕は王都に戻らなくてはいけない。
「うーん、だけど白いのも良いわよね。黄色いのも素敵だし、ピンクだってかわいいし……とにかくフレイも手伝ってよね!」
「うん。手伝う」
そう答えたけれど、胸がつかえてうまく笑えなかった。
わかってる。しょうがない。僕には学ばなくちゃいけないことが、山ほどあるのだから。
だけど、――このド辺境暮らしも悪くないかなって、僕はそう思い始めていたのだ。
◇業務連絡です◇
旧幕間1(ユディとルカ氏の話)は、加筆修正し別作品として再投稿の予定です
◆追記◆
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