5話 ひとときの安寧
しびれた手をさするアルテに老人たちが詰め寄る。
「な、何をしたんじゃ!? 施したもの以外が呪印を消すなんて……!」
「ありえん、ありえんぞ!」
不思議そうに首をさすっていたキース、その手をどかすときれいさっぱりに奴隷紋が消えていた。
「自分でも、よくわからなくて、あれ、嫌だなぁって思ったら勝手に体が動いて……」
「ぎんろーといっしょで、じゅもんをしりぞけるってえほんで見たしょだい様みたいだねー」
「そだねー」
子供たちはウォルと遊びながら大人たちのやり取りを見ていた。
「そ、そうじゃ……伝説では初代皇帝様のお力は破邪の力……アルテ……お主は一体……」
「な、なんかよくわからねーけど……たすけられたみてーだから……ありがとよ……」
「ばかもん! わかっておるのかキース!? お主は一生消えることない呪印を消してもらえたのじゃぞ!?」
「い、いやぁどうやったかもよくわからないし、いいことならそれでいいですよ」
「たく、じじいたちはうるせーな。こいつもこう言ってるしいいじゃねーか……」
「まったく、ことの重大さがわからんとは……」
それからもぶつぶつと文句を言っていたが、アルテのそれよりも夜の準備をしようという提案に皆賛成する。
とりあえずアルテの持っていた道具を使って簡単なテントをみんなで作ってもらいながら、アルテとウォルはいつも通り食糧の確保にうつる。
食べられる木の実やキノコ、大雪のせいで量は少ないが、注意深く探せばいくらでも見つけられる。
地面に生えるキノコは無くても木々の割れ目などにしぶとく生えているものだった。
子供たちもいるし、出来れば獲物も取りたいところだが、だんだんと日が傾いていく。
「ウォフ!」
「おっ! ディアじゃないか……まって、すぐに罠を作る、あとはいつも通り……」
幸運なことにディア中型の草食の動物を発見する。
アルテは穴と縄による簡単な罠を手際よく作っていく。
落とし穴にはまった足を縄で括り取る、もっとも原始的な罠と言える。
罠の設置の間にウォルが大きく迂回して反対側に回り込む、銀狼の本領発揮だ。
音もなく森を駆け抜けいつもの位置に待機する。
アルテは指笛を鳴らす。小さな小さな音だが、罠の準備と身を潜めた合図だ。
ウォルはその小さな音を聞くと大げさにディアの前に躍り出る。
慌てたディアはウィルと反対方向に本能的に駆け出していく、もちろんその気になればウォル一人で仕留めることは可能なのだが、わざわざこの方法を選ぶのは綺麗な毛皮を得たいからだ。
がこっ、と見事に穴にはまるディア、同時に足を縄が縛り上げる。
「よし!! うまく行った!」
アルテは反対の縄を丈夫そうな枝に投げつけてぐいぐいとディアの体を持ち上げていく。
ディアの体重は15~20キロぐらいはありそうだ。それを木の枝を滑車代わりに持ち上げるというのは……
人間離れした怪力が必要なのだが、アルテたちはその事実を知ることは無い。
「ごめんよ、君の命大切にいただく」
手に入れたナイフで素早く頸部を切り裂く。
普段はその血も肉と混ぜて燻製にしたり利用するが、今日はとりあえず獲物を得ただけで良しとする。
準備をしている時間も惜しかった。
血を抜かれ絶命したディアを担いで急いで川に向かう。
皮をはいで、枝肉に分けて、内臓も袋に入れて担ぐ、キースの持っていたナイフのおかげで驚くほど作業が早く済んだことにアルテは感動していた。
アルテの技術と合わさりナイフは刃こぼれ一つしていない。
わずかな時間で信じられないほどの食料を得られたことは幸運だった。
袋を担いで皆が待つ場所へと戻っていく。
ウォルも一仕事終えてご褒美の新鮮な心臓をもらってご機嫌にアルテの隣を走っていく。
「ただいま! やったよ大物が取れたよ!」
「おお、お帰り……こっちもなんとか形になった……しかし、この皮は立派なもんだな。
むらでもなかなかこんな上物は見られない……」
「ベアとかディアとかの皮をつなぎ合わせているからね、丈夫だし雨に強いし、温かい」
「べ、ベア!? ベアというのはあのでかい……?」
「うん、昔は銀狼の家族と暮らしていたからね敵じゃないよ」
「ウォルはつよいんだねー」
アルテは今日の成果を皆の前に広げ、火おこしに苦労していた人を手伝いあっという間に火を起こす。
その手際の良さに皆一様に感心するしかない。
さらにはこの短時間で集めてきた食材の量にも驚きを隠せない。
「む、村にいた時よりも豪華じゃぞ……」
「ディアの肉なんぞここ数年たべたことない」
「すごーい!」
子供は目をキラキラさせている。
「待っててね、食事の前にこれでも食べていて」
いくつかの果実をナイフであっという間に切り分けて木製の皿に並べていく。
「そうだ! キース! これ、凄い役に立ったよ!
やっぱり石の道具とは全然違うね!!」
「やるよ! 俺が持ってるよりお前が持ってるほうが役に立つんだろ」
「ほんと! ありがとう!」
二人がそんなやり取りをしている間にも子供たちは果実に飛びついていた。
「あまい!! すごい美味しい!!」
「死の森にはこんなにおいしい果実が実っているのか……」
じい様ばあ様たちもその甘い果実、アプルの実と呼ばれる果実に驚いていた。
帝国では高級品で、こんなに甘いものを食べられるのは一部の貴族ぐらいという背景がある。
「めぼしはつけたからしばらくは手に入るよ。やっぱり森の奥よりも数が少なくてね……」
「奥にはもっとこんなものがあふれているのか?」
キースも一口食べて味わったことない甘味に目じりが下がっていた。
「うん。森の奥は魔獣がいるから動物も少ないからね、手つかずの果物やキノコも多いよ」
受け答えしながらもアルテは今日の獲物であるディアの肉を切り分け内臓を分けて熱した鉄板の上で焼き始める。
この鉄板は元々森の中で力尽きた人の持っていた鉄の盾だ。平たくしたらとても便利な調理器具になった。
油の焼ける香りが村人たちの胃袋を直撃して子供たちの腹の虫が元気よくなりだした。
「ははは、焼けたからどんどん食べな! 今日は本当に運がいい!」
アルテも久方ぶりの人との触れ合いに少し上機嫌になっている。
「貴重だけど、今日はいいか……」
荷物の中から小さな筒を取り出して肉にかけていく、さらに乾燥して保存してあった香草なども使って味付けをしていく。
「おいしー!!」
「う、うまい!!」
「こ、これは塩か!? なぜこんなところに!?」
「岩塩って言うのがあって、それを煮だして不要なものを取り去って乾燥させると少量だけど手に入るんだ。貴重だからめったに使わないけどね」
「ディアの肉の独特の匂いが香草で見事にうま味に代わっている!
こんなうまい物食べたことが無い!」
あふれ出る油でいためたキノコも大絶賛だった。
うまいうまいと喜んで食べてくれる皆の反応がアルテにとってはとても嬉しくて、ついつい保存のことも考えずにどんどん料理を作ってしまった。内臓の炒め物はキースをはじめ高齢者に大絶賛されたが、子供達には少し不評だった。
「いやーーーーー、こんなに満腹になったのはいつぶりじゃろ!」
村人たち、子供たちもキースもみんな腹を抱えて満足そうにそこらへんに腰かけている。
「すごいな、あんなにあったのに……人が多いと沢山食べるんだなぁ……」
アルテはみんなの食欲に驚いている。
これだけの獲物なら自分一人なら2週間は食いつないでいける。
森の浅い部分でも食糧確保に問題はなさそうだから特に注意もしなかったが、明日からは少し考えないといけないと一人思案を巡らせていた。
「すまんのアルテ、こんなに世話になって。
今更なんじゃが、わしたちのことを説明させてくれ」
まずは自己紹介から始めた。この期に及んで名を名乗っていなかったことに頭を下げる村人たち、アルテはそんなこと気にもしてなかった。
最年長で皆のまとめ役、真っ白な髪と口ひげの男性、バウル。
同じく白髪で過去に腕にけががして少し不自由なラクサ。
白髪交じりで少し若いけど膝が悪いガンター。
女性で視力が落ちていてやや生活に不自由があったリサナ。
皆を森の奥に送り届ける片道切符を背負わされた元奴隷のキース。
子供たちは皆4女や末娘、それに体が弱い男の子一人、合計6名。
ミラ、キア、メイロ、タレン、ヘーザ、そして男の子のロッタ。
合計11名が、死の森に頭減らしとして送り込まれてきたのだった。
体が不自由だったり、色々な理由から村から捨てられた者たち。
死を覚悟していた皆が、まさか死の森でこんなにも満たされた食事や寝床を得られるとは考えていなかった。
「本当に、どうお礼を言えばいいか……」
「いえいえ、それよりもこれからの生活にはみんなの協力がいります」
「も、もちろんじゃ、なんでもするぞい!」
「ただよぉ、じーさまもばーさまも皆、腕や足、よく物見えなかったり、ガキ共もまだ子供だ。
そのかわり俺が動くからよ!」
「もちろんキースには馬車馬のように働いてもらうよ」
「お、おうよ!」
「バウルさん達には生活拠点の整備と食糧の加工、衣服作りとかそういう点で期待してます。
俺とウォルはとりあえず使えそうな材料となんと言っても食糧を確保します」
「お、おれは?」
「周囲の開拓とか力仕事だね。やることは山積みだよ、ぼく一人なら平気だったけど、シルメアに教わったいろんな道具を作るからね」
「よ、よし! やるぜ!」
「とりあえず明日から……」
子供たちはウォルと一緒にすっかり眠りについてしまっていたが、大人たちは明日からの生活を生き抜くために動き続けなければならない。
一通りの説明が終わって、自分の仕事の多さに少しぼーぜんとしているキースの姿があったのはここに記しておこう。