4話 過去
ウォルはアルテの背後でちょこんと座っている。この状況で自分が前に出るとろくなことにならないことをきちんと理解している、賢いのだ。
「僕の名前はアルテ、この森で暮らしている者だよ」
「う、嘘をつくな! この森で人間が暮らしていけるはずがない!」
今、諦めないと言っていたキースでさえも、そのことは事実として認識している。
「そんなことないよ、僕はもうこのウォルと一緒に7年程この森で暮らしている」
「そ、そんな話信じられるか!?」
アルテの話を聞きながら新たに表れたウォルの姿を見て、さりげなく子供や老人を自分の背後に隠していくキースの動きにアルテはさらに興味を持っていた。
「貴方は奴隷紋を持っているのに、なんというか、奴隷らしくないね」
「う、うるせぇ! 関係ないだろそんなことは!」
「待つのじゃキース、お主アルテと言ったな? それに森で7年暮らして居るとそういったな?」
「うん、そうだよ」
「お主、もしかしてペイテの息子のアルテかい?」
「!? ……そうだよ……」
ふいに出された母の名に、封印していた記憶がよみがえりかけて、少し顔をゆがめるアルテ。
「なんと! アルテが生きていると聞いたら……あっ、いや……どこになにがあるかわからん……
いや、しかし本当にこの森で7年も生きておったということか!
しかも、その狼、ただの狼ではないように見えるが?」
「ウォルは銀狼っていう魔獣の子供だよ」
「なんと!! 伝説の銀狼!」
老人たちは銀狼の名を聞いて驚いている。彼らにとって銀狼とは死の森を統べる王の名だからだ。
魔物、魔獣、猛獣、様々な人間に害する者の住む死の森、その頂点にいて伝説の存在が銀狼だ。
このライトディア帝国の国旗に描かれている狼はその銀狼であると伝えられ、初代皇帝であるパトリオット・ライトディアはその銀狼の友であったと言われている。
「ワンちゃん怖くないの?」
子供たちは老人たちの後ろに隠れていたが、ウォルの姿を興味津々で見つめている。
「大丈夫、ウォルは僕の友達だからね」
アルテはウォルの頭を優しくなでて、ウォルもその撫でてくるアルテの足に気持ちよさそうに摺り寄せている。
その風景を見たら子供たちは我慢できずに目を輝かせている。
「な、撫でてもいい?」
「お、おい! 油断するなよ! 油断させてお前らを食うつもりかもよ!」
キースの子供を思っての発言だと今ではアルテには理解できた。
「ウォルがその気なら、別に油断させなくても全員倒されるよ。
大丈夫、ウォルは優しいよ」
アルテが笑いかけるとわーっと子供たちはウォルに駆け寄って撫でたり抱き着いたり明るい笑顔になる。ウォルも子供相手でも優しく舐め変えしたり身体を擦り付けて受け入れてあげている。
子供たちに笑顔が戻ると、キースの顔から緊張が抜ける。ますますアルテはキースに興味を持つ。
「いろいろと聞きたいけど、まずはある程度落ち着ける場所を作らないとね。
これだけ人数が居れば水辺の近くでも大丈夫だろうから、ついてきて、川まで案内するよ」
子供たちはすっかりウォルと仲良くなって背中に乗ったりして楽しんでいる。
老人たちもキースもそんな子供たちの姿を見てアルテのことを信用することにした。
アルテは来た道を戻るように小川に、今は増量してそれなりに川となった場所までくる。
「今は大雪が解けて水が増えている。さらに地盤も緩んでいるから少しは慣れた場所のほうがいいと思うんだ。少しあたりを見てくるからここでまっててね」
アルテはそういうと森へと消えていく。
村人たちはその場に腰を掛けて待つしかない。
子供たちは歩き疲れたのかウォルに寄り掛かるようにウトウトし始めていた。
「じーさん、あのアルテって奴は何者なんだ?」
「隣村に母と子二人で暮らしていた子じゃよ、……貴族同士の争いに巻き込まれたらしく、母親は殺され、どうやら子供は森に落ちたようじゃの、まさか生きていたとは誰も思うまい……」
4人の老人たちは顔を寄せ合いその頃の話に夢中になり始める。
キースはアルテの生い立ちの一部が貴族によって不当に歪められた事実を知って、少しアルテに対する敵対心を解くことになる。
「貴族の野郎どもは、ろくなことをしやがらねぇ……」
悔しそうに木に握りこぶしをぶつけると、ひょいっとアルテが戻ってくる。
「ちょうどいい場所があったよ、そこに移動しよう。はは、ウォル、そのまま動ける?」
ウォルは背中でスヤスヤと眠る子供たちを乗せたまま器用に立ち上がりアルテの横に並ぶ。
ウォルという枕がなくなった子供はキースがおぶっていく。
4人はウォルの背中に、二人をキースは器用におぶっていく。
「手伝おうか?」
「大丈夫だ。こいつらは弟、妹みたいなもんだ。これぐらいどうってことない」
「ははは、君は本当に不思議だね。なんでそんなものをつけているんだい?」
「……お前と一緒さ、貴族のごたごたに巻き込まれたせいだ……
俺を救うために親父とおふくろはその身を犠牲にして村で俺を雇ってくれた……
帝国の炭鉱で、毎日毎日働かされた親父とおふくろは死んじまった。
貴族の糞息子が襲った娘をたすけただけで、だ。俺は帝国貴族を絶対に許さねぇ!」
キースはめったに話さない奴隷紋の話をアルテにしていた。
話している途中に、なぜこんな奴に話しているんだ!? と自問自答しながらだが、先ほどのたった一人の母親を奪われた話を聞いたかもしれないと納得していた。
「そうなんだ……君は、やっぱりいい奴なんだな」
「なっ! そ、そんなんじゃねーよ! 俺は死ねないんだ!
帝国貴族の糞どもを皆殺しにして、村の皆に恩を返さないと!」
キースは誰にも聞こえないように、そうしなければ死んだ両親に申し訳が立たねぇ、と懺悔した。
その声はアルテの耳にははっきりと聞こえていた。
しかし、アルテはその声に反応することはしない、心の中でキースの評価を上げるだけだ。
「ここがいいと思うんだ」
アルテが見つけた場所は木々の間隔も広めで、太陽が差し込んでいたおかげで土壌のぬかるみも少ない。多少ひざ下ぐらいの草に覆われているが、それらを処理すればちょうどよい広場になりそうな場所だった。
水場からの距離も遠すぎず、生活拠点の立地としては申し分ない場所と言えた。
「確かに、ここならよさそうだ……」
「僕たちが持っているもので作れるものを作ってしまうね、みんな疲れているし、あんまり遅くなると日が暮れてくる。その前にある程度安心して眠れる場所は作りたい」
途中で回収したそりから道具を下ろして広げていく、老人や村人は興味深くそれらの道具を眺めている。
「それ、全部お前が作ったのか?」
「うん、色々と工夫して、なんとかね。家もあったんだけど、さすがにあの大雪で使えなくなっちゃったんだよ」
黒曜石を使った数々の道具は村で人の中で生活していたものにとっては原始的で粗末なものだった。それでもこの死の森の中で現地調達をして4年という歳月を生き延びたアルテに皆は尊敬に近い念を持った。
「俺たちもほとんど何も持たせてもらってないから似たようなものだが、一応俺が少しだけ道具を持っている」
キースは腰から短剣、槍、ずた袋から鍋ややかん、そして鉈を取り出した。
「凄い! 何もないなんてとんでもない! ありがたいよ!」
アルテは久しぶりに見る人間の道具に目を輝かせる。
「ぐっ……」
キースが苦しそうな声を上げて奴隷紋を抑える。
「大丈夫?」
「ああ、貴族のとこの糞魔導士が俺がくたばってねぇか確かめてやがる。すぐに済む」
アルテは鈍く光る奴隷紋を見ていると自然と手が伸びていた……
「な、なんだよ……?」
【去れ】
まるでアルテの声ではないようなドスの聞いた低い声、同時にウォルがちいさく「ウォン!」と吠える。すると、バチッと火花がアルテの指先から放たれる。
「あいたっ」
いつものアルテの優しい声が戻っていた。
ビリビリとした感覚がアルテの手に残っている。
「な、何したんだよ!? ……あれ? 痛くねぇ……」
「な、なんということじゃ!! 奴隷紋が消えておる!!」