16話 取引
アルテもカイラも確認したいことはたくさんあったが、約束の時間まであまりないためにホテルの素晴らしい朝食をゆったりと楽しむ暇もなく腹に収めて準備を急いだ。
罠である可能性もあるということで、十分に注意している。
「罠があるかもと言われても、どんな罠があるかはわからない」
「念のためにウォルはすぐ駆け付けられる場所で全体を見てもらうよ」
取引の場所として指定されたのはスラム街に存在する広場、かなり治安が悪く、何が起きてもおかしくない。カイラも周囲の複雑な構造をなんとか思い出しながらいざというときのための作戦をアルテと話し合う。せめてアルテだけでも……カイラはそう考えていた。
「カイラ……変なこと考えていたら、本気で怒るよ」
「な、なんだよいきなり! へ、変なことなんて考えてねーよ!」
「嘘はわかるよ……?」
じっとカイラの目を見つめるアルテの瞳はどこまでも深くカイラの奥底までも見抜いてきそうだった。
「わかった、悪かったよ! いざとなったらお前だけでも逃がそうと考えてました。
はい、みんなで助かる道を最後まで諦めません! それでいいんだろ?」
「……うん!」
アルテのまっさらな満面の笑みにカイラはドキリとしてしまう。
同時に、アルテの穢れ無き考えを汚しそうになった自分を恥ずかしくも思うのだった。
「よし、少し早めにつきたい、行こう」
「うん」
下見もある程度はしたい、出来る限りの備えをしたかった。しかし、残念ながら二人が広場につくと、すでに大きな荷を引いた馬車とマギウスが待っていた。
「約束の時間よりも早く来るとは若いのに立派なことだ」
いやらしい笑い顔の男が二人に話しかけてくる。
マギウスは広場の端で腕を組んで様子を見ているようだ。
「貴様らがカイラとアルテとかいう若造だろう?
どーんな悪い手を使ってあんな大金を用意したんだぁ?
なんであんなちんけな村の人間を助けようとしてるんだぁ?」
「理由を話す必要はない、そっちだって取引に乗って支払いを受けたからここにいるんだろう?
余計な問答は不要だ。こっちは金を支払い、そちらは対価を渡す。それで終わりだ」
「くっくっく、若いのに、裏のしきたりをよくわかってる。
賢い奴だなぁ、賢すぎる奴は嫌われるんだがな……おい!」
その男が指示すると場所の後ろの車にかけられた幌が外される。
荷車は檻になっていて、中には身を寄せ合って恐怖に震える人々が入っている。
カイラは帽子を目深にかぶりなおして男と向き合う。
「さぁ、解放しろ」
「……いいぜぇ……開けろ」
檻の扉が開けられるが、誰一人出てこようとしない。
「どうしたぁ? せっかくこちらの若人がお前らに大金を払って自由にしてくれたんだぞぉ?
出ないのかなぁ? ……本人たちが出て行かないのは、俺たちの性じゃないよなぁ……!?」
耳障りな声で笑いだす。身を寄せ合った村人がびくりと身を震わせ、麻布のような衣服がはだける。
「なっ……貴様ぁ……!!」
その肌には禍々しい印が描かれていた。奴隷印だった。
「俺らが行った取引は『村人の解放』だぁぁ!! だからほら、解放してやってるぜ、偶然奴隷契約がされてこの檻から出ると命を落とすかもしれなくても、そんなものは約束には入っていねぇ!!」
「チッ!!」
マギウスが嫌悪感を隠すことなく舌打ちをする。
「おおっと、取引で嘘はついていねぇぜぇ。
取引開始時に奴隷紋は無いと言った。そして、取引終了時に今後村人には手を出さないことも約束した。だがな、取引中に奴隷になっちまったんだったら仕方ねぇだろう!! ぶっひゃっひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
「クズが……」
「どうするー!? 奴隷から解放するなら一匹400万ゼェニィで相談に乗らんこともないとご主人はおっしゃってるぞぉぉぉ!?」
「糞野郎がぁー!!」
「まってカイラ、囲まれた」
「ほーう、噂だけじゃなくて腕は立つんだなぁ……」
男が手を上げると周囲の建物の屋上に弓や短剣を構えた男たちが現れる。
皆マントで姿を見せないようにしていたが、アルテに気配を悟られることなく包囲する程度には腕の立つ殺し屋や用心棒だ。
アルテは気がつかれないようにウォルに抑えるように指示を出す。
もしここでウォルが乱入してしまえば彼らの標的は村人へと向かうだろう。
「お前らは金を産む卵だからなぁ、ここで殺すのはもったいない。
これから一生俺たちのために働き続けるって約束するなら、村人を解放してもいいぜぇ~、もちろんさっき言った値段を稼いだら一人づつなぁ、ひゃっはっはっは、さぁどうする。
村人を見捨てて帰るか、それとも俺らの下で働くか、選ばせてやるよぉぉ!!」
「この野郎……」
アルテもそうだが、カイラが村人を見捨てないことは織り込み済み、実質、選べる選択肢は一つだ。
「ん~~~~? 考えつかないかぁーーー!? だったら考えやすいように村人に説得してもらうかぁ!! おい! 一人あいつらの元まで連れていってやれ!!」
配下の男が檻に上がり、近くにいた女性の髪を掴んで引きずり出そうとする。
「いやー!!! やめてぇぇぇぇぇ!!」
檻から出れば、彼女の紋は彼女の命を奪う。それでも乱暴に髪を引っ張る、ぶちぶちと髪が切れる音とその激痛、そして死への恐怖で女性は悲鳴を上げる。
「やめろおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!! わかった……お前らの元で働く……ただし、俺一人だ。
俺一人で稼いでやる、だから、こいつは……」
「だめだー!! おい、引きずり出せ!」
「やめろ!! 俺が稼ぐ!! 何でもする!!」
「二人だよ二人、お前だけじゃダメなんだよぉーーーーーー!!!」
「いやぁぁぁぁ!!!」
今にも檻から引きずり出されそうになった時、広場に雷鳴が落ちる。
すさまじい光と轟音、さすがの悪党も耳を塞ぎ、目をつむる。
豪雨が降り注ぎ始める広場。
カイラやマギウス、そして悪党たちが再び目を開くと、雷鳴を身にまとった男が広場の中央に立っていた。雷の輝きのような白金の髪、その傍らには銀色に輝く狼を従えて……
「貴様らは、生きる価値もない……いますぐ、消えろ……はあああぁぁぁっ!!!」
びりびりと衝撃がその雷をまとった男、アルテから広がっていく。
村人たちに施された奴隷紋はその衝撃波でかき消される。
同時に悪党どもが持っていた武器に雷を帯びさせてはたき落とす。
「ウォル、我慢させたね……いくよ!!」
まさに雷光、二つの光は周囲の悪党どもを次々に打ち倒していく。
相手からすれば光ったと思ったら意識を刈り取られていた。
アルテは、汚らわしい悪党どもを殺しても何の得にもならないと判断して、意識を奪うだけにとどめたのだった。
雷光が走ったと思えば、手下の男がすべて倒れこんだ。
ゲスなリーダーの男が理解できたのはそれだけの事実だった。
「ば、馬鹿な!! 死んだぞ、お前たちが助けたかった村人はおしまいだぁ!!」
その男は懐から腕輪のようなものを取り出し発動する。
奴隷紋を発動させる装置だったようだ。
「……おい、起動しろ! あいつら生きてるぞ、おい!」
「無駄だよ、彼らの魔紋はすでに解いた。ああ、そうか、そうすればいいか」
アルテは音もなくリーダーの男に近づき腕をつかむ。
「返すよ」
次の瞬間、リーダーの男の体にはいくつもの奴隷紋が浮かび上がる。
「な、なんだこれは、くそ、そんなはずは!!
死ねぇ!!」
もう一度、魔道具を起動する。
今度はきちんと奴隷紋が反応する。
魔紋から起こる炎が奴隷紋を刻んだ者を焼き尽くしている。
「あ、熱い!!! ば、馬鹿なぁ!! バカファァァァギャアアアアアアァァァァ!!」
体に刻まれた多数の紋から一斉に炎が噴き出して、一瞬に男を焼き尽くした。
「ウォン!!」
「ああ、悪党は焼いても酷いにおいだ……」
その言葉と同時に、白金に輝く髪がもとのアルテの髪色に戻り、ぐらりと崩れ落ちそうになる。
ウォルがその体を背中に受け止める。
そしてカイラに向かって鋭く吠える。
「あ、ああ、すぐに逃げよう」
「俺も手伝う、せめてもの侘びだ」
マギウスの手も借りて、村人を乗せた馬車は広場を離れる。
アルテを背負ったウォルは屋根を超えて先に町の外へと脱出する。
雷鳴と豪雨は今だに町全体を覆っていた。