2.シェンティアちゃんのスリッパ論
トイレのスリッパの話です。
シェンティアちゃんは思った。思ったのだ。
なぜトイレのスリッパを揃えておけない人がいるのかと。
「だってそうじゃない? 次自分が使う時に使いづらいって分かっているのに、揃えられないのはおかしいわ」
確かに、と、私は珍しく同意をした。
「屁理屈ばっかりのシェンティアにしてはまともね」
「さっきトイレ行ったのよ。そしたら、スリッパがぐちゃぐちゃに投げ捨ててあったの」
「マナーが悪いわね」
「本当にひどかった。思わずおしっこも引っ込んだわ」
「知らないけど」
しかしたしかにマナーの悪い利用者は存在する。元のところに戻すだけのことができない人達がいる。どうにかして解決できれば良いのだけれど。
「あ、引っ込んだといっても、ちゃんとしてきたからね」
「知らないから」
「じょばじょば出たわ」
「出具合も知らないから」
目の前で、アホを顔面いっぱいに広げている友人を見ながら、真面目な方向で考えてみる。スリッパを揃えるように表示をしたりするのはどれくらいの効果があるのだろうか。思い出そうとしてみたが、そんな表示を見た覚えが無かった。表示されていないのか、されていても気付かないのか。後者であれば、わざわざお金をかけて指摘しても無意味なのかもしれない。
「どうしたの。真面目な顔で黙り込んじゃって。トイレ行きたいの?」
アホ面に指摘されると非常に腹が立つことだけは分かる。
「あんたと違って、社会貢献できないかどうかを考えてたのよ」
「私も社会貢献してるよ。消費税を払っている」
「それは義務でしょうが」
私は、トイレのスリッパを揃えさせる方法を考えていたことを伝える。すると、シェンティアは微妙な顔をしていた。
「どうしたの? 自分でもさっき怒ってたじゃない」
「うーんとね。確かにスリッパを揃えない人に対する怒りはあるけど、それって別にスリッパを揃えてほしい気持ちがあるだけで、私が何か考えて実行しなければならないなら、それは面倒だなって」
心の底からクズである。
「でもそんなもんでしょ。人にあーしてほしいこーしてほしいって要求はするけど、自分は努力したくない。人のことだし、どうして私に努力させるのって」
「結果的には自分のためにもなるでしょ。ぐちゃぐちゃスリッパによるストレスが減るんだから。それに、あなたが揃える人間だって周りにアピールできるわ」
「そうだけど、プラスを得るための努力ならともかく、マイナスを減らすための努力ってやる気しないよー」
クズだと思った。思ったが、しかし、確かに自分にもそういう気持ちがあったような気がした。
「気持ちは分からないでもないけど、いつもプラスを得られるわけじゃないじゃん」
「そうだけどさー。やっぱりめんどくさいよ」
机に頬を擦り付けながら唸っていたが、ハッとして、目を輝かせながらこちらに語り掛けてきた。
「そうだ、自分のマイナスを減らさなくても、相手のマイナスが増えればいいんじゃん」
「は?」
妙案が浮かんだどころか、もはや人としてダメな領域に踏み込んでいた。
「他の人がもっとスリッパを散らかせば、自分の時だけでもスリッパを揃える私はよりいい人になるじゃん!」
「いや、ならないでしょ」
「そうだそうだ。じゃあ今まで通りの感じで自分のことだけ考えてよーっと」
そう言って鼻歌を歌いだした。本当にダメだこの女。最悪だ。こんな人になってはいけない。私はきちんとスリッパを揃える、人の為に何かをできる人間になろう。
机に突っ伏して、その巨大な胸を押し付けている様子に理不尽を感じつつ、きっと、おそらく、それに対しての嫉妬や怨嗟は関係ないこのわが小さな胸のわだかまりを、散らかされたスリッパにぶつけることを心に決めた。
きっと私は、ちゃんとした人だから。
見た目だけのこの女とは違うのだから。そう自分に言い聞かせて。