花火
南大学付属高校。この高校では、夏休み中に校庭を開放しての夏祭りが催される。高校の生徒会執行部が主導して、近くの商店街や高校、南大の部活やサークルも参加する、結構大規模なお祭りだ。
「すみませーん、軽音楽部は何時からやりますかー?」
「はーい、吹奏楽部は、午後六時から野外ステージで行います」
背後で、聞き慣れない声がする。そのさらに後ろからは、まだ昼過ぎだって言うのに祭りに遊びに来た人々の喧噪が聞こえてくる。普段なら雑音なんてスルーできるのに、かつて興味があった『軽音』の言葉に気を引かれてしまった。なんだか落ち着かなくてイライラする。普段から一人でいることが圧倒的に多いのに、今日に限ってこんな人の多いところに来ているんだから、落ち着かないのは当たり前だ。むしろ、生徒会のテントの中に、私の数少ない友達しかいないんだから、救われている方だ。
「あずねえ、そっちはどんな感じ?」
あずねえ。私の事だ。私の名前は梓で、その友達は、一つ下の幼馴染。昔から、私のことを『あずねえ』とよぶ。
「なに?まだ終わってないんだけど」
ああ、またやっちゃった。もっと柔らかく返事ができればいいのに、いつも私は、突き放すように返事をしてしまう。ただ、こいつは理由を知ってるから気にしないでくれる。振り返り、そこにあるはずの幼馴染の顔を探す。
「ねえ、皐月。あんた、その服どうしたの」
「え、これ?私のおねえちゃんのやつを勝手に持ってきちゃった。どお?似合うでしょ?」
そう言ってポーズを決めてみせた皐月は、確かに似合っている。ブラウンの長い巻き髪に、生徒会の腕章がついたこの学校の女子の制服。高いアニメ声に、中性的な顔立ち。初対面で皐月のことを見たら、きっとこの学校に通っている、生徒会役員の女子生徒だと思うだろう。それも、十人中九人は可愛いと思うであろう美少女だ。ただ、幼馴染の私には、すごく気になることがあった。
「なんで女装?」
あきらかに棘のある声になってしまったが、それも仕方ないと思う。そう、皐月は男だ。一体いつの間にこんな趣味になったのか知らないが、私がしばらく合っていない間に、皐月は女装癖を体得していた。今日の朝会った時は制服を着ていたくせに、いつの間にか服を着替えて、ウィッグまで付けている。
「え?だって人がいっぱい来るし、いろんな人に見てもらえるじゃん?せっかく女装するんたから、見られなきゃ損でしょ?」
頭が痛くなる。ほとんど唯一と言っていい友達がこんな年下の女装男で、そいつにリードされないと今この場にもいられないのが悲しくなる。
「そういうのは、知り合いのいない所でやりなよ。あんた、この学校に通ってるんだよ、見られて恥ずかしくないの」
「別に?第一、こんな服でクラスの奴らに見られても誰も私だって気が付かないし。それに、今日は私はここにはいないことになってるから」
そう言われて、気が付いた。いつもは知り合いに囲まれているくせに、今日の皐月はナンパ目的でしか絡まれていない。それに、今日の役員名簿。たしかに皐月の名前はなかった。名簿を確認すると、私の名前の下に、見慣れない名前が書いてある。私が驚いて皐月を見ると、皐月は自信満々にふんぞり返る。
「どう?今年は受験で祭りに参加しない先輩の名前を借りたの。うってつけでしょ」
「そんなことして、大丈夫なの」
「いや、あんまり良くないけど。でも、私は一年生だしあずねえは去年の祭りも今年の運営会議もほとんど参加してないから、こうしないとあずねえと同じ所に配属してもらえなかったし」
息を呑んだ。皐月がそんなことを考えてるなんて思ってもいなかったのだ。でも、思い出してみれば、祭りの運営スタッフの話は私が皐月に生徒会に参加できてない事をグチった次の日、人が足りないからと皐月に頼まれたのだ。それも、テントの奥のほうで祭りに来た人数の集計や備品の管理という、あんまり人とかかわらない仕事を。つまり、私がここに配属される根回しやら今日のこのテントの運営やらを、ほとんど皐月一人でやっていることになる。
(この完璧超人め)
胸に何かがつっかえる。
「あずねえ、オレ頑張ったよ。ご褒美ちょうだい」
皐月は地声に戻って、満面の笑みで私との距離を詰めてくる。それがなんだか怖くなって、椅子から立ってあとずさる。
「ご褒美って、どういうこと」
「今度オレとデートしてよ、ね、あずねえ」
背中に折り畳み机が当たって、後ろに下がれなくなる。皐月はためらわずに近づいて来て、手を伸ばせば私に触れられる距離まで来た。
来てしまった。
皐月の姿がお母さんに切り替わる。小学校の時のお母さんは、皐月と同じように私の顔に向けて手を伸ばしていた。その手には、先端が赤くなった…
「やめて!」
幻のお母さんを突き飛ばす。ポケットからカッターナイフを出して、尻餅をついたお母さんに突き付ける。
「そう言うのやめてって言ったでしょ、ほんとに刺すよ!」
カッターナイフを握っている右手が震えている。お母さんの残像が皐月と重なって、頭から離れない。カッターナイフを手放して、カバンの中から薬を出す。
「ちょ、あずねえ、ちゃんと分量守ってよ」
薬の瓶を開けて、口の中に流し込んだ。ペットボトルの水で強引に飲み込んで、椅子を引き寄せる。
「誰のせい?」
「う・・・・ごめん」
パイプ椅子に腰を下ろす。皐月はテントを訪れたお客に対応するために離れたので、人が近くにいるプレッシャーが大幅に軽減された。
(なさけないなぁ)
皐月みたいに身近な人間でも、強引に迫ってこられると恐怖心が大きくなって、さっきみたいに取り乱してしまう。相手から手が届く距離というのが、私には耐えられない。その距離まで近づかれると、その人が、私に暴力をふるっていたお母さんに見えてしまうのだ。どうにかしたいけど、こればかりは自力ではどうしようもない。しばらくすると薬が効いて、副作用の眠気が襲ってきた。
(皐月が悪いんだからね)
責任転嫁。現実逃避で自己防衛。ほんとに情けないなあと思いながら、私は表から見えないようにテントの隅に椅子を移動して、机に伏せて目をつむった。
―――――
「あずねえ?」
呼びかけても返事がない。お客の対応をしたあとで声をかけたが、どうやら薬の副作用で眠ってしまったらしい。それにしても、あんなに本気で怖がられるなんて思って見なかった。
ああなってしまう原因は、あずねえがお母さん。母子家庭で育ったあずねえは、お母さんの仕事の都合で小学校の卒業と同時に引っ越して、中学二年の時にあずねえだけが帰ってきた。その原因は、お母さんから受けていた慢性的な虐待だったらしい。虐待自体は小学校の低学年から続いていたらしいが、中学でひどくなり、中二の帰ってくる寸前は、お母さん共々病院に入院していたと聴いている。
帰ってきてから、あずねえは人が変わった。もともと活発だったのに、引きこもりがちになって、編入したクラスでも一人だけ浮いていて、いつも何かに怯えていた。それでも、あずねえの祖父母と、特に仲が良かったオレには、あんまり変わらずに接してくれた。
だからオレなら大丈夫だと思っていたけど、どうも、相手が誰でもあまり関係ないみたいだ。ここで迫ってあずねえの心を掴んで、このあとにドッキリをかけてあずねえを射止める作戦だったけど、作戦変更だ。と、そう思ったところで電話が来た。相手はしばらく前に気まぐれで行ったゲームセンターで知り合った、音ゲーマーの奏史さんだ。
「もしもし、奏史さん?」
「皐月か?校門の前についたぞ」
「了解です、それじゃあ、校門入って右奥の、運営のテントまで来てもらってもいいですか?」
「ん、わかった」
この奏史さんこそ、今回オレが思いついた、あずねえ攻略作戦のキーマンだった。本来この作戦は、オレがあずねえに秘密で作成したバンドのメンバーで行い、あずねえに俺のかっこ良いところを見せてあずねえを俺のものにするというものだった。ただ、その中のベースを叩く予定だったメンバーが来れなくなったため、打楽器の経験があるという奏史さんに頼んだのだ。最近楽器には触ってないらしいから正直不安だけど、背に腹は変えられない。
少しして、むこうから背の高い男が歩いてきた。痩せ型で、黒髪を適当に撫で付けた、あきらかにこの祭りの場には合わない男。奏史さんだ。
「よお」
「奏史さん、今日はありがとうごさいます」
「力になれるか分からないけどな。俺がもともとやってたのはティンパニーだから、ドラムを叩けるとは限らないぞ」
「それはもう何度も聞きましたよ。それでも、おねがいします」
奏史さんは静かにうなずいてくれた。その顔は、本気で音ゲーをしている時の顔だ。
「本番までまだ時間あるんだろ?少し触らせてくれ」
「はい、他のメンバーももう来てるんで、リハーサルしましょう」
テントの受付に他のテントに回ることを促す立て札を置いて、オレは奏史さんを校舎の方へ連れて行った。
―――――
目が覚めると、テントには私しかいなかった。いつの間にか皐月はテントから姿を消して、かわりにテントの前で、迷子の女の子が泣いていた。
「お母さんとはぐれちゃったの?」
さすがに放っておけなくて、テントを出て声をかける。女の子は泣きながら頷いて、私の腰に抱きついてきた。ゾクッと、背筋に怖気が走る。視界が一瞬切り替わった。
「え?」
また、お母さんが来ると思った。でも、来たのは私だった。この子と同じくらい。小学生に上がりたてくらいの頃の、私。離れさせようと思って動かしていた手が止まる。私も、こんなふうに泣きながら、お母さんに抱き着いた事があった。なんで泣いていたのかは忘れてしまったけど、その時私がお母さんに突き飛ばされたのは覚えている。
ここで突き放したら、あの人と同じになってしまう。
「そっか、怖かったね」
震える手を少女の頭に乗せて、できるだけ易しく聞こえるように声をかける。少女はギュッと私の事を抱き締めて、放そうとしない。困った挙句、私は少女に、一緒にお母さんを探すことを提案した。少女が承諾して、私は携帯電話で生徒会の責任者の先輩に連絡して、テントの事をお願いする。電話を切る。すると、皐月から野外ステージに来るようにと連絡が来た。
少女と二人で歩き出す。時間は六時を少し過ぎて、野外ステージの方からは軽音部の楽器の音が聞こえてくる。皐月に文句も言ってやりたいし、軽音にも興味はある。少女のお母さんを探しながら、二人で野外ステージに向かう。ステージに着くと同時に、今歌っていたところが舞台を降り、次のグループが舞台に上がった。
「皐月?」
そのグループを見て、目を疑う。高校の男子生徒三人と、背の高い男の人が一人。その男子生徒の、ボーカルが、まさしく皐月だった。
演奏が始まる。ドラムの合図で流れ出した曲は、男が女に告白する、そんな内容の歌だ。それにしても、上手い人がいる。皐月も、ほかの二人の男子学生も下手ではないが、ドラムを叩いている男の人が、とても上手い。
(へぇ、かっこいいじゃん)
なんだろう、ドキドキする。胸が高鳴って、これはも、しかしたら・・・・
「あ!お母さん!」
女の子の声で、我に返る。久しぶりに、すごく集中して演奏を聞き入っていた。
女の子とそのお母さんと別れてからも、私は皐月たちの演奏が終わるまで、音楽に聞き入っていた。
―――――
祭りが終わった。このあとは花火が上がって、一日を締めくくる。下準備は万全だ。学校の屋上は花火を見るのに絶好のスポットだが、一般の人はあまりそのことを知らない。解放されてないと思っている人が大半だ。
屋上には、あずねえを呼んである。ここてあずねえに告白するのだ。
色々と生徒会にバレて怒られていたからだいぶ遅くなってしまったけど、花火はまだ続いている。きっとあずねえも、まだここにいるはずだ。
屋上の扉を開ける。そこには学生がチラホラ花火を見に来て、屋上の端の方にはあずねえが、男と一緒にいた。
「なん・・・・だ、と?」
その男はオレがドラムを頼んだ奏史さんだった。二人で並んで、たまに何かを話しながら花火に見入っている。あずねえは笑っていて、奏史さんは照れくさそうだけど、満更でもない様子だ。そう、それはまるで、できたてのカップルのような雰囲気だった。不意に、奏史さんがあずねえに向き直った。あずねえも、奏史さんのほうを向く。オレは思わず、スマホのカメラでシャッターを切った。二人がオレに気がついて、あずねえが今にも噛み付いてきそうな勢いでオレに向かってきて、オレからスマホを取り上げた。
その画面には、花火をバックにキスする二人が写っていた。