救われた思いを胸に
「お前の名前は? ギルドで姫様が襲われているとは聞いたが、肝心の姫様の名前を聞き忘れてしまった。」
「シャ……シャノンです。 ……シャノン=アルトリエ」
全くの他人への自己紹介も久しぶりだった、普段は、シャノンの父から相手方に名前を伝えていることが多いためだ。もっとも、シャノンの公務は、姉のエストほど頻繁ではないが。
「やはりそうだったか、お前呼ばわりは無礼だったな。……すまなかった」
お前呼ばわりと胸を鷲掴み(凝視してもいた)すること、どちらのほうが無礼だろうか。
(考えるまでもなく、鷲掴みだな)
イクスはぼやいていたが、カインは無視することにした。
「いえ! あなたは私の命の恩人なのですから、そんな失礼だなんてことないです! シャノンで結構ですから!」
シャノンは少し顔を赤くしながらも、なんとかカインに自分の思いを伝えた。
あの時、自分は死ぬことを受け入れていたのだ。しょうがないからと。どうしようもないからと。そんな考えを引きずっていては、彼に失礼だ。
シャノンは自分が助けられたことに驚きつつも安堵していたが、そんな場合ではないことに気付いた。
「あ、あの! まだあの馬車には、私の執事が乗っているのです! ど、どうか助けてもらえないでしょうか! 私の大切な人なのです! 」
カインはシャノンの必死な様子に感銘を受けた。
(姫様なのに、しっかり使用人を大切に扱っているんだな)
(そうだな。オレたちなんかより、よっぽど良い暮らしをしているはずなのにな)
イクスも、シャノンがそこらの貴族とは違うと感じたようだ。
「分かった。すぐに助けに行こう。シャノンはどうする?」
「私のことなんか、そのへんに捨ててもらって構いませんから! お願いします!」
カインは少し考えた。シャノンを降ろすことは構わないが、もし魔物にでも襲われては助けた意味がなくなってしまう。ただ降ろすわけにいかない。
何かないだろうか……。
そこで、ふと思い出した。
我先にとギルドを飛び出した冒険者たちのことを。
あいつらに任せるのは少し不安だが、シャノンを無事に保護できれば報酬が膨れ上がることくらい分かるだろう。
あいつらもそろそろ、アルトリエとギエナ山の中間地点には到着するはずだ。
「ここらへんに降ろすことはできないが、ギルドから派遣された冒険者が近くまで来ているはずだ。そいつらに預ける」
「そんなことをしていては!」
「間に合わないだろうって? そんな心配はいらない」
カインは障壁を展開しつつ、金色の翼に魔力を送り込む。
徐々に翼が大きくなっていき、最終的にはカインが少し小さく見えるほどになってしまった。
そして、その巨大化した翼を一度だけ羽ばたかせた。
シャノンはそのあまりの速さに怖くなり、少しの間だけ目を閉じてしまった。
「おい、お前たち。この人を頼む。言っとくが、その人が姫様のシャノン=アルトリエだ。傷一つ付けた場合は分かるな? 逆に、安全にアルトリエまで送ることができた場合も分かるよな?」
カインが誰かと話しているのが聞こえてきた。
シャノンは目を開ける。
その時にはもう、シャノンはカインによって地面に降ろされていた。
そして、いつのまにか自分の目の前には、茫然とした、馬に跨った無骨な冒険者たちの姿があった。
たった一度だった。巨大化した翼をたった一度羽ばたかせただけで、この距離を移動してしまった。
そんなことよりも、シャノンはガロンのことを改めて頼もうと、後ろにいるであろうカインを振り返った。
「あの! ガロンのことを――――――――」
その時には、すでにカインの姿はなかった。
カインは再び、ワイバーンの突撃を受けた馬車に駆けつけた。
馬車は先ほどのワイバーンの突撃で車輪を破壊されていたため、シャノンを放り出した後にすぐ停止したようだ。
馬車の近くでは、剣や槍を手にした騎士たちがワイバーンを相手に応戦していた。その近くで、燕尾服を身に纏った男性が剣を片手にワイバーンと対峙しているのが見えた。
(あの爺さんか? 姫様も物好きだな。あんな爺さんが大切とは)
(まぁ、そう言うな。シャノンにとっては、見ず知らずの他人である俺に縋るほど、大切な人なのだろう)
すぐに駆けつけようとするが、2体のワイバーンがカインの行く手を阻む。
ワイバーンがカインに襲いかかってくるが、それをカインは高度を急激に落とすことで回避し、剣でワイバーンの腹部を切り裂いた。
ワイバーンからは赤い鮮血が舞い、そのまま落下していった。
カインの左手には、これまた派手な金色の剣が握られていた。
(ほんとうに派手で目立つな……。前々から疑問だったんだが、なぜイクスの魔力で精製した物は、全て金色に輝いているんだ?)
(なぜ、と言われてもな。そういうものなんだから仕方あるまい。オレからすれば、自分の体色であるから違和感なんてないがな)
(これは予想でしかないが……ゼランの場合は銀色の体色だった、とお前は言っていたな? つまり、ゼランの継承者が精製する物は、全て銀色に輝くんじゃないだろうな?)
(それはなんとも言えないな。オレが特殊なだけかもしれんぞ?)
今するような会話ではないが……そんな時でも、残りのワイバーンは襲いかかってくる。
カインは自ら精製した剣を投擲した。それもただの投擲ではなく、魔力を付与し速度を上げたものだった。
それはあまりに速く、ワイバーンが視認できたところで躱せるはずもなく、その剣はワイバーンの頭部を深々と貫いていた。
(さて、邪魔物はいなくなったな)
馬車の付近を見回してみると、まだ20頭ほどはワイバーンがいるようだった。
騎士とガロンは善戦している。カインが倒したのは2体。つまり、この劣勢の中で8頭のワイバーンを倒していることになる。
(あの爺さん、中々やるな)
(あぁ、白髪も目立つ、それなりの高齢だと思うんだが)
爺さん呼ばわりされているガロンだが、彼も元騎士団長としての誇りがある。こんなところで死んで、シャノンを悲しませるわけにはいかなかった。
(彼も体力的にそろそろキツイだろう。行こう)
カインは先ほど生成した剣を、ワイバーンと同じ数である20本生成し、空中に展開した。
まず初めに、ガロンと戦闘しているワイバーンを目がけて放つ。当然だが、魔力により加速された剣であり、威力は先ほどとまったく変わらない。
その剣は見事に的中した。
ガロンは急に落下していくワイバーンを不審に思ったが、それをよく見ると、金色の剣が背中に突き刺さっていることが分かった。
その剣の出所を探るため、周囲を見渡すと、宙に浮いているカインの姿を目にした。よく見るまでもなく、ガロンは気付いた。
浮いているのではなく、背中の大きな翼で飛んでいることに。
(な、なんだ……あの大きな翼を持つ青年は……)
カインはただ飛んでいるだけではない。ガロンが目にした金色の剣が空中で静止しており、それが次々と信じられない速度で、騎士たちと戦闘しているワイバーン目がけて投擲されていくのだ。
手を使わずに……。
騎士たちも、その圧倒的な攻撃に目が点になっていた。
カインは全てのワイバーンに剣が命中したことを確認し、余っていた一本の剣をすっと消した。
(おいカイン、まさか数え間違えたのかよ?)
カインはしばらく沈黙し、
(……黙れ)
それくらいしか返す言葉がなかった。
カインはゆっくりとガロンの元へ降りて行った。
「お前がシャノンの執事か?」
ガロンは茫然とした。シャノンは、彼の目の前で崖から落ちていったのだ。もう……亡くなっているはすなのだ。そう思っていた。陛下より託された彼の最後の希望だったはずなのに。
「そ、そうですが……。私に何か用でございますか?」
「シャノンがアルトリエの入口で、お前の無事を祈り待っている。さっさと送り届けなければ、彼女はそこから一歩も動かないだろう」
信じられないという顔だろうか、驚いたという顔だろうか、ガロンはなんともいえない表情だった。
「い、今……な、なんと?」
「ん? 彼女は一歩も動かないだろうと」
「その前です! 彼女とは誰ですか!」
老害でも進んでいたのだろうか、とカインは思ったが再度述べた。
「シャノンが待っていると……!」
カインは驚いた。急にガロンは年甲斐もなく、目から涙を零していたのだ。
泣くようなことかとも思ったが、改めて考えると、馬車からシャノンは崖に放り出されたのだから、同乗していたこの爺さんが見ていないはずがないか、ということに思い当たった。
「あなたが……シャノン様を救って下さったのですね」
「あぁ、偶然だったがな」
その答えを聞いて、老人は皺のある顔をクシャクシャにして笑顔を浮かべていた――――――