翼竜の襲撃
それは突然だった。
アルトリエ皇国第二王女であるシャノン=アルトリエを乗せた馬車は、隣国であるミッドガル王国からの帰路でワイバーンの襲撃を受けていた。
原因は不明だが、ワイバーンの数が尋常ではない。30体はいるだろうか。ワイバーンの体長は人の3倍近くくもあり、魔物ランクはCに相当する。
30に及ぶワイバーンの大群が翼をはためかせて襲いかかってくるのは、とてつもない恐怖だった。
この近くにワイバーンの巣があるなど聞いたこともなかった。さらに、この近辺はアルトリエ皇国ギルドの管理区域だ。何か問題があれば、すぐに帰路の変更の通達が来るはずだった。
これほどのワイバーンをギルドが放置するなどとても考えられない。
シャノンの護衛として前方に隊長を含む5人、後方に5人の騎士がいるが、この人数で守りに専念したところで、あまり長くはもたないだろう。
数の不利もあったが、襲われた場所がまずかった。
ギエナ山の中腹からではアルトリエまで距離があり、馬車の速度を上げ、ワイバーンに襲われたまま山を駆け抜けることは困難だ。そして、何より戦闘が行えるような地形ではなかった。
道幅は、馬車と2、3人が横に並ぶだけで一杯一杯だった。騎乗している騎士であれば、馬車の横につけるだけでも崖に落てしまうかもしれない。つまり、シャノンを守ることすら満足にできない状態だ。
このままでは、シャノンを乗せた馬車を守ることは難しい。
隊長を務める、前方の騎士がそう判断し、苦渋の決断を下した。
「このままでは、姫様を乗せた馬車を守ることは難しい! ここで守りに入るよりは、アルトリエへ少しでも近づき、応援と合流しやすくすべきだ! 駆け抜けるぞ!!」
騎士たちは、接近してくるワイバーンを剣や盾で凌ぎつつで、速度を上げた。
ワイバーンの大群からの大逃亡が始まった。
シャノンは馬車の中で静かにしていた。というより、声も出せずに怖がっていた。
綺麗な金髪の頭を抱え怯えている様は、姫という立場もあってか、どこか不憫に見えた。身に纏っている綺麗なドレスもその一助になっているように思う。
馬車のすぐ横までワイバーンが迫ってくる。後方の槍を抱えた騎士が、牽制に槍を突き出し追い払う。
「……~~!!」
「大丈夫ですよ、姫。すでに、陛下がアルトリエの騎士を駆けつけさせているはずです。もう少しの辛抱ですよ」
同じ馬車の中に乗っていた執事の男性が、シャノンの不安を和らげようと声をかける。白髪が目立ち、顔にもいくつかの皺が見え、それなりの年だが、彼は何かあればいつもシャノンを守ってくれる。
シャノンからすれば、とても頼りがいのある執事だった。
だが、今回の事態は別物で、ガロンがいくら強かろうと、これだけのワイバーンを相手にすることは不可能だ。
「ガ、ガロンのその自信は…ど、どこからくるのよ?」
シャノンは今だ震えていて、呂律がまわっていないが、気を紛らわせようとガロンに問いかけた。
さも当然とでもいうように、ガロンと呼ばれた執事は堂々と答える。
「私は陛下を信じていますゆえ」
「えっ、それだけ? 私もお父様のことは信じているけれど……今の状況の安全は信じられな――――」
まさに安全性について語っていたところに、一頭のワイバーンが馬車の横っ腹目がけて突撃してきた。
「きゃーー!」
「むむっ」
その一度の突撃が馬車にとって致命的な一撃となった。
馬車の車輪と馬車の出入りの扉が、その衝撃で破損し、使い物にならなくなってしまった。
それはつまり、衝撃によって、体勢を崩したシャノンの体重を預ける場所がなくなったということになる。
シャノンは崖側ではなく、山側の奥の席に座っていたものの、あまりの衝撃で体が右側に傾き、扉に体重をかけてしまった。
「……えっ」
ガロンが手を伸ばしたときには、もう……遅かった。
ギエナ山の中腹から大分進んだとはいえ、まだかなりの高さがあり、ここから落ちればひとたまりもないことは間違いなかった。
シャノンが馬車から放り出され、崖のほうへ落ちていく。
「姫様ーーーーーー!!」
ガロンの叫びは虚しく、崖に吸い込まれていった……
これが、人が死ぬ瞬間なのかと、シャノンは思った。
落ちていく自分はすごくゆっくりに感じられて、ガロンの自分を呼ぶ声もゆっくり遠くなっていく。
(そうか、死ってこんなものなのね。もっと恐ろしく感じるものだとおもっていたのだけれど……不思議とあまり怖くないわ。ただ、世の中の色々な物を見たり、聞いたり、食べたりしたかったけど。……結局、エスト姉様と仲直りもできなかったし、改めて振り返ってみると、心残りって以外と多いのね)
走馬灯というほどではないにしても、いくつかの自分の思い出がふっと湧いては、消えていく。
思い出すのは、普通は家族のことだと思うけれど、ガロンとの出会いを思い出していた。それは私が5歳くらいのころだったと思う。
姫として扱われた私には、友達を作ることはとても難しかった。貴族や親戚の子たちとも中々打ち解けられず、一人でいることが多かった。きっと、私の将来を見越したような彼女たちの対応が、好きになれなかったためだと思う。
順当にいけば、エスト姉様がお父様の後を継ぎ、女王となる。だけれど、不測の事態ともなれば、私にその役がまわってくるかもしれない。そんな可能性も彼女たちは考慮し、私に気を使ってきた。善意で私に接してきた子もいたんだと思う……でも、そのころの私から見れば、みんな同じに見えた。
そんなときでも私の近くにいてくれたのはガロンだった。
彼は元騎士であり、団長の地位にまで出世した傑物だった。どこかの貴族の後押しがあったわけではない。自分の力でその地位まで上り詰めたのだ。
剣の腕も相当なものだと聞いていた。
しかし、ある任務で魔物との戦闘中に足に重傷を負ってしまった。幸い、魔物も瀕死にまで追い込まれていたようで、すぐにガロンを治療することができた。
その怪我の影響で剣を振っても踏ん張りが効かなくなってしまった。
それを見るに見かねて、お父様が声をかけたらしい。
『娘が心置きなく頼れる、そんな執事になってくれないか。シャノンは、家族には何でも話してくれるが、他人には一切の信用をおかない。それでは、ならんのだ。どうか、頼めないだろうか』
自分に姫の相手などできるわけがないと思ったため、最初は王の頼みといえど断ろうとしたらしい。でも実際に、一人で部屋に篭りきりの私を見て、心を決めたようだ。
『陛下、私でよろしければ、その任を引き受けたいと思います。もっとも、姫様に嫌われてはどうにもなりませんが……』
それから、ガロンはずっと私の執事であり、遊び相手だった。
ガロンに下心などというものは無縁だった。純粋に私を可愛がり、ここまで育ててくれた。
本当は同い年の子の友達を見つけてあげたかったようだけど。
ガロンは友達すらできない私に、恋人の心配をしてきたこともあった。
大きなお世話よ……
ガロンは私にとって、両親以上に世話を焼いてくれていた。
両親は皇族なのだからしょうがないのだけど。
私が死んでも、お父様とお母様はしっかりやっていけるかしら? まだ子煩悩が抜けきらないようだし。いや、しっかりしてもらわなくては困る。アルトリエを引張ってもらわなくてはならないのだから。
そんな回想も、もう終わりらしかった……
シャノンの体は、もう少しで地面と接触しようというところだった。
硬い地面にこれほどの高さから打ち付けられれば、とてつもない痛みと死が同時に襲ってくるだろう。
(……しょうがないわよね。人なんて……いつ死ぬか分からないのだから。でも、せめて……家族の顔をもう一度見たかったわ……)
そんな思いを胸に、自分に迫る死を覚悟した――――――――――――