空を見てみよう
カインとシャノンは、馬車を襲っていた盗賊たちを撃退することに成功したが、その馬車はもう遠くまで走り去ってしまったため、二人はそのまま自分たちの馬車に戻った。
アイラとレイラが、空を飛んで戻ってきた二人に駆け寄ってきた。
「大丈夫でしたか、カイン?」
「馬車が盗賊に襲われていただけだったから、適当にあしらって馬車を助けただけだ」
「そうでしたか。ところで……そちらの方は誰ですか? 随分と派手な格好……あっ!」
髪の色や角なんかに目がいっていたアイラだったが、やっと服装に目を向けようやく気づく。
「あなた、シャノンですか?」
「派手な格好で悪かったわね……」
「あ、やっぱりシャノンでしたか! すみません……なるべく胸を見ないようにしますから……あのときのことを許してくれませんか?」
「見ないだけじゃなくて、触らないでくれる? それなら許してあげるわ」
「うぐっ……」
アイラは胸を『見ない』ことを約束し、シャノンの許しを貰おうと画策したが、シャノンがそれに気づかないはずがなかった。
とそこで、レイラがシャノンに興味津々で近寄ってきた。
「変態はどうでもいいのよ! ほら、どいてよ変態!」
アイラを変態呼ばわりしながら、レイラはシャノンの前に出てくる。
「ねぇねぇ、それってカインと同じ力? ちょっとだけ翼とか触らせて!」
変態扱いされ凹むアイラには目もくれず、レイラはシャノンの周りをくるくると回りながら尻尾や角を触る。
「うわー、カチカチの鱗だね。すっごい硬いよ。なんか本物の竜騎士みたい」
「竜騎士って……。本物は竜に乗って戦う騎士のことでしょ。私の場合だと竜人とかになると思うけど……」
「そうだけど、竜騎士は空を飛ぶために竜に跨ってるだけで、竜の持つ力を使ったりとかできないんだよ。その点、シャノンは完璧だよ。空は持ち前の翼で自由に飛べて、カインと同じ神竜の力を使うことができるんだから」
レイラはシャノンを羨望の眼差しで見つめ、褒めちぎっていた。高い所がダメだというのに、翼に興味を持つとは中々に変わった娘かもしれない。
「神竜の魔力が使えることよりも、私としては空を飛べることのほうが嬉しいけどね。レイラは高い所が怖いって言うけど、ゆっくり空を飛ぶのは気持ちいいよ?」
「私も克服したいんだけど……中々……ね。昔、工房の煙突から転げ落ちちゃって、それから高い所が怖くなっちゃったんだよ……。情けないよね……」
昔の事を思い出してしまったのか、少し顔が青ざめている。しかし、その話を聞いたシャノンは、レイラにこんなことを提案した。
「ねぇ、レイラが高い所を克服したいって思うなら、私がその手伝いをしてあげるよ」
レイラの目線と高さを合わせるように、前屈みになって優しく伝えた。
「で、でも……カインに抱えられたときですら、あんなに大声あげちゃったんだよ? 今更、そんなこと……」
「あのときは、カインがいきなり抱きあげたからでしょ? 事前に心の準備をしておけば、あんなことにはならないよ」
「本当かな……?」
半信半疑のレイラだったが、シャノンの誠意に根負けしてしまったようだ。
「もう……分かったよ。それで、どうするの?」
「やることは単純だよ。カインと同じことをするの。ただし、ゆっくりとね」
シャノンはすぐさまレイラを抱きかかえ、飛ぶ準備をした。
「ねねねねぇ、ほほほほ本当にやるの?」
呂律が上手く回っていないが、シャノンにはしっかりと伝わっている。
「うん、本当にやるよ。しっかり掴まっててね?」
言われた通りに、レイラはシャノンの首に強く抱き着く。
「い、痛い! 痛いよ、レイラ!」
空を飛ぶという恐怖に、レイラの腕には必要以上の力が加わっており、シャノンの首を絞めつけていた。
「あぁ! ごめんごめん! つい、力が入っちゃって……」
「そんなに緊張しなくていいから……ゆっくり上昇するよ」
いよいよシャノンの体が地面から離れ始め、まずは一人分くらいの高さまで上昇することにした。
「どう、これくらいなら大丈夫?」
「まぁ、これくらいならね……」
レイラは首を捻り下を見るが、大して動揺している様子もなく余裕の表情だ。
「それじゃ、もう少し上に行くよ?」
「うん……」
少しばかり動揺が窺える表情だったが、シャノンはゆっくりと上昇し、周囲の木の半ばくらいの高さまでやってきた。
「レイラ、この高さはどう?」
「あばばばばば……」
「はぁ……もうだめなのね……」
顔が青ざめ呂律が回っていないレイラを見て、シャノンはため息を吐く。しかし、この程度で終わらせるならば、最初からレイラに高所の克服など願い出ない。
「しっかりしなさい。レイラは下ばかり見るから怖いのよ。あまり高さを意識しないようにしてみて」
「そ、そんなこと言われても~~!!」
「もうちょっと上がれば木の間を抜けるから、空が綺麗に見えるわ。それまで我慢よ」
「もう……好きにして」
レイラは抵抗の意思をあっさりと削ぎ落とされ、シャノンに身を預けることにした。
森を抜け出すために上昇したシャノンは、一人事のように静かに語りだす。
「私はね、ずっと城の中にいたの。お姫様だから当たり前だけど……。外に出るのは公務ときばかりで、一人で外に出た記憶もないわ。だから、この力を手に入れたときはすっごく嬉しかったの。自由に外に出られるし、何より空を飛べるんだもの。普通の人は絶対に経験できないことよ?」
「それとこれは別だよ……私は自由に外に出られたし……」
「確かにね、レイラには新鮮味なんてないのかもしれない。そうだ、一つだけ質問してみていい?」
「別にいいけど……」
すでに二人は森を抜け、かなりの高度に到達していた。もしかしたら、シャノンはレイラの気を引くために話しかけているのかもしれない。
「人間の一番の夢はなんでしょう?」
「何それ? そんなの人によって違うよ」
シャノンは首を振る。
「間違いとは言わないけど、人間の根底には一つの夢があるのよ」
「根底って……本能みたいな?」
「そう。まさに本能ね」
レイラは人を個人個人で考えるのをやめ、概念的なものとして捉えてみる。そして、今置かれている自分の状況を照らしあわせ、一つの答えを導き出した。
「空を飛ぶこと?」
「正解!」
見事にシャノンの求める答えをレイラは導き出した。それを待っていたかのように、シャノンの上昇も停止した。
「じゃぁ早速、人間の夢を味わってみようか。上だけを見てみて。下は絶対に見ないようにね」
言われたとおりに、レイラは上だけを見て、そして驚いた。
「…………」
それは言葉にならない。上には、視界を遮るもののない夜空が広がっており、雲もほとんどなく、星を隠す物も存在しない。ただ、暗い絨毯に明るい星が敷き詰められていた。
「ね、ここまで来た甲斐があったでしょ?」
「うん…………」
まだ、レイラは目が離せなかった。地上から眺める夜空との違いが、こんなにはっきりとするなんて思わなかったのだ。少し肌寒い夜風を受けながらも、しばらくの間、夜空を見つめ続けていた。
二人が馬車に戻り、カインとアイラが出迎えた。
「大丈夫だったのか、レイラ?」
自分が抱き上げたときを思い出していたのか、カインは心配していた。
「大丈夫だったよね?」
「うん。すごかったよ!」
レイラの口から素直な感想が出てきた。特に考える素振りもなかったので、嘘偽りない本音だろう。
「俺とシャノンじゃ、やっぱり違うみたいだな」
満足そうなレイラの顔を見て、カインはそう感じた。
「シャノンに出会わなかったら、あの景色は見れなかったんだと思うと、怖くなるね。出会えてよかったよ」
「私もよ」
二人が互いに満面の笑みを浮かべ、今宵は静かに更けていった。
「変態って……それはあんまりじゃないですか……」
誰もアイラを気にかけることはなかった。