出発二日目②
村を出た馬車は森の奥深くへと差し掛かった。陽の光が木の葉に遮られ、気持ちいい風が流れていた。
「あとどのくらいかかる?」
カインが馬を手繰る御者に尋ねる。
「そうですね……天候にもよりますが、雨さえ降らなければ三日ほどで着くと思います」
カインの予想では五日だったが、思った以上に進みが良い。これなら旅の負担もいくらか軽くなるだろう。
「三日ですか…………」
ところが、シャノンがどんよりとした暗い顔をしていた。
「どうした? 疲れたか?」
カインがシャノンの体調を気にして尋ねると、シャノンの鋭い視線がカインに向けられる。
「目が怖いぞ……」
顔立ちが整っているためか、シャノンが目つきを鋭くすると洒落にならない迫力がある。
「私は女です。女があと三日も馬車の上かもしれないんですよ! これは辛い……辛すぎます! ねっ、アイラさん!」
急に話題を振られたアイラは驚いていたが、なんとか答えた。
「ま、まぁ、確かに……一度くらいは水浴びしたいですね」
「あぁ、そういうことか」
男のカインからすれば体を数日洗えないことくらい大したことではないが、女はそうもいかないらしい。
「少し待ってろ」」
カインはそう言って、馬車の上で翼を生成して飛び立った。
(女は面倒だな)
(だが、彼女たちの気持ちは理解できる)
(男のお前が?)
(シャノンを抱きしめたときに酷い臭いがすれば、百年の恋も冷めてしまうかもしれないからな)
(……そうかい)
醒めるわけねぇだろうが、と毒づくイクスだった。
カインは、馬車の進行方向に水浴びができる場所がないかを確認した。上空から見ると、まだしばらくは森が続いていることが分かるが、中々適した場所を見つけられない。
仕方ないので、もう少し先まで進んでみることにした。
(あそこはなんだ?)
(ん? あれは……湖じゃないか?)
馬車からかなり離れた位置に大きな湖があった。その湖の周囲は森に囲われ、湖の水面は太陽の光を反射し、その透明度の高さがよく分かる。
(あれなら満足するだろうよ)
(シャノンの喜ぶ様子が目に浮かぶな)
二人に湖があったことを伝えるため、急ぎ馬車へと戻った。
「ここからまだかなり先だが、大きな湖があった。今日の夜にでも着くと思うぞ」
カインの報告にシャノンの表情が輝き、そして――――。
「やりましたよーーー!!」
シャノンが御者を驚かせるほどの雄叫びを上げた。
「う、嬉しそうですね、シャノン……」
「嬉しいに決まってるじゃないですか! お風呂は女性の命ですよ!」
シャノンの勢いに圧倒されていたこともあるが、アイラの頭の中は一つの事でいっぱいいっぱいだった。
(シャ、シャノンの……裸)
まだ、馬車で揉んだシャノンの胸の感触を忘れられなかった。それが、アイラの妄想をより一層掻き立てていた。
「アイラ、大丈夫か? 顔が真っ赤だぞ」
カインがアイラの変化にいち早く気付き、アイラを気に掛ける。
「えっ!? だ、大丈夫ですよ……水浴びが楽しみですね。ふふっ」
「そうか? ならいいんだが」
何かに思いを馳せるている様子のアイラが、カインは心配でならなかった。なぜなら、その視線がシャノンを見つめていたからだ。
だが、それをカインが知ることはできそうにない。そして、それは知らないほうが良いのかもしれない。
とりあえず、腹の減ってきたカインは干し肉を袋から取り出して、今後のことをなんとく考えていた。
考えていた内容は、自分のことだったり、魔物のことだったり、アイラのことだったり、シャノンのことだったりした。しかし、考えたことはすぐに頭から離れていく。上手く言えないが、集中して物事が考えられなかった。
理由はよくわからない。
湖が見えてきた頃、すでに陽が落ちており、暗闇の中で水浴びをすることになった。
「暗くて何も見えないですね……けど、入らない訳にはいきません!」
馬車から降りたシャノンは、暗闇の恐怖と水浴びを天秤にかけた結果、いくらか迷ったようだが水浴びを選択したようだ。
「待って下さい! 走ると危ないですよ!」
アイラも急いでシャノンを追いかける。しかし、途中で振り返り、
「カインは反対側で水浴びしてくださいよ? 覗いたら、ただじゃおきませんから!」
「分かってるよ。それより、シャノンのことを頼む」
「任せてください。しっかりシャノンの面倒を見ます」
アイラはガッツポーズのようなものを見せ、シャノンを追いかけていった。
そのアイラらしくない行動が、カインは気になって仕方がなかった。とはいえ、覗きに行くかと言うとそうもいかないので、おとなしく二人の反対側に位置する所まで移動する。
移動距離は多少あったが急ぐこともないので、徒歩でゆっくりと移動することにした。
湖面は月の光を反射し、その光がカインの体を照らし出す。そして、しばらく歩くと、照らし出した物はカインだけではないことに気付いた。
湖の淵から少し離れたところに、何か動く物が見えた。体の大きさはそれほどでもないが、綺麗な曲線を描くシルエットが浮かび上がっている。しかし、それが一体なんなのかを把握するに至らず、カインは足を進めた。
パキッ。
さらに近づいて影の正体を確認しようとしたところで、小さな枝を踏み抜いてしまった。
その音がトリガーになったのか、その影は、カインが枝に視線を落とした隙に姿を消していた。
(さっきの影はどこに行った?)
(オレに聞かれても……お前が何かを踏んだようだったから、オレも視線を落としていて気付かなかったぞ?)
二人して同じ行動をとってしまったようで、影の行方を知る手掛かりがなくなってしまったが、すぐにその行方を知ることになった。
湖の淵付近でバシャッという音が聞こえ、何かが陸に手を伸ばしていた。どうやら、潜水してから一気に淵まで近づいたようだ。影の手の先にはゴツゴツとした何かの塊があり、それを握りこむと、カインがいる方向に向けてきた。
その影のとっさの行動に、カインは身の危険を感じ、体の周囲に障壁を展開した。そして、それが功を奏した。
バンッという大きな音が響いたかと思うと、そのときには、カインの障壁に何かが当たっていた。カインは落ちたものを手に取りよく観察すると、ブドウの実くらいの金属のようだ。
(それって金属か?)
(みたいだな。でも、一体どうやって……)
金属が放たれた方向を見ると、相手は驚いているようだったが何とか気を持ち直したようで、続けて金属を放ってくる。
しかし、それがカインの体に届くことはなく、地面に金属がポトポトと落ちていく。その光景が相手に火を付けてしまったようで、掴んでいた物を放り、荷物から別の物を引っ張り出した。
カインのいるところ目がけて、急接近してくる。カインはとりあえず、相手から距離をとるため、森の中に姿を隠した。ここは月の光があまり届かず、互いに相手の姿を確認することは難しいが、カインには好都合だ。いざとなれば、障壁で押し切ればいいのだから。
相手は森の中までカインを追ってきたので、カインは途中で止まり、相手をすることにした。相手は右手に握ったナイフをカインの胴体に突き出してくるが、カインからすればなんてことのない速さの突きだったので、相手の右手を掴み捻りあげ、ナイフを取り落したその手を相手の背中に押し付け拘束した。
「離せ!」
「離せと言われて離すバカがどこにいる。別に殺すつもりなんてない、おとなしくしてろ」
これにてあっさりと勝敗が決した。カインは相手を月の光のあるところまで連れて行き、相手の正体を確認する。
抑え込んだ腕は細く、髪は赤い長髪だ。カインの目線よりもかなり低い位置に相手の頭部がある。
カインは、相手が人間だということはすでに理解していたが、だからこそ油断はできない。
まだ、どこかに武器を隠し持っている可能性もある。そのため、カインは相手の体を手で確認していく。最初は胴……いや、胸に手を伸ばした。
「お、お前!!」
相手の怒気を孕んだ声が聞こえたが、構わずに胸に手を当てた。どうやら武器などは隠し持っていないようだ。
「ひゃぅ!」
変な声が聞こえたが、カインは気にしない。
(まぁ、持ってるわけないか)
相手が湖から出たばかりであることを、カインは今更になって思い出した。おそらく、相手は何も身に着けていないはずだ。
しかし、その身体検査の副産物として胸が平らであることも確認できたため、カインは性別を推測することができた。
「お前、腕が細い割に男だったのか」
そんなカインの一言に、相手の動きが止まった。
そして――。
「あたしは、男じゃ……ない!」
まさに激怒と言わざるを得ない。その一言と同時に、カインの足を小さい足が踏みつけた。一発では収まらないのか、何度も何度も踏みつける。しかし、カインにはまったく効果がなかった。
「この! この! 離せ、変態!」
カインが履いているのは硬いブーツなので、相手の踏みつけはまったく痛くないのだ。
「男じゃない? 女の胸がこんなに真っ平らな訳な――――」
「カイン! 何かあったん……で……すか……」
シャノンがさっきの銃声を聞きつけて駆けつけてきたようだ。しかし、シャノンは目の前の光景に茫然としていた。
「いや、この男が急に攻撃を…………」
「何やってるんですか!!」
カインは、自分のために相手を怒ってくれているのだと思った。だが、違った。怒られているのは、カイン自身だった。
なぜかシャノンは、カインから男性を引きはがし抱きしめた。
「ごめんね。大丈夫?」
「えっ……う、うん」
「おい、そいつは危ない。すぐに離れ――」
「裸の女の子に抱き着ついてるあなたのほうが、よっぽど危ないです!」
かなり怒っている様子だ。しかし、カインは納得がいかず、反論した。
「馬鹿を言うな。そいつには胸がな――」
そこで、シャノンに抱きしめられていた相手がカインのほうを振り返ったときに、やっとカインは気付いた。
大きな瞳に涙を溜めた、可愛らしい女の子がこちらを見ている。この顔が男のはずがないとカインに確信させるほどに、女の子の顔立ちは綺麗だった。
そう、カインは盛大にやらかしていた。
相手は女性だったのだ。
そして、シャノンのすぐ後にアイラも現れ、カインは針のむしろにいるような状態となったのだった。