姫の変身
カインがトルンへと向かっている頃、シャノンはというと……
「カインがいなくなると、退屈ね」
窓に映る月をぼんやりと見上げながら、非常に退屈そうだった。
「姫様、庭で散歩でもしてきてはどうでしょうか? 夜の散歩も風情があって良いものですよ?」
ガロンがシャノンに提案してみるも、
「ん~」
どうも煮え切らないようだ。
シャノンが退屈な理由は、カインがいないことだけではない。
ゼランの石が気がかりでしょうがないのだ。
それは、とても大きな魔力を持っていて、翼を生成して空を飛ぶことができると言うのだ。
カインのことを興味津々で見ていたシャノンにとって、とても我慢できるものではなく、なんとかならないものか、と考えていた。
(問題は大きく二つ、危険だということと、この石が目ざめるきっかけね……)
カインが言うには、神竜の魔力を制御することは至難だそうで、空を飛ぼうものなら大怪我じゃすまないかもしれない。
何より、この石を目覚めさせるきっかけだ。
この問題をクリアしない限り、シャノンにはどうしようもない。
(ここで考えてもしょうがないわね……)
ガロンが用意した紅茶をちょうど飲み終え、シャノンは行動に移ることにした。
「ガロン、やっぱり散歩に行って来るわ」
「では、私も――――」
「大丈夫よ、城の敷地内だもの。それに……少し考え事をしたいの。一人にさせてくれない?」
ガロンはしばし悩んだが、敷地内であれば問題の対処も容易だと考えた。
「分かりました……ですが、怪我などには気を付けて下さいね?」
「散歩で怪我なんかしないわよ」
そう言い残し、月が照らす美しい庭へと足を運んだのだった。
(月が綺麗ね~)
先ほど窓から見ていたが、夜風に吹かれながらの月見は風情がある。
(何か良いアイディアも浮かびそうだわ)
そんなことを考えながら、シャノンはしばらく散歩を続けた。
それは突然だった。
シャノンが花壇の終点に差し掛かり、方向を変えようと足を踏み出したときだ。
「きゃっ!」
足元に小石があったようで、ヒールがその石を踏み、シャノンは体制を崩して転倒してしまった。
「痛いなぁ……、怪我なんてしないってガロンに言ったばかりなのに」
そのときシャノンはハッとした。
「あ! 石は大丈夫かしら! あぁ…思いっきり下敷きになってるわ……」
ラフな格好に着替えてきたので、石はポケットに入れていたのだ。
そして、シャノンがポケットから石を取り出した瞬間だった。
「えっ」
シャノンが銀色の光に包まれていく……。
眩しさゆえにしばらくの間、シャノンは目を瞑っていた。
「もう……なんなのよ? いきなり光だし……て……」
シャノンは違和感を覚える。
(何これ……パンツが膨らんでいくような……)
やがて、それはパンツの容積に耐えられなくなったのか、パンツの隙間から飛び出してきた。
シャノンはおそるおそる……スカートを捲くって確認する。
尻尾だ。
そう尻尾。
そこそこの長さの尻尾。
それも猫とかの可愛い尻尾ではない……硬い鱗がある尻尾だ。
「な、何……これ……冗談よね」
冗談は尻尾だけでは終わらない……。
シャノンは尻尾をよく見ようと、さらに体を捻った。そして、さらなる冗談がシャノンを襲う。
「ん? んん? ……あははは。……って、笑えないわよーーーーーーー!!!!!!」
自分の髪が見えた。
月の光を反射して光る、美しい銀髪が。
それは紛れもなく、シャノンの髪だった。
「金じゃない……銀色……って、何これ……」
シャノンは銀髪に驚き、頭に手をやったときに硬い何かを掴んだ。
「今度は何よ? もう驚かないわよ。銀髪と尻尾を見てるんですもの。何でもきなさい!」
またもやシャノンはポケットから、身だしなみを整えるために持ち歩いている折りたたみの鏡を取り出した。
そして、上手く頭が映るように鏡を動かし、少し上目遣いで鏡を見た。
「……………………」
一瞬視界に捉え、すぐに鏡を離した。
「……はい?」
驚かないと言ったものの、生涯一の驚きかもしれなかった……。
これはどうしようもない。
「尻尾の次は…………二本の角ふふっ、笑わせてくれるのね?」
シャノンが掴んだのは硬質な二本の角だった。
目が笑っていないシャノンだが、お尻に尻尾、頭に二本の角、そして美しい銀髪。
カインが見たら、間違いなく抱きついてくるに違いないかった。
人外の部分があるからこその美しさが、今のシャノンにはあった。
「これじゃ、城にも戻れないわよ……」
そんなとき、頭に直接声が響いてきた。
(あなたが、私の契約者なのですね)
シャノンは誰かに見られていたのかとビクッとしたが、周りを見渡しても誰もいない。
(私に体はありませんよ?)
再び頭に直接響き、そんな声が聞こえてくる。
(あ、あなたは誰なの?)
なんとなく、こうすれば伝わるということが分かった。
(私はゼランと申します。あなたと契約する神竜です)
シャノンも薄々は理解していた。意識に直接訴えかけてくるような声、それは人間には不可能だということに。
では、なぜだろう?
ゼランが覚醒しているということは、『きっかけ』がどこかにあったはずなのだ。
(あの……なぜ目覚めたの?)
本人に直接尋ねるという安直な方法を、シャノンは採ることにした。
(なぜといわれても……私も目覚めたばかりでなにも分からないのですが)
シャノンは再び思考の海へと潜る羽目になり、姫らしくもなく、手を顎に添えて考え込んだ。
(うーん…………ん?)
何か顎に少しヌルッとした感触が伝わり、手のひらを確認する。
(あれ、いつの間に血が……あ! もしかして!)
ゼランの光る石を見ると、赤い斑点が見えた。
(血か……いかにも契約っぽいわね)
(何か分かったのですか?)
ゼランはよく分からないようで、納得した風なシャノンに質問した。
(実は、私、ここで転んでしまって……その後にあなたの宿る石に触れたのよ。血が付いた手でね。)
(血……ですか。それが私が目覚めたきっかけなんですね。ところであなたのお名前は?)
(シャノン=アルトリエよ、シャノンでいいわ。そうだ! あなたが目覚めたんだもの、私はあなたの魔力が使えるのよね?)
シャノンは興奮を抑えきれないようだ。
(はい、問題なく)
思わず拳を握り締めそうになったが、一つの問題があることを思い出す。
(……あ、でも……いきなりは使いこなせないわよね?)
急に意気消沈したシャノンだったが、
(いえ、すぐにでも扱うことが可能ですよ)
復活した。
(ほ、本当! でも、カインが危ないって……)
(カインとは?)
(あなたと同じ神竜、イクスの契約者よ)
(そうですか……イクスが先でしたか)
なんとも懐かしそうな雰囲気だ。
(それはともかく、あなたはなんで大丈夫だと言うの? 根拠は?)
それを訊かずに納得はできないシャノンだった。
(それはイクスの場合でしょう? あいつと一緒にされては困ります。なんなら試してみましょうか? シャノン、あなたが思い浮かべる『翼』をイメージしてごらんなさい)
(えぇ……いきなり?)
と言っても、シャノンにはカインの翼しかイメージできなかった。
(うむむっ……)
なるべく詳細に思い出していくシャノン。
やがて、シャノンの背中に光がゆっくりと集まり始め、ゼランの銀色の翼が生成された。
それは、カインが生成するイクスの翼に良く似ていた。
(で、できた! 本物の翼よ! やったわーー!!)
飛んでもいないのに跳びはねるシャノンだが、ゼランが先を促した。
(準備できましたね。 では、翼を動かしてみなさい)
シャノンに翼を動かすイメージなど当然ないが、こんな感じかな、と背中の筋肉に働きかけてみる。
フワッ。
シャノンの体は少しだけ浮き上がった。
(大丈夫そうですね。では、行きましょうか。細かい魔力の調整は、私が引き受けます。存分に羽ばたきなさい)
(うん!)
心の中で、勝手に庭からいなくなることをガロンに謝りつつ、シャノンは思い切り羽ばたいた。
こうして、シャノンは月夜の散歩に出かけるのだった。
(その尻尾と角、可愛いですね)
(うるさいわよ!)
きっと、この神竜と契約者は仲良くやっていけるだろう。
そんな気がした。
そして翌日になると、銀色に光る何かがアルトリエ上空を飛んでいた、ということが国中で話題になっていた。