遭遇
出社して時計を確認すると、就業開始時刻五分前だった。ギリギリセーフ。入社二日目にして遅刻とか笑えない。ふと隣の席を見ると、エミリーの姿が無いことに気づいた。パソコンが立ち上がっているところからして休みではないだろうが、もうすぐ業務も始まるというのにどこに行ったのだろうか? とりあえず唯一できる重要任務、メールチェックをしていると、業務開始時刻の五分後に彼女は慌ただしく戻ってきた。
「おはよー。そうそう、朝一はちゃんとメールチェックしてねー。たまに緊急案件も入ってくるから、チェックしてないと大変なことになったりするから気をつけて。それと、ごめん。今日続き教える予定だったと思うんだけど、急な来客が入っちゃって。今からそっちに対応しなきゃならなくなっちゃったんだよね」
パソコンの画面から目を話さずに、キーボードを目にも止まらぬ早さで打ちながら彼女は言った。相当急いでいるようだ。
「そっか。了解。がんばってね」
「ありがとー」
オレは少しホッとした。朝にあんな話を聞いた後だったため、まだ心の準備ができていなかったのだ。今エミリーとあまり長いこと二人でいたら、何かしらボロが出る気がする。もうちょっとだけ整理する時間をください。ダメな子でいいから。
オレのそんな願いが通じたのか、彼女は手を止めてこちらに向き直り、今日一日その来客に付きっ切りになるかもしれないと申し訳なさそうに言ってきた。うん。全然おっけーよ。むしろありがとう。
「それで今日のエリオットの業務なんだけどね? さっきそこでルークに会ったんだけど」
うん。嫌な予感しかしないな。オレは取り敢えず笑顔で続きを促したが、正直聞きたくないな。
「なんかノーラさんの配属先が経理課から秘書課に変わったらしくてね? 今日一日ノーラさんの教育用に時間とってたのがまるまる空いちゃったんだって。だから代わりにルークが教育してくれることになったから」
残念ながらノーラさんは一緒じゃないんだけどねーと意味深な笑顔を向けてくるが、オレにとって今はそれどころじゃない。何でよりにもよってそんな話になったんだ。いや、今朝の話から二人が遠慮のない仲っていうのはよーくわかったけども。どうやらオレの願いは全く通じてなかったらしい。一気に難易度がハードモードになった気がする。しかもノーラさん、貴女もしかしなくても今日は社長と一緒ってことですか? どんだけ攻める気ですか? 二重の意味でダメージを受けて項垂れるオレを見て、またチャンスあるって、と斜め上の慰めをしてから、来た時と同じように慌ただしく彼女は出て行った。仕方がない。心の準備は全くできていないが、ここでこうしていても仕方がないので、最後の悪あがきとしてできるだけゆっくりとルークのもとへ向かうことにした。
「おはようございます、エリオットさん。初日はどうでしたか?」
「おはようございます。覚えることが多くて大変そうだなというのが正直な感想ですね。早く慣れるように頑張ります。今日はわざわざありがとうございます」
オレは取り敢えず真面目でいい子の仮面を被って乗り切ることにした。ほら、新入社員ですから。
「エミリーから聞いていると思いますが、ちょうど予定が空いてしまってどうしようかと思っていたんですよ。仕事は自分のペースで大丈夫ですから、無理だけはなさらないでくださいね」
そう言って微笑んでくれたルークからは、絶対マイナスイオン的な何かが出ていたと思う。同じ敬語で笑顔なのに、なぜギルバートとはこうも違うのだろう。というか、やっぱり悪人には見えないんだよなあ。せっかく気合を入れてきたのだが、すでに警戒心が底をつきそうだ。
「エミリーの代理を引き受けたんですが、申し訳ないんですけど私ホビー部門の仕事についてはわからないんですよね。ですからとりあえずエリオットの仕事に関係のありそうなところを案内しながら質問を受け付けるようにしようと思うんですが、いかがですか?」
どうやって保管場所を探ろうか悩んでいたオレには願ってもない申し出だった。若干都合のよすぎる展開に警戒しつつも、オレは不審に思われないうちにじゃあお願いします、と返事をして彼について歩き出した。
「まず昨日も来たと思いますが、本館から案内しましょうか。自部署の次に用事があるのがここでしょうから」
「あ、そう言えばここのことについては昨日エミリーからも少し教えてもらいました。働いている方たちのことも少し」
それを聞いて、ルークは少し動揺したようだった。と言ってもそれはほんのわずかで、注意してみていないと気づかない程度の変化だったのだが。
「彼女が一体どんな紹介をしたか気になるところですが、それだったら大体把握してると思いますので、軽く見て回る程度で次に行きましょうか」
「はい」
そう言って部屋を出たところで、前から来た男がルークに声をかけた。
「ルークさん、ケイトが話があるそうなので、手が空いたら声をかけてほしいと言っていましたよ」
「わかりました、ありがとうございます。そうだ、こちら昨日入社したエリオットです。エリオット、こちらは私と同じ人事課のジェフリーです」
あ、少し足りない人だ。
ジェフリーと聞いて、初対面なのに昨日のエミリーの失礼な説明が頭をよぎった。ちょっと吹き出しそうなんだけど。どうしてくれるんだ、エミリー。
「エリオットです。よろしくお願いします」
かろうじてそう言ってルークの横に並んだオレの顔を見て、ジェフリーは首を傾げた。やばい、吹き出しそうなの必死でこらえてるのばれたかな。
「……ああ、ジェフリーだ。うーん、エリオット、エリオット……君の顔、どこかで見たことある気がするんだよね」
「え? うーん……気のせいじゃないですかね? そんな目立つことした覚えはないですし、貴方とは今日初対面だと思いますし」
それによくある顔ですしねーとすっとぼけながら、今すぐここから逃げ出したいのを懸命にこらえた。今のオレは一応眼鏡をかけて普段茶色の髪を黒く染めているのでいつもとだいぶ印象は違うはずだ。だいたいオレの方は本当に覚えがないので、直接の知り合いではないはず。
「確かにエリオットなんて名前に聞き覚えはないんだよなあ。うん、オレの勘違いかも。変なこと聞いてごめんね。じゃあこれからがんばって。ルークさん、じゃあまた後で」
そう言ってジェフリーはさわやかに去って行った。よかった足りない人で! めちゃくちゃ緊張した!! もう帰りたい!! 本当に知っているのかは定かではないけど、今後あまりジェフリーには近づかない方がいいかもしれない。
「じゃあ行きましょうか」
そういって何事もなかったように笑顔で促すルークを見て一気に癒された。要警戒人物にもかかわらず、すでにルークはオレの中の癒しランキング上位確定だ。ちなみに当然一位はノエルである。
ギルバートにあらかじめ地図をもらって確認しておいたものの、やはり社内は広く気を抜くと迷ってしまいそうだ。頭の中で現在地と地図を照らし合わせながら、ルークの話にも耳を傾けつつ歩く。
「そういえば貴方もノーラも会長の推薦ということでしたが、この時期の採用はとても珍しいんですよ。貴方はどうしてこの時期に当社に?」
「やっぱりそうですよね。彼女のことはよく知らないんですが、僕は父が会長の友人(という設定)なんです。本当は地方に就職していたんですが、父が体調を崩したので、心配になって会社を辞めて帰ってきてしまっ(た孝行息子とかどうでしょうってなっ)て。そのことを知った会長がこちらを紹介してくれた(ということになってる)んですよ」
「それは大変でしたね。今はお父様は?」
「ええ。お陰様でだいぶよくなりました。まあもういい歳なんで無理はしないでほしいですけど」
オレの身の上話、基ギルバートとノリノリで作った設定話を、ルークは全く疑いもしていないようだ。そのうえ、架空の父の心配までしてもらって……なんていい人! 安心してください、オレの父親は実際は体調不良と無縁の男です。
若干の罪悪感と、ルークへの好感度が順調に高まっていく中、オレたちは倉庫の前に辿り着いた。
「ここへ来ることはまずないとは思いますが、一応一度見ておいた方がいいかと思いまして。当社で扱う製品は、全て一度この倉庫群の中に収容されます。そしてその管理を経理課のニックとオリバーが行っています」
「え? こんな膨大な量をたった二人で管理してるんですか?」
「管理と言っても、商品一つ一つに管理用のバーコードがついていて、データは全てパソコンの中ですから。そこまで大変なことではないですよ。ですから彼らも普段からここで仕事をするわけではありません。ここに来るのは、主に運搬業者の方か、品質を管理するハンナとビビアン、後は各部門のリーダーといったところですかね」
「なるほど」
そうはいっても、いくつあるんだ、この倉庫。さすが世界を股にかける大企業だぜ、とその規模に圧倒されていると、一つの倉庫の中から見知った人物が数人の外人さんとともに出てきた。
「あれって……」
オレの視線の先に気づいたルークが、エミリーですね、と言ってそちらに歩き出した。一瞬視線が鋭くなったのは気のせいだろうか?
「お世話になっております、アルフォンスさん。皆様もお元気そうで」
「おお、ルークさん。お久しぶりです。明日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
流暢な外国語でルークが外人の一人と挨拶を交わした。オレはその後ろで軽く会釈をしておいた。使っていたのはあまりメジャーな言語ではなかったため、取り敢えずわからないふりをしておく。彼らはもう用事は済んだのか、挨拶を済ませるとそのまま去って行った。
「さて、今エミリーが出てきたここが丁度ホビー部門の倉庫です。せっかくですから少し中を見ていきましょうか」
そう言って案内してくれるルークの後に続きながら、オレはここが目的の場所だと確信した。




