歌姫の仮面
この作品は、近江文月さんとのコラボ短編となっております。
私の書く「歌姫の仮面」は少年サイド、文月さんの「仮面の歌姫」は少女サイド、というようになってます。
暇つぶしにでも楽しんで頂ければ幸いです。
頭に背中に、降り積もる雪が体を冷やす。
口に広がる砂と鉄の味。
俯せに倒れていた体を起こし、ふらふらと立ち上がる。
その時、月明かりが照らす光の先から、歌声が聞こえてきた。
俺は生まれて初めて感動した。こんなにも心を揺さぶられた事なんて、一度もない。いつまでも、いつまでも聞いていたい――――そんな歌声だった。
大きなステージの上で声を紡いでる君はあまりにも美しくて。
「すげぇ……」
思わず、言葉を零していた。
〝仮面の歌姫〟と呼ばれた彼女は、その名の通り白い仮面が顔の上半分を覆っている。身に着けたドレスは方のところがふんわりと膨らみ、そこから伸びた華奢な腕は、15歳ほどの見た目相応の胸に当てられている。足首まで届く長いスカートの裾には、純白のフリルがあしらわれていた。
曲も一番盛り上がるところまできていて、周りの客も心地よさそうに目をつぶったり、体を揺すったりしていた。俺もその中に紛れ、ただ一人の観客として、そこに立っていたかった。本当に、それだけだったのに。
「っ、痛いじゃないか、キミ」
「あ、すいません」
「まったく、これだからスラムの奴らは……」
それすらも神様は許してくれないようで。さっきから気にしないでいたんだけど、周りの人々はちらちらとこっちを見ている。その貴族共の視線は、「なんだこの汚い子供は。お前なんかが来る所じゃない」と告げている。
……ああ、そうですか、そうですか。とっとと出てけって事ですか貴族様。これはいいご身分で。
「…………」
凄く名残惜しかったけど、これ以上いるとデタラメないちゃもんつけられて捕まる可能性もあるし、おとなしく引いておくか。
……まあ、また会えるかもしれないしな。
どうせ会えないとわかっていても、そう思わないでいられなかった。
後ろ髪を引かれる思いでその場を後にしながらも、心の奥底ではずっと思っていた。
会いたい。また君に、会いたい。
そしてその願いは、驚くほど早く叶ってしまうのだった。
とあるスラムの教会の裏。俺の家がある辺りへ歩いていくと、
「まさか……」
一人きりでしゃがみ込んでる少女がいた。彼女が身に着けている服は、先ほど見たばかりだ。そして、その服を着ていた少女は――目の前の少女と同じ、白い仮面をつけていた。
こんな偶然は、いやこれは本当なんじゃ、でも夢なんじゃ、と頭の中をぐるぐると思考が回る。でも、数時間前――歌を聴く少し前――に殴られた左足はまだジンジンしてたし、鼻先に触れる雪は痛いほど冷たかった。
これは、夢じゃない。
そう気づいてからの行動は早かった。少女に2枚しか持ってない外套を1枚かけてやった。なぜ、とっさにそんな行動をとったのかはわからない。単に風邪をひくからだったのかもしれない。会話の糸口が欲しかったのかもしれない。それから――――今彼女に何かしてあげないと、彼女が壊れてしまいそうだったからかもしれない。それほどまでに彼女は脆く、儚げだった。
「そんな恰好してると風邪ひくぞ。〝仮面の歌姫〟」
そう言うと、彼女は少し拗ねたように目を逸らし、小さく呟いた。
「〝仮面の歌姫〟なんかじゃない」
その瞬間、歌姫の仮面ははずれ、そこには一人の少女がいた。
隣に腰を下ろした俺は、少女にそっと言う。
「歌……よかった」
はっと顔を上げた少女と目が合う。彼女は驚きと嬉しさがいっぺんに溢れ出たかのような顔をしていた。
これ以上なく、不愛想でそっけない言葉しか伝えられないけど、君は、
「ありがとう」
笑ってくれたんだ。
少女はシーレンと名乗った。別れる時にはつい、「また」と言っていた。彼女は一瞬驚いたあと、優しい笑みを浮かべる。その時の表情が、とってもかわいかった。
それから俺たちは毎週日曜の夜、スラム街の教会の裏で会っていた。
シーレンは強がりで時々文句も言うけど、優しくて快活で、温かかった。
「君」といるだけで、嬉しくて、楽しくて、幸せなんだ。
なんて、言えないけど。シーレンの歌をこっそり聴けたり、間に合わなかったり、仕事で遅れる事もあったけど、彼女を待っている時間があった時だって心は弾んだ。
そうして、瞬く間に季節が通り過ぎ、また雪が降ってきたある日。君は言った。
「このまま、一緒にいられたらいいのにね」
最初は驚いた。考えが同じだった事に。それから、自分の考えを話してもいいのか、少し悩んだ。俺の勝手な理由で、彼女をここから連れ出していいのか。いくら残りの命が短いからといっても……
――――シーレンと離れたくない。
突然思考を遮ったその声に任せて自分の考えを全て、何もかも話してしまった。
そしてもらった返事として、今ここに腕輪がない。約束の証にした、腕輪が。君はよく澄んだ冬空のように美しい青色を潤ませ、ぽろぽろと涙を落としてたよな。嫌われたのか、と思ったけど、それが嬉し涙だとわかった時には、今にもここを飛び出していきたい気持ちになった。
こうして俺たちは、クリスマスに街を出ようと誓った。
ドンッ
「コイツはもう使えないな」
ドサッ
「ああ。もうほとんど力入ってないしな」
ギリッ
「今日限りかもなぁ?」
「はっはっは!クリスマスに死ねるなんて、ホント生意気な奴だな?」
ゲシッ
「おいおい、そりゃ可哀想だろ。せまて死ぬ日くらい自由にしてやれよ。バチが当たるぜ?」
「それもそうだな。この優しい俺様はドブネズミにも慈悲を与えるのさ、感謝しろよ!」
複数の男たちの笑い声が遠ざかっていく。声が完全に消えたのを確認してから立ち上がる。さっき蹴り倒された時と同じようにギリッ、と奥歯を噛みしめた。体中に残る痛みと、口の中に広がる鉄の味は無視する。
――――シーレンに、シーレンに会いに行かなきゃ……!
初めて会った時の儚げな顔が、ふっと頭の中に蘇る。もう二度と、あんな顔をさせてはいけない。
「……ぐっ」
雪を踏みしめる度に開いていく傷口に顔をしかめながら、俺は歩き出した。
どこかで、誰かが俺の名前を呼んでいる気がする。一回目は気のせいかとも思ったけど、その声は再度響く。何度も、なんども。
俺は、その声に懐かしさを感じていた。それから、声の主に会ってやらないと、と思う。
なにしろこの声は――――あまりにも、寂しそうだったから。
目を開けてすぐそこにいたのは、一人の少女だった。愛しい愛しい、俺の愛する少女だ。
「シーレン……無事に会えてよかった」
今にも失ってしまいそうな意識をどうにか保ちながら、必死に声を振り絞る。
「ごめん、約束、守れそうに、ない」
ああ、お願いだから、
「そんな、なんで……?」
そんな悲しそうな顔をしないでくれ、シーレン。
彼女の涙が俺の冷たい頬に落ちる。それでも君は笑おうとしていて、自分の頬を歪めていた。
悲しそうな顔をされるよりも、なぜか、無理に作ろうとしている笑顔の方が心を締め付けた。
「無理に笑わなくていいよ、シーレン」
なんとか動かした指で、彼女の温かい涙をそっと拭う。
そして俺は、彼女に一つだけお願いをした。革命を率いてほしい、と。自分でも、なんて勝手なお願いなんだろうと思うけど、どうか叶えてほしかった。
ついに手にも力が入らなくなった。もう、体のどこも動かす事が出来ない。
「大好き――――大好きだよ。本当に、心から。愛してるよ……――――」
泣きじゃくりながら、なんども俺の名前を呼ぶ君に、それでも俺は笑っていてほしいと思う。
「俺も、シーレンのこと、愛してるよ。ありがとう」
本当に、心から。




