その⑨
(俺はどうしてここにいる?)
ヴァンはぼんやりとした頭で潜水艇の窓から真っ暗な海を見つめた。
(俺のことは知らないと言っていたくせにブローフマン先生はパーティー会場で付き添いの医師の目を盗んで俺に近づき、レンの研究員アダムズに気をつけろと言った。そいつは博士の息子で……博士の研究を理解する研究者を誘拐してヴァグへ連れて行く気だと。俺を巻き込みたくなくて知らぬふりをしたが、奴らのやっていることを知った以上我慢ができないと……それから博士は駆け出したのだ。あっけにとられる俺に、その時ラビスとの婚約を祝って俺に握手を求めた男がいた。握手をしながらそいつはアダムズと名乗った……それから俺の意識はない)
ヴァンは溜息をついた。見れば意識を失った若い学者たちが床に転がされている。
(まさか、誘拐されたってことだろうか? ラビスに間抜け扱いされる……ラビス、ごめんな)
通常のスピードで航行していた潜水艇がこの時、急にスピードを上げた。この衝撃で気を失っていた者達の意識が戻る。それぞれが怪訝な顔で閉じ込められた船室を見回した。
「いったい俺たちはどうしたんだ?」
「ここはどこだ?」
「パーティー会場からの記憶がない」
「会場で爆発音がしたがあれは何だったんだ」
起き上った一人が言った。
「爆発音?」
ヴァンが首をかしげた時だった。
先ほどとは比べものにならないほどの大きな衝撃が潜水艇を襲った。
「事故か?」
乗せられた潜水艇のドアの向こうを慌ただしく乗組員が行き来している。
「この船は大丈夫だろうか」
その声が終わるか終らないうちに轟音と共にまた衝撃が来て、船は止まった。
誰ともなしに、みんなが船の窓に集まって外を見た。
船の後方に一隻、そして前方に数隻の潜水艇が見える。
「レンか?」
「いや、ゼフィロウだ……」
どれもこれも見覚えのある潜水艇を見てヴァンは答えた。
こうなると次に起こることの予想がつく。ドアの外では派手な格闘の音と銃声が始まっていた。
「下がれ」
ヴァンは皆をドアから遠ざけた。
次の瞬間にドアが爆破される。
(俺たちがあのドアの傍にいたらどうする気なんだよ)
ヴァンはとっさに心の中で文句を言った。
「ヴァン、いるか?」
ヴァンの文句など知る由もなく、爆破のせいで煙が立ち込めた部屋に入って来たラビスミーナが叫んだ。
「ああ、ここだ」
「よかった、無事なようだ」
ラビスミーナがヴァンの顔を見てほっと息を吐く。
「今気がついたんだ。ずっと気を失っていて」
「相変わらずのんきな奴だ」
ラビスミーナは噴きだした。
「で、この船は?」
「ヴァグの潜水艇だ。誘拐犯を乗せたこの船のコントロールルームは制圧した。訓練通りだ」
「訓練? ああ、ゼフィロウでお前がやるはずだった……」
ヴァンは頭を抱えた。
「そうだ、実弾も使えて有意義だったぞ? だが、まだ制圧したのはコントロールルームだけだから、ここは危険だ。皆さんをコントロールルームへお連れしろ」
直ちにゼフィロウ警備隊員に囲まれた科学者たちは潜水艇上部のコントロールルームに移動した。
コントロールルームの壁面は船を動かし制御する装置や、情報処理のコンピューターや、スクリーンで埋められていたが、その他は窓となっている。スクリーンを見るまでもなく、この船はゼフィロウの潜水艇に囲まれ、そしてその先にはヴァグのドームがあった。
「潜水艇の乗組員に次ぐ。この船の持ち主ヤーノフ・アルミンクは既にレンで身柄を拘束されている。この船は誘拐を企てたかどで、ゼフィロウ警備隊が臨時に預かった。速やかに投降せよ」
ラビスミーナの声がコントロールルームから潜水艇全体に流れた。
「おい、ラビス、ヴァグから通信が入っているぞ?」
コントロールルームのメインコンピューターの前に座っていたヴァンが言った。
「おお、話を聞こうじゃないか」
「ラビスミーナ殿、あなたでしたか……」
スクリーンに現れたのはヴァグのシロ、ライナー・ウォルフだ。太った初老の男で余裕を見せたはずの笑がどこかひきつっている。
「ウォルフ殿、お久しぶりです。ゼフィロウのパーティーに来ていただいた時以来でしょうか?」
ラビスミーナはにこやかに答えた。だが、ウォルフには世間話をする余裕はなかった。
「ラビスミーナ殿、一体全体、我がヴァグの潜水艇を攻撃するとはどういうことですかな? 事と次第によってはラビスミーナ殿、あなたでも許すことはできません。早速レンに連絡してしかるべき処置を取ることにいたしましょう」
「それは心外です。私はレン治安部の代理としてここにいるのですが?」
「何ですと?」
「レンからまだ知らせが入りませんか? まあ、無理もない。私はシュターンミッツ長官にクリスティアン・アダムズを引き渡してすぐにこちらへ来ましたから。事故の検証やヤーノフ・アルミンクの取り調べでレンも手間取っているのでしょう」
「それは……」
ウォルフのひきつった笑いが凍りつく。
「何の事だか、皆目見当がつきませんが?」
「そうでしょうとも。これからそちらに伺ってご説明いたしましょう。よろしいですか?」
「は、はあ」
ヴァグのシロ、ライナー・ウォルフは慌ててスイッチを切った。
「証拠になるデータを始末する気です。このままではウォルフを逃してしまいます」
グリンが言った。
「グリン、これだけのことをやっているんだ。何か出て来るさ」
ラビスミーナはヴァンにウィンクしてコントロールルームを出た。
オルクに乗ってヴァグのポートに着く。そのままオルクで官邸に向かうかと見えたラビスミーナはポートで出迎えたヴァグの警備隊長を驚かせた。行く先は官邸近くにあるヤーノフ・アルミンクの私邸だ。
「既に身柄を拘束されているやつの家なら立ち入っても問題はないだろう」
ヤーノフ・アルミンクの邸宅に着いたラビスミーナは用心深くその庭を覗いた。
「ん?」
数人の人影が館から駆け出し、すぐに館から火の手が上がった。
ラビスミーナの銃が屋敷の門を破壊し、オルクが館に直行する。ラビスミーナはオルクに乗ったまま火の手の上がった書斎の壁を爆破し、突っ込んだ。デスクの上のコンピューターを炎が呑み込もうとしている。オルクから飛び降りたラビスミーナがその記憶媒体を抜き取り、壁面を見た。
「アルミンク、お前、見つかるとまずい資料を隠す場所がレンと同じだろう?」
火のついた豪華な絵画の下の壁に小さなボタンがある。ラビスミーナは銃で壁を破壊し、その後ろにあった耐火性の金庫を掴んだ。
「手袋をしていなかったら火傷だ」
ぶつぶつ文句を言いながら金庫をオルクに載せると、崩れた壁にオルクごと突っ込む。オルクは海中でもセジュ最速のスピードで走るラビスミーナの愛車だ。保護用のシールドを張れば、操縦者を包み込み、その頑丈さでは潜水艇にも引けを取らない。
「火をつけた奴らはどうした?」
「姿を消しました」
「逃がしただと?」
庭で待つヴァグの警備隊を呆れたように見ると、ラビスミーナは気を取り直してアルミンクの館で手に入れた記憶媒体をオルクの電脳と接続させた。オルクの電脳が今回の爆破・誘拐事件関連のデータを選び出す。ヴァグのシロ、ライナー・ウォルフのかかわりも明らかだった。
「これだけわかっていればウォルフはレンに任せるか……」
「ラビスミーナ様、ウォルフはヴァグを脱出するつもりです。専用の潜水艇がポートから出ようとしています」
ヴァグの動きをモニターで監視していたグリンがオルクのモニターに接続してきた。
「ヴァグを出てどうする気なんだ? ドームの外ではこっちの潜水艇があるんだぞ?」
ラビスミーナが答えた。
「あの……我がヴァグのシロであるウォルフ様の潜水艇はヴァグの最新式。スピードの面でも、機動性の面でも最高です」
ヴァグの警備隊長が言った。
「お前はどっちの味方だ?」
ラビスミーナの目が警備隊長に向く。
「もし、ヴァグのためにならないことをしているなら、たとえどなたでもヴァグの警備隊長として逮捕しなければなりませんが、まだ……」
言いかけた警備隊長の胸ポケットにラビスミーナは目を向けた。
「その端末は?」
「ウォルフ様の端末と繋がっています」
「ちょっと貸せ」
有無も言わさず胸のポケットから隊長の端末を奪う。
「私もヴァンの借りがある。ここで逃がすわけにいくか。グリン、聞いたか? 最新式だそうだ。できるだけ追いすがれ」
ラビスミーナのオルクが走り出す。
「はい」
グリンの声がちぎれた。