その⑥
「ラビスミーナ様、警備隊から派遣されてきました」
潜水艇に戻るとゼフィロウの警備隊から五人の隊員が到着していた。
「指示をお願いします」
「ありがとう。早速だが、エレンの仕事を代わってやってくれ」
「エレン殿のですか?」
「そうだ。ずっと働き詰めだ。休ませてやりたい。通信管理、潜水艇の保守点検、クリーニングシステムもきちんと動かせよ? 一応レンの動きには目を配っておいてくれ。それから夕食はここで食べるから適当に頼む」
「夕食も、ですか?」
「もちろんだ。できるな?」
「はあ……」
「エレン」
「はい。それでは休ませていただきます」
エレンは苦笑した。
ラビスミーナはレンのコンピューターから潜水艇のコンピューターに送ったデータをチェックし始めた。
(ヴァンを含めて行方不明者は5人。全員が比較的若いな……出身は様々だが、全てエンジン設計と、輸送燃料のエキスパート。まあ、その学会なのだから当然と言えば当然だが……博士にはどこに行くにも医者が付き添っていた……しかも、二人も。そばにいて博士を追った男たちか。とても博士の身を心配した医者には見えなかったが……博士は呼吸器の疾患があり、発作が起きやすいということらしいが、ゼフィロウからのデータではそんな話はなかった。ヴァグに行ってから発病したのか? ヴァグにとって大事な研究者だ。万一のことがあったら困るというところなのか……いや、だが、実際はどうだ? 博士は殺された……その直後に妹ビアンカの死……ブローフマン博士の妹ビアンカ……勤務も普通にこなし、花は手入れをされ、部屋はきれいに片付いていた。家の様子から見ても私たちが訪れる直前まで元気だったはずだ……)
「ラビスミーナ様、そろそろ食卓の用意をしても……」
「好きにしろ」
声をかけた隊員を遮って、ラビスミーナは再び考え込んだ。
(あの時ビアンカの手のひらにあった針で刺したような傷……ビアンカは病死ではない。殺されたのだ。だが、何故だ? 博士は家族の写真を持っていた。博士が殺された直後に妹が死ぬ。何故ビアンカは殺されなければならなかった? 何故あの時だった? 博士の身内で残されたのは息子だけ……待てよ?)
ラビスミーナは立ち上がって潜水艇の厨房に急いだ。
厨房では潜水艇のコントロールルームでモニターに向かってレンの動きを監視する一人を除いた四人が食器の用意をしていた。
「いい匂いがする」
「簡単なものですが、もう食べられますよ」
隊員の一人が明るい声で言った。
「それはありがたい。食べたら誰か一人、内密にセントラルホテルのエヴァンズ夫人の警護に当たってくれ。何かあったらすぐに知らせろ」
そう言いながらラビスミーナは出来上がった料理を一皿に載せ、再びコンピューターの前に座り、博士の息子ジョセフ・ブローフマンのデータを眺めた。
(息子は行方不明。ちょうどそのころ博士はゼフィロウからヴァグに移り、ヴァグを出ていない……か)
ラビスミーナはデータを見ながらエアに繋いだ。
「父上、レンの職員クリスティアン・アダムズとジョセフ・ブローフマンの生体情報を調べて下さい。それとレンで手に入れたヤーノフ・アルミンクのデータを送ります。ヴァグとのつながりを調べて欲しいのですが」
「わかった。やはりヴァグか……ヴァグはセジュの各ドームの間の輸送に力を入れてきた。付随する中小のドームへの輸送も担当している。熟練した潜水艇操縦者を多く抱えていて運搬や荷造りにも定評がある。だが、最近の潜水艇は自動操縦に任せるところも大きい」
「ゼフィロウの開発する潜水艇は安全対策を重視してコンピューター制御システムを強化していますね」
「そうだ。運転者の操縦技術に加えて、コンピューターのバックアップもより進化する必要がある。しかし、そうなれば船員の数も少なくて済む。そのあたりがヴァグの事情と合わないらしい。ヴァグでは一部に危機感が募っていると聞いた」
「しかし、いつまでも旧態依然のままでいるわけにはいかないでしょう?」
「そこでヴァグも輸送システム全体を考慮に入れた潜水艇開発に乗り出したのだが……今度のことにヴァグがかかわっていれば大ごとだな」
「父上、何がかかわっていようとヴァンは取り戻します」
「ああ、もちろんだ。ところで、ラビス、レンではシュターンミッツ長官のお蔭でゼフィロウに対する風当たりが強いそうではないか。穏便にいきたかったがヴァンが心配だ。お前が動きやすいようにしておこう」
「助かります」
ラビスミーナは笑みを浮かべ、それからグリンを呼んだ。
「はい」
「グリン、ブローフマン博士の息子ジョセフ・ブローフマンは一時ゼフィロウのベルル学園で学んでいる。具体的な彼の人となりを調べてくれ」
「はい。わかり次第お知らせします」
モニターからグリンが消え、ラビスミーナは再びデータを読み始めた。
ラビスミーナの端末が鳴った。
「私だ」
ラビスミーナは端末に答えた。
「ローレンツです」
セントラルホテルでエヴァンズ夫人の警護についた警備隊員からだった。
「おっしゃる通り、エヴァンズ夫人は何者かに監視されています」
「そうか。引き続き頼む」
(レンで初めて夫人に会った時には夫人は誰からも監視されていなかった。監視がついたのはビアンカが殺されてからだ)
ラビスミーナはレンのコンピューターから盗み出したシュターンミッツ長官の保存するデータを眺めながら、その一部に目を止めた。
「ラビスミーナ様、お茶はいかがですか?」
「あ、エレン、もう仕事か? お茶ぐらい自分で淹れるし、淹れて欲しければそのあたりにいる奴らに頼む」
「ありがとうございます。ですが、私も休もうと思ったのですけれど、落ち着かなくて。ここは私の仕事場で、砦みたいなものなんです。その砦で一大事が起こっている時に誰かに任せられるほど私は大胆ではありませんわ。それに……厨房を荒らされるのが心配で」
「ああ、悪かった」
ラビスミーナは素直に謝った。
「いいえ。私のこだわりですわ。ところで……」
ラビスミーナの見ていた画面を見てエレンは首をかしげた。
「お前も変に思うか……エレン?」
「ええ、このヤーノフ・アルミンクという人……レンの局長クラスに経験が一年足らずでなれるものでしょうか……大抜擢ですわね? いったいどんな成果を上げたらこんなことができるんです?」
「全くだ。主に核の間の揉め事に手腕を発揮している。それが買われて治安部隊に一年……そしてもう局長だ。余程長官の覚えがめでたいんだな」
「でも、それだけですか?」
「父上に調べてもらっている。ところで、ちょっと出かけて来る」
「どちらへ?」
「クリスティアン・アダムズとブローフマン博士の息子のことがわかるまで退屈しのぎにセントラルホテルへ」
「セントラルホテル? エヴァンズ夫人の警護ならもうついています」
「でも、それだけじゃな」
「ラビスミーナ様、確かにあなたはお強いけれど、万能ではありません。危険なことはおやめ下さい」
「だから、ヴァンに守ってもらうさ」
「ヴァン様は……」
「ほら」
ラビスミーナは動きやすいいつものズボンに愛用のベストを着こんでいた。そのポケットには馴染みの銃以外にも小型で軽量な装備が詰まっている。
「ちょっとつついて来る」
ラビスミーナは不敵に笑った。
潜水艇で警備隊の隊員たちがラビスミーナの身を心配するエレンからいわれのない八つ当たりを受けていた頃、ラビスミーナはセントラルホテルでエヴァンズ夫人の様子を窺っていた警備隊の隊員イエヒム・ローレンツと合流していた。
「ホテルの外に一人、夫人の部屋の向かいに一人です」
ローレンツは言った。
「ああ、外にいたやつは捕らえてホテルの物置に放り込んである」
「ええっ、もう、ですか?」
「ぐずぐずしていても仕方ないだろう? じゃ、行くぞ?」
簡単すぎた。
エヴァンズ夫人を見張る人物の部屋のドアノブに特殊な解除キーで触れるとドアは静かに開いた。中の男が振り向く間にラビスミーナが男に襲い掛かる。それから意識を奪って縛り上げた。この間ものの一分とかかっていない。
グリン副隊長がその身を心配しながらも複雑な顔をするわけだ。ローレンツ隊員はすっきりと納得し、心の中で頷いた。こうしている間にもラビスミーナは男の銃、手袋、ナイフ、端末などを押収していく。お決まりの靴底のチェックも済ませ、男を撮影すると部屋を出た。
「終わりですか?」
ローレンツは恐る恐る聞いた。
「ああ。もう一人の方も身ぐるみ剥いである。しゃべらせるのは手間だからな。押収したものを調べればわかることがあるだろう。第一、我々はここの治安部隊ではない。手荒なことはできないからな」
ラビスミーナは笑った。
「十分手荒じゃないですか……」
「甘い」
ラビスミーナは素っ気なく答え、付け加えた。
「それと気づかれる前にエヴァンズ夫人の部屋を変えておこうか」
「ホテルを変えた方がいいのでは?」
「いいや。灯台下暗しだ。支配人に話しておくよ。たとえ相手がレンでも彼なら私との約束を守るはずだ。ローレンツ、もう少し、エヴァンズ夫人についていてくれ」
襲撃を終えたラビスミーナは支配人にエヴァンズ夫人と捕虜の監視を頼むと戦利品を持ってオルクに乗った。
人工の夜……レンの高層ビル群の間を縦横に走るエアカー。その赤いテールランプが生き物のように連なり、輝く。
見上げれば人工の月。
監視の男から取り上げた端末の情報がオルクのコンピューターに保存される。
(ヴァン、無事でいろよ)
正確に仕事をこなすオルクのコンピューターに向かってラビスミーナはそっと言った。
エレンに役立たずとレッテルを張られ、こき使われた四人の隊員に新たな仕事が舞い込んだ。ラビスミーナが押収してきた銃、手袋、ナイフ、端末、そして撮影された写真からできるだけ多くの情報を集めるという作業だ。
一見このアナログな方法が、実は多くの情報をもたらした。まず手袋とナイフはレンの仕様のものだった。端末の繋がる先もこのレンの中に限られている。
「銃はゼフィロウ製の旧式ものとよく似ていますが、ヴァグで模造されたものですね」
警備隊員の一人が言った。
「持ち物がレンのものだということで一応当たってみましたが……ラビスミーナ様、あの二人、レンの治安部隊員ですよ」
ラビスミーナが撮った写真はその人物の外見情報を細かく記録できる。その情報と端末のデータをラビスミーナがレンから盗んだ情報と照らし合わせた隊員が言った。
「レンの職員だと?」
「ラビスミーナ様、シュターンミッツ長官です」
スクリーンに苦虫をかみつぶしたような長官の顔が大写しになった。
「長官、何か?」
「ラビスミーナ殿、ブローフマン博士の妹の死を通報して下さったそうですな?」
「それが何か? 息子さんが行方不明になったご婦人と一緒に博士の妹さんにお悔やみをと思って伺った。その時、博士の妹ビアンカ・ブローフマンはすでに亡くなっていた」
高飛車に出たシュターンミッツにラビスミーナは冷たい目を向けた。スクリーン越しではあるが、そこはかとない威圧感がある。シュターンミッツはパーティーで自分が口にした虎という言葉が頭をよぎった。
「ご協力に感謝いたします。が……これ以上、レンのすることに首を突っ込まないでいただきたい。ここはゼフィロウではないと申し上げたはずだ」
ラビスミーナの威圧感に耐えながらシュターンミッツは言った。
「ヴァンを未だに見つけられないレンの言うことに耳を貸す気はない。それより、長官、今度の件にレンは関わっていないだろうな?」
「どういうことだ?」
シュターンミッツの顔色が変わる。
「いや、あまりに後手に回っていると思ったからだ」
「何だと」
シュターンミッツが大声を上げる。と同時にラビスミーナは回線を切った。目をむく長官の姿が消え、潜水艇のスクリーンには今度はラビスミーナより少し年上の、落ち着いた雰囲気の男が映った。
「やあ、グリン」
潜水艇のスクリーンに映った部下にラビスミーナは答えた。
「ブローフマン博士の息子、ジョセフのことですが」
「ああ」
「かつてベルルで彼と学んだことのある卒業生や、付き合いのあった人物を探して聞きましたが、彼は金遣いが荒く、虚栄心の強い人物だったようです。学業の方は専門の潜水艇のエンジン設計よりは、むしろ社会学の方が優秀でしたね。そして、彼はゼフィロウで警察の世話になったこともあります」
「理由は?」
「借金のトラブルです。父親のブローフマン博士が全て清算して解決しましたが。その後ジョセフはベルルから姿を消しました」
「なるほど、他には?」
「そちらにいる隊員のアランもジョセフ・ブローフマンの同窓生です。直に詳しいことが聴けるかもしれません」
「そうか。世間は狭いな。ありがとう、グリン」
「いいえ。まだ、こちらにはお戻りになれませんか?」
「どうかな? だが、お蔭でいいことを思いついた」
「いいこと……ですか?」
当惑の表情を浮かべたグリンにラビスミーナは頷いた。