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その⑤

 ラビスミーナはロビーのベンチでひっそりと呼ばれるのを待っている女性の傍に立った。亜麻色の髪に白いものが混じる。服装は上品でお洒落だ。だが美しい彩のスカーフの中に彼女は顔をうずめていた。

「失礼ですが、昨夜の事件のことをお聞きになるためにお待ちとか? 息子さんが昨日このレンでいなくなられたとお聞きしました」

 ラビスミーナの声に女性は顔を上げた。

「あなたは?」

「失礼しました。ラビスミーナ・ファマシュと申します」

「え……まあ……あの、まさかゼフィロウの?」

 女性はまじまじとラビスミーナの顔を見つめた。

「ええ。このたびは……さぞご心配でしょう、奥様。私もここで待たせていただいてよろしいでしょうか?」

「それはもう……ですが、なぜ?」

「私の婚約者は昨夜あの会場で姿を消してしまったのです。それで担当者に話を聞きたいと思って」

 ラビスミーナが目を伏せる。

「あなたも? まあまあ……」

 年配の女性は婚約者の身を案じる目の前の美しい娘に心からの同情を寄せた。

「私はノラ・エヴァンズと申します。ミアハから来ましたのよ」

「ミアハですか。道理で素晴らしいスカーフをお使いになっておられる」

 セジュの核のひとつミアハは手工業でその名を知られている。そこの産品と見て取ってラビスミーナは言ったのだ。

「まあ、確かにこれはミアハでつくられたものですわ」

 エヴァンズ夫人は答えた。

「それで息子さんは?」

「息子のマイケルは駆け出しの科学者ですの。それが最近レンで仕事をすることになって……それで観光方々私は息子に会いに来たのですわ。息子はあのパーティーに顔を出して、それから私と会うことになっていたのです。でも約束の場所にいつになっても息子は現れなかった。連絡も取れないのです。聞けば昨夜息子が顔を出すはずだったパーティーで爆発事故があったとか……心配でその事故のことを聞きに来たのですわ」

 夫人の目に涙が浮かぶ。

「そうでしたか。ところであなたは亡くなられたブローフマン博士のことはご存知でしたか?」

「ええ、息子が大変お世話になって……そうそう、ゼフィロウの大学であの子が勉強していた時ですよ。あの子はいつか自分もブローフマン先生のようになりたいとよく言っていましたわ。あんなことになってしまってお気の毒に……」

「マイケルさんもでしたか……ブローフマン博士は面倒見の良い方だったと聞いています。それなのにゼフィロウからヴァグに移ってから一度も学会に出ていないそうですね? 息子さんの方には博士から何か連絡はありましたか?」

 ラビスミーナは注意深く夫人の様子を窺ったが、夫人はあっさりと首を振った。

「いいえ、ないと思いますわ。息子はそれを残念がっておりました。ところが今回急に博士がレンにいらっしゃるというじゃありませんか。息子は必ずお会いしたいと張り切っていましたわ」

「ヴァンと同じだな」

「ラビスミーナさん、実は息子が言っていたのですが、博士の妹さんがこのレンにいらっしゃるんです。レンの研究棟のキャフェテリアで働いていらっしゃるそうですわ。私、この後お伺いしたいと思っていますの。博士のことでお悔やみを申し上げたいし、できればお話もお聞きしたいと。事件のことで何か分かるかもしれないでしょう?」

 躊躇いながらも、何とか息子を探そうと思いつめた様子のエヴァンズ夫人にラビスミーナは大きく頷いた。

「エヴァンズ夫人、それはいい。私も同行させていただいてよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろんですわ。私も一人では心細かったところです」

 夫人はやっと小さく笑みを浮かべた。


「ラビスミーナ・ファマシュ様」

 若いレンの職員が近づいた。

「ああ、昨夜のパーティーにいらした、名前は確かクリスティアン・アダムズ……」

「これは光栄です。並み居るレンの治安部の方々に雑じっていた私などの名前まで」

 年はヴァンほどだろう。明るい髪にブルーの瞳。どこか都会的な雰囲気の青年は驚いた顔をした。

(あの治安部に雑じっていたからこそ、さ)

 ラビスミーナはアダムスを見た。

「ですが、あなたは長官が来るころには姿を消したしまいましたね」

「私は技術者の端くれだし、それにあの長官が苦手なので……ですが、よく見ていらっしゃる……驚きました」

 アダムズは苦笑した。

「ところでこちらの方は? 博士のことをご存じのようでしたが?」

「ノラ・エヴァンズと申します。先ほどあなたは技術者だと仰いましたわね? それでは、うちのマイケルのことはご存知ですか? 最近レンの研究所に入ったばかりなのですが……」

「マイケル・エヴァンズさんですね? はい、お名前だけは……それで、なぜこちらに?」

「昨夜の事故の前後に息子と連絡が取れなくなってしまって……亡くなったのは博士ひとりとお聞きしていますが、でも、それなら息子はどこに行ってしまったのでしょう? こちらで待っていれば担当の方が昨夜の事故のことを説明をして下さるというのでお話を伺いに来たのですわ」

「そうでしたか……ラビスミーナ様もご用件はヴァン・レジス・パスキエ様のことですか?」

「そうです」

「わかりました。係りのところまで私がご案内しましょう。ただ、今回の事件は治安部のメンツを傷つけられたようなものだと局長たちは躍起になっています。事件の説明を担当する男は面倒な外部からの苦情をのらりくらりとやり過ごすその腕をアルミンク局長に買われての抜擢で……大したお話は聞けないとは思いますが……」

 アダムズと名乗った青年は申し訳なさそうな顔をしながら言った。

「シュターンミッツ長官の姿勢はここへ来てよくわかりました。それでも、身内が行方不明となれば、どんな情報でも欲しいと思うのは当然のことでしょう?」

「身内? ラビスミーナ様とパスキエ様はまだ婚約されただけなのでは?」

「そういう約束事とは別です。ヴァンは昔から家族のようなものですから」

「そうでしたか」

 頷くアダムズの後ろについて歩きながらビスミーナは聞いた。

「それより、あなたは技術者だと言った。しかし、パーティーでは治安の中にいましたね?」

「ご存知だとは思いますが、治安部の中でも技術者は必要ですからね。研究部からこちらに駆り出されているんですよ」

「なるほど」

「こちらです」

 アダムズは思念で職員専用のエレベーターを開いた。セジュでは個々のもつ思念(脳波の一種)が指紋のように独特であるため、それをセキュリティーや機器の操作のために使っている。アダムズは慣れた様子で二人を治安部の関係部署へ案内した。

「ところで、お二人は先ほど何を熱心にご相談されていたのです?」

「博士の妹さんのことですわ。この後、お悔やみに伺おうと……息子は博士にお世話になっていたので代わりに私が」

 エヴァンズ夫人が答えた。

「そうでしたか。さあ、どうぞ」

 アダムズは幾つもある同じような扉のひとつを開いて室内をぐるりと見回し、タブレットをいじっていた中年の男に声をかけた。

「ゼフィロウのラビスミーナ・ファマシュ様とノラ・エヴァンズ夫人が昨日の事件についてお聞きしたいそうです」

 今回の事件の窓口になっていた職員はラビスミーナ・ファマシュの名を聞いて飛び上がった。まさかこんな大物が直々に姿を見せるとは予想していなかったのだ。

「あの、昨日の事件について尋ねて来ていたのは女性が一人だと……」

「二人になって何か不都合でも?」

 ラビスミーナは聞いた。

「いいえ、そんなことは。さようですか。とにかくこちらへ」

 仲間の職員たちの好奇の視線の中、担当の男は急ぎ足でエヴァンズ夫人とラビスミーナを隣の部屋に案内した。

 そこはこの部署で扱うコンピューターが置かれた殺風景な部屋だったが、とりあえず簡単なソファーが置かれていた。

「では、私はこれで失礼します。そろそろ仕事に戻らなくてはなりませんから」

 アダムズが頭を下げた。

「ありがとう。あのまま大人しく待っていたらいつまで待たされるかわかったものではなかった」

 ラビスミーナが皮肉たっぷりに言った。

「まさか、ラビスミーナ・ファマシュ様がこちらにいらっしゃるとは思ってもいなかったものですから……お待たせして申し訳ありませんでした」

 担当の男は身を縮め、とりあえず愛想笑いをした。

「いや、私よりこの方の方が長く待っている」

「ああ、そのようですね」

「座ってよいのかな?」

「失礼いたしました。どうぞ」

 男がせわしく答える。ラビスミーナは夫人を座らせると自分もどっかりとソファーに腰を掛けた。

「説明を始めてくれ」

 一階の受付周辺にいた時の穏やかな様子とはずいぶん違う。婚約者の身を案じる痛々しい風情も消えている。エヴァンズ夫人が目を丸くして隣のラビスミーナを見つめる中、担当の男がおどおどと説明を始めた。たっぷり三十分はかかったが、彼が話の中で溜めていた間を除けば、意味のあることをしゃべっていた時間は三分といったところだ。その説明をラビスミーナが三十秒にまとめた。

「つまり、爆発があって、ブローフマン博士が亡くなった。今のところ行方がわからないのはこの方のご子息のマイケル・エヴァンズ氏と私の婚約者ヴァンで、博士を銃で撃った犯人も、爆発物の出所も分からないと、こういうわけだな?」

「そ、その通りです」

 男は汗を拭いた。

「なぜレンは行方不明者が出たことを公にしないのだ?」

「それは……事件との関連がはっきりしていないから……では?」

「だが、翌日になっても帰らないんだぞ? どう考えたって関係はあるだろう。それにあれだけセキュリティーにうるさいレンのパーティーにどうやって銃や爆発物の持ち込みができたんだ?」 

「さあ、それは……只今調査中だと思いますが……会議に出席なさっている方々の数だけでも膨大で……」

「いや、あの程度のパーティーで客の安全の保障ができないなど、信じられんな」

 ラビスミーナは係りの職員を睨んだ。

「いなくなったのは二人だけですか?」

 エヴァンズ夫人が聞いた。

「それはお答えできないことになっております」

 係りの職員は困ったように首を振った。

「なるほど……一般市民には言えないということか」

「いえ、決してそういうわけではございませんが、こちらも最善を尽くしております。どうかもう少しお待ちください」

 話は終わったとばかりに職員は言った。エヴァンズ夫人の顔に失望が浮かぶ。ラビスミーナが男の後ろにあるコンピューターに目をやった。

「ところで、そのコンピューターには事件の情報が入っているのかな?」

「そうですが……たいしたものは見られませんよ? ご存じだとは思いますが、事件にかかわる重要事項は全てアルミンク局長やシュターンミッツ長官が直々に思念を使わないと開きませんからね? レンの特別なシステムもありますし」

「だろうな。大したものでなくても見られればいい。ちょっと失礼」

 ラビスミーナはおもむろにソファーから立ち上がり、コンピューターを操作し始めた。

「だからお二人の思念がなければ……すみません、あまり勝手なことをなさると困ります」

「黙っていろ」

 一喝して操作を続ける。コンピューターが作動を始め、データが次々と現れる。唖然とする男の前でラビスミーナがエアから教わった数字を入力した。

「これでよし」

 セキュリティーが解除され、蓄積された情報のすべてが瞬く間に転送された。

「なっ、なんてことを。レンのコンピューターからセキュリティーのかかっている情報を無断で転送したとなれば、たとえあなたでも罪に問われますぞ?」

「そうは言うが、このコンピューターはシュターンミッツとアルミンクが直々にその思念を使わなければ開かない。その上、レンの特別なシステムがあってアクセスできないと言ったのはお前だな? それを聞いて私は安心していじってみただけだ」

 ラビスミーナは青くなっている男を見つめた。

「さて、お前はどうする?」

「すぐに盗んだ情報を消してください。誰か」

 男は我に返って緊急のベルを押そうとした。

「まあ、落ち着け。易々と情報を盗まれたのはお前の落ち度だぞ? さぞ長官や局長から絞られるだろうな? その前に首かな?」

「何を……」

「長官や局長本人の思念がないと開かない、お前はそう言った。誰だってそう思う。お前だけじゃない、そうだろう? それにこんな事件の情報はすぐに公開されるし、私もお前のことは黙っている」

「あの……見過ごせと……?」

「ああ、二、三日の辛抱だ。行方不明者が出ているんだ。事件の情報をいつまでも隠しているようじゃ、レンだって非難を浴びる。すぐに公表するさ」

「そう、です、よね……」

「もちろんだ」

 硬直する担当の男に保証し、ラビスミーナとエヴァンズ夫人はレン本部ビルを出た。


「ラビスミーナさん、どうやってあのコンピューターから局長や長官の思念もないのに情報を引き出せたんです?」

 エヴァンズ夫人は好奇心をおさえられない様子で聞いた。

 ラビスミーナのオルクが見えた。後ろを振り返ってもレンのコンピューターから無断で事件の情報を引き出したラビスミーナを取り押さえようと治安部隊が押し寄せてくる様子はない。

「あれは最近開発したものです。使い手の思念を感じる部分にこれを張り付けて、認証するために記憶されている本来の使い手の思念の形をコピーするんです。後は無防備。使いたい放題です」

 ラビスミーナはシャツのボタンほどの大きさの装置を見せた。

「まあ、便利で物騒だこと」

「もちろん、私だって使う機会はよく考えますよ。そして今は緊急事態です」

「その通りですわ。それで、これに乗るんですわね?」

 エヴァンズ夫人はオルクを見て目を輝かせた。

「そうです。ビアンカ・ブローフマンの働く研究棟まであっという間ですよ」


 レオニード・ブローフマン博士の妹、ビアンカ・ブローフマンの働く研究棟のカフェテリアはレン本部ビルからは離れていた。だが、確かにラビスミーナの言う通り、オルクで行けばひと転がりと言ったところだ。

 ラビスミーナとエヴァンズ夫人は研究棟のカフェテリアに入るとすぐにそこでビアンカの所在を聞いた。

「ビアンカなら今日はお休みですよ。自宅を教えてあげましょう」

 年配の同僚が出てきて教えてくれた。

 ビアンカの自宅はレンの郊外の住宅街にあった。超近代的なレンのビルとは違って小さな庭があり、テラスもついている。庭はきちんと手入れがされていて、可愛らしい花々は生き生きしていた。

「ビアンカさんは一人暮らしのようね」

 呼び鈴を数回鳴らし、しんとした戸口に立って待っていたエヴァンズ夫人は言った。

「ドアが開いている」

 ラビスミーナは呟いた。

「いらっしゃるのかしら?」

 夫人がそっとドアを開いて中を覗く。

「人のいる気配はないな」

 ラビスミーナがドアを大きく開け、居間に入った。後ろに夫人が続く。

「あ、あれは……」

 夫人が声を上げ、ラビスミーナは椅子に掛けている女を調べた。

「死んでいる」

「でも、なぜ?」

「さあ……カップが二つ。客がいたのか……しかし、争った様子はない」

「お客様がお帰りになって、その後急に発作か何かで亡くなったのね。お気の毒に」

 エヴァンズ夫人は椅子に寄りかかり眠るようにしている博士の妹ビアンカを見て言った。

「そうでしょうか」

「えっ?」

「とにかくエヴァンズ夫人、こうしていても仕方がない。宿泊先にお送りしましょう。治安の方には私から連絡をしておきます」

 ラビスミーナはそう言うと夫人を促した。


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