その④
ゼフィロウの潜水艇の前にレンの車両とラビスミーナのエアカーが止まった。待ち構えていたエレンが駆け寄る。
「ラビスミーナ様、会場で爆破騒ぎがあったと……お怪我はありませんか?」
「ああ」
エアカーから降りながら、ラビスミーナは答えた。
「それで、ヴァン様は? お姿が見えませんが?」
「いなかった。見つからなかったのだ」
「えっ?」
エレンはレンの車両から降りてきた治安部の職員を見た。
「パスキエ様がいないというのは?」
「こんな状況で会場は混乱しています。ですが、すぐにこちらへ連絡が入るでしょう」
職員は女性二人を安心させるように言った。
「だといいがな」
ラビスミーナが呟く。
「え?」
エレンはラビスミーナを見上げた。
「何でもない」
ラビスミーナはシュターンミッツの部下に向き直ると言った。
「わざわざここまで、忙しいときに手間をかけさせてしまった。ありがとう。長官によろしく伝えて欲しい」
「わかりました。飛んだことになってしまいましたが、パスキエ様は必ずお探ししてご連絡いたしますので、今しばらくお待ちください」
シュターンミッツの部下は請け合った。
「よろしく頼む」
ラビスミーナの表情は硬い。エレンの顔が不安で曇った。
ラビスミーナは潜水艇のコントロールルームに入るとスクリーンを開いてゼフィロウのエアに繋いだ。
「ラビス、無事だったか」
既にレンの会場での爆発騒ぎを知っていたエアはほっとした表情を浮かべた。
「まだ、ヴァンが戻らないのですが……」
「一緒ではなかったのか?」
エアの表情が厳しくなった。
「爆破直後に探したのですが……姿が見えなくて。レンの治安部が探してくれるそうですが」
「手を出すなということか」
「ええ」
「ラビス、爆発で死んだのはブローフマン博士だそうだな?」
エアは確認した。
「ブローフマン博士は死にました。でも、父上、博士は爆発で死んだのではありません。その前に何者かに撃たれて死んだのです」
「どういうことだ?」
「いきなり博士が走り出して、それを追った男が少なくとも二人はいました。私もすぐに博士の後を追いましたが、博士は博士を追った男の一人に銃で撃たれ、ほぼ同時に爆発が起こった……博士の遺体は直接確認しました。博士は胸を数発撃ち抜かれていました。すぐにその場はシュターンミッツ長官の監督下に入ったのでヴァンを探しましたが、ヴァンはいなかった……」
「レンの言うような単純な事故ではないかもしれないな」
「レンが単純な事故だと?」
「ああ。そのように流している。ラビス、ブローフマン博士はゼフィロウを出てからの動きが不自然だ。ヴァグからまったく出ていない。そして博士がヴァグに移ってしばらくするとヴァグは安全基準ぎりぎりの潜水艇を破格の値段で供給するようになっている」
「……そう言えば父上、殺された時ブローフマン博士は手に写真を持っていました」
「それはどんな?」
「家族写真です。博士自身と、おそらくその夫人と幼い少年のものです」
「ちょっと待て」
エアは素早く手元のコンピューターに触れた。
「ラビス、ブローフマンの妻クララは若くして病死、おそらくその少年は息子のジョセフだろう。彼はヴァンの二年上だ。かつてゼフィロウで動力エンジンの研究をしている」
「今はどこに?」
「わからん。だが、ブローフマン博士には妹がいる。ビアンカ・ブローフマンはレンの研究棟のキャフェテリアで働いているようだ」
「わかりました」
ラビスミーナは答えた。
(ヴァン……研究に夢中になって他が見えなくなることならある。だが、このレンで連絡も寄こさずにいなくなったのはなぜだ?)
ヴァンからもレンからも連絡は入らないまま、じりじりと時間だけがたっていった。
コントロールパネルの前で夜を過ごしたラビスミーナにスクリーンに映ったエアが呼びかけた。
「ラビス、ヴァンからの連絡はまだないか?」
気遣うようなエアにラビスミーナは黙って頷いた。
「レンは何と?」
「ヴァンの姿は会場のどこにも見えないとのことでした。事件に巻き込まれたのか、単に事情があってその場にいなかったのか、まだ何とも言えないので様子を見て欲しい、と」
「いつにもましてレンの動きが鈍いな……」
「父上、ヴァンは事件に巻き込まれた可能性が大きいと思います。だとすればこのままレンに任せて黙って待っているわけにはいきません。そんなことをしたら……」
「ラビス……」
「父上、どうかご心配なく。私はもう、あの小さいラビスミーナではありません。ヴァンは必ず見つけ出します」
「ラビス、10260814074236 シュターンミッツ長官の認証番号だ。何か出て来るかもしれない」
「助かります。ですが……全くレンとはとんだアナログだ。この番号には何か意味でも?」
「シュターンミッツは昨年リョサル王から直々に長官就任の知らせを受けた。その日時だそうだ」
「なるほど、リョサル王の犬と言われるだけのことはある。ありがとうございました」
ラビスミーナはゼフィロウの警備隊副隊長であるグリン・レヴに連絡を取った。
「ラビスミーナ様、よかった。ご無事ですね?」
レンで開かれた学会で爆発事故があり、出席者一名が亡くなったという簡単なニュースは既にセジュ中に流れており、グリンは心配顔で聞いた。
「ああ、だがヴァンが行方不明だ。グリン、ところで訓練の方はどうなった?」
「無事終わりましたが……え、今何と? ヴァン様が行方不明? いったいどちらに……」
「グリン、それがわからないから行方不明というのだ」
グリンはラビスミーナの厳しい顔を見て表情を変えた。
「何があったのです?」
「パーティーの開かれていた会場で爆発があった。その直後にヴァンが姿を消したんだ。グリン、私はしばらく戻れないかもしれないが、後を頼む。指示が必要なら、父上に聞いてくれ」
「わかりました。お早いお帰りをお待ちしております」
グリンの姿が消える。
「さて、出かけるか」
ラビスミーナは立ち上がった。
「ラビスミーナ様」
服を着替え、スラックスに上着をひっかけたラビスミーナのところにエレンが朝食を持ってきた。ラビスミーナは軽くつまんで、ゼフィロウ特製のドリンクで流し込む。
「エレン、レンの本部ビルに行ってくる」
「お待ちください。ラビスミーナ様の警護という名目でゼフィロウからお手伝いが到着しますわ。それからでも……」
「ちょっと話を聞いて来るだけだから一人で十分だ。だが、ちょうどよかったな、エレン。彼らにこの船のことは任せて、お前は休め。ずっと起きていたんだろう?」
「いえ、こんな時に寝てなどいられませんわ」
「いや、体を休めるのも仕事のうちだ。奴らが来たら、必ず交代してもらうんだぞ?」
そう言いおくとラビスミーナは潜水艇に積んできた愛用のオルクに跨った。
オルクというのはヴァンが開発したセジュ一のスピードを誇る乗り物だ。しかも海中でも、ドーム内でも使える。水中ではシャチに似た形をし、ドーム内を走るときは大型の二輪車といったところだ。ヴァンの作品らしく、搭載するコンピューターも最新のものだ。オルクの制御はもちろん、ちょっとした潜水艇のコントロールルームほどの情報処理能力も持つ。
ゼフィロウの科学技術の粋を集めたオルクは技術者垂涎の的だが、セキュリティーも万全だ。乗り手がオルクを離れるとそのGPS情報を関係施設に送り続けるのはもちろん、シールドを張って他者を寄せ付けない。
ラビスミーナはオルクをレンのゼフィロウ専用のスペースに置き、巨大なレンの本部ビルに入って行った。
レンの本部ビルにはセジュ王の執務室のあるセジュ運営部、シュターンミッツのいる治安部、核の枠を超えて人々の権利を守る司法・福祉部、そしてセジュを支える技術的な問題に対処するための調査研究部がある。レンの治安部はビルの上層部を占める運営部のその下にあった。
そんな厳めしそうなレンの中枢ビルだが、実際は中に入ると様々な植物が配置された屋内公園のようだ。レンの施設の解説やセジュの九つの核の歴史と現状、観光案内まである。
早い時間からこの本部ビルに観光でやって来た人たちににこやかに対応する受付の女性たちを眺めながら、ラビスミーナは観光客に雑じって自分の順番を待つことにした。
「お待たせいたしました。ご用件は?」
紋切り型に聞いた職員はラビスミーナの顔を見て目を丸くした。
「ゼフィロウのラビスミーナ様ではありませんか? 御用ならば専用の受付がありますのに……」
「いや、いいんだ。昨日爆発騒ぎがあって人が亡くなっているだろう? そのことで担当官の話が聞きたいだけだから」
ここでラビスミーナの姿に気づいた受付の女性たちの上司が慌てて飛んで来た。
「誠に申し訳ありませんが、あの事件についてはただ今調査中でして……」
「ほう、忙しくて誰も私に会う時間はないというわけか」
「はあ……いえ、そんなことは……」
「シュターンミッツ長官がそう言っているか?」
まさにそうだと言いたかったが、言えるはずもない。職員は冷や汗をかいた。受付の女性は珍しいものを見るように普段は冷静な上司を見上げた。
「私は事件に首を突っ込むつもりはない。ただ、一緒にパーティーに出ていた婚約者があの騒ぎの最中で姿を消した。それを心配しているのだ」
「ラビスミーナ様、ご婚約なさったのですか?」
受付の女性が頓狂な声を上げ、慌ててその口をおさえた。
「で、お相手は?」
「従兄のヴァンだよ」
「ゼフィロウのヴァン様ですか?」
聞きつけた女性職員が集まって来る。
「まあ、おめでとうございます」
「ですが、ご心配ですわね」
「そうなんだ」
ラビスミーナは素直に頷いた。
「局長にお聞きするだけでも」
思わず言った女性を恐ろしい目つきで睨んだ上司の職員は、一方でますます冷や汗を流した。
「そうだな。そうしてもらえるとありがたいな」
ラビスミーナの有無も言わせない一言で彼は皆の見守る中、事件担当の責任者ヤーノフ・アルミンク局長へ内線をつなぐ羽目になった。
「ゼフィロウのラビスミーナ・ファマシュ様が事件のことでお話をお聞きしたいと……」
職員は受付のスクリーンに映った厳めしい中年の男、アルミンクに恐る恐る言った。
「申し訳ありませんが、シュターンミッツ長官より今度の事件はレンが責任を持って解決するのでそれまでお待ちいただきたいとお伝えするよう申し付かっております。ヴァン・レジス・パスキエ様の行方については総力を挙げて探しております。そちらについてはわかり次第、お知らせいたします」
アルミンクは職員の後ろに立つ長身のラビスミーナに丁寧に頭を下げた。
職員が恐る恐るラビスミーナを振り返る。
「ヤーノフ・アルミンク……あの局長が担当か。わかった、もういい。ありがとう」
人々が見守る中、ラビスミーナは頷いた。どっと疲労が押し寄せた職員がほっとした様子で戻って行く。それを見送りながら、ラビスミーナは言った。
「ところで、先ほどからあのベンチに座っているご婦人は何を待っているのかな?」
「あ、あの方は息子さんがあのパーティーの前後から連絡が取れないと仰って……あの事件についてレンの説明を待っているのですわ」
「来たかいがあった。やはり事件の説明は聞けるんだな?」
ラビスミーナの顔が輝いた。
「ええ、でも、市民サービスの窓口のようなものですわ。大まかな状況を係りの者がお話するだけです。その場にいらしたラビスミーナ様の方が余程……」
「それを私も聞かせてもらおう」
「申し訳程度の簡単なものだと思いますが……」
受付の女性は気の毒そうに首を振った。
「うん、それでいいんだ」
ラビスミーナは笑みを浮かべた。