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「ああ、疲れた……」
ようやく一仕事を終えて穴から這い出す。
普段からあまり喋らない己だが、この瞬間だけは思わず声を出してしまう。
服についた泥を手で払いながら今さっき掘ったばかりの穴を見渡す。
己の住む愛すべき掘っ立て小屋。
今だ眠るものがおらず空いたままになっている墓穴。
教会の連中すら滅多に立ち寄らない、一般的な墓地から程遠いこの辺り。
神官どもや信者達の祈りの声も遠くに聞こえるこの一帯には葬儀以外の理由で人が来ることはまずない。
それも当然だ。なにせここに埋まっているのは人間ではないからだ。
獣人やそれらとの混血のもの、物乞いや奴隷や犯罪者、非人といった奴らを穴に放り込み土を被せるだけという簡素な墓。墓標すらないそれらの連なりが続くこの場所はまるで生気を失って項垂れる老人のように陰気だ。
耳元でビョウビョウと唸る風にふと首を回らせれば、とっくの昔に枯れ果てて全ての枝を晒す木々が風に揺られて不気味な唄を奏でていた。
一見してまともな墓地ではないが、この辺はこれでもまだ慈悲のある方らしい。神聖教会に人類と認定されない異人族の死体は他の町では一般的に墓に入れるどころかまとめて町の外に捨てて野ざらしにするような処遇が当たり前なのだとか。
そういった教義の締め付けが緩いのは、ひとえにここが神聖教の総本山である神都から程遠い田舎町だからなのと、この町の独特の風習のおかげだろう。
何でも神聖教の聖者の一人がこの地の生まれで死ぬ間際に「死に貴賤はない。全ての死するものたちに安らかなる寝床を用意せよ」と、こう言い残したらしい。
この遺言に従ってこの町ではどんな身分のものでも例え教義に反する存在である異人族であっても墓を作り、土の下に埋めるのだという。
ただ、いくらお偉い聖人様のお言葉でも自分たちや自分たちの親類縁者を異人族の隣に埋葬するのはどうなのか、という考えの者も結構居て結果的にはこういう畑に向かない土地を墓地にして己のような非人や奴隷に番をさせるという形になっている。
だから己の非人としての立場は少々特殊だ。もちろんこの町に限って言えばだが。
非人。
己の右手の甲に刻まれた紋様を見る。複雑な曲線と読むことのできない文字のようなものでできた奇妙な構図。
刺青にも似たそれは生まれたときから刻まれており、これが有るか無いかでその人間の人生は大きく変動する。
いつから言われ出したのか分からないが、体のどこかしかにこれがあるだけでその者は偉大なる秩序神が人間の失敗作としての烙印を押したもの、つまりは人間のなり損ないであるとされ大抵の場合赤ん坊の内に殺され、ごく少数が教会に預けられその管理下に置かれる。
身体は人でありながら、物や財産として扱われる奴隷よりも下。
人間未満。
出来損ない。
神に捨てられた者。
教会の連中曰く、非人は神の手違いによって生み出された本来存在しない命であるという。
そして神はそのような者たちを創ってしまった自分たちを恥じ、それらの魂を救済する術を聖職者たちに教え、非人を導いてほしいと告げたらしい。
その方法とは誰もが目を背けやりたがらないような仕事をすること、であるらしい。
未完成の魂しか持たない非人は普通の人間に長く関わってしまうと、その欠けた魂を補うために知らず知らずのうちに他者の魂を切り取ってしまうのだそうだ。
そして魂の切り張りは死の神の眷属たる執行者たちへの侮辱であり、これでは救済されるどころか魂を弄んだ罰として死後に永遠の責苦を受けなければならなくなる。
そうならないために、あえて普通の人々から離れてそういった仕事をこなす必要があるだという。
誰もが目を背け、やりたがらないとはいっても誰かがやらなければならないのは自明の理だ。そうでなければ人の営みは循環しなくなってしまう。
そこで非人たちがその循環を円滑にするためにそれらを引き受ける。
そしてその引き換えに普通の人々は非人の労働に対して感謝の念や労わりの心をもって接し、彼ら彼女らに報いる。
そうやって欠けた魂を他の魂によってではなく、人々の思いによって埋めることで非人は真なる人間となり救済される……のだそうだ。
それ故に、非人の仕事は基本的に一般人に忌避されるものばかりだ。
町の共同便所から糞尿を運び出す、老いた家畜の屠殺や肉や皮の剥ぎ取り、馬小屋や家畜小屋の糞の処理、ドブさらい、拷問吏、処刑人、身体に障害のある者の世話、牢獄や処刑場の清掃等々。
……それにしても教会の連中もよくもまあこんなにも荒唐無稽な話をでっち上げられるものだ。
そもそも非人以外の人間にとって、この話は都合が良すぎる。
仮に神が降臨でもなんでもして実際にそう言ったのだとしても何故非人にそんな汚れ仕事を科すのか。
神ならば何故わざわざそんなまどろっこしいことをするのか。
何故直接非人を救済しないのか。
大体魂の云々についてはどうやって判断するのだ。
贔屓めに見てもこの町で非人に感謝している者など両手の指の数より少ないだろうにそんな程度の徳を積んだところで本当に救済されるのか。
いやそもそもこの救済とは何だ?
己は別に赦されたいが為に墓守をしているわけではないし、救済を求めたことも無い。少なくとも実体のない、ワケの分からない救済などという言葉に踊らされて教会にいいように使われる木偶の坊になるのは嫌だ。
それに町で糞尿や血や臓物に塗れたりするよりはこの仕事は遥かにマシである。
通常墓守は教会の関係者やその縁者が務めるのが一般的だが、ここは連中曰くの、「関わりたくない土地」でありそんな穢れた場所は非人にでも任せておけばいい、という結論に達したらしく己は例外的に一人、ここで暮らしながら墓守をしている。
救済など無くても非人の己がまずまず平穏に過ごせているのだから、神の慈悲などこの世にいらないという良い一例だろう。
不満はない。
いや。一つだけ不満があった。
地べたに座って休んでいると人の足音が聞こえてくる。如何にも鈍臭そうな歩き方と大股なのを無理して一方に合わせているような不自然な歩き方。不本意だが何度も耳にしているせいで後ろを振り向かなくても誰だかわかってしまう。
「こんにちはディル。 今日もいい天気ですね。」
「よう、モグラ野郎。今日も元気に掘ってるのか?毎日毎日よく飽きねぇな。」
ウンザリしながら振り向くと想像通りの顔ぶれがそこに居た。
この世は愛で満ち足りている、と言わんばかりの能天気そうな面で己を見る茶色の髪を肩あたりまで伸ばした神聖教会の修道女、アリス・ハンメルト。
不機嫌な表情を隠そうともしていない安物のプレートメイルを着けて長剣を腰に佩いた兵士見習いの青年、マーカス・アッテンボルト。
教会の連中がこの女と常時不機嫌男を毎度毎度ここによこすのを止められないことが己の生活における、唯一の不満だ。
そして己が神を信仰しない理由の一つでもある。