プロローグ
『辿り辿って千の道』
足元にシャベルを突き立てる。
昨日降った雨の所為で土は重く、掘り起こそうとするこちらの力に対して少なくない抵抗を示すが己にとっては慣れたものだ。
『黄泉路の先の更に先』
突き刺したその刃先を捻り、全身の力を使って土をすくい放り投げる。
小さい半円を描きながら飛んだ土の塊は狙った通り、これから己の掘るべき場所から比較的外れたほうに落ちた。
ガキの頃は力の加減が判らず無駄に遠くに飛ばしすぎて余計に疲れたり、逆に近くに置きすぎて二度手間になったりで作業が遅々として進まず一つ穴を掘るのにかなり時間が掛かっていた。
それを思えば、今の己の手際は慣れたものだ。
近すぎず遠すぎず絶妙な距離を放れるようになったのはいつの頃だったか。
『思えば遠くに来たものだ』
想い出に浸っていた思考を頭を振って追い出し、作業を再開する。
『永い道には昼は無く』
突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
『歩む足には陰も無く』
金持ち、貧乏、王族、貴族、平民、奴隷、人間、亜人、魔獣人。どんな奴だっていつか死ぬ。
老いで病で怪我で。
身体は地面に放り出され、草木や獣や虫の糧になる。
それが自然だ。墓なんてものをこさえるのは人だけだ。
してみるとそれを生業とする己の一族は人の中でも特に奇妙な部類に入るのではないだろうか?
『父子の縁は断ち切れて』
追いだしたばかりだというのに相変わらず頭が言うことを聞かずにつらつらと思考を垂れ流す。
そうしているとふっと別の思考が割り込んでくる。
墓の下で誰かの死体が虫に喰われ土に解けてこの世から無くなったとき、人は死そのものに対して祈りを捧げるようになる。
これは神を崇めるのと同じだ。
この世に確かに存在したであろう人々は記憶の片隅に追いやられ、知らず知らずの内に死者を悼む自分自身への陶酔へと変じていく。
これは神に祈りを捧げるのと同じだ。
人がこの世に生まれてから尽きることの無い思想の押し付け、要するに信仰の始まりである。
尤もそれが良いことであるか悪いことであるか、という問答は己の知ったことではない。
賢しげに信仰や神を説く奴ら、つまり教会の連中は好きではないがそれとこれとは話が別だ。
己はただ掘って、ただ埋めるだけだ。そこに善悪はない。
『友も敵も老いさばらえ』
どうも益体も無いことばかりが思い浮かぶ自分に思わず苦笑を漏らす。今日は妙なことばかり考えすぎている。思考を打ち切るようにシャベルを動かす。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
『一人歩みの果ての果て』
無心に掘る。
無心に掘る。
無心に掘る。
無心に掘る。
無心に掘る。
無心に掘る。
いつしか掘ることが身体に染み付いた。
掘れば掘るだけそこに様々な人だったものを埋める。
人の死には理由があって、ここに眠るものたちの数だけ残った“何か”がある。
考えないようにしても考えないようにしてもその何かは己の中に入り込み頭を侵す。
あるいは人の死に近付き過ぎるせいなのか、心は散り散りに乱れ動悸が激しくなる。
単に穴掘りという重労働による疲れなのか、ここにい何かに呼ばれているのか。そんなことは分からない。
『嘆きも祈りも遠のいて』
分かっているのは唯一つ。
穴を掘らなければならないということだ。
『ああ、ああどうかいつの日か』
だから土にシャベルを突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
突き刺す。抉る。放り捨てる。
『どこの誰とも知れぬ人』
奇妙な静けさの中、自らも死人になったようにただ無言で掘る。
無言で掘る。
無言で掘る。
無言で掘る。
無言で掘る。
無言で掘る。
無言で掘る。
『朽ちた墓のその上に、花の一つもくれたなら、
旅路の供に余りある』
『死出の夜道の悲し歌』
そして歌を歌い切ったそのとき、短くない月日によって培われた感覚がこの作業の終わりを告げた。