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魔法少女を夢見ませんか?  作者: 烏口泣鳴
少女は英雄になれない、それでもヒーローを目指す
8/14

目を開けた時に見る夢

 法子がぼんやりと目を開けると、何だか妙に白くて奇妙な場所だった。自分の部屋と違う光景、その上全身を包む柔らかな心地に、ああ、これは夢なんだなと思った。

 何だか思考がはっきりせず、視界は滲んでいて、薄暗い部屋の中は物寂しく、何処からか取り留めのない声が聞こえてくる。

「あら、お見舞いですか?」

 看護師の声だった。お節介そうな明るい声。

 続いて男の声が聞こえてきた。のんびりとした人を安心させる声。

「はい、彼女は元気ですか?」

「ええ、とても」

「そうですか。何よりです」

 足音も聞こえる。けれど全てはぼんやりとしていて、やっぱりこれは夢なんだろうと思った。

「せめてお顔位」

「いいえ、私はもう親である事を止めました。今更顔を見せる事も、顔を見る事も出来ません」

「そんな」

「彼女もそれを望むでしょう。繋がりは無い方が良い」

「教祖様、そんな事は」

 看護師の悲痛な声に、男は自嘲する声が聞こえてくる。

「良いのです。何せ、私はこの病院に居る人々を皆殺しにして願いを叶えようとする大罪人なのですから」

 その荒唐無稽な言葉を聞いて、やっぱり夢なんだと法子は思い、目を閉じて再び眠りの中へと戻っていった。


 法子が起きたのはお昼の鐘が鳴っている時だった。身を起こすと丁度看護師が病室に様子を見に来たところで、法子を見るなりお節介そうな明るい声を掛けてきた。法子がそれに生返事をすると、看護師は嬉しそうに近付いて来てやれ安心しただの、もう大丈夫だの、きっともうすぐご家族が来るだの、さっきニュースで巻き込まれた事件を見ただのまくし立ててきた。法子が昨日の事件を思い出して胸が苦しくなって顔をしかめた時には、既に看護師はもう一人の患者のところへ移ってしまっていた。

 法子が力無く顔を上げると目の前のベッドには病弱そうなか細い女の子が居た。この病室には法子と女の子の二人だけだ。その女の子は看護師と笑顔で会話に興じている。その視線が急にこちらを見てきたので、法子は慌てて俯いた。やがて看護師が自分ばかり元気な笑い声を上げながら病室を出て行った。

 法子はもう一度少女を見て、その横顔が寂しそうな顔をしていたので、驚いて顔を逸らした。話好きの看護士の所為で、法子は目の前の少女がどんな境遇に晒されているのかを知っていた。突然体が動かなくなる原因不明の病で一年前から入院していて、それでも笑顔を捨てずに闘病している豪い女の子。まだ法子は入院し始めてから一日も経っていないが、確かに女の子はとても明るく元気そうに見えた。きっと寂しく不安な日々を送っているだろうに、それでも笑顔になれる。難病を患いながら明るくいられる彼女を凄いと思う反面、何処か嫉妬めいた感情も思い浮かんだ。

 自分はそんなに強くない。

 つい昨日の事を思い出す。魔王に戦いを挑み負けてしまった。その醜態は今テレビを通して全国に流れている。人々を救おうとして拒絶され、それならばと魔王に戦いを挑み負け、しかも戦いを挑んだ行為は無駄だったどころか、多くの人に迷惑を掛け怪我人を出した。もう、どうして良いのか分からない。やる事なす事全部が全部裏目に出てしまっている。いっその事何もしない方が良いんじゃないかとすら思ってしまう。

 法子は溜息を吐いて窓の外を見た。往来する人々を眺めながら、どうして自分は人々と違って駄目なんだろうと思う。どうして私は孤独なんだろうと思う。どうして私にはお見舞いが来ないんだろうと、そんな事を思う。

 猫の様な生き物を従えた同級生の摩子が病院の門を抜けたのが見えた。多分、法子が以前切ってしまった純という少年の見舞いに来たのだろう。律儀だなぁ、豪いなぁ、ついでにこっちにも来てくれないかなぁと、法子は窓を開けて見下ろしながら思う。摩子が病院の中に入って見えなくなるまで眺めてから、法子はもう一度溜息を吐いた。

「あの」

 唐突に声を掛けられて法子は驚いて振り返った。同室の少女がお菓子を持って立っていた。

 いきなりの状況に法子は混乱する。どうして急に話しかけられたのか分からない。何か悪い事でもしてしまったのかと心配になる。そう言えばこの寒いのに窓を開けていたのは非常識だったのかもしれない。

 法子が慌てて窓を閉めると、少女はお菓子の入った箱を差し出してきた。

「これ貰ったんだけど、食べきれないんだけど、要らない?」

 法子は差し出された箱に目を落とし、次いで顔を上げ、少女を観察した。自分よりやや年下。か細い体。けれど明るい表情。嬉しそうに笑っていた。

 法子は混乱して少女を見つめたまま押し黙った。何と答えて良いのか全く分からない。

 すると少女は不思議そうに、おずおずとお菓子の入った箱を更に差し出してきた。

「あの、要らない、かな?」

「要り……ます」

 断るのも居たたまれない。なので法子がお菓子を手に取った。少女は期待して見つめてくる。気恥ずかしく思いながら法子は一つ口に入れた。少女の眼差しが見つめてくる。法子は急いで飲み下し、味すら分からなかったのに、こう言った。

「おいしい、です」

「良かった。病室ずっと誰も居なかったから、人が来たの嬉しくて」

 少女が笑った。いかにも話が出来るのが嬉しいといった様子で法子に喋りかけてきた。法子がそれに僅かの言葉で応じる。するとその何倍もの言葉が返ってくる。法子がまた、前より少しだけ多い言葉で返す、更に多い言葉が返ってくる。

 少女は四葉と名乗った。法子は法子と応じた。少女の語る病気の話は、法子が看護士から聞いた話とほとんど同じだった。法子が話す入院の理由も少女はニュースで知っていた。だから二人共お互いが知っているお互いの事を話し続けた。それでも法子は会話を楽しいと思った。

 やがて少女は法子が疲れた表情をしている事に気が付いて、用事があると言ってその場を辞した。法子は気を遣われた等とは露にも思わず、ほっと息を吐いて、ふと気が付く。今、人と話していた事に。ありえるはずが無かった。自分は決して人と交われず、まともに会話するなんて金輪際不可能だと思っていた。それなのに今話していた。話せていた。そんな訳が無い。だが実際に今の今まで話せていたのだ。一体どうして。

 皆目見当が付かず法子は混乱して、まさかこれは全て夢なんじゃないかと思い始めた時、少女が病室を出て、入れ替わりに別の人間が入ってきた。

 その人物を見た瞬間、法子は心臓が止まりそうになった。見舞いに来た摩子と純は病室に入るなり笑顔になって、法子の元へと歩いてくる。

 まさかと思う。

 まさかそんな訳が無い。

 自分のところへ同級生のお見舞いがやって来るなんて。

 もしかして期待させておいて、影で他の人達が笑っているのかもしれない。

 あるいは友達欲しさに幻影を見ているんじゃないか。

 けれど二人は心の底から嬉しそうな顔でにこにこと法子の傍に座り、法子に切り分けられた林檎を差し出してきた。

 兎の形だ。

「林檎食べる? 食べても平気? 怪我は重くないの?」

 訳が分からないけれど、とにかく目の前に存在する以上、何とか対処しなければならない。

 差し出された林檎を見つめながら、法子は食べても良いものか迷う。あっさりと手に取って食べては何だか卑しい気がした。誰も手を付けていないのに、自分だけが勝手に食べるのは止めた方が良い。かと言って、相手に示してもらった好意を受けずに無視するというのもまた傲慢だ。生意気だと思われるかもしれない。

 法子が悩んでいると、摩子は小皿を少しひっこめながら、不安げに眉を寄せた。

「やっぱり怪我重いの?」

「そうじゃ、ない」

 法子は緊張で身を固くして何とかそう答えた。そうして震える手を皿に伸ばし、林檎に刺さった楊枝を摘まんで手に取った。

 ちょっと顔を上げれば、摩子が心配そうに法子を見つめている。法子は思わず目を逸らして林檎を齧った。林檎の味がした。

「怪我は重くない」

 必死の思いでそう言った。するとまた摩子の質問が浴びせられた。

「ホントに? いつ位に退院出来そうなの?」

 答えなくちゃと焦りながら法子は簡潔に答える。

「分からないけど、検査が終わったらすぐに」

「検査って何の? 何か悪い所があるの?」

「無いと思うけど、一応念の為にって。何があるか分からないから」

「そっか。そうだよね。大変だったもんね」

 摩子は安堵した様で、息を吐いて笑顔を浮かべた。その時、摩子の隣に居た純が些か沈んだ様子で法子に詫びた。

「ごめんね、法子お姉さん」

 何の事を言っているのか、法子には分からない。ただとても重大そうな顔をしているので、こっちが何かしてしまったのではないかと法子は不安になった。

「俺、ヒーローになって守るって言ったのに、守れなかった」

 何だと法子はほっとして、それから申し訳ない気持ちになった。実際に守る手段を持っていたのに、法子は人々を守れなかった。いや、守らなかった。闘う事しかしなかった。結局全て、他のヒーローに丸投げして、自分は無様に負けて。そうして今、のうのうと生きている。そうして、かつて切り裂いた少年に謝らせてしまっている。それが申し訳なかった。

「えっと、その」

 けれどこの姿で謝る訳にもいかず、法子は何も言えずに口ごもった。

 純が真っ直ぐな瞳で法子を見据えた。法子は目を合わせられず俯く。

「俺、もっと頑張って、早くヒーローになるから。それでみんなを守るから」

 そう言った。多分真っ直ぐな瞳をしているのだろう。でも目を合わせられない。

「もう少ししたら退院するし、そしたら俺、魔術の勉強するんだ」

「え? 退院?」

 純が大怪我をしてからまだ一週間。法子は血に沈んでいた純の姿を思いだして、早く治り過ぎじゃないかと訝った。

「うん。何だか治るのが凄く早いって医者も驚いてた」

 実の所、夜中こっそりと純の病室に忍び込んで怪我の治癒を行っていた者が居るのだが、それは治療を行った当人以外誰も知らない。

「だから早くヒーローになって、昨日のテレビに出てた二人のヒーローみたいに、俺もなるんだ」

 テレビに出ていた二人のヒーローとは法子が何度か会った事のある魔法少女と騎士の事だ。法子は、その一躍有名になった二人を思い浮かべて、その後に映っていた滑稽な自分をも思い出して、憂鬱な気分になった。

 法子が沈んだ顔をしたので、摩子が慌てた様子で話題を変えた。純もはっとした様子でそれに乗った。法子は二人に気を遣われた事に気が付かない。何も気が付かずに、ただ必死になって二人の会話についていこうとした。結局上手く話せなくて、会話についていく事は出来なかったけれど、必死になって二人との距離を縮めようとしている内に、段々と二人に気を許していった。

 それから一時間ほどして、摩子と純は病室を去った。

「それじゃあね。また学校で!」

「またね、法子お姉ちゃん!」

 一時間という時を経て、法子の心境は大分和らいでいて、去っていく二人に対して手を振って応じる余裕すら出来ていた。法子が名残惜しい気持ちで二人が見えなくなるまで手を振る。

 二人が見えなくなると、法子は感慨深げに溜息を吐いてから、頭の中でタマに向かって呟いた。

「疲れた」

「お疲れ。良かったじゃないか、友達が出来て」

 面白がるようなタマの笑いを無視して法子は尚も言った。

「私、死ぬのかな」

「何だい、突然」

「だって」

 途端に法子の心が溢れ出る。

「だっておかしいよ。私にお見舞いが来るなんて。家族ならまだしも学校の人だよ? 今迄誰かが話しかけてくれる事だってほとんど無かったのに。もしかして新手のいじめなのかな? もしかして私が喜んでるのを、私が焦ってどもってるのを、何処か物陰でみんなが見てて、騙されて馬鹿な奴って笑われてるのかな。そうじゃなくちゃおかしいよ。もしあれが本当なら。もし本当にお見舞いに来てくれてたなら、私、もしかしたら明日死んじゃうのかもしれない」

「馬鹿?」

 タマがにべも無い返答をする。法子はそれを無視して、外を見つめた。今度は心の底のわだかまりを吐き出す様な溜息をした。

「本当に疲れた」

「こんな事じゃ先が思いやられるなぁ」

「これ以上学校の人がお見舞いに来たら──私、死ぬ」

「この上なく情けないけど、君にとっては良い死に方なんじゃない?」

 タマが呆れてそう言った。

 その時病室の扉が開いた。

 法子が恐る恐る目を向けると、そこに果物の入ったバスケットを持った将刀が立っていた。


 夜も更けた真っ暗な病室で、法子はベッドに座り月を見ていた。同室の少女に配慮してなるべく室内に光が入らぬ様に、ほんの僅かに開けたカーテンの向こうには雲一つない空にただ一つの月が浮かんでいる。法子は静かな月だと思った。そっと耳を澄ますと、遠くの県道から車達の走る音が聞こえてくる。それは法子とはまるで無関係の外側の事で、自分に関係のある内側は外側との対比が際立って一層静かに感じられた。

 対比は内外だけでなく、今と過去にも及ぶ。今日は一日人と話しっぱなしだった。人生で一番人と話した時かもしれないと法子は思った。だから人と接していた昼と比べると、只一人で月を見上げる夜はとても静かに思えた。

 まるで夜が息を詰めている様なしじまの中で、法子は昼のやり取りを思い出してそっと息を吐いた。

「疲れた」

「この期に及んでそんな感想なのかい?」

「だってこんなに話したの、久しぶりなんだもん」

 法子は何処か嬉しそうにそう伝えた。

 摩子と純が帰った後に、将刀が来た。

 将刀は開口一番に頭を下げた。

「悪かった」

 聞けば、文化祭の件で法子と衝突した事を悔いていたのだと言う。はっきり言って、その他の大変な事が色々あり過ぎて法子はもう何も感じていなかった。だから謝られても困ってしまった。それに法子には事実はどうあれ悪いのは自分だと考える癖がある。衝突した事だって、自分の八つ当たりが招いた結果だと思っていた。だから法子は「こっちこそすみません」と逆に謝ったのだが、将刀は承服できなかったらしく、更に謝って来て、それにまた法子が謝るというやり取りををしばし繰り返した。

 将刀の真っ直ぐな気性は法子にとって苦手な物だった。将刀は間違っていると思った事は正さなければ気が済まない性格の様だった。法子は正しさが嫌いだ。正しいというのは世間にとっての正しさであり、世間に隔意を感じる法子にとって正しいというのは束縛でしかない。

 一方で、こんな自分に飽きずに何度も話しかけて来てくれる人間というだけで法子にとっては好意の対象だ。摩子や純に感じる好意と同じ感情を将刀にも抱いていた。

 そうして苦手と好意の綱引きに揺れながら、それが段々と好意へ惹かれ始めた時、「じゃあ、また学校で」と将刀が言った。それを聞いた法子はもう少し喋っていたいという名残惜しさを感じ、そんな事を思った自分に驚いて、法子は悶々と自分の変化に対して自問した。何だか自分が変わっていく。それを怖いと思うのに、喜んでいる自分。世界が段々と明るくなる様な予感。摩子や将刀や純や四葉とこれからも話したいと思う期待。何だか世界が突然変わってしまった気がした。今までの暗い世界から一転して明るい華やかな世界に変わった気がした。法子は思う。怖い、と。その変化が、これから世界が崩れる予兆の様な気がして怖い。

 何だか気分が高揚している。

 闇の中に視線を這わせてそっと息を吐いた。

 眠れない。

 それは何かの予感なのかもしれないと思った。

「早く寝過ぎた所為だろう」

 そうかもしれない。

 手持無沙汰になった法子はそっとカーテンを開けて月を見上げた。眼下の町並みを見渡す。そろそろ日付の変わる時刻。町の灯りが所々で消え始めている。

「疲れた」

 法子が心の中で呟いた。

「でも何とか頑張れた」

「そうだね。学校でもこの調子で頑張ってよ」

 タマがそう慰労したが、法子は首を振る。

「でももう無理。学校でずっと人と話し続けてたら死んじゃうよ」

「はぁ、どうしてそこで、うん頑張るって言えないんだろうねぇ」

「そういう性分なの」

「全く。今からでもお見舞いの客が来てくれればいいのに。それで法子の根性を叩き直してくれればいいのに」

「あのね。こんな夜中に誰かが来るわけないでしょ」

 法子はそう言いながら窓の外を眺めていると、突然逆さまの人が落ちてきた。その若い男は途中で止まってガラス窓一枚を挟んで法子と目を合わせた。

 その男は清涼で整った顔をしていた。けれど目付きだけが酷く鋭い。

 法子が突然の事態に息を呑んでいると、窓が勝手に開き始め、男が飛び込んできた。

「失礼するぞ」

 勝手に入り込んで、法子のベッドの傍に立った男は尊大に言った。

 法子がどう対応すれば良いのか分からないでいると、頭の中でタマが叫んだ。

「気を付けろ、法子! 魔物だ!」

 途端に法子の気持ちに冷水が浴びせられ、静まった心のままに変身する。変身を終えた法子はベッドの上に立ち、刀に手をかけて男と対峙した。

「まあ、そう急くな。害を加えに来た訳じゃない」

 そう言われても、信用出来ない。それに魔物は居るだけ世界に害を与える。だから臨戦態勢を崩さずに法子は隙を窺った。

 そこにタマの声が響いた。

「あんた等魔物は居るだけで悪い影響があるんだよ」

 あれ? と法子が思っていると、男が答えた。

「ん? まだ他に? ああ、従者か。その刀だな」

「従者じゃない」

「何でも良い。言いたい事は分かる。魔力を撒き散らすからと言うんだろ。安心しろ。俺は正規の方法でこちらにやって来た。俺が魔力を撒き散らしている様に見えるか?」

「正規の方法?」

 タマが低く呟く。

 タマが続けて問い質そうとした時に、法子が先に声を上げた。

「ちょっと。ちょっと待って!」

「どうした?」

 男の言葉が響く。

 法子がそれを無視する。

「タマちゃん、今声出してない?」

「出してるけど?」

 法子が驚いて刀を見つめた。

「タマちゃんて私の心の中にしか話しかけられないんじゃなかったの?」

「別にそんな事は無いよ。ただ声を出す必要が無かっただけ」

「ええー」

 法子が声を上げた時、病室の中で呻く様な声が聞こえた。慌てて法子が振り返ると、少女が少し身じろいだ。完全に起きた訳ではないが、これ以上騒げば起きてしまう可能性がある。

 そんな事には全く頓着していない男は面倒そうに言った。

「何だか取り込んでいる所悪いがな、こっちの話をしても良いか?」

 法子が男へ掌を向ける。

「駄目。ここじゃ四葉ちゃんが起きちゃうから場所を変えないと」

 男が訝し気に眉を寄せた後、四葉を認めて頷いた。

「確かにあまり衆目に触れるのは不都合がある。この建物の屋上になら誰も居ない。そこで良いか?」

 法子が頷くと、男が法子の手を取った。突然の出来事に法子が顔を赤らめ振りほどこうとするが、振りほどけない。男はそのまま法子の手を引いて、窓枠に足を掛け、垂直に跳び上がって屋上へ降り立った。手を離された法子は慌てて男から離れる。

「それで! 何の用ですか!」

 法子が出来るだけ敵意を込めて男を睨みつけた。

 男は小さく笑って、

「その前に良いか? あんたが本当に俺の親父を倒したのか?」

そう聞いた。

 法子は意味が分からず押し黙る。

「ああ、親父と言っても分からないか。魔王って言った方が分かりやすいか?」

「あなたがあの魔王の息子?」

「そうだ」

 法子の心が再び冷える。魔王。思い出す。魔王と戦った時の事を。その強さを。そして負けた自分の惨めさを。法子はすっと男を見据えた。

「確かに戦いましたが、倒したのは別の人達です」

「何だ。やっぱりか」

「でも、あなたが仇を取りに来たのなら、私があなたを倒します」

 法子がゆっくりと腰を落とし、構える。水を差す様にタマが法子の心の内に語りかけた。

「おい、いきなり放言するな。相手はあの魔王の息子なんだろ? かなり強いはずだ。一人で戦えるか!」

「でも」

「下は病院だぞ?」

 そう言われて、ここが如何に戦場に向かないかを悟った。だが宣戦布告は既に済んだ。今更止まれない。どうしようと法子が悩んでいると、男は敵意が無い事を示す様に笑いかけてきた。

「安心しろよ。仇打ちに来た訳じゃない。親父死んでないし」

「え?」

「戦う気は無いと言ってるんだ」

 法子は男の言葉を疑ってまだ剣から手が離せない。だが男は構えていないどころか、緊張感すらまるで無い。確かに戦おうとしているとは思えなかった。

「さて、どう切り出せばいいかな」

 男は手摺に背を預けて空を見上げる。

「こちらの世界では俺達の事を魔物と呼んで、別の世界から侵略しにくる厄介者と思っているんだろ?」

 法子は頷くか迷った。確かに人々がそれに近い感情を抱いているのは確かだ。

「だが、それは勘違いだ」

 法子がそれに反論しようとする。

 だが男が手で制した。

「まあ、待て。良いか。事実、既にあんた等の世界と俺達の世界は協定を結び始めている」

「協定?」

「そうだ。交流が出来つつあるわけだ。秩序だった行き来が出来る様にな」

 タマが震える様な声を出した。

「そんな事が」

 男がそれを笑う。

「まだあまり知られていない様だな。先程、正規の方法と言っただろ? 今までだとお前等の言う魔物はこの世界に魔力を撒き散らして様々な影響を与えていた。けれど正規の方法で来ればそういった弊害が無くなる。いずれはあちらの世界だとかこちらの世界だとかの区別なく、自由に行き来できる時代が来るかも知れない。そうしてその魔術は、俺達とあんた等の両陣営が共同して開発したものだ」

 タマは衝撃を受けた様で黙り込んだ。どうやら今までずっと魔物と戦い続けてきたタマは魔物と人が手を取り合う未来を認めたくない様だった。一方で法子は進みゆく世の中に感銘を受けていた。仲良く出来るなら仲良くした方が良い。そんな単純な思いで興奮していた。

「それじゃあ、あなたがこっちに来たのも、交流の為に魔界の大使として来たの?」

 男がその言葉を聞いて呆けた様に口を開いた。法子が何か変な事を言ってしまったかと不安になる。

「ああ、すまん。全くもって話が逸れていた。俺がここに来た理由と交流は全く関係ない」

 法子は躓きそうになって、何とかこらえた。

「じゃあ、何の為に?」

「魔術を探しに来たんだ」

「魔術を探しに?」

 男が手摺から離れて法子の下へと歩んできた。

「俺達の国でこれから王を決める選挙がある」

「魔王って選挙制なの?」

「ああ。代表者を投票で選びだし、代表者は知力体力魔力時の運、支配者に相応しいあらゆる能力を試す勝負で対決し、勝った者が魔王になる」

「何か凄そう」

「一大イベントだ。それがもうそろそろ行われる。そして俺はそれに参加する」

「じゃあ、魔界の王様に?」

「魔界の中の一国家の王だな。この前泣きながら帰ってきた親父が辞めるとか言いやがったから、急遽次の王を選出する事になった」

「えっと……頑張ってください」

「ああ、ありがとう」

 男が法子の傍へ寄ってくる。

「まあ、その選挙、十中八九俺の勝ちだ」

「そうなんですか?」

「他の候補者と比べて能力が違いすぎる。俺の一強だ」

 法子が不思議に思う。

「じゃあ、何の問題も無いんですよね」

「いや、ある」

 男が法子の横を通り過ぎる。法子が振り向くと、男は背を向けて尚も歩いていた。

「王というのはいついかなる時でも挑戦を受けなくてはいけない」

「挑戦?」

「一定数の署名を集めた奴から挑まれれば、さっき言ったあらゆる能力を試す勝負を必ず受けなくてはいけない。どれだけこちらが不利な状況であってもだ。そしてそれに負けたら王は交代する」

「病気の時でも?」

「ああ、どんな時でもだ。親父の引退は、こちらの世界で痛めつけられた為に、その勝負に勝てなくなったからって理由もある」

「厳しいんですね」

「そうだ厳しい。はっきり言って、どんな時でも勝つなんて俺には出来そうにない」

 男は更に歩み、もうすぐ反対の手すりに着きそうだ。

「親父はそれが出来た。それ位に圧倒的な力を持っていた。けれど今の俺じゃ無理だ」

 男が振り返る。

「だから力が欲しい」

 法子は唐突に嫌な予感がした。何か、不吉な何かが近付いている気がした。けれどそれが何かは分からない。

「力? それがさっき言ってた探している魔術?」

 どんな時にでも必ず勝つ魔術。それがどんなものかは分からないが、凄まじい威力に違いない。使えば一つの国家を破壊してしまう様なそんな恐ろしい魔術に違いない。もしもそんな物があったとして、それを目の前の男が手に入れてしまって良いのだろうか。目の前の男は悪用しないだろうか。

 法子は途端に恐ろしくなった。

 雰囲気に流され失念していたが、目の前の男はショッピングモールを壊滅させた魔王の、息子なのだ。

「そうだ。俺が欲しい魔術は」

 男が一拍溜める。

 法子が息を飲む。

「恋の魔法と呼ばれている」

 法子は凍り付く。

 一方男は真剣な表情で空を仰いだ。

「何でも多大な魔力を生み出す魔術なのだそうだが、いくら調べても詳細が分からん。そしてある時、その魔術は人間だけが使えるのだと聞いた」

「は、はぁ」

 法子は混乱から立ち直れない。そして混乱のまま尋ねた。

「あの、魔物の人は恋とかしないんですか?」

 男が見上げていた視線を法子へ下ろす。

「恋愛感情はある」

「あるんだ」

「ああ、種族に因るがな。少なくとも俺の種族は人間にかなり近い。人間の言う恋愛感情、あるいはそれに近いものはある」

「じゃあ、恋の魔法だって使えるんじゃ」

「それが分からんのだ。とにかく俺達の中に恋の魔法を使える奴が要るなんて聞いた事が無い。もしかしたら特別な術式が必要なのかもしれない。とにかく全く情報が無いから、実際にこの世界に探しに来たんだ。それであんたは使えるのか? 恋の魔法を」

「え? ええ! わ、私が?」

「ああ、使えるならぜひ教えて欲しい」

「い、いえ、私は使えないです。っていうか、本当にあるのかも分からないです。物語でしか聞いた事が無いです」

「そうか。だが伝わってはいるんだな。まずはその資料を当たってみるか」

 今言った物語って漫画の事なんだけどなぁと思ったが、どう説明して良い物か分からず、法子は何も言わなかった。

 男が笑みを浮かべる。

「まあ、そんな訳であんたに会いに来た訳だ」

「え? どういう訳で?」

 まさか、私と恋をしに来たんじゃと訝しみ、嬉しいんだか怖いんだか分からない感情に晒されていると、男は言った。

「親父を倒したと聞いていたから、さぞかし名のある魔術師なのだろうと思って教えを乞いに来た」

 ちょっと落胆する。落胆した後、何を落ち込んでいるんだと、法子は恥ずかしくなった。いきなり告白される事を期待していたなんてと、自分で自分を馬鹿にする。

「で、でも私はそんな魔法良く分からなくて。それにあなたのお父さんを倒したのも私じゃないし」

「ああ、実際に対峙してみてそれは分かった」

 落ち込んだ法子を無視して、男は後ろを向き言った。

「ところで気が付いているか? 今向かってきている魔力に」

 そう言われて、法子ははっと神経を研ぎ澄ませた。確かに大きな魔力がこちらに近付いてきていた。

「俺達を元の世界に帰す魔術は使えるんだろ?」

 魔物を帰す魔術?

 法子は頷く。

「なら十分だ」

 法子の感じた魔力がどんどんと近付いてくる。男が法子に背を向け、手摺を前にして、遠くの月を見つめた。

「その魔術を準備してくれ」

「え? は、はい」

 法子は慌てて魔術の準備を行った。魔力の反応はすぐそこまで来ていた。

 魔物を帰す為にはまず魔物を弱らせないといけないのに。

 法子が不安げに男の背中を見つめていると、男は手を掲げた。

 その瞬間、何者かが現れる。下から跳び上がって来たと思しき何物かは、月の光に照らされてその身を晒した。良くフィクションで見る悪魔そのものの姿。その悪魔はそのまま男へ飛び掛かり、男に顔を掴まれて、勢いよく屋上に叩きつけられた。

「それじゃあ、こいつを帰してくれ」

 男が言った。法子が慌てて、魔術を発動させて、悪魔を帰す。

 悪魔が消える様子を見ていた男は、やがて法子に笑いかけた。

「ま、こんな風に、選挙に参加出来ない様に、選挙の前に俺を倒しちまおうって奴等が襲い掛かってくる。こっちの世界に来たのはそいつ等から隠れる意味もあったんだが、もう見つかったみたいだな。そんな訳で、あんたの魔術が必要なんだ。俺にはこいつ等を帰す事が出来ない」

「は、はあ」

 法子が良く分からずにまごついていると、男はとびっきり明るい無邪気な笑顔を浮かべた。

「それじゃ、これからあんたと一緒に行動するからよろしくな!」

 法子がその言葉の意味が掴めずに口を開けて呆けていると、男は背を向けて手を上げた。

「それじゃあ、今日のところは帰るとしよう。明日から頼んだぞ」

 未だに口を開いたまま動けずにいる法子を置いて、男は屋上から飛び降り何処かへと消えた。

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