その時、少女は美しい英雄を夢見た
「魔王?」
目の前で次第に大きくなり始めた影を見て、法子は呆然と呟いた。
「そう。あの強力な魔力は間違いなく魔王だ」
タマの言葉を受けて、法子はぎゅっと唇を噛みしめると、タマに向かって変身の呪文を唱えた。
「タマちゃん、私はあなたと契約する」
だがタマは黙っている。
「タマちゃん?」
「もう変身しているよ」
法子が自分の体を確かめると確かに魔法少女に変わっていた。
「良し! じゃあ」
「やめろ!」
タマに怒鳴られて法子の体が震える。
「ど、どうしたの?」
「戦うなんて無茶に決まっているだろ」
確かに駆け出しの自分が魔王に太刀打ちが出来る訳が無い。それは分かるのだが、法子は納得出来なかった。目の前に魔王が居るのだ。どれだけ勝ち目がなくとも英雄を目指すのなら闘わなくてはならない。そう思った。
「でも」
「あのね、君は魔法少女になって何がしたいの?」
「何って……英雄に」
「英雄っていうのは?」
「みんなを守る……」
「だったら勝ち目のない闘いに挑まないで逃げ遅れた人を助けるのが先決だろう」
それは、分かる。分かるが、逃げ遅れた人を助けている間に、あの魔王に襲われたらどうしようもない。誰かが止めなくちゃいけないのだ。
「大丈夫だよ。魔王は今、動けないから」
「動けない?」
「そう。詳しい事は省くけど、強力な存在が世界を越えた時はその反動で、まともに動けなくなるんだ。さっき君に攻撃したので恐らく限界。今はあの魔王も、それから取り巻きもまともに動けないよ」
見れば、魔王は天井を突き抜ける程、大きくなっているものの、同じ場所から一歩も動いていない。取り巻き達も、何だか黒く滲んだ墨の跡みたいなのばかりで、それらは皆地面にへばり付いて動かない。
「なら今の内に倒しちゃえば」
「無理だって言っているだろ。大規模な送還魔術が君に出来るのかい?」
「それは……でも今の内に弱らせておけば」
「大して変わらないよ。今、あいつ等は自分の体や力を上手く使えていないってだけだ。あいつ等が膨大な魔力を持っている事は変わらない。だから君が攻撃したところで山を水滴で切り崩そうとする様なものだよ」
「でも、このまま何もしないで居たら、あの魔王は強くなっちゃう訳でしょ?」
「あれだけ膨大な魔力なら、完全な本調子になるには、一日そこ等じゃ無理だよ。何日もかかるはずさ。それまでに現代の魔術師達が集まるのを待とう。今はとにかく辺りに居る人を避難させる事だ」
反論できなくなって、法子は納得した。
「分かった。今はとにかく逃げ遅れた人を助ければ良いのね」
「うん。まずは少し奥へ行ってみよう」
法子は刀に手を添えて、魔王達へ向けて走り出した。
「おい!」
「大丈夫」
そうしてすれ違いざまに魔王と数体の魔物を切り裂いてそのまま魔王を尻目に走りぬける。魔王から離れきった法子は笑う。
「これなら大丈夫でしょ?」
「上に飛べ!」
タマの叫びに反応して、法子は飛んだ。一瞬前に法子が居た場所に光が着弾して爆発する。廊下に大きな穴が開いていた。
「油断するなよ」
「ごめん。まだ動けたんだ」
「みたいだね」
下から悲鳴が聞こえた。
「落ちた瓦礫に当たったか? 助けに行かないと」
タマが言い終わる前に、法子は穴を抜けて下の階に下りた。散乱した瓦礫を取り巻いて人々が怯えた様子で震えていた。だが瓦礫に潰された者は居ない。
ほっと法子が安堵したのもつかの間で、辺りに居る人々が法子を見てあからさまに恐怖の表情を浮かべ、悲鳴を上げて逃げ始めた。その内の一人が倒れ、逃げ惑う人々に踏み潰される。倒れた者を誰も助けようとはしない。法子が助け起こそうと慌てて駆け寄ると、倒れた者は近寄る法子を見て恐怖の悲鳴を上げ、擦れた許しを請いながら、必死の体で後ずさりし始めた。法子がそれにショックを受けて立ち止まると、倒れた者はそのまま壁にまで後ずさり、手を這わせて立ち上がり、人々に踏み潰された所為で明らかに折れている腕の痛みなど感じない様子で、泣きながら走り去っていった。
「そういえば、君、汚名があったね。多分二階を崩したのが君だと思われたんだ」
法子はあまりの苦しさに答えられない。
泣き声が聞こえた。
見ると、子供が一人倒れて泣いていた。
法子がまた駆け寄ると、子供は怯えた様子で法子を見つめ、母親を呼び始めた。これでは近寄れない。
「タマちゃん、どうすれば良い?」
「無理矢理抱えて逃がせばいいんじゃないかな」
「それは」
目の前で子供が泣いている。法子が近付いた所為で、恐怖に染まった表情になって泣き叫んでいる。
「出来ないよ」
その時、声が掛けられた。
「どうしたの?」
声の方を見ると、かつて法子を倒した魔法少女が居た。
「その子、怪我したの?」
魔法少女は子供へ駆け寄って体を検めた。
「うん、大丈夫みたい」
魔法少女が子供を抱きかかえる。すると子供は安心した様に魔法少女へ体を預けた。その様子を見て、法子の心が痛む。
魔法少女は屈託のない笑顔を法子に向けて尋ねてきた。
「あなたも逃げ遅れた人を避難させようと?」
「そ、そうです」
「そっか。さっきね、黒い鎧の人と会って協力してみんな逃がそうって事になったの。あの魔王、あ、えっと、強力な魔物がこのショッピングモールの真ん中に居るんだけど、ショッピングモールは東西に長く伸びているから、東と西の二手に分かれようって言われて、私は西側の人を逃がす事に決めたの」
黒い鎧。法子は一人のヒーローを思い浮かべる。きっと自分を助けてくれたあの騎士だ。学校で戦っていたあの騎士だ。そう言えば、目の前の魔法少女も学校で騎士と共に戦っていた。自分の知らない所で繋がりが出来ている。何だか嫌な気持ちがした。
「だから、あなたも一緒に逃げ遅れた人を助けに行こう」
そう言って、魔法少女が手を差し伸べてきた。
その誘いを受けようと手を伸ばして、さっきの怯えた人々の表情を思い出して、伸ばした手を下ろした。
自分が居たらむしろ混乱してしまう。
だから、言った。
「私は、あの魔王を止める」
途端に頭の中にタマの罵詈が響いた。
「馬鹿か、法子」
だが自分に出来る事はこれしかない。もう決めたのだ。
「やめた方が良いよ」
魔法少女も止めてくる。
「魔王は動けないみたいだけど、周りにも魔物が沢山居て動き始めているから。危ないよ」
活動を開始した。そうとなれば、ますます行かなくてはならない。みんなが逃げ出す時間を誰かが稼がなければ。
「私が食い止めるから、その間にあなたはみんなを逃がして」
法子が決意を込めてそう言った。魔法少女はしばし逡巡してからやがて頷いた。
「分かった。すぐにみんなを逃がして迎えに来るから。無茶はしないで」
法子が頷くと、魔法少女はもう一度言い重ねた。
「約束だよ」
そうして魔法少女は子供を抱えて去っていった。最後に一度振り返って、
「絶対に無理しちゃ駄目だよ!」
そう叫んで消えていった。
残された法子は気合を入れて、魔王の所へ向こうとして、
「ちょっと待て」
タマに止められた。
「止めても無駄だよ」
法子が言った。
「みんなを逃がす役になれないんなら、今私に出来る事は魔物を食い止める事」
「大人しく引き上げる選択肢は?」
「無い」
法子の決意が固い事を感じ取って、タマは諦めた。
「分かった。でも良い? さっきあの魔女も言っていたけど、絶対に無茶はするなよ」
「うん」
法子は天井の穴を抜けて二階に戻り魔王の居る噴水へと向かった。
強大な敵に向かう今の状況は憧れていた英雄の姿に酷似していたが、法子の心にはその事に対する高揚はまるで無かった。緊張もまた無い。心は凪いで何の感情も湧いていない。ただ駆けた。
視界の先に魔王と魔物達が居た。魔法少女の言った通り、魔物達は活発に動き始めている。人の形、獣の形、鳥の形、魚の形、様々な生き物の姿を混ぜ合わせた様な影達が何かを探す様に辺りを徘徊している。
人間を探しているのかもしれないと法子は思った。だとすればやっぱり食い止めに来て正解だ。
「違う、法子」
「何が?」
「あいつ等は君を探しているんだ」
一体が法子を見つけた。途端に噴水の周りに居た十数体の魔物達が法子を見て、そして襲い掛かって来た。
「数が多いな」
タマがぼやく。
「うん、でも何とか」
「注意してね。目の前のだけじゃない。下の階にも何匹か。それに後ろからも迫っている」
法子が後ろを振り向くと、確かに四体、魔物が居た。下の階から唸り声が聞こえた。囲まれている。
「とりあえず囲みから逃れよう」
法子は来た道を戻る。四体の魔物が向かってくる。
「倒す事は考えなくて良い。とにかくあの四体の向こう側へ」
法子は刀を構えて、四体との距離を詰め、直前で横に跳んで、壁を蹴り、魔物達の斜め上を通り抜けようとした。そこへ、反応した一体の爪が襲い掛かってくる。法子はそれを切り払い、魔物の囲いを抜けた。
一度立ち止まって振り返り、襲い掛かってくる魔物達へ法子は刀を構える。
その時、タマの声が響く。
「後ろへ跳んで」
言われた通りに後ろに下がると、廊下が突き破られ、下から魔物が現れた。その魔物を刀で切りつける。
「ちゃんと魔物の気配を探りながら」
着地した法子は気を研ぎ澄ます。辺りに居る魔物の気配を感じ取れた。まだ下に何体か居る。前からも沢山の魔物が迫って来る。
速度の違いで三体が集団を抜け出して法子に迫って来た。襲い掛かってくる魔物へ向けて、機先を制す為に法子は踏み込んで一体を真上から切り裂き、更にもう一体を下から切り上げる。後ろに跳躍して距離をとってから、刀を振って斬撃を飛ばし、三体目を切り裂く。
だがいずれも大した痛手を負わせられず、三体はすぐさま体勢を整え向かってきた。
「一回切った位じゃ駄目か」
「当たり前だよ。はっきり言って、何回切ろうと無駄」
「もっと魔力を込めれば」
「多少は動きを止められるかもしれないけど。きっとすぐに回復するよ。君が力尽きるのを早めるだけだ」
法子は考える。この場にいる魔物を倒すにはどうすれば良いだろう。そうして思い出す。あの道化戦で使った刀に概念を込めるという方法なら倒せるんじゃないだろうか。
「無理」
だが相談する前にタマが切って捨てた。
「あれを作るのにどれだけ魔力が必要だが分かっている? あの時は私が溜めていた魔力があったけど、今はもうほとんど無いよ。君の魔力を使っても一本作れるかどうか。維持するのにも魔力が必要で、二体か三体切ったところで終わりだね」
二体か三体。だが目の前からは十数体の魔物が迫って来ている。全く足りない。
「どうしよう」
「良い? 君の目的は魔物を食い止める事。魔物が君だけを狙っている今の状態は、他に危害が加わらないという意味で、願ってもない事だ。魔物が君を見失わない程度に逃げながら、この状態を維持しつつ、逃げ遅れていた人々が完全に逃げるのと救援が来るのを待つのが一番だ。だから余計な事は考えずに逃げる事に集中すれば良い」
「分かった」
また数体が抜け出してきたので、法子は真一文字に切り付けた。だが一体だけ切られても全く怯まずに、棘がびっしりと生えた拳を突き出してくる。法子は反射的に思いっきり魔力を込めて、魔物の拳を刀で跳ね飛ばし、返す刀で魔物を切り下した。
魔物は崩れ落ち。動かなくなる。倒したのだろうかと法子の心に僅かに光明が差した。
「タマちゃん、もしかしたら倒せるかも」
「無理だよ。じきに治る」
もう一度倒れた魔物を見ると、タマの言った通り傷が治っていくところだった。
「どんな魔物でも概念を破壊しない限り殺す事は出来ないし、どんなに切ってもいずれは回復するけど……でもこいつ等は特に回復が速いね。流石と言ったところかな」
タマの呟きに法子は絶望的な気持ちになった。
「倒せないんだね」
「言っただろ」
そうして法子の逃走が始まった。
襲いかかってくる魔物を切っては逃げ、切っては逃げ。学校で道化と戦った時の様な不毛さだが、まるで違う。一体一体が道化なんかよりはるかに強い。そして切っても消える事が無い。しばらくすると傷が塞がってまた襲い掛かってくる。数自体は道化の分身と比べると少ないが、手強さは段違いだった。
法子はまともに戦う事すら出来ず、ひたすら自分を追って来る魔物をひきつけながらショッピングモールの中を逃げ続けた。弱音を吐かず魔物を切っては逃げるを繰り返す。
逃げに逃げに逃げ続けて、次第に法子の魔力は費え、もう限界に差し掛かっていた。
口を出すまいと決めていたタマもここに至って口を出さざるを得なくなる。
「もう限界だよ、法子」
「うん、分かってる。もうみんな逃げ切れたかな?」
タマは、勿論皆逃げ切れたと答えようとしたが、すぐに思い直した。それでは嘘を吐く事になってしまう。嘘を吐かれたと悲しむ法子の悲痛な様子を思い出す。
「どうだろうね。君があの魔法少女と別れてから十五分。多分まだ」
「まだ十五分? 二時間位は戦ってたつもりだったのに」
「残念ながらね」
また魔物の集団から数匹が飛び出してきた。目の前に迫った魔物を避ける為に、法子は大きく上に跳び、反転して天井へと着地する。下に居る魔物が光る球体を打ち出してきた、すんでのところで法子は天井を蹴ってそれを躱す。天井が魔物の攻撃で吹き飛び、天井に巨大な穴が開く。ぽっかりと空いた天井を見上げて、法子は戦慄した。段々と魔物の攻撃が強くなっている。
「もう無理だよ、法子。外に逃げよう」
「外に逃げてどうするの?」
「少なくともあの魔女ともう一人黒い騎士が居るだろう? 一人より三人の方がまともに相手できるだろう」
「でもそうしたら普通の人達は」
「それを何とか食い止めるんだよ」
だがそうは言っても、つい今しがた飛んできた様な遠距離まで届く攻撃をしてくる魔物も居る。少年を切った時の嫌な記憶が思い出される。守りきれるだろうか。
「三人なら、勝てる?」
「無理だね。食い止めるのもきついかもしれない」
「じゃあ、外に出たって」
「でも出るしかない。このままここに居ても仕方が無い。今、魔物は君だけを狙っている。君が居なくなれば魔物は無差別に人を襲うだろう。君が生きのびれば生きのびるだけ周囲への被害が少なくなるんだ。だったら生存確率の高い方を選ばなくちゃ」
「そうかもしれないけど」
その時、大気が鳴動した。うねる様に空間が歪む。甲高い音が世界の全てを切り裂いた。
ショッピングモール中の天井が崩落する。法子はそれを避けながら、何事かと辺りを見回した。
「もう……ここまで」
頭の中でタマが呟いた。
「どうしたの?」
「魔王が起きた、のか? 分からない。とにかく異常な魔力だ」
「でも、さっき」
「私の見立てが甘かった。これは、まずい」
タマから絶望の思念が流れ込んでくる。事態を理解した法子は迫って来る魔物から逃げながら、怯えきった思念でタマに尋ねた。
「どうすれば……良いの?」
「逃げろ」
「外に?」
「違う。とにかく何処までも。奴等が追ってくる限り何処までも。もう周りなんか気にするな。とにかく逃げろ」
ふっと空が陰って、辺りが暗くなった。見上げると、建物よりも何倍も大きくなった魔王が太陽を隠していた。
その巨大さに法子が慄いていると、更に変化が起こる。
辺りが枯れ始めた。廊下や壁が茶色や灰色に変色していく、瓦礫もまた茶色と灰色に浸食され、浸食されつくすと粒子となって溶け崩れた。爆発音が聞こえた。見ると、電化製品が次々とショートして破裂し、中から緑色の液体を流し始めていた。隣のフードコートでは散乱している食べ物が紫色に変色していた。
「何これ?」
「知らん! 良いから逃げろ!」
植物は枯れ果て、それなのに奇妙にねじくれながら成長していく。ペットショップから奇妙な泣き声が聞こえる。見たくない。本が全てどろどろの白いスープになっている。インテリアのコーナーがお化け屋敷と見まがうほど。服が全て糸状の絡まり合った何かになっている。その合間から何かの目が覗いている。
世界が狂い始めていた。
「どうにかしないと」
「どうにも出来ない! もう君がどうこう出来る次元は遥かに超えているんだ。とにかく逃げる。もうそれしか道は残されていないんだよ」
法子はタマの言葉に笑って、足を止めた。
「法子?」
法子は嬉しく思う。タマの言葉が全て法子の為を思ってのものだと思念で分かるから。相手の考えている事が分かるって言いなぁと思う。
タマの気持ちがとても嬉しい。嬉しいからこそ、ここで逃げて情けないところを見せたくない。
「法子? 何だい、その魔術」
そう思うと、何としても、新しい道を切り開きたくなった。
「君の生命を魔力に換えているのか?」
だからその為に、力が欲しいと思った。
「それにしたって変換する量が桁違いだぞ。死ぬ気か!」
法子が駆けた。魔王へ向けて。金色の髪が常よりも光り輝いている。衣装の丈が伸びて、ローブの様になっていた。
「馬鹿か? 死ぬぞ?」
目の前に、沢山の魔物が迫る。法子は刀を握り、ただ一度振った、それだけで遠近大小強弱構わず魔物達は切り裂かれた。
「やめろ! やめてくれ! どんどん君の命が削れている。命はまだ良い。修復できる。でもこれ以上やれば存在まで削れてしまう。取り巻き達を倒したんだから、ここで」
同時に魔物達の周囲を魔法円が囲み、光と共に全ての魔物が消えた。
「嫌だ! 嫌だ! 私はもう、納得のいかない形で主と分かれるのは嫌なんだ。お願いだからやめてくれ!」
走る法子の前には魔王が聳え立っている。天を摩す様な巨体を見上げて、法子は笑う。今生きている事が堪らなく嬉しかった。そして死ぬ時に大好きな友達が傍に居てくれる事が嬉しくてしょうがなかった。
死ぬと思ったところで何の感慨も無い。けれど死の代わりに強大な敵を倒した英雄となれる。
法子は笑う。
私はここで死ぬ。でもその代わり英雄になれる。
「ねえ、タマちゃん。今迄ありがとう」
「止まってくれよ、お願いだから」
「ねえ、タマちゃん。タマちゃんと会えてね、初めての友達になってくれて、とっても嬉しかった。きっとタマちゃんと会わなかったらずっと嫌な思いをして、小さくなって生きてたと思う。でもね、タマちゃんと会えて、物語みたいな生き方が出来て、短い間だったけどとっても楽しかった」
「お願いだからそんな事言わないでくれ」
「だからね、タマちゃん。私はここで死んじゃうと思うから、次の人と仲良くしてあげて。きっと世の中には私みたいな人が沢山居ると思うから」
「やめてくれ、私は君と」
「だからね、タマちゃん。さようなら」
法子は底抜けの喜びを胸に抱きながら魔王へ向けて駆け抜ける。
天を摩す強大な敵に向かってひた走る。
孤独な少女が英雄となる為に。
『
魔王が唸り声を上げ、法子にその眼球を向けてきた。
法子は魔王を真っ向から睨み返す。解析を行うがまるで役に立たない。巨大な魔王は四つん這いとなって法子を見下ろしている。その状態でも高層ビル位ある。法子は試しに剣撃を飛ばしてみた。遥か遠くの魔王の脛に当たるが損傷を与えられた様子は無い。まともにやっても勝てなそうだ。
魔王の巨大な拳が迫って来た。横に跳んで逃げる。爆発が起こる。
法子が魔王を見上げると、魔王の周りを沢山の光球が舞い始めていた。それが法子へ降り注いできた。見た所、込められた魔力は少ない。だが数が多い。降り注ぐ光球を何とか躱す。避けた先に、拳が迫ってきた。拳には恐ろしい位の魔力が込められている。食らえば死ぬ。法子はそれを避けたが、拳が地面に当たった瞬間大爆発が起きて法子は吹き飛ばされた。
器用に着地して、魔王を見上げて、法子は笑う。楽しい。楽しかった。極限の状況に身を置いている。その特異さに酔って法子は笑った。
振り下ろされた魔王の拳の皮膚が伸びて、無数の蔦になって法子へ襲い掛かって来た。やはり膨大な魔力が込められている。避けきれそうもない。そう判断して、法子は消滅させるという概念を刀に付与して、蔦を切り落とし消滅させた。蔦に繋がる皮膚も僅かに消滅させる事が出来たが、それだけだった。本体ごと消すには魔力が足りなかった。
また光球が降り注いできた。如何せん数が多い。避けきれずに、光球の一つが腕に当たった。だが当たっただけで痛くもかゆくもない。
何となく分かった。恐らくまだ魔王はこの世界に完全に慣れた訳ではないのだ。魔力を外部に放てば即座に発散してしまう。だから光球に威力が無い。
魔王の周りにまた多数の光球が生まれ始めた。数はどんどんと増えて、辺りをまばゆく照らす。幾つあるのか数えきれない。少なくとも避けきれる数ではない。だが避ける必要が無い。法子の心は余裕を持って、更に分析を進めた。
どうやら魔王の体は人間と同じ様な構造をしている様だ。足と手で体を支えている。手を使って攻撃してくる。こちらを認識するのに顔に付いた目を使っている。頭をこちらに近付けようとはしない。多分重要な器官が集まっているのだ。どうやら人間と同じ様な場所が弱点らしい。だとすれば、首を飛ばして頭を潰せば相当の痛手を与えられる。
後はどうやって頭の部分まで上ったものか。魔王の拳が横から迫って来る。法子はそれを飛んでかわし、腕の上に着地した。丁度良いと思って、法子は腕を伝って上っていく。
これで頭まで近付けると思ったのだが、途中で腕の皮膚が伸びて蔦状になり襲い掛かって来た。切り落とし消滅させるが、次から次へと生まれるのでキリがない。法子は跳び上がり空中に躍り出る。
どうやら体を伝って行くのは困難だ。どう近付いたものか。あまり制御の利かない空中に浮いていたくはない。
魔王が口中に光を溜めて撃ち出そうとしているのが見えた。
こんな風に攻撃されるから。
魔王の口から光球が射出され、法子に迫る。何とかすれば避けられるかもしれないが、所詮威力の無い攻撃だ。刀で切ってしまえば良い。
法子は刀を構え、
そして切った。地面に着地する。
こうなったらとことんやってやろうと、すっと体から力を抜いた。そして目を閉じる。集中し、イメージを喚起し、世界に共鳴させる。
目を開くと、何処までも遠くまで夥しい数の刀が浮かんでいた。浮かんでいるというよりは空中に突き刺さっている。魔王よりも更に高くまで、ショッピングモールよりも更に広大に、何処までも刀が突き刺さっている。どの刀も、刀身が半分ほどしかない。試しに法子が一本引き抜くと、刀身の残りの半分が現れた。まさしく空中に埋まっていた。
法子が空中に突き刺さっている刀の上に乗る。かなり固く埋まっている様で、力を込めても揺るがない。
法子が一面の刀を改めて見回した。どの刀にもそれぞれ違った概念が付与されている。今法子が持っている刀は消滅させる刀と切った物を凍らせる刀。
今のままじゃ倒せそうにないと悩んでいると、悩む暇を与えないかの様に、魔王の拳が空に突き刺さった刀を砕きながら迫って来た。でもやっぱり遅い。簡単に避けて、別の刀の上に着地する。更に光球が迫る。法子はそれを避けながら、刀の上を乗り継ぎながら空中を縦横無尽に跳び抜ける。
跳び続けながら魔王を倒す方法を考え、じゃあこうしようと心の中で呟いて、法子は自分の周囲に無数の刀を生み出した。
無数の刀に込められた概念はただ一つ。消滅。
纏った刀は法子の動きに合わせて付いてくる。これを魔王の頭に突き立てる。一本では消せないかもしれないけれど、複数あればきっと出来る。
さらに法子は空中の刀を選別して、消滅と生成を行った。ピエロと戦った時よりも更に大規模に、刀の配置で送還の魔法円を作りだす。頭を吹き飛ばしたら、すぐに魔法円を発動させて帰す。そうすれば終わりだ。
法子は成功を確信して口の端を持ち上げて笑った。その体が僅かに揺れた。
自分の体に相当ガタがきているのだと分かった。早く闘いを終わらせなければならない。この分だともう長く持たない。今は生み出した魔力で辛うじて命を支えている状態だ。多分変身を解けば、きっと支えが無くなって死ぬだろう。悲しくは思ったけれど、それは綺麗な終わりだと何だか納得する気持ちがあった。
魔王が一際大きな雄叫びを上げた。闘いに引き戻される。見れば魔王は体を大きく伸ばして隙を晒していた。
今なら行ける。そう判断して法子は足元の刀を蹴った。刀を蹴り継いで、素早く駆け上る。
魔王の顔の前まで来て、引き連れた無数の刀を突き立てる為に、気合を入れて息を止めた。その時、魔王の口に光が宿った。また効きもしない光球かと法子は呆れたが、違った。込められた魔力がいやに多い。今迄に無かった軋む様なノイズ音が発せられていた。
まずい。そう思った。だから法子はそのまま刀を突き立てる事に集中した。元より死ぬ身だ。恐れる事は何も無い。
魔王の口にどろりとした粘質の何かが集っていく。それは人の形をとって、その背に生えた翼を大きく広げた。それが何だか分からない。分からないがもう関係ない。
法子は纏っていた無数の刀を魔王の顔に向けて放った。更に自身も身を躍らせて、魔王の口元へ向けて、その一番危険に思える羽を生やした粘質の人型へ向けて、ありったけの魔力を込めた消滅の刀を突き立てた。
その瞬間、法子の体が軋んだ。見れば体が茶色と灰色に浸食されている。ああ、さっきショッピングモールを枯れ果てさせた魔術か。そう気づいて、自分の死を悟った。
でもまだ終わらせない。消滅の刀を更に深く突き立てる。次第に粘質の人型は消えていく。それだけでなく魔王の頭も刀を突き立てた箇所を中心に消え始めた。
法子の意識が霞んでいく。
霞む意識を何とか繋ぎ止めて、最後に送還の魔術を発動させた。
宙に浮かんだ無数の刀の間から闇が生まれ、それが巨大になり、魔王を取り囲み、圧縮して、魔王を消した。
魔王の居なくなった空を法子が落下する。体はもうほとんど枯れてしまっている。地面に落ちて体が崩れる。崩れた体は元に戻らず、そのまま砂の様になって風に流れて消えていく。
消えていく中で、法子は満足していた。自分は駄目な奴だった。何にも出来ず、いつも人に嫌われる駄目な奴だった。けれど最後の最後でみんなを助ける事が出来た。私なんかと違う未来のある人達を助けられた。それだけで充分だ。苦しみながらも生きてきた甲斐があった。きっと私の死を気にする人なんて居ない。誰も私のことは悲しまないだろう。家には弟が居る。クラスでの役割は元から無い。
たった一つ、心残りがあるとすれば。
ごめんね、タマちゃん。きっとタマちゃんは責任を感じる。感じてくれる。でもきっとすぐに私よりも良い持ち主に会えるよ。
タマの声が聞こえた気がした。気にするなと言っている様にも、死なないでくれと言っている様にも、泣いている様にも思えた。
それで本当に満足した。十分だ。これで生まれてきた事を後悔せずに死ねる。
そして法子は完全に消えた。
魔王を倒したという功績を残し、英雄という称号を得て、法子は消えた。
』
時は戻って、法子が魔王へ駆け出した直後、
魔王が唸り声を上げ、法子にその眼球を向けてきた。
法子は魔王を真っ向から睨み返す。解析を行うがまるで役に立たない。巨大な魔王は四つん這いとなって法子を見下ろしている。その状態でも高層ビル位ある。
端から期待はしていなかった。続いて法子は試しに剣撃を飛ばしてみた。遥か遠くの魔王の脛に当たるが損傷を与えられた様子は無い。まともにやっても勝てなそうだ。
魔王の巨大な拳が迫って来た。横に跳んで避ける。
魔王の周りを光球が舞い始め、それが法子へ降り注いできた。魔力が込められている様には見えない。牽制だろうか。用心してそれを避けると、拳が迫ってきた。拳には恐ろしい位の魔力が込められている。食らえば死ぬ。法子はそれを避けたが、拳が地面に当たった瞬間大爆発が起きて法子は吹き飛ばされた。
振り下ろされた拳の皮膚が伸びて、無数の蔦になって法子へ襲い掛かって来た。やはり膨大な魔力が込められている。避けきれそうもない。法子は避ける事を止めて、刀に消滅の概念を付与して蔦を切り落とし消滅させた。蔦に繋がる皮膚も僅かに消滅させる事が出来たが、それだけだった。本体ごと消すには魔力が足りなかったか。だが消滅させる事は出来る様だ。
また光球が降り注いできた。避けきれずに、光球の一つが腕に当たった。だが当たっただけで痛くもかゆくもない。
何となく分かった。恐らくまだ魔王はこの世界に完全に慣れた訳ではないのだ。動きは何処かぎこちない。それに遅い。魔力を外部に放てば即座に発散してしまう。だから光球に威力が無い。
魔王の周りにまた多数の光球が生まれ始めた。数はどんどんと増えて、辺りをまばゆく照らす。幾つあるのか数えきれない。少なくとも避けきれる数ではない。だが避ける必要が無い。
更に分かった事がある。どうやら魔王は人間と同じ様な場所が弱点らしい。だとすれば、首を飛ばして頭を潰せば相当の痛手を与えられる。
後はどうやって頭の部分まで上ったものか。腕が横から迫って来る。法子はそれを飛んでかわし、腕の上に着地した。丁度良いと思って、法子は腕を伝って上っていく。
これで頭まで近付けると思っていると、途中でまた皮膚が伸びて蔦状になり襲い掛かって来た。刀を振るって蔦を消滅させるが、更に無数の蔦が生まれて襲ってくる。対処しきれずに、法子は慌てて跳び上がり空中に躍り出る。
どうやら体を伝って行くのは困難だ。どう近付いたものか。あまり制御の利かない空中に浮いていたくはない。狙われれば避けられない。
案の定、魔王が空中を落ちる法子に向かって口を開いた。開いた口には光が集っている。
魔王の口から光球が射出され、法子へと迫る。何とかすれば避けられるかもしれないが、所詮威力の無い攻撃だ。刀で切ってしまえば良い。
法子は刀を構え、
「悪いけど、ここまでだ」
タマの言葉が頭に響いた。途端に体中から力が失われた。光り輝いていた髪はただの金髪に戻り、服装もいつもの衣装に戻ってしまった。
法子が発動させていた、生命を魔力に変換する魔術をタマが無理矢理止めた所為だった。
どうして? 法子の頭に疑念が湧く、まさか裏切られた? タマちゃんは魔王の仲間?
詮索している余裕は無い。光球はすぐそばまで迫っている。さっきまでの大幅に強化されていた状態ならともかく、力を失った今食らえばひとたまりもない。
何とか刀に魔力を込めて、光球を切り付けた。焼け石に掛ける水よりも効果が無かった。突然目の前の空間が歪んで光球を包み込んだ。だが止めきれずに突き破られ、光球が法子にぶち当たり爆発する。
吹き飛ばされた法子は瓦礫となった地面に叩きつけられ何度か跳ねて最後は瓦礫の合間に埋もれて止まった。変身が解ける。血を流す法子はぼんやりと遠くの魔王を見つめた。
だがもう魔王の事なんかどうでも良い。
法子は信じられない思いでタマに尋ねる。
「どうして?」
「君は良くやったよ、法子」
「どうして?」
「目的は果たした。だからもうお終いだ」
遠くの魔王は無数の光球を生み出している。魔王の目は法子を睨んでいる。きっとあの大量の光球がもうすぐ降り注いでくるのだろう。ああ、殺されるんだなと法子は思った。
その時、突然数多の光球が黒ずんで地面へと落ちた。
何が起こったのか分からずに居る法子の耳に、人の声が聞こえた。
「居た! こっちだ!」
しばらくして法子の顔を覗き込む者がいた。髭面の男性と如何にも善良そうな中年女性。
「まだ生きてるぞ!」
「良かった。早く運ばなくちゃ」
「運が良かったな。助かるぞ」
助けが来たんだと分かった瞬間、法子の意識が途切れた。
ニュースで魔王が現れた事件を報道していた。
テレビの画面には魔王が建物を崩した瞬間の映像が流れている。
ニュースキャスターが事件の詳細を伝えている。
何でも、あれだけ強大な魔物が出現したのに死者が出なかった事は歴史的な快挙らしい。
ニュースによればこうだ。その町の近隣で、強力な魔物の出現が増加していた事を鑑みて、政府は一週間ほど前から魔物討伐の資格を有する者達を辺りに常駐させていた。特に人と魔力が集まりやすい場所を重点的に監視していて、現場となるショッピングセンターもその一つだった。
事件発生直後すぐさま連絡が行き亘り、あらかじめ決められていた手順で、まずは人々の安全を確保、ここに嬉しい誤算があって、登録されていないアマチュア変身ヒーロー二人がプロよりも先に、率先して人々を逃がした為に、被害が最小限にとどまったという。そうして人々を逃がしきった後は、出現した魔物へ遠距離から一斉に攻撃が加えるという手はずだったのだが、ここに一つ悪い誤算があり、逃げ遅れた民間人がまだ一人居た、その所為で、無差別な遠距離からの攻撃は行えず、突入して救出しつつ魔物を倒すという作戦に変更となり、その準備をしている内に魔物が巨大化、更に暴れ始め、建物が崩壊し始めた為に、危険と判断して、強行突入を決行。結果として取り残されていた一人を救出、魔物は帰された。
何にせよ、ショッピングモールが崩壊したものの、魔物による被害だけを見れば逃げ遅れていた一人と無理な突入作戦で怪我を負った魔物従事者数人のみ。それすらも全員、あまり重い怪我では無かった。
要約すれば、法子の行動は全て無意味だったという事だ。いやそれどころか邪魔だった。法子が居なければもっと早く、そして安全に魔王を倒せたはずだったから。
テレビの画面では今回一番の活躍をした二人のアマチュア変身ヒーローがインタビューを受けていた。あの魔法少女と黒い騎士だった。事件直後の二人は疲れた様子だが、笑ってカメラに向かっている。
二人は日本中に顔を知られ(と言っても片方は兜で顔を隠しているけれど)、憧れの対象となる。人々を救った英雄として。
一方で二人の背後では、今まさに逃げ遅れた少女が救急車へ乗せられようとしている。それを見てもテレビを見ている者達はほとんど何も思わない。精々大変だったんだなぁと軽い同情を送る位である。勿論、英雄視なんてするはずがない。
変身が解けていた事を、その少女は幸運だったと喜ぶべきだろう。もし変身した状態でテレビに映り、逃げ遅れた者が変身ヒーローだと知られれば、視聴者からは先走って迷惑をかけた大馬鹿者と罵られていたであろうし、更にその迷惑千万な魔法少女が以前一般人の少年を切った事のある悪党だと分かればもっと強い非難を浴びせられたであろうから。
特に救急車に乗せられる際の、一瞬見せた笑顔に対して。
その時少女は英雄になる夢を見ていた。
その笑顔を嫌悪した少女は、テレビを消して病院のベッドに潜り込んだ。