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魔法少女を夢見ませんか?  作者: 烏口泣鳴
孤独な魔法少女は英雄になれるか
6/14

友は支え、支えが無くば……

 自室のベッドに座り込んだ法子へ、タマが言った。

「切った人間への見舞い? 止めておいた方が良いと思うけれどね」

「でも、このままじゃ後味ばっかり悪いし。ちゃんと私があの魔法少女だって事を知ってもらって謝らないと」

「変身した状態で行くのかい? 言っとくけど、今の君の評価は子供を切ったやり過ぎヒーローだよ? 未だにテレビでやってるじゃないか。変身ヒーローの在り方についてとかそんな題名が付いて。それで病院なんか行ってみなよ。死神が迎えに来たって騒ぎになるよ」

 その言葉に法子は傷ついたという顔をして、沈み込んでしまう。

「いや、一応最後のは冗談だから笑ってほしいんだけど」

 タマの言葉に法子は首を振る。

「ううん、タマちゃんの言う通りだよ。私は今、悪役だし、それで人前に出たらまずいっていうのも分かってる」

「だから、昨日みんなの前に出て高らかに宣言すべきだったんだよ。今からでも遅くないんじゃない?」

 魔物を倒した後、法子は本当に何も言わずに皆の下に戻った。校内に隠れていた生徒達に混じって、さも怖くて隠れていたという風を装って。

 タマには何とも歯がゆかった。どうしたって解決した事を知らしめておいた方が、法子にとって良いはずだから。

 でも法子は拒む。

「私は、陰ながら人を助ける事に決めたの。人前に出るなんて性に合ってないもん」

「まあ、君がそう言うなら良いけど」

 法子だって分かっている。確かにタマの言う通りで、昨日みんなの前に出て自分が倒したと言って、子供を切ったという汚名を僅かなりとも払拭すべきだったのだろう。そうしなかったのは、結局我が儘だ。苦しむ人々を守る存在なのに、自分だけが幸せの絶頂を目指す事は嫌だった。自分が苦しむからこそ、苦しい人を分かってあげられる、助けてあげられる。魔法少女になって苦楽の感情に浮き沈んだ二週間は、法子にそんな考えを閃かせた。

「変身した私が出て行って混乱するなら、変身しないでお見舞いに行って、傷付けちゃったあの子にだけ正体を明かせば良いでしょ?」

「あのね、ああもう、本当に分かっているのかな? その子にとって君は、自分を切った憎い奴なんだよ?」

「分かってるよ。だから謝りに行くんでしょ?」

「だから、そんな奴が来たって嫌なだけで、そもそも謝られたってそんな簡単に許せる問題じゃ無いし」

「でも謝らないと始まらないから」

「切られた方にとっては嫌な気分にしかならないと思うよ。心が軽くなるのは君だけだ」

 法子が何かを思う前に、タマが重ねて伝える。

「私の主の中にも居たよ。人を切って恨まれた者が。村の人を何人も切った。昔、親を死なされた恨みでね。復讐の為だから、自分は何をやっても良いんだと思っていたよ。その後、色々あってね、情勢が変化して彼の心境も変化して、それで彼は村の人に償おうとした。殺される事も覚悟して、何でもするし、何をしてくれても構わないって言って、村人達に自分を委ねた。結果として、彼とその一族はみんな惨たらしく殺されて、彼の痕跡は全部消されて、その上で彼には醜い過去が付け加えられた。正しい英雄に殺される間違った化け物になった」

 部屋の外から声が聞こえる。朝ごはんが出来たみたいだ。

 法子がそれに生返事をする。心はタマの話から逸らせない。

「それでも村の人達の恨みは収まっていないみたいだった。むしろそれまで以上に恨んでいるみたいだった。恨む対象は死んでしまったのにね。とにかく憎くて憎くて仕方無くて、でもどうする事も出来ないから苦しいみたいだった。そうして自分達の境遇を嘆いていたよ。私の主の血に汚れた手で流れる涙を拭ってね。結局、私の主が何をしても、彼等が何をしても、何も変わらなかった。何処まで行っても、私の主は憎い敵で、彼等は哀れな被害者以外になれなかったんだ。この話を聞いてどう思おうと君の勝手さ。あの時の主と君では、状況も心情も何もかも違うから。そのままの事が起きるなんて事は無い。それでもちょっとは感じるものがあって欲しいね」

 法子は静かにベッドから立ち上がって、部屋の外に出た。

 タマの話は衝撃であったけれど、それでも自分の決めた正しいと思う行動を曲げたくはなかった。

「それでも行くよ。タマちゃんの話は良く分かったけど、今のままじゃ、私、英雄なんかじゃなくて、切り裂き魔だもん。助ける人と倒す敵を区別しないと。だからあの子供とそれからあの魔法少女、二人にちゃんと謝らないと私は英雄になんか絶対なれない」

「分かってない気がするんだよね、自分自身が考えた事の意味が。自己犠牲は結構だけど、それで本当に自分を犠牲にしたら、その後は何も救えなくなるじゃないか。私は結構君の事を気に入っているんだ。だから下手な所で立ち止まらないでよ。この前みたいにさ」

「んふふ、ありがとう。でも大丈夫、もう魔法少女を辞めるなんて言わないよ」

 法子が笑顔を浮かべて受け答える。その気安い返事が、タマには不安でならなかった。

 外に出た法子はタマの不安を余所に、真っ直ぐと病院へ向かった。

 病院への道を法子は辛そうに歩いている。

「体が痛い」

 タマが笑う。

「あれだけ大立ち回りをやって今日動けているなら、とても成長しているよ。魔力だってほとんど回復しているし」

 その言葉で法子も嬉しそうに笑う。

「本当? 成長してる?」

「ああ、してるしてる」

「そっか、良かった」

 幸せそうにしながら痛みに顔を顰めている法子を感じながら、タマもまた嬉しくなった。そこでせめて病院に着くまでは明るい話をしようと、先程ニュースで見た話題に切り替える。

「そういえば、良かったな。君の同級生が助かって」

「え? ああ、そうだね。そういえば、さっきニュースでやってたね」

 結局、昨日の魔物の被害は重傷者が二名のみ。一人は法子の同級生で全治二週間。もう一人が生徒を守ろうとして殴り飛ばされた教師、こちらは全治三か月。勇敢な教師の行動は賞賛されると共に、二人のヒーローが助けに来なかったら殺されていただろうと苦言も呈されていた。だから危険な事はなるべく慎む様にと。今後、近辺で更に強力な魔物が出現するだろう事と合わせて、不要な外出は避ける事、まず逃げる事を優先する事、何か会った時はプロに任せる事、と注意喚起が並べられた。

 その他に、逃げる際の混乱で、転んで皆に踏みつけにされた重傷者が一名とその他軽症者が多数。

 少なくとも死者が出なかったのは幸いだ。

 法子がほっと安堵の心を持ったが、タマがそれをぶち壊す。

「あの時は、助かるなんて言ったけど、本当の所どうなるか分からなかったからなぁ」

「は?」

 訳が分からず、法子は手元のタマを見つめた。

「物凄い吹っ飛ばされ方をしていたし、内臓が潰れているんじゃないかと思ったし、急がないと危険だと思っていたんだけど。いや、あの魔女の魔術は凄かったね。あれを治すんだから」

 その瞬間、法子が壁にタマをぶつけた。勢い余って、法子の腕も傷付くが気にしない。

「タマちゃん、何言ってるの?」

 法子が感情を押し殺した声で尋ねる。タマが慌てて答えた。

「勘違いしないでくれよ。あの時、もし君が目の前の悲劇に拘泥すれば、あの学校どころか、町全体が滅ぶ可能性があった。冷静に考えればどちらを選ぶかなんて分かるはずだ。けどそんな事言ったって、あの時の君の天秤に、いや沸騰した人間の天秤に目の前で死にかけている人間の命を乗せたら、反対に何を持ってこようと、目の前の人間の命に傾くだろう? だから、あの時は方便を使わせてもらったんだよ」

 法子の体が震える。それが怒りによるものなのか、悲しみによるものなのかは分からない。

「そんな事言ったって! それじゃあ、タマちゃんは見殺しにしようとしたって事?」

「まあ、そうなるね。でも今言った様に勘違いはしないで欲しいな」

「でもその為に嘘を吐いたんでしょ?」

「本当の事を言ったって君は納得しなかっただろう? まあ、嘘を言っても納得しなかったのは誤算だったけど」

「でも……でもタマちゃんは嘘を吐いてまで見殺しにしようと」

「じゃあ聞くがね、君はあの時あの人間を助けられたかい? 君はあの重体に陥った人間を安静かつ迅速に運びだし、しかるべき処置が受けられる場所まで連れて行く事が出来たかい? あの時はあの魔女が居たから助かったが、そうで無ければ何処かの病院に運ぶ必要があっただろう。あの容態だと早ければ三十分もしないで死んでいたかもしれない。君はあの人間を救えたかな?」

 タマの怒涛の言葉に法子は俯く。

「それは出来なかったかもしれない……けど」

「かもじゃない。出来なかったんだ。冷静にならなくちゃいけない。あの時、君が出来た最善の行動は、一刻も早くあの事態を納めて、医療従事者があの場にやって来られる状況を作る事だった」

 法子はまだ納得がいかない様子で俯いている。

「忠告しておこう。君はいずれ、救う対象を天秤にかける事になる。その時に中途半端な態度をとれば君の心が潰れるよ」

 法子が問う。

「それは私には救いきれないって事?」

 タマが答える。

「君だけじゃない、誰にも救いきれないよ。世界の不幸を全部掬い上げようなんて、無茶な話さ」

 法子が自嘲する。

「私はみんなを救おうとは思ってないよ。私はそこまで人が好きじゃないし。私はただ自分の為に英雄に」

 タマが遮る。

「それでも、英雄を目指せばいずれぶつかるさ。救いたくても救えない、そんな大きな壁に」

「分かったよ!」

 そう言って、法子は再びタマを壁にぶつけた。また勢いをつけすぎて自分の手を傷つける。

「全然納得してないじゃないか」

「タマちゃんの言う事は分かったし、もうその事では責めてない」

「じゃあ、何で」

「タマちゃんが私に嘘吐いたから」

 法子の目から急に涙が溢れ始めた。

「何となくだけど分かるよ。お話でも良く在るから。誰かを救えない葛藤っていうのは。だからそれは良いよ。確かに昨日の私は中途半端で、決めきれなくて、それをタマちゃんが決めてくれたのかもしれない。むしろ感謝する事かも知れない。でもタマちゃん私に嘘吐いたでしょ。それが嫌なの。折角の友達なのに、ようやく昨日仲直りできたのに、それなのに嘘吐くなんて」

 堰を切った様に泣き始めた法子にタマが狼狽える。

「それは……すまなかった。でもそんなに泣く程かい?」

「え? あれ?」

 ようやく法子は自分の涙に気が付いた様子で、袖で拭い始めた。

「なんで泣いてるんだろう。そんな悲しい訳じゃないのに。違うんだよ、これは違うの。自分でも何だか分からない」

「ああ、いや、私も悪かった。そうだな、君はまだ若いし、人を救う道程もまだ歩き始めたばかり。それなのにごちゃごちゃ言い過ぎた。老婆心が働き過ぎたよ」

「違うよ、それはもう分かったもん。納得したし」

 そして法子ははっと顔を上げた。

「分かった。多分、私、今迄友達居た事無かったから、それできっと必要以上に裏切られたと思って悲しいんだ。タマちゃんが居なかった一週間も、嫌で嫌でしょうがなかったし」

 タマは咄嗟にそうじゃないと思った。が、よくよく考えてみれば、その通りかもしれないと思い直した。何にせよ、法子に心労を与え過ぎた。

 法子と出会って二週間。タマに言わせれば、法子は敏感すぎる。何にしても大げさに捉えすぎて、それに心を浮き沈みさせてしまう。それは法子だけが特別なのじゃなくて、この年代の子供はそういうものなのかもしれない。

 二週間、喋る刀と出会い、友達になり、変身して、魔物と闘い、同業者に負けて、人を傷つけ、魔物を倒し、人々を救った。きっとあまりにも密度が濃すぎたのだ。普段から周囲と関わりの無い法子にとっては、この二週間はそれこそ今までの人生に匹敵する位の波に晒されたのかもしれない。

 支えてくれる人が居ればまた違うだろうとタマは思う。その相手として自分はどうだろうとタマは考え、横には並べないと否定する。

 法子はタマを友達と呼ぶし、タマもそれで良いと思うが、友達とは少し立場が違うとタマ自身は思っている。体が無いから困った時に手を差し伸べる事は出来ない。悩みを聞いたって結局タマは数百年前から生きている刀なのだ。十数年生きた程度の人間とは感じ方がかけ離れている。だから法子が悩んだ時に、正しいと思う助言は出来ても、悩みに共感する事は出来ない。

 せめて自分が人型だったらなぁとタマは思う。自分が人型で、法子の精神に寄生するのでなければ、きっとなれただろう。悩みを分かち合い、手を差し伸べられる友達に。

 法子の家族は支えとなる存在だろうかとタマは考え、ならないと断定する。法子にとって家族は安息の場所である。外とは完全に分かたれた聖域だ。だから、法子は外の悩みを決して持ちこもうとしない。学校で孤独な生活を送っている事を法子は家族に黙っている。自分の中に溜め込んでいる。家族はどうやら分かっている様だが、法子から相談してくるまで待つつもりなのか、積極的に突っ込もうとはしない。

 弟はそんな姉を助けようとしている様だが、法子はそれを拒否している。姉と弟という立場の違いや、弟の方は姉である法子と違って学校で上手くやれている事などで、むしろ劣等感を感じてしまっている。だから弟が手を差し伸べようとすればするほど、法子の悩みが深くなる。

 結局立場が違うのだ。だから同じ立場の人間が法子の傍に居てくれればとタマは願う。特にこれから変身ヒーローを続けていくのであれば、更に悩みは増えるはずだ。そんな時に支え合える仲間が居れば。そう例えばあの、

「ねえ、タマちゃん」

「なんだい?」

「さっきから思考駄々漏れだから」

 タマは一瞬思考が真っ白になって、それからおずおずと尋ねた。

「……何で?」

「分かんないけど、いつもより何だかタマちゃんが考えている事が分かる」

 これはやり辛くなりそうだ。

「何を?」

 色々。

「変な事企んでるんじゃないでしょうね?」

「本当に読めているんだ。全く。成長するのは良いけど、変なところで成長しないで欲しいな」

「こっちの勝手でしょ」

 法子が不機嫌に受け答える。

「あのね、タマちゃん。私の傍に悩みを言える人が居ないって言ったけど、タマちゃんが居るでしょ?」

「だから私は」

「タマちゃんに体が無くたって、種族が違ったって、タマちゃんはいつも私を支えてくれる大事な友達だもん」

「そりゃどうも」

 そうじゃない。私じゃ駄目なんだ。

「だから何考えているか分かるから」

「もう、本当にやり辛くなったな」

 タマは道の先を見る。病院が見えた。

 タマは話題を帰る為に病院へ促した。

「法子、病院に着いたけど、心の準備は?」

「まだ、あんまり」

 法子は苦い顔をして病院の門を眺めた。

「今更?」

「だって」

 タマが呆れながらふと気が付いた事を思い伝えた。

「そういえば、何も持ってないけど良いの?」

 法子は理解出来なかった様で、曖昧な思念を返してくる。

「だからさ、お見舞いに行く訳でしょ? 良いの? 準備しなくて?」

「準備って……何? もしかして、謝る為にタマちゃんを使って切腹するとか? その準備?」

「いや、違うよ」

「流石に出来ないよ。確かに謝りたいし、償いたいとは思うけど」

「違うって。ああ、もう良いよ、勝手に切腹してなよ」

「切腹はやだよ」

 法子は出来るだけ人波から離れて病院の玄関へ向かう。見上げる様な白い建物は何だか泰然と乾燥していて、とても中で粘液に塗れた人の生き死にが繰り広げられているとは思えない。

 この中に法子の切った子供が居る。そう思うと、タマは何だか緊張した。一体相手がどんな反応を見せるのか。少なくとも好意的な反応ではないだろう。その反応は法子の心に傷を付けるかもしれない。あるいは実際に肉体を傷つけようとして来るかもしれない。

 その時どうするか。

 百年前は見捨てた。償おうとした主が村人に惨殺された時は、どうなろうと何もするなと言われていた事もあり、本当に何もしなかった。その選択が間違っていたとは思わない。主の希望であればそれを尊重すべきであるし、刀である自分が刀の尺度でもって、人間側の事情に踏み込まない方が良いとタマは思っている。けれど悔しくはあったし、二度同じ事をしたいとは思わない。

 だからどうするか。法子は謝ろうとしている。けれど、切腹はしたくないと言った。負けた犬が勝者に腹を見せる様な全面的な降伏を望んでいる訳ではなさそうだ。きっと法子は良く分かっていないのだろうとタマは思う。きっとどうしていいか分からなくて、分からないなりに何かしようとした結果が、謝りに行くという行為なのだ。何か確固たる意志の下での行動ではない。

 ならば助けたって良いだろう。最悪の事態だけは絶対に避ける。例え何がどうなろうと法子の命だけは。

 法子が玄関を通り抜け、中に入る。人の数が多い。タマは目当ての子供をどう探すのだろうと疑問に思った。

「ああ、でもあそこに並んでいる病院の人間に聞いてみれば良いんだな」

 入ってすぐそこに看護士が並んでいるのを見てタマはそう結論付けたが、法子は否定した。

「赤の他人の私にはきっと教えてくれないよ」

「そうなのかい? 君が人見知りして話し掛けたくないだけじゃなく?」

「それもあるけど……でも教えてくれない」

「じゃあ、どうするんだい?」

「どうしようね」

 法子は受付を過ぎて病院の奥へ進んでいく。だが目的に向かって進んでいる様にはとても見えない。辺りを見回しながらさ迷っている。

 本当に何も考えていなかったのか、こいつ。呆れたが、見つからないならそれに越した事は無い。

「じゃあ、帰ろう。こんなに人が居たんじゃ見つかる訳が無いよ」

「うーん、そういう訳にも」

 そう言って、法子が何気なしに廊下の途中の休憩スペースを見た。そこに居た。

 法子が切った少年がそこに居た。パジャマ姿の少年が点滴を脇に立てて、楽しそうに笑っていた。

 法子の体中から汗が吹き出した。

「ごめん、タマちゃん」

「どうした?」

「やっぱり無理。帰る」

「は?」

 出来れば会わずに帰って欲しいと思っていたタマでさえ、その突然の心変わりに驚いた。

 タマが法子に説教をしようとしたその前に、法子が切った少年と談笑していた人物が法子を見つけて笑いかけてきた。

「あれ? 法子さん!」

 逃げかけていた法子の姿勢が更に一歩退いた。法子に声を掛けたのは、文化祭で法子にシフトの変更を告げた同級生だった。

「法子さんも誰かのお見舞いに?」

 語りかけられたが法子は答えられない。法子の思考は混乱で渦巻いてほとんど停止した様になっている。

「誰? 摩子お姉ちゃんの友達?」

 法子が切った少年が法子の同級生へ尋ねる。

 摩子という名前なのか。とりあえず相手の名前が分かった事で、法子の思考がまとまり始めた。これは絶対に覚えておかなくちゃいけない。

「うん、そう!」

 摩子の元気の良い肯定に、法子のまとまりかけていた思考が再び熱気を孕んで霧散した。法子は同級生と友達になるなど現実に在り得る訳が無いと今までずっと盲信していた。そこへやって来た摩子の友達宣言は、法子にとって地球を丸くした位の衝撃だった。

「ね? 法子さん」

 摩子が同意を求めて来たので、法子は戦慄きながら震えに似た小さな首肯をした。他人からの好意に慣れていない法子は、自分が摩子に何か仕出かしてしまって、それで摩子は何かの仕返しをしようと優しさを見せているのではないか、と本気で疑っている。文化祭でのシフトの変更の延長にあるいじめなんだろうかと本気で心配している。

 疑り深い法子を余所に、摩子は隣の少年を促した。

「純君、ほら、初めてあった人にはちゃんと自己紹介しないと。お母さんに言われてたでしょ?」

「あ、そうだった。初めまして、後藤純って言います」

「あ、えっと、十八娘法子、です」

 純はねごろと呟いて首を傾げた。聞きなれない苗字に戸惑ったらしい。それを横から摩子が補足した。純は感心した様に頷いた。

「摩子お姉さんもそうだけど、二人共難しい苗字だね」

 それを聞いて、法子は自分のクラスに、自分以外で難しい苗字を持った者がもう一人居た事を思い出した。確か五月女という苗字の。目の前の摩子の事だったらしい。名簿に載っていれば必ず目立つ珍しい苗字という関連性が、摩子に対する警戒を少し溶かしてくれた。

「純さんは摩子さんの弟さんなの?」

 法子は何だか浮かれているなと自分の事ながら思った。自分から目の前の相手に世間話を振るなんていう事は生まれて初めてかもしれない。

「さんは変だよ。俺、年下なんだからさ」

「さんは要らないよ。友達なんだから呼び捨てで良いよ。私も法子って呼ぶから。ね?」

 二人が笑顔を浮かべた。

「おうん」

 法子はまともに舌も口も動かず、変てこな答えを返した。

 敬称は要らないなんていう台詞、何だか漫画みたいだ。法子は不思議な高揚を感じていた。

 高揚に促された結果、まるで自分では無いかの様に口が動いてくれる。

「じゃ、じゃあ、純、君と、ま、摩子」

 意味も無く二人を呼んで、照れて、法子は頭を撫でつけた。気恥ずかしい。顔が熱い。何だか悪い事をしている様な気持ちがした。

 それを見て、純と摩子はおかしそうに笑った。

 法子は笑われた事で何かしてしまったのかと不安になった。

「そうそう。でね、私と純君は家族じゃないよ。この前病院で知り合って、それで仲良くなったの」

「丁度、看護婦から逃げてるところでさ」

「すぐ後に捕まってたね」

 ふと今更ながらに自分が切った相手の容体が気になって、法子は不躾に尋ねた。

「逃げてたって、怪我は大丈夫……なの?」

 純は快く答えた。

「うん、お腹に傷があるんだけど、そんなに重い怪我じゃないよ。お母さんは無茶苦茶心配してたけど、お父さんは笑ってた」

「そうなんだ」

 何と答えていいか、法子には分からなかった。目の前の少年は笑っているが、傷つけた当人が笑っていい訳が無い。もしかしたら内心ではとても苦しがっているのかもしれない。その本心のところが気になった。

 いまいち話慣れしていない法子は、回りくどく聞く事など考えず、直截に核心をついた。

「入院、つらい?」

「えー? んー、ちょっと暇かなぁ。ごはんもあんまり美味しくないし。でも塾行かなくても良いのは良い。最近、お母さん、病院にまで宿題持ってくるけど」

 微妙なところだった。心の底から入院に嫌悪している訳ではなさそうだが、やっぱり嫌な事は嫌らしい。

「じゃあさ、やっぱり、その、純君の事を傷つけた魔法少女の事、恨んでる?」

 自分で言った言葉なのに自分で傷ついて、法子の視界が揺れた。緊張で呼吸が荒れて、酸欠気味になっていた。ああ、聞いてしまった。後戻りは出来ない。そう思うと、胃に詰め物をされた様な不快感があった。

 純はしばらく不思議そうに法子の事を見つめていたが、やがてまた笑った。

「全然!」

 明るく言い切った純の言葉が信じられずに、法子は重ねて聞いた。

「本当に? 切られたのに?」

「うん! だってあれ、魔物を倒す為に仕方が無い事だったじゃん」

「そう、だけど」

 純が悪戯を思いついた様な、秘匿と稚気を孕んだ笑いを浮かべた。

「あのね、これ、お母さんには内緒にしてね。俺、変身ヒーローになりたいんだ」

「ヒーローに?」

 純は首を振る。満面の笑顔で。よっぽどヒーローの話題を喋るのが嬉しいらしい。

「そう! それにただのヒーローじゃないよ。みんなに怖がられても、誰にも分かってもらえなくても、それでもみんなの為に闘うヒーローになりたいんだ。みんなにちやほやされてる普通のヒーローより、よっぽどカッコ良いじゃん?」

 その思いを法子は良く理解出来た。何せ、法子が目指しているヒーロー像と全く同じだったから。

「ちょっと変かもしれないけど」

「変じゃないよ」

「本当?」

「うん。だって私も同じ。そんなヒーローになりたいもん」

 純が笑う。

「じゃあ、期待してて。俺がそんなヒーローになったら、法子お姉さんの事も守るから!」

 お姉さんという言葉が何だか気恥ずかしくて、法子は赤面した。うちの弟もこれ位素直で可愛げがあればなぁと思う。

 その時、突然純が顔を顰めた。どうやら傷が痛くなったらしい。

「あ、大丈夫?」

 摩子が気遣わしげに俯いた純を覗き込む。純はそれに笑って答える。

「大丈夫。ちょっと痛かっただけ」

 法子も心配になる。純は法子の顔を見て、更に晴れやかな笑顔を作った。

「本当に大丈夫だから。傷はすぐ治るって言われたし、それにこの傷は勲章だし」

「勲章?」

「そう、怪我は男の勲章なんだよ。この傷は魔物を倒す為の傷だから、だから誇りに思えってお父さんも言ってたし」

「そう、なんだ」

 それは法子には理解出来ない観念ではあったけれど、でも、法子はその少年の言葉に、安堵して、心が軽くなって、情熱が湧いて、頑張ろうと思った。頑張ってみんなを救おうとそう思った。

「あ、純君! こんなところに居た」

 三人が声のした方を見ると、看護士が一人、誰も乗っていない車椅子を押していた。

「まだちゃんと直ってないのに出歩いて、駄目でしょ」

「あーあ、見つかっちゃった」

 純は残念そうに呟いて、立ち上がった。

「怪我、早く治したくないの?」

「はーい、ごめんなさーい」

「もう」

 看護士に促されて車椅子に乗って、純は摩子と法子に手を振った。

「じゃあね、楽しかった」

 そうして、何だか恥ずかしそうに口ごもってから、

「また来て話してくれると、嬉しい」

 そうして看護士に押されて、去っていった。

 残された法子は、急に摩子と二人っきりにされた事で気まずくなった。なのですぐにその場を離れる事にした。

「じゃあ、あの、私もそろそろ、行くね」

 そう言って背を向けて去ろうとした時、摩子が嬉しそうに言った。

「うん、じゃあ、また学校でね」

 法子は思わず振り返って、摩子の顔をまじまじと見つめた。摩子の顔に浮かんでいる屈託のない感情を見て、法子の喉の奥から感慨深い何かがせり上がってきて、法子は思わず泣きそうになった。それを必死でこらえて、鼻声になった事に気付かれない様、出来るだけ小さい声で短く答えた。

「うん、また」

 そう言って、早足で別れた。


「良かったじゃないか、向こうは恨んでいなくて」

 病院を出て、ショッピングセンターに直通するバスに乗り込んで、人心地ついた法子に向かってタマが笑って言った。

「うん」

 病院に行って良かったと法子は同意する。これで罪が償えた訳ではないけれど、それでも少年に行為を肯定された事で心がとても軽くなった。

「でも結局謝らなかったんだね」

「う」

 痛い所を付いてくる。

「だって隣に摩子さんが居たし」

「まあね」

「それに何ていうか、言っちゃまずかったと思う」

「そう? 向こうは恨んでいない様だったけど」

「そうじゃなくて、私があの時のヒーローだって分かったら、きっとがっかりしただろうから」

「そんな事無いと思うけど」

 法子の劣等感は根深いなとタマは残念に思った。あの少年に肯定された事で一気に明るくなってくれないかと期待したのだけれど。

「まあ、何にせよ、病院に行って良かったね」

「うん」

「友達も出来て」

 法子が仏頂面になる。

「意地悪」

「え? 何で?」

「何でも。ねえ、ちゃんとしてたかな? 変な事してなかった?」

 タマには法子の不安がいまいち分からない。

「変な事って?」

「何かこう、嫌われる様な事」

「してなかったと思うけど」

「本当に?」

「うん、多分」

 タマが曖昧に返す。

「あー、大丈夫かなー。嫌われてないかなー」

 何で悩んでいるんだろう。タマには全く理解出来ない。きっと法子が良くやる杞憂なんだろうと思って、タマは明るく言った。

「大丈夫だよ」

 法子がおずおずと尋ねる。

「本当に?」

「ああ。それに過ぎた事を悩んでも仕方が無いだろう」

「そっか……そうだよね」

 その途端、法子の思念がぱっと明るくなって、今の悩みは何だったのかと思える程、喜びに満ち溢れた。

「あんまり気にしない様にしよう!」

「そうそう」

「折角タマちゃんが行きたがってたお店に行くんだしね」

「そうそう」

 同意してから、タマはどういう事かと不思議に思った。何がどう折角なんだろうか。それに、行きたがっていた店?

「行きたがっていた店って、もしかして国内最大の魔術専門店の?」

「そう、そこ! アトランだっけ?」

 タマは一瞬思考が遠ざかり近付いては遠ざかる様な錯覚に陥った。振り子の様に揺れ動く掴めそうで掴めない思考をようやく掴み取った時、タマが法子に短い強烈な思念を伝えた。

「え!」

「えって何?」

「いやだって、え? 本当に? 何で急にそんな」

「何でって、分かんないけど、何となく、嬉しくて」

 タマは更に追求したい気持ちもあったが、法子の思念のトーンが落ち始めた事に気が付いて、これ以上言い重ねるのを止めた。今は素直に喜ぶべきだ。

「うん、私も嬉しいヨ」

「何だか凄く腹立つんだけど」

 バスが止まり、ショッピングセンターに着いた。


 ショッピングセンターに降り立ってタマはまず人の多さに驚いた。こんなに沢山の人間がごった返す場面を今まで見た事が無かった。

 実際のところ、日曜日にしては客の入りが随分と少なかった。というのも連日の魔物騒動で近辺に強力な魔物の到来が予想されていたから。それでもタマにとっては、そして法子にとってもこんなに大勢の人間の最中に紛れ込む事は初の体験だった。

「ちょっと酔ってきた」

 人ごみの中を歩き始めて早速法子は気分が悪くなる。

「大丈夫かい?」

 だが今更戻ろうにも法子に人の波を掻き分ける力は無く、流されていく事しか出来ない。入り口は遥か後ろである。

 更に歩くと人波が三つに分かれた。ようやく人との間に隙間が出来て、法子はまばらになった人波の合間を抜けて壁に寄りかかった。

「本当に人が多いね」

「大丈夫かい?」

「うん、何とか」

「しかし沢山店があるな。場所は分かるのか?」

「うん。事前に調べておいたから。一番上の階の、って言っても二階しかないけど、その真ん中に噴水があるんだけど、その近く」

 法子は壁を離れて再び歩き出した。エスカレーターに乗って二階へ上り、更に奥へ進んだ。丁度ショッピングセンターの中央まで来ると、そこに大きな噴水があった。

「もうちょっとだよ」

「大丈夫かい?」

「う、うん。頑張る」

 少しずつ足取りの重くなってきていた法子だが、何とか力んで先へ進もうとした。

 ふと視線の先、噴水の一角に黒い影が立ち上った。何も無い所から、突然現れた様に見えた。

 何だろうと思っていると、タマの叫びが聞こえた。

「まずい! 逃げろ! ここを離れろ!」

 法子はぼんやりと影を見つめ続けた。影は段々と人型になって、何だか揺らめいている。

 影の周りに居た人々がその影に気が付いて、驚いて、叫び声を上げて、逃げ始めた。それが連鎖して、辺りの人々が一斉に噴水から駆け離れる。

 法子はそれでもぼんやりと影を見ていた。

「おい! 法子! 早く逃げろ!」

 影は段々と大きくなって、それが人位の大きくなると、顔の辺りにぽっかりと穴が開いた。

 あ、ヤバいなと思って、現実感の無いままに逃げようとした。けれど法子が逃げる前に影のぽっかりと空いた口に光が集い、それが放たれた。法子に向かって。

 その光が法子の直前に迫った瞬間、法子の目の前の空間が歪み、光を抑え込む。そうして光が破裂して、辺りに炎と爆音が広がった。

 そこでようやく法子の頭が現実に追いついた。

「な、何? 今の」

 困惑する法子はいつの間にか魔法少女に変身していた。

「何とか間に合った。良いから、法子逃げるぞ」

「タマちゃん、あれ何?」

「魔王だよ、魔王。遂に現れたんだ」

 炎の向こうに、更に大きくなって天井に付こうとする影とその周りに生み出された沢山の魔物が見えた。

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