法子Bside 今日のまとめ
法子は病院へ帰る途中、ふと思い出して民家の屋根の上で立ち止まった。
そう言えばあの魔界の王子の事を忘れていた。
感覚を研ぎ澄ませてみるが何処からもあの魔力を感じ取れない。さっきまではあれだけ強烈に感じていたのに。
「タマちゃん、魔王の息子は」
「分からない。また明日だね」
残念な気持ちが湧いた。けれど自分でもどうして残念に思ったのかは分からない。魔王の息子の事を恐ろしいと思うのに、出会わない方が良いと思っているのに、どうして会えなかった事を残念に思うのだろう。
少し考えて法子は溜息を吐いた。
きっと自分は物語の役柄から外れた事を寂しく思っているのだ。
魔王の息子。当然町中の騒動に関わっていない訳が無い。学校で出会った死体を操るあの男もきっと仲間だろう。魔王の息子はこの町中で起こっている事件の中心に居るはずだ。 その中心と関われなかった。だから渦中から外れてしまった様な気がして寂しい思いが湧いたに違いない。
法子はそんな自分の感情を醜く思う。大変な事が起こっているのに楽しんでいる。自己中心的な欲望だ。そんなのは憧れたヒーローではない気がした。
憧れたヒーロー。学校で助けてくれた二人組の男女。あの二人はきっと自分と違ってこんな醜い事は考えない。人々を守る為に一心に頑張るに違いない。
きっとこの町で起きている異変もあの二人が解決してくれる。人知れず、けれど誰よりも確かに、何が起ころうとも解決してしまう気がする。そう考えるとやっぱり自分の役どころ等無い。自分は魔法少女となって何が出来るか考えると何も出来ない気がした。変身しているだけ無駄な気がした。これなら、やっぱりあの時の夢が本当で、死んでしまっていた方が良かったんじゃないか。
胸の内に圧迫感を覚えて、思いっきり溜息を吐きながら下を向く。
どんどんと嫌な気分が湧いてくる。
それをタマが遮った。
「あのねえ、君は本当に。もう少し前向きになろうよ。さっきみたいにさ」
「だって」
「だってじゃない。良いかい? 君の……あれ?」
タマの訝しむ様な思念に法子も視線を上げ、そして呟いた。
「あれ?」
視線の先の道路に居るはずの無い人影を見て法子は思わず声を漏らした。
四葉が歩いていた。難病を患って入院している四葉が。そんな筈が無いと思っても、現に四葉はそこに居る。病院のパジャマを着たまま裸足で歩いている。
「何してるんだろう」
「分からない。でも様子が変だ。声を掛けてみよう」
「うん」
屋根から飛び降りて四葉の前に着地した法子は行く手を遮る為に両手を横に伸ばした。そうして四葉の名前を呼びかけて、慌てて口を押さえ、それから出来るだけ平坦な声音で尋ねた。
「何をしているの?」
四葉の足が止まる。俯いている。
何の返答も無い。
「何をしているの?」
もう一度聞いた。
すると四葉が顔を上げた。その目を見て法子は思わず口を引き結んだ。
四葉の目は何も見ていなかった。感情の籠っていないただの眼が眼窩に嵌めこまれている。まるで人形の様に。
自分の体に寒気が走るのを法子は感じた。
学校での死体を思い出す。彼等も人形にされていた。
まさか四葉ちゃんも?
慌てて法子が四葉の手を取ると、四葉の体が崩れ落ちる。それを慌てて支える。
「良かったね」
タマの安心した思念に法子は思わず聞き返す。
「え?」
「その子、生きているだろ。温かい」
法子は四葉から感じる体温を確かめて安堵で息を吐いた。
確かにそうだ。少なくとも死んでは居ない。
けれどどうして? どうしてこんなところに、着替えもせず裸足で?
「タマちゃん、分かる?」
「私にも全く」
「何でだろう」
不思議に思いながら、四葉を経たせようとして、そこで気が付いた。
その体温がやけに高い事に。
「四葉ちゃん?」
四葉は答えない。力無くもたれかかってくる。
額に手を当てる。酷く熱い。
法子の呟きが漏れる。
「嘘」
四葉は発作で突然体が動かなくなるのだという。もしかして今まさにその発作が起こっているのだろうか。
法子はもう一度四葉の額に手を当てる。熱い。
「どうしよう」
良く分からないけれど発作が起こったのなら危ないんじゃないかと思った。けれどどうして良いのか分からない。
「四葉ちゃん?」
返答は無い。
「四葉ちゃん!」
返答は無い。
埒が明かない。
「何で、どうして。どうすれば」
「法子」
魔法少女なのに。魔法少女になったのに、自分には何も出来ない。
せめて自分が回復魔法でも使えればと思うが、勿論そんなもの使えない。ピエロに傷つけられた同級生を前にしてどうする事も出来なかった過去を思い出した。
また何も出来ない。あの時はもう一人の魔法少女が助けてくれたけれど、今は居ない。助けてくれる人は誰も居ない。
「タマちゃん! どうしよう!」
「法子、まず落ち着けって!」
「どうしよう、ねえ、どうすれば良いの?」
法子は泣きそうになりながら、四葉を抱き締め、どうすれば良いのか考える。かつて同級生を見殺しにしようとした時、もしも同級生を助ける事を第一にするのならどうすれば良かったか。どうすれば目の前の人を救えるか。
送られてくるタマの思念にも気が付かず、法子は気が遠くなる様な思いで必死に頭を悩ませ、そしてあまりにもあっさりと当たり前の結論に思い至った。
「そうだ。病院に運べば良いんだ」
「だから、さっきからそう言っているだろう。この前の時とは状況が違うんだから。倒さなくちゃいけない敵なんて居ないし、怪我をしている訳でも無いんだから動かせる」
「うん、じゃあ救急車を」
「それより、君が運んだ方が速い」
「え?」
「君が運ぶんだよ。速く!」
「う、うん」
法子は四葉を抱き上げた。
そして走る。一歩で助走を付け、二歩で高く跳び、屋根を跳び継いで病院へ向かう。出来るだけ四葉に負担を掛けない様に注意しながら、出来る限り速く病院へ運ぶ。
そうしてあっという間、一分と経たずに病院へ辿り着いた法子は、夜間入り口に駆け込んだ。受付には事務員といつも法子の様子を見に来る看護師が居た。二人は駆け込んできた法子を見て驚き、その腕に抱えられた四葉を見て更に驚いた。
看護師は四葉へ駆け寄ると、振り返って事務員に令を下した。
「連絡! それから先生を呼んできて! すぐそこで休憩してると思うから!」
事務員は慌てて電話を掛け、何処かへ何か伝えると、急いで廊下を駆けて行った。
一方、看護師は法子を促してベンチに四葉を横たえさせると、法子に言った。
「ありがとうございます。後はこちらで対応しますから」
「あの、大丈夫なんですか?」
「ええ、大丈夫です。後は任せてください」
看護師が力強い笑顔を作った。法子は何となくその笑顔に気圧されて引き下がる。
「あの、それじゃあ、お願いします」
「はい」
看護師に背を向けて入り口に戻ろうとした時、看護師の声が背から響いた。
「ああ、巫女様。御元気になられまして」
まるで老婆が幼子をあやす様なねっとりと甘ったるい呼びかけに、法子は思わず振り返る。
すると看護師と目が合った。何となく背筋に寒気が走る。
「大丈夫ですから。信用してください」
そう静かに言われて、法子は何となく怖くなって慌てて外に飛び出した。
冷たい中庭に飛び出した法子は息を吐いて呟く。
「何だったんだろう、今の」
「分からない。聞き間違い? いまいち意味が分からなかったけれど」
法子は頭を悩ませる。
けれどそれをタマが止めた。
「後で考えれば良いよ。それよりあの子は無事なんだろうし、病室に戻ろう。ここで働く人間達があの子の異変に気がついていなかったって事は、意味が抜けだしていた事もまだばれていないんだし」
「あ、そっか」
法子は急いで病棟を周って自分の病室の窓を見つけると、跳び上がって器用に窓枠に着地し、静かに病室へ入り込んで、変身を解きながらベッドに戻った。
疲労を吐き出しながら、四葉が無事な事を祈る。
「無事だと良いね」
「ああ、そうだね」
「看護師さんが大丈夫って言ってたから大丈夫だよね」
「恐らくね」
大丈夫であって欲しいと思う。
けど、さっきのあの言葉。
何か場にそぐわない事を言っていた。それに声音も違っていた。まさか幽霊か何かだろうか。実は看護師が化物であったり。
暗い病室でそんな事を考えてしまったので寒気を感じた。ベッドに潜り込むと、まだ冷たいけれど、外気よりは温かい。
能々考えてみればただの空耳だったのかもしれない。
布団に包まれて何となく安心した法子はそう考えて目を瞑った。
多分自分はおかしくなっている。
死体を操る男に人形にされかけ、それを二人のヒーローに救われて、そうして四葉が危なくて、そういう大変な事があったから、気が昂ぶっている。だから変な想像をしてしまうんだ。
しばらくすると病室のドアが開いた。
法子が頭を出して様子を伺うと、電気の点いた眩しい病室の中、さっきの看護師が四葉を抱いてベッドに歩み寄っていた。看護師が法子に気が付いて目を見開く。
「あれ、法子ちゃん、起こしちゃった?」
「あ、はい、すみません」
「ごめんなさい。ちょっと四葉ちゃんが発作をおこして。もう大丈夫だけど」
大丈夫という言葉に法子は安堵する。
それに看護師もいつも通りで、おかしなところは無い。やはり杞憂だった。
「それじゃあ、お休み」
四葉を寝かせた看護師は電気を消して出て行った。
一気に明度の落ちた病室の中で、法子は四葉を見つめる。
良かった。無事だったんだ。
勿論自分だけの力では無いけれど、助けられた事が誇らしかった。
「ただ病院まで運んだだけだけど」
「けれど君が居なければ、あの子は大変な事になっていた」
タマが嬉しそうに伝えてくる。
「君が救ったんだ」
「うん」
それは魔王を倒すだとか世界中を幸せにするだとか、そういった偉業と比べればほんの些細な事かもしれない。でも法子にとってそれは第一歩に思えた。初めて人の役に立てた気がした。
これは初めの一歩。あの二人のヒーローの様にみんなを救う英雄になる為の。
何となく自分が凄い事をしてしまった気がして、熱くなった胸を抑えながら、法子はベッドに倒れ込んだ。