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魔法少女を夢見ませんか?  作者: 烏口泣鳴
孤独な魔法少女は英雄になれるか
1/14

変身! 魔法少女!

 十八娘法子にとってその日その時までは何の変哲も無い日常だった。毎日毎日一人で学校へ向かい、一人で学校を過ごし、一人で家に帰る。そんな法子にとっての当たり前の道程がその瞬間を境に突如として変転する。

 道端に蹲る小さな生き物。子猫の様な、けれどそうじゃない、か弱い生き物が蹲って震えていた。

 法子はそれを見て立ち止まる。

 そんな姿を見て見捨てる事が出来るだろうか。

 幾ら小さくても野良の生き物、ばい菌を持っているかもしれない。そう思う。思うのだけれど、見捨てる事なんて出来る訳が無かった。

 蹲る生き物の傍に屈みこんで、手を伸ばす。

 反応がない。怪我でもしているのか。

 法子が顔を近づけると、ぐぐと地の底から響く様な低音がその生き物から聞こえてきた。

 嫌な予感が背筋を撫ぜる。

 蹲る生き物が顔を上げ、手を伸ばした法子と顔を合わせた。

「え?」

 法子の口からか細い息が漏れる。

 その生き物は紫色の目をしていた。犬の様な小さな体。その内で何かが暴れているかの様に皮膚のあちこちが押し上げられ、その身が変じる。唸り声、軋る歯、凶暴な眼。

 魔物だ。

 法子は咄嗟にそう判断して、慌てて立ち上がり身を引いた。魔物は人を襲う。そのほとんどは風の悪戯の様な些細な事しか出来ないけれど、そうでないのも居る。それこそ人を殺してしまえる様なのも現れる。

 魔物に出会ったらどうすれば良いのか。子供達は周囲の大人達から何度も何度も聞かされている。

 逃げろ。

 逃げて大人の居る所へ行け。

 法子は親から言われていた通りに魔物から逃げる為に駆け出したが魔物の足は早く、疾風の様に襲い掛かられ、あっさりと押し倒された。痛みに顔を顰めて這いずりながら振り返ると、目の前にゴムの様に伸びて大きくなった口が迫っていた。

 殺される。そう思った。しりもちをついたまま後ずさるが、当然逃げられない。魔物はまるでいたぶる様に少しずつその口を近付けてくる。

 殺される。再度そう思った。その瞬間、力が湧いて弾かれた様に立ちあがり魔物から少しでも離れる為に駆け出そうとして──すぐさま魔物に飛び掛かられて、また倒れた。地面に顔を打ち付ける。痛みに呻く。何とか逃げようと法子が振り返ると、その顔を魔物の足に押さえられた。

 嫌だ。

 暴れて何とか逃げようとするが、魔物の力はそれを許さない。幾ら暴れても魔物はびくともしない。

 死にたくない。こんなところで一人ぼっちで死にたくない。

 死にもの狂いで暴れても魔物の下から逃られない。それどこからすぐに疲れて動けなくなった。

 法子は背後から吹きつけられる魔物の息遣いに震えて涙を流す。逃げれられない。抵抗も出来ない。ただ嗚咽が漏れる。背面に異常な熱を感じた。噛まれた。そう思って振り返る。

 噛まれていない。魔物も居ない。見回すと、離れた場所で魔物が横たわっている。

 法子が呆然としていると、何者かが目の前にふわりと軽やかに着地した。丈の短いドレスの様な真白い衣装を着て、頭に奇妙な髪飾りを付け、肩に猫の様な生き物を乗せた女の子が法子に向かって手を差し伸べて笑いかけてきた。

「怪我はない?」

 法子が呆けていると、女の子は法子の体を見回して、

「ああ、ちょっと擦りむいてるね」

そう言って、手に持っていたステッキを振った。たちまち法子は光に包まれて、一瞬後には傷が全て消えていた。

「これで大丈夫」

 女の子は法子に背を向け、魔物を見据えて、そうして親しげに笑う。

「君も怖かったんだよね。だからこんな事をしちゃったんだよね」

 諭す様にそう言ってステッキを構えた。

「今帰してあげるから」

 ステッキが振るわれる。魔物の足元に光の円が描かれた。もう一度ステッキを振ると円周から光の蔦が地面を這って一瞬の内に複雑な模様を描き、更に蔦が持ち上がってまるで魔物を包み込む様に複雑な立体模様が描かれた。更にもう一度少女がステッキを振るう。爆発的な閃光が起こった。光が収まった時には魔法円も魔物も消え去っていた。

 法子はそれに驚いて、女の子の横顔を見上げる。

「あなたは誰?」

 思わずそう聞いていた。瞬く間に魔物を消し去った少女は一体何者だろう。まるで良くニュースで報道されている魔物から人々を救う魔法少女みたいな。

「私? 私は──」

 一瞬言葉が途切れ、顔を赤らめてから、「名乗る程のものじゃございません!」大きな声でそう言い切って、少女は跳躍して民家の屋根の向こうに消えていった。

 すぐに世界はしんと静まって、一瞬前の事が嘘の様に辺りは平穏な日常に戻っていた。空は暮れに向けて少しずつ熟れ始めていた。

「魔法少女に助けられちゃった」

 虚ろな表情で呟いた法子はゆっくりと立ち上がり、危なっかしい足取りですぐそばの小さな公園に向かった。そこは丁度生活圏から乖離した奥まった場所。人の通らない道に囲まれ誰も来ない。ある時偶然見つけてからお気に入りの場所となっていた。

 今日もまた古びたブランコに腰かける。表情こそぼんやりとしているが、心の中が興奮で荒れ狂っていた。魔物に襲われ命を失いそうだった事。初めて変身ヒーローを見た事。そのヒーローに助けられた事。何だかファンタジーの世界が自分の身近に迫っている気がした。

 頭の中に次々と妄想が湧いてくる。魔法少女。変身ヒーロー。喝采。人々の尊崇の眼差し。想像の中で法子は魔法少女になって先程の魔法少女と共に強大な敵を倒してみせた。

 寒風が吹く。妄想に耽っていた法子は身を震わせて現実へと立ち返った。そして公園の隅の生垣の下に何かが落ちている事に気が付いた。

 刀──の様に見えた。

 でもまさかこんなところに刀がぽんと落ちている訳が無い。見間違いだ。そう思いながら何度か目を瞬かせてみたけれど、刀の様なものは確かにそこにある。近寄ってみる。どこからどう見ても刀の形をしていた。期待と好奇心に湧き立ちながら触れてみると、金属で出来た硬質で冷たい感触が伝わって来た。

「君が私の主か」

「ひえ」

 頭の中に突然声が流れてきて、法子は思わずしりもちをついて、辺りを見回した。だが辺りには誰も居ない。普通の人であれば辺りをもっとよく探すところだが、法子は違った。今迄見てきたフィクションの知識からすぐさま声の正体は刀であると見当づけて、今度は勢いよく刀を掴んだ。

 その瞬間、刀がぽんという炭酸を抜いた様な音を立てて法子の指先に乗る位に小さくなった。

「どういう経緯で私を手に入れたのか知らないが、まずは自己紹介から始めよう」

 再び頭の中に声が流れてくる。やっぱりこれは普通の刀じゃない。

「あなた刀なの?」

 法子は試しにそう思い浮かべてみた。

「その通りだけれど、もしかして君は私の事を良く知らないのかな?」

「まるっきり」

 刀が笑った──そんな印象が流れこんでくる。

「まるっきり知らないのに、そんなに慣れた様子で私と話しているのか。時代は変わったな。魔術が開陳されたとは聞いていたが、ここまで慣れ親しんでいるとは」

「多分、私が特殊なだけ。漫画とかであなたみたいな存在には慣れてるから」

「ほう。良く分からないが、君は何か特殊な役職にでもついているという事かな?」

「そういう訳じゃないんだけれど」

「とにかく説明の手間が省けるのは助かる。では早速だ。誓いを交わそう」

 法子の思考よりも先へ話を持っていこうとする刀に驚いて、法子は掌に収まった刀を強く握り、頭の中で必死に刀を押し止めた。

「待って。私が知ってるのは、あなたみたいに無機物が頭の中に語りかけてくる可能性だけ。あなたがどんなものなのかは、さっき言った通り何にも知らないよ」

「なら説明しなくてはならない訳か?」

「うん」

「そうか。私はどうにもこの最初の邂逅が苦手なんだが」

 何やら愚痴りつつ、刀は面倒そうに聞いてきた。

「何から話せばいいかな?」

 そう聞かれて、法子は考える。こういう時漫画とかだと過去の話が入ったりする。あるいは突然魔物に襲われて分からないまま闘ったりもする。

 とりあえず辺りを見回してみて、不穏な気配も人の姿も見えない事を確認してから、法子は言った。

「それじゃあ、あなたの目的とあなたが私に何を求めているのかとそれに対して私が何をすればいいのかを教えて」

 一体どんな事を要求してくるんだろう。何か無茶な事を言われるかもしれない。魂を差し出せと言われたらどうだろう。だってこんなにも不思議な存在に出会えたのに向こうから何も要求してこないだなんて、そんな美味しい話がある訳無い。まして自分なんかに。そんな風に自虐しながら刀の返答を待つが中々返ってこない。どうしたのだろうと訝しんでいると、刀が賞賛をあげた。

「素晴らしいな。こういう時、大抵の人間は混乱して面倒な事になるんだが、君はとても冷静に事態を把握しようとしている」

 素直な賞賛に法子は何だか恥ずかしくなった。考えてみれば褒められたのは久しぶりだ。歯がゆかった。照れ隠しにぶっきらぼうな口調になる。

「そんな事より、私の質問に答えてよ」

「ああ、そうだったな」

 刀の言葉が頭に流れてくる。

「君に求めているのは魔女になって貰う事だ」

「魔女?」

「魔女だ。抵抗があるかね? まあ、そうだろう。迫害される身だ。だが本来魔女というのは人を救う身であるという事だけは知っていてほしい」

 刀の言葉は法子の頭の中を素通りしていった。法子はまさかという期待で一杯になっていた。まさか。まさか。だが早とちりはいけない。そう、まだ分からない。まだ魔法少女になれるとは限らない。

「魔女って言うのは、魔女?」

「何を言いたいのか分からないが、強大な魔力を持つ女性くらいのイメージで良い」

「魔女になるって言うのは、もしかして悪魔と……そのエッチするの?」

「いや、そんな事はしない。どうも魔女はあの暗黒時代に作られたイメージが強くていけないな。魔女になるのはとても簡単さ。私を携えて、魔女になると願えばそれだけでなれる」

 法子の心臓が跳ねた。これは。

「魔女になって何をさせたいの?」

「それは君の勝手だけれど、そうだな、人助けでもしてくれれば言う事は無い」

 まさか。

「黒いローブを着て森の中に住むの?」

「それは君のイメージに因る。もっと言えば、私の来歴と君の魔女に対する想像が混ざり合った形になる」

「変身するって言う事?」

「まあ、そうだね。そんな劇的な変化はしないけど。精々髪型や服装が変わる位だな。絶世の美女にはなれないから期待はし過ぎないでくれ」

 何となく失礼な事を言われた気もするけれど、法子にとってはそんな事もうどうでも良かった。

 やっぱりだ! やっぱり変身ヒーロー、魔女っ娘、魔法少女になれるんだ!

「変身ヒーローか言い得て妙だな」

 法子の思考を読み取って刀が答えた。確定だ。魔法少女になれる。

「その魔法少女というのは良く分からないな。今の時代は皆魔法が使えると聞いていたが」

「そういうんじゃないの。魔法少女は魔法少女なの。変身して人を助ける正義の味方なの!」

 法子の興奮した言葉に刀は当てられた様だった。思念が弱々しく辟易している。

「まあ、良い。喜んでくれたのならね。どうだい? その魔法少女とやらになる為にも、私と誓いを交わさないか?」

「交わす交わす!」

 法子が大きく首を振ると、刀から笑う様な気配が伝わって来た。

「では誓ってもらおう」

「誓います!」

「早いよ。良いかい? 魔女とは迫害される存在だ。それでも君は魔女となり魔女として生きる事を誓えるかい?」

 何だそんな事か。刀は今の世の中をあまり知らない様なので勘違いしている。そう今の魔女は、魔法少女は、皆から好かれ愛され望まれる人気者なのだ。全くもって迷う必要が無い。例えどんなに落ちこぼれた駄目人間だって、変身すれば素晴らしい英雄に変われるのだ。

 法子はそう考えてにんまりとして答えた。

「勿論誓います」

「そうか」

 法子は喜び勇んで刀を握りしめた。

「どうしたら変身できるの? 早く変身したい」

 そう思念を伝えた時、

「なあ、そこで座り込んでる奴」

背後から声が掛かった。

 慌てて振り向くと、そこに背の高い男子が居た。法子の見たところ、年頃は法子より少し上。整った顔立ち。法子の鞄を持っている。

「さっきからぶつぶつ呟いていたけど大丈夫? あとこの鞄、向こうに落ちてたよ」

 法子の全身に冷水が浴びせられ、今までの興奮が一気に冷めていく。

 刀が何か言っているみたいだが法子には聞こえない。

 法子は絶望的な表情を浮かべ、じっと男子の呆れた様な視線を受け止める。

「さっきから魔法少女だとか変身だとか、演劇か何かの練習?」

 男子から差し出された鞄を受け取って、自分の体中から冷や汗が噴き出ているのを感じた。

 今まで自分が如何に恥ずかしい事をしていたか。誰も居ない空間に向けて一人でぶつぶつと変身したいだとか誓うだとか呟いて、時たま叫んでいた。

「あの」

 何とか言い訳しようとするが、口から言葉が出てこない。頭が混乱しきってまともに働かない。

 男子はやがて背を向けて公園の出口へ向かって歩き出した。

 恥ずかしくて死にそうだった。唯一の救いはその男子とは全く面識が無く、恐らくこれからも会わないだろうという事。今この場が過ぎれば、この恥ずかしさは過去に変わって、事ある毎に思い出しては恥ずかしさに悶えるだろうけれどこれ以上恥ずかしくなる事は無いという事。

 法子が顔を真赤にしながら男子を見送っていると、

「ああ、一つ良いか?」

 男子が突然振り返った。

「まあ、演劇の練習も良いけどさ。流石にエッチするとかそういうのは外で言わない方が良いんじゃない?」

 そう言って笑った。

 法子は何も言えずに硬直して、再び男子が背を向けて公園の外へと出て行く様子を見送った。男子が消えて、その足音も聞こえなくなってから、しばらくして法子は思いっきり息を吸い込んで、

「にぎゃあ!」

夕闇の中に悲鳴を木霊させながら家へと猛ダッシュしようとして、その場で転んだ。

「おいおい、大丈夫かい?」

 刀が心配した様子で尋ねかけてくる。

「無理。立てない」

 法子がそう言うと、少しして刀が安堵した様子の思念を伝えてきた。

「何処も怪我なんかしていないじゃないか。体に異常は無いよ」

「力が入らない。胸が痛いし。死んじゃう」

「ちゃんと調べたけど、何処もおかしなところは無いよ。大丈夫。さあさ、主殿、冗談は止めて立ち給え」

「本当に痛い。絶対立てな」

 そこで突然法子の言葉が途切れた。

 刀が不思議に思って問い尋ねる。

「どうした?」

 すると法子がゆっくりと立ち上がりぽつりと呟いた。

「今、調べたって言ったよね?」

「ああ、だから安心すると良い。体には全く異常が無いよ。現に今、君はあっさりと立てただろう?」

「どうやって調べたの?」

「君と私は既に一心同体だよ? 自分の体の事位、分かるに決まっている」

「それはつまり、私の体の事が筒抜けになってるって事?」

「ああ、その通り。君の体の事は全て分かる。だから安心して」

「にぎゃあ!」

 刀は投げ飛ばされて遠くに落ちた。法子はそれを追って地面に落ちた小さな刀を拾い上げ、思いっきり顔を近付ける。

「あ、あんた」

「何をするんだ一体。痛くはないが、良い気はしない」

「この変態! 馬鹿!」

 矢継ぎ早に浴びせられた罵詈に刀は訳が分からずに混乱した。

「いきなり何を? 酷く悪い意味に聞こえるが、もしかして最近はそれが謝罪の言葉になったのか?」

「うるさい! 馬鹿! あんた、ホントに最低」

 法子の怒りは収まらない。だが刀にはその怒りが何に端を発したものか分からない。

「ちょっと待ってくれ。どうしたんだ急に」

「私の体」

「は?」

「私の体、弄んだでしょ!」

 突然叫んだ法子の態度に、刀はますまず意味が分からずに混乱した。

「待ってくれ。何か勘違いしていないか? 恐らく君は自分の体が私に乗っ取られてしまうのではないかと危惧したのだろう? なら大丈夫だ。私は体に乗り移るのではない。知覚が流れこんでくるといった表現が近い。主は君。従が私だ。だから」

 そこで刀の言葉が途切れた。正確には尚も思念を伝えようとしたのだが、投げ飛ばされて体を離れた事で法子へと思念が伝わらなくなった。地面に落ちた刀を再び法子は拾い上げて問い質す。

「あんた、女? 男?」

「え? いや、私は刀だし、子を為す必要も無いし、性別は無いが」

「じゃあ、タマちゃんは女!」

「誰?」

「なに言ってんの。あんたの事だよ、タマちゃん!」

「いや、は? もしかして私の名前とか抜かす気じゃないだろうな?」

「あんたの名前だよ、タマちゃん!」

「やめろ、連呼するな。私は今迄無銘で通して来たんだ。名前なんて要らん!」

「駄目! あんたはタマちゃん。とっても可愛い女の子。そうじゃなかったら許さない」

 刀は一歩も引く気が無い法子に愕然として、しばらく黙り込んだ。そうして考えに考えあぐねた末、とりあえずこの情緒不安定な主とはこれから関係を築いていく仲なのだし多少の譲歩は必要だろうと一歩位は譲ってやる事にした。

「分かった。良いだろう。受けて入れてやる。だが何でタマちゃんなんだ?」

「可愛いでしょ? 玉鋼のタマ」

「嫌な予感がするんだが、ちゃんはまさか敬称のちゃんだとのたまう気じゃないだろうな?」

「そうだけど?」

「嫌だ!」

 ぐっと法子の指に力が入り、刀、改めタマはみしりと鳴った。

「あたしの体弄んだ癖に」

「え? 何だそれは。どういう」

「タマちゃんで良いよね?」

 更に法子の指に力が入り、タマからめきめきという音が聞こえてくる。

「はい、すみません。タマちゃんで結構です」

「そうこなくっちゃ」

 法子が笑顔を浮かべた。

 タマはどうしてこんなにぞんざいな扱いをされなくちゃいけないんだと嘆いた。かつての持ち主たちの顔を思い出しながら、その幸せだった日々に思いを馳せて現実逃避した。

 その逃避を法子が邪魔してくる。

「おーい、聞いてる? ねえねえ」

 タマははっとして現実に立ち返る。

「すまない。少し呆けていた」

「もう、だから、私の事を辱めたのは許してあげるから。これで問題も解決したし、変身させてよ」

 問題? とタマは今迄の経緯に思いを巡らせた。そもそも何でこんな話になったんだったか。

 何だか疲れてきたタマに向かって法子が思念でせがんで来る。

「ねえねえ、早く変身させてよ」

 甘える様な法子の思念にタマは苛々としながら答えた。

「君は魔女になる事の意義が分かっているのか?」

「意義? 強くなってみんなを救う事?」

「漠然とし過ぎだが、一応まともな展望を持っているんだな。まあ、確かにそんな風にみんなを救ってくれれば良い。とはいえ、魔女という存在は、お気楽に構えていいものではない。覚悟と責任が付き纏う」

「大丈夫だよ! 私、悪用なんてしないから。魔物をバンバン倒して人助けをするよ!」

 タマは大げさな溜息を法子へ伝える。この少女は分かっていない。敵を打ち倒す事と人助けの違いすらも分かっていない。だがそういうものかも知れない。丁度この少女と同じ年頃だった初代の主も最初は敵を倒す事に執心していた。子供というのはそういうものなのかもしれない。ならばそれを良い方向へ進めるのも私の役目だ。

「君は分かっていない。人々を救う為には強くなければならない。体も心もだ。それなのに」

「ねえ、変身させてよ! 変身変身!」

 こいつは。

 タマは一瞬文句を言いかけて、すんでのところで思いとどまった。

 相手は子供である。数百年の時を生きたタマと比べれば当然遥かに幼い。そうでなくとも外見から察するにまだ十も生きていないだろうとタマは当たりをつけた。それであるなら寛容をもって接してやるのが監督たる役目だろう。

 まだ騒いでいる法子に対し、タマはぐっと堪えて静かに言った。

「なら変身させてやろう」

「はい!」

 法子が天真爛漫な、悪く言えば何も考えていなさそうな満面の笑みを浮かべる。何だかタマは不安になった。

 そんな不安を余所に、法子は勇んで尋ねてくる。

「それで、どうすれば良いの?」

「変身したいと願うだけだ。願いこそが変身において、いや魔術において基本であり、奥儀でもある」

「でも、前に学校で習ったけど、頭の中だけで魔術をするのってとっても難しいんでしょ?」

「私が補助する」

「じゃあ早速」

 法子がぐっと拳を握って気合を入れ、かと思うと力を緩めてタマに尋ねた。

「何か呪文とか言った方が良いの?」

「君の好きにしてくれ。肝心なのは願う事だから」

「じゃあ、願うよ」

 法子が再び拳を握りしめて、強く目と瞑ると低い声で呟きだした。

「変身する。変身する。私は変身する」

 その瞬間、法子の髪が解かれ、色が根元から次第に金色へと変わり、制服の色が黒く変じて、その形も変わる。黒い衣装の上に黒いローブを羽織って、元の大きさに戻ったタマを握ると、法子は魔法少女になった。

 にも関わらず、法子はまだ目を瞑って変身する変身すると呟き続けている。

「はい、終了」

 タマの言葉に、法子が慌てて目を見開いた。

「え? 終わり?」

「ああ、無事に変身できたよ」

「ホントに何だか実感がわかないけど」

 そう言いながら、法子は自分の体を見回して息を呑んだ。

「服が変わってる」

「それが君のイメージしていた魔女だよ。まあ良いんじゃない?」

 風がそよそよと吹いて、法子の視界に夕日を照り返す赤金色の髪が靡いた。

「私の髪?」

「ああ、髪の色も変わったみたいだね」

「本当に変身してる」

「そりゃあね」

「でも、良く見ると体は変わっていないんだね」

 その言の通り、服や髪の色は変わっているものの、その貧相な体つきは全く変わっていなかった。

「顔もね。言っただろ? 絶世の美女になる訳じゃない」

「顔も変わってないんだ。他の人に見られて私が魔法少女って知られるのが恥ずかしいんだけど」

「安心しなよ。正体はばれない様になっているから」

「そうなんだ」

 法子は変身した自分をしばらく眺めて、顔を赤らめた。

「どう? 変身した感想は」

「うん、実際に着てみるとこういう衣装って恥ずかしいね」

「この期に及んでそんな感想?」

「だって」

 恥ずかしそうに体を小さくする法子に、タマは呆れた溜息を送る。

「まあ、良いけどさ。さて、それじゃあ魔物を倒すとしようか」

「うん」

「丁度良く近くに魔物が居るみたいだ。しかしこの辺りは妙に魔力が満ちているな。これは君の役目も多そうだ」

 その言葉に法子が慌てて辺りを見回した。

「魔物? 何処に?」

「ブランコのところに」

 少し離れたブランコの上に、綿毛の様なものが居た。猫の様な目がついている。ふわふわと浮いてブランコの周りを漂っている。可愛いんだか、気持ち悪いのだか分からない。

 本来魔物は日常的な存在ではない。法子や他の多くの人々も、ニュースの映像で暴れているのを見る位だ。法子も見るのは今日が初めてで、一度目のさっきは命の危機でじっくりと見ている暇などなかったし、今回こうして落ち着いて魔物の事を眺め、そうしてこれから退治しなければならないのだと考えると、ぼんやりとした夢の中に迷い込んだ様な気分になった。

 法子が不思議と高揚した気分で綿毛を見ていると突然頭の中に情報が流れ込んで来た。その綿毛に関する名前や能力等の様々な情報が一瞬で頭の中に広がった。綿毛はふわふわと辺りを漂う事しか出来ない霧状の魔物らしい。

「な、何これ!」

「ふむ、どうやら君の能力の一つは解析らしいね」

「能力?」

「そう。私の力で変身するとその者に合わせて幾つか特殊な能力が付与されるんだ。多分、元々の才能を引き出しているんだと思うけれど、正確な所は私にも分からない。それで君の能力の一つが解析な訳だ」

「へえ。何だか格好良い」

 法子はうっとりと虚空を見つめた。ただふと得た情報を鑑みると、見れば分かる程度の情報な気がした。

「あの、ふわふわ漂ってる霧状の魔物って見たままな気がするんだけど」

「まあ、そうだね」

「使えるの? この能力」

「さあ? まあ、能力は成長する。もし今駄目でもいずれ有能になるかもしれない」

 法子は憮然として漂う綿毛をもう一度解析してみた。やはり見たままの情報しか分からない。何だかあまり格好良くない気がしてきた。どうせならすぐに使えるもっと派手な能力の方が。

「他の能力は?」

「それは発現してみないと分からない」

「そっかぁ」

「まあ、とにかく相手が弱い事は分かっただろう? 練習にもってこいだ」

 タマの急かす様な言葉に、法子は顔を渋めた。

「うーん、何だかあの魔物を攻撃するの可哀そうなんだけど。倒さなくちゃ駄目?」

「勿論。良いかい? 魔物というのは、どんなに弱くても居るだけで周囲に影響を与えるんだ。 その影響が積み重なれば、いずれ魔導師というもっと強いのが現れる。その魔導師が更に周囲に影響を与えて、それが積み重なるともっと危険な魔王が現れる」

「そっか、倒さなくちゃそういうのが出てきちゃうんだね。それでどうすれば良いの?」

 法子は刀を構えた。何だか舞い上がっているのが自分でも分かる。はしゃぎたくてたまらない。

「基本は私を使って相手を切れば良い。刀の使い方は分かるかい?」

「持った事も無い」

「大丈夫。触れれば切れる」

「おお! 心強いよ、タマちゃん!」

「タマちゃん、か」

 悲しそうに呟くタマを無視して、法子は嬉しそうにしながら刀を握る手に力を込めて、駆けた。凄まじい歩幅の一歩で距離を合わせ、自分のあまりの跳躍力に驚きながらも二歩で霧状の魔物の目前に迫り、まるでいつもそうしている様な無意識の自然な動きで右手を柄に握り、必要以上の力を込めて、ふわふわと浮いている魔物に向けて拙い動きで抜刀した。刃先は魔物へ吸い込まれ、その身を切り裂く。

 切った。確信を持った法子は笑みを浮かべて、魔物の居た場所を見つめ、

「え?」

そこで相も変わらず何て事も無い様子で浮いている魔物を見て呆然と呟いた。

 そんなはずは無い。そう思って、法子は刀を振り上げ、魔物へと振り下ろす。刃は過たず魔物を通り抜け、魔物に何の変化も与えない。

「何で?」

「いや、何でって霧状だからだろ」

 言われてみればその通りで、霧を切れるはずが無い。

「でもさっき触れれば切れるって」

「切れるよ。ただ魔力を込めなくちゃ」

「魔力を込める?」

「そう。刃先まで力を行き亘らせないと、魔力で出来た物は切れないよ」

「そう言われても」

 魔力を込める方法なんて分からない。

「もしかして出来ない?」

「……だって習った事無いし」

「ま、まあ、大丈夫だよ。教えるから。難しい事じゃない」

 タマは励ます様にそう伝えてきた。

「まずは目を瞑ろう」

 言われた通りに法子は目を瞑った。

「次に自分の手の先に私が居る事を感じて」

 柄をぎゅっと握る。

「君の延長に私が居る」

 私の延長。

 法子は自分の体の中に渦の様な感覚が立ち込めて来るのに気が付いた。

「それが君の魔力。それを刀の先まで届かせて」

 渦の先は意のままに動いた。腕を通り、手の先、刀へと流れ込んでいく。

「よし、目を開けて。それを維持」

 目を開けると刀は鈍く光っていた。

「そのまま刀を魔物に!」

 法子は刀を正眼に構えて、振り上げ、勢いよく振り下ろした。

「あ、駄目だ」

 タマの声が響いたが、気にせず刀を魔物へと振り下ろす。だがやはり魔物は切れなかった。刀の光は消えていた。

「むー。切れない」

「振り下ろす時に気を散らしたね」

「難しいんだけど」

「練習あるのみ」

 法子が再び刀に魔力を込める。それを維持。神経を擦り減らしながら刀を振り上げる。

 その時、嫌な予感がした。

 唐突に、冷水でも浴びせられた様に、全身の肌が粟立った。まるで世界が書割にでもなった様に、現実感が喪失して、ただ心臓の鼓動と背後の気配だけが強く強く頭の中を支配する。胸が苦しくてたまらない。

 背後に何か居る。そんな予感がする。とてもとても嫌な予感が全身を支配する。

 背後に居るものは嫌なものだから絶対に見たくないけれど、確認しなければ恐ろしさは止まる事無く増えていく。だから法子は恐る恐る振り返った。

 電灯に照らされた仄暗い闇の中に、真っ暗な闇が居た。大きな黒い塊がそこに居た。瞬時に法子の解析が発動する。だが絶叫をそのまま情報に変えた様な意味の分からない情報しか返ってこない。

「え?」

 思わず法子の口から呆けた声が漏れた。

 呼応する様に黒い塊が鋭い硬質な鳴き声を上げた。音によって空間が引き裂かれそうな、そんな声。

 法子は耳を塞ぎながらタマに尋ねる。

「タマちゃん、これは? 何だか危険な感じが」

「魔物だ。強力な」

 答えたタマの声が嫌に真剣だった。自体の深刻さが伝わってくる。

 法子が恐れを抱く視線の先で、黒い塊は突然膨れ上がり、次の瞬間甲高い大音声を辺りに響かせた。

 法子が再び耳を塞ぐ。

 そうして音が途絶えたかと思うと、今度は黒い塊の一部が伸び上がった。尻尾の様に上へ伸び上がり、左右に振られる。不気味だ。

 法子の背に嫌な寒気が走る。

「ねえ、まずい気が」

「避けろ!」

 伸び上がった黒い塊の一部から黒い球体が浮き出てきたかと思うと、撃ち出されて法子の下へ飛んできた。

 法子は驚いてその場を跳んだ。法子が地面を離れた瞬間、黒い球体が地面に着弾して爆発した。連続的な重低音が鳴り響く。続いて凄まじい暴風が吹き、逃れようとする法子を吹き飛ばす。

 吹き飛ばされた法子は地面に転がり、すぐさま立ち上がって、恐れながら辺りを見回すと、ふわふわと浮く霧の魔物と霧に向かってナメクジみたいにゆっくりと這い寄る大きな黒い塊を見た。何だか深海の生き物同士が交友している様で不気味だった。

 気味悪さに逃げ出したくなるのをこらえ、何とか気を保とうと顔を上げた時、公園に違和感を抱いた。さっきの爆発なんて無かったみたいにいつのもの公園がある。地面に焦げ跡一つない。もしかして今の爆発はこけおどし? そう安堵した法子の頭の中にタマの叫びが響いた。

「腕!」

 法子が自分の腕を見る。刀を持つ腕に黒い粘液がべったりと付いていた。

「何これ」

 呟いた瞬間、粘液が強烈な熱を発して、法子の肌を焼いた。法子の腕から煙が立ち上る。激痛が頭を貫き、吐き気が込み上げてきた。

 声も上げられずもだえる法子の頭にまたタマの叫びが響く。

「侵食されてる! 腕に魔力を込めて押し返せ!」

 法子は必死になって刀へ魔力を込めたのと同じ要領で腕へ魔力を込める。すると黒い粘液が溶け崩れて消えた。真っ黒に炭化した腕が現れた。

 黒く焦げ切って、今にも崩れそうな程にぼろぼろな自分の腕が現れた。

 意識が遠のきそうになった法子をタマが叱責する。

「しっかりしろ! すぐ治るから」

 タマの声に意識付いて踏みとどまり、もう一度腕を見ると腕は綺麗に治っていた。

「あれ? 今」

「魔力で体に恒常性をもたせてるんだ。あの程度の傷ならすぐ治る」

「そう、なんだ」

 それでもさっきの激痛と気味の悪さの記憶は残っている。思い出してまた吐き気が込み上げてきた。

 恐ろしかった。

「どうしよう」

 法子が尋ねると、

「逃げよう」

タマが言った。

「え?」

「私の見立てだと、今の君じゃ敵わない」

「でも逃げたら」

「見たところ二体とも魔力の量は少ない。魔物がこの世界に顕現するだけでも魔力を使うんだ。そして魔力が尽きたらもう何も出来ない。だから放っておけばしばらくしたら無力化する」

「そんなすぐに?」

「あいつ等の魔力からするとあと二三十分すれば。幸い辺りに人は居ないし、あの魔物の動く速度なら人の居るところに辿り着く前に動けなくなるだろう」

 タマの説得に法子が押し黙る。

「とにかく危険だよ。ここを離れるんだ。何なら離れたところから遠巻きに警戒しておけば良い」

「でもそれは逃げる事に」

「そうかもしれないけど、でも今の君じゃ」

「逃げる事になるなら逃げない!」

「何を馬鹿な。敵わない事位分かるだろ?」

「でもヒーローが逃げたら誰が皆を守るの? ヒーローを志すなら絶対に逃げちゃいけない!」

「別に今は逃げたって大丈夫だ。誰も襲われる事は無いんだし」

「そういう事じゃない! 一回でも逃げたらそんなのヒーロー失格だ!」

 法子は自分の言葉に激情して、駆け出した。

「馬鹿! 戻れ!」

 タマが叫んでも法子は聞かない。タマの言葉を無視して走り続ける。

 黒い塊が再び体の一部を尻尾の様に伸ばして、球体を生み出した。また攻撃がやってくる。

 けれど法子は落ち着いていた。さっきは咄嗟だったから慌てたけれど、冷静に対処すれば大丈夫。そんな確信があった。

 黒い球体が撃ち出される。案の定法子を狙って。けれど法子は慌てない。実際に触れないと爆発しない事は分かっている。そして爆発の範囲もそう広くない。だから駆け抜ければ、攻撃は受けない。

 黒い球体を避ける。少しして背後から爆発音が聞こえた。だが法子には届かない。法子は一気に黒い塊との距離を詰める。

「おい!」

 タマちゃんも見直したかな。

 誇らしく思いながら黒い塊へと近づく。後二歩。刀をぎゅっと強く握る。さっきは上手く霧を切れなかったけれど今度こそ。

「周りを良く見ろ!」

 タマの叫びが頭の中に響いた。

 周り?

 法子が辺りを見渡すと、いつの間にか黒い塊が法子を包み込む様に方々へ無数の尻尾を伸ばして、大量の黒い球体を生み出していた。

「あ」

 気付かなかった。避ける事に夢中で周りを見ていなかった。

「どうしよう」

 さっきの激痛の記憶が全身に警鐘を鳴らす。体中が震えて動けなくなる。

 周囲の黒い球体は更に数を増やし、今にも法子に向かって射出されようとしていた。

 これでは避けられない。

 あれをくらえば、死ぬ。死なずとも、きっと痛みで発狂する。あんなのもうくらいたくない。

 法子の歯の根が鳴り始めた。

 意味を持たない嗚咽が法子の口から漏れた。

 するとまるでそれを合図とした様に、黒い塊が身を震わせ、それと同時に周囲を包囲する大量の黒い球体が法子へ向かって打ち出され様とした。

 その時、風切り音が鳴った。続いて土を噛む音がする。地面に映る魔物の影に一本の矢た。何事かと思う間もなく、風切り音は数を重ね、魔物の影の周りに新たな矢が四本突き立った。矢は甲高い音を発して光り輝き、魔物は光りの中に消え、光が収まった後には、黒い塊も霧も消えてしまっていた。

「帰したか。後ろ! 上!」

「分かってる」

 ひしひしと背中に圧力を感じていた。振り返ると、遥か頭上、公園の隣にあるマンションの屋上に黒い人影があった。ひたすら黒い。黒い鎧に黒い兜に黒いマント、口元だけが晒されて真一文字に引き結ばれていた。

「あれは」

「同業者、かな?」

 黒い影は背を向けて飛び退り、マンションの向こうに消えた。

 残された法子は街灯の薄暗い光に照らされた公園の真ん中で呆然と立ち尽くし、やがてぽつりと漏らした。

「助けられちゃった」

「どうして言う事を聞かないんだ。本当に危ないところだったぞ」

「やっぱり駄目だった」

「そうだ。やっぱり一人じゃ駄目だろ? 良いかいこれからは私の言う事を良く聞いて」

「駄目だった」

「おい。どうした?」

「変身したのに駄目だった」

 法子の目から涙が溢れ出す。

 失敗した。折角魔法少女になったのに。早速失敗してしまった。その上、赤の他人に助けられた。これじゃあ、いつもの自分と変わらない。いつもの駄目な自分だ。

 法子はしばらくタマの言葉も分からない程落ち込んでいたが、やがて俯いたまま家へ帰る為に歩き出した。

 タマが不意に尋ねてきた。

「良いのかい?」

 法子は答えない。答える元気は無かったし、タマの質問の意味も分からない。

「さっきその姿が恥ずかしいって言っていたよね。普通に往来を歩けば周囲に見られてしまうんじゃないかな?」

「あ」

 その通りだった。

 法子は沈んだ思念のまま答える。

「じゃあ、変身を解くよ。どうすれば良いの?」

「それより、屋根の上を跳んで行けば良いだろう。もう夜だから誰にも気付かれないよ、きっと。こんなところで変身を解くのは大変だから止めておこう」

 何故大変なのか分からなかったが、法子は言われるままに跳躍して近くの民家の屋根に上り、そのまま屋根伝いに自分の家を目指した。金色の髪を月明かりに晒し、闇に夜色のローブをはためかせながら沈んだ表情で屋根を跳び継いでいく。

「まあ、そう落ち込むな。まだ始まったばかりじゃないか。これからだよ、これから」

「うん」

 それっきり黙ってしまった法子に対して、タマはそれ以上何も言わなかった。繋がっている今、法子がその胸に渦巻く様々な感情と折り合いを付けようとしているのが分かったから。自分から立ち上がろうとするのなら、何かを言う必要は無い。

 やがて法子は沈んだ調子ながらも力の籠った意識でこう言った。

「ねえ、私はどうすれば強くなれるの?」

 法子が悔しさを感じているらしい事はタマにとって良い兆候だ。悔しいと感じてそれを打破したいと思う、そんな気持ちがあるのなら落ち込んでも前に進んでいける。

「そうだな。とにかく鍛える事だな」

「具体的には? 魔術の授業をちゃんと受けるとか?」

「魔術もそうだが、体もだ。明日からは毎日走り込みだな」

「そっか。ちゃんと私自身が強くならないといけないんだ」

「当たり前だよ。私の変身は持っている力を引き出すものだからね」

「分かった」

 家に着いた法子は玄関をゆっくりと開けて、家族に見られない様に自室へと戻った。部屋の中に入った法子は鏡を引っ張り出して、その中の普段の自分とはかけ離れた自分を見て、タマに尋ねた。

「ねえ、元に戻るにはどうすれば良いの?」

「戻りたいと思えば良い。これは補助の必要も無いと思うよ。変身するよりも大分簡単だから」

 法子が戻りたいと思うと、ローブは消え、服は制服に戻り、髪は元の結った黒髪になった。タマも掌に乗る大きさに戻る。

 突然、急激に身体に疲労が来て、体が思う様に動かせずに倒れ込んだ。

「何これ」

「そりゃあ、私の変身は君の魔力を使うからね。要は生命エネルギーの消耗だ。変身してるだけでも疲れるし、力を使えばもっと疲れる。特に今回は初めてだったし」

「あれ? でも授業で自分に宿る魔力は使いすぎると危ないから使っちゃいけないって」

「まあ、使いすぎれば死ぬからね」

「な!」

 法子が驚きに身をすくませた。だったらタマの目的は最初から? そう恐れて逃げようとするが体は動かない。

 タマが笑う。

「安心しなよ。普通は使ったって寝れば戻るから。命に関わる程の魔力は使おうとしても私が使わせないよ。そもそも存在が消滅する位魔力を使ったらこの星を滅ぼせるよ。そんな事しないだろう?」

 法子はほっと安堵してから、必死で歯を食いしばって何とか体を起き上がらせた。

「訓練を……」

「止めときなよ。今日はもう無理だ。訓練は明日から」

「そう? でも……」

「無理したって良い事無いよ。ゆっくり寝る事も訓練の一つ。それにもう今日は十分に鍛えられたよ」

「本当?」

「本当。だから寝な。さあさ、ベッドはすぐそこだ」

「うん、分かった」

 法子は箪笥を開けて、タオルとパジャマを取り出して、部屋の外へ出る為にドアへと近付いた。

「ちょっと、何処へ行くんだい? まさか外へ? これ以上鍛えるなんて」

 タマの言葉に、法子は立ち止まると、左手で制服の首元を引っ張って、自分の鎖骨を反対の掌に乗ったタマに見せつける様にした。

「この汗まみれの体でお風呂にも入らずに寝る位なら、死んだ方がマシ」

 その意味を計りかねてタマが考え込んでいる間に、法子は部屋を出て風呂場へと向かった。

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