その写真がきっかけでした
スタジオに俺が入るとザワザワとしたスタジオが一旦静かになった。
この仕事を始めて、多くの人が出入りする場所や注目される機会が増えるにつれ、自分の存在が場の空気を変えてしまう特性があることに気づいていた。いままで、学生時代あまり周りから声をかけてもらえなかったのも、知らず自分がこの空気感を出してしまっていたのかも知れない。
その事に気づいて以来、周りに緊張や圧迫を与えないように、空気を柔らかくしようと自分の周りの空気を意識すると、その特性も少しは和らぐようであり意識して空気を作ってきたのだが、今回咲良に言われた事が気になり、そのまま自らのオーラ垂れ流しで来てしまったようだ。
しまった、と一瞬思ったが、しかし、今回の現場は雑誌の撮影スタジオ。さすが芸能人の集まりである。それぞれ、お願いしまーすっとこちらに声をかけ、各時また好きなように動き出した。
「おーREI来たか!おっせーぞ」
俺を見つけたとたん、うるさく駆け寄ってくる足音と声の主を見る。まあ、予想通りに三心であった。
「撮影は?」
「今は一旦休憩」
どうやら、写真を撮り終わった後に抜けが無いのか、写真映りはどうだったのかのチェックをスタッフが行なっているらしい。スクリーンの周りにスタッフやモデルとして撮られた関係者が集まり、ああでもないこうでもないと議論している姿が伺える。
「いかなくていいのか?」
三心も先ほどまで写真を撮られていたモデルの一人だ。どう考えても、あそこの輪の中に加わるべきであろう。
「おー。俺の写真はどれも完璧だから」
「はいはい」
「ホントだって。俺の6年間研究に研究を重ねた黄金角度をどの写真も見せつけてるからな」
それは結局どの写真も自分は同じ角度からしか撮られていないということで、あまりいいことでは無いということに気づいているのだろうか。いや、絶対に気づいていない。そういって、俺に向けてドヤ顔をしてくる三心をなんとかスルーする。
喉の渇きを覚え、用意されている烏龍茶を手にとった。
喉を通る烏龍茶が心地良い。先ほどのイレギラーな咲良の言動に戸惑った部分が、三心の馬鹿さによって大分紛れているのが分かる。
そういって俺が一息ついている間にも三心は持ち前の人懐っこさで知り合いのスタッフを見つけたのか大きく手を振り声をかけた。
「あー叶さんチェック終わったの?」
叶さんと呼ばれた人は、ちょうど40代の体型ががっしりとした男性で、体育会系出身なのが見て取れる筋肉の上にカメラを抱えていた。厳つい顔に少し生えるひげは、無精ながら彼に似合っていた。
「おー、お前参加しないから、お前の分も見といてやったぞー」
「ありがとー!ねえねえ、レアコンビでしょ。一枚とって!」
無理やり肩を組まされ、叶さんの前に引っぱり出される。一流のカメラマンに写真をねだるのを、マネージャーに写メをとってもらう感覚で頼める三心の鉄の心に、頭があがらない。
普通だったら、ガキにカメラマンとしてのプライドを傷つけられたと怒っても仕方ないのに、三心とはどのような交友関係を築いているのか、叶さんは気にしていないようだ。三心に言われ、俺に気づいたのか、ニカっと笑いペコっと頭を下げられた。それに釣られ俺も頭を下げる。
「仕方ねーな、ほら」
そういってカメラを俺と三心に向け構えてくれる。
「ほら、REI笑顔で」
カメラには、きっと決め角度でばっちりと映る三心と、隣で呆れた顔をしている俺がファインダーに見えているのだろう。
「ほら、REI君も笑って~」
叶さんにも言われ、俺も観念して少し笑う。
「はぁ」
自然と漏れたその笑顔が、本当の笑顔か作り笑顔かは自分にも分からなかったが、笑うという行為を久しぶりにしてなんだか心が暖かくなった。
◇◆◇
すべての撮影が終え、モデルは全て帰宅した。撮影後のBiBiの編集部たちは顔を付き合わせ、雑誌の構成の最終チェックと確認を行なっていた。
モデルも全て帰っているので写真のできについて、なんでも言いたい放題だ。鼻が高くなっているモデルも一流と言われている芸能人も、もしここの会話を聞いたら一晩で自信が無くなるほど、素直な意見が飛び交う場だ。
BiBi編集部では『撮影後闇会議』と毎回の恒例行事である。そこには、雑誌の編集長を初めREI達にスケジュールを教えた企画担当スタッフも、カメラマンとして参加した叶ももちろんいる。
「まあ、REIとDaaCの組み合わせに外れは無いわね。どれもいい写真」
「REI君かっこいいですねぇ♡」
「あれ、REIのこの表情いいじゃない」
編集部のもっぱらの会話のネタはREIの撮りたての写真であった。そして彼女たちが注目した一枚にその写真はあった。そこには三心に肩を組まれ、困ったように微笑むREIの姿が映っている。
「なんの写真?こんな写真指定はなかったよね」
「オフの写真ですよ」
すかさず叶が説明する。叶もこの写真は気に入っていた。なにより三心の屈託の無い笑顔とREIの悲しげな笑顔の対比が自分でも惚れ惚れするほど綺麗にとれている奇跡の一瞬だ。REIがオフにこんな表情を見せるとは思わなかったため、びっくりしてその瞬間にシャッターを切ってしまった自分を褒めてほしい。
「なんか楽しそうですね」
「これ、隣の子三心君よね?」
「そうみたいですね。この二人仲よかったんですかね?」
REIが誰かと仲良くしている話しなど、誰も知らなかったし、噂すら立っていなかった。現在人気急上昇中のアイドルにしては私生活の謎が多いことでもREIは有名であった。
「どれ?ふーん」
先程まで話題に上がっていた写真を、編集長は腕を組んで眺める。そして、じっくりその写真を見た後、シーンと編集長の声を待つ皆に向かって、驚くべき発言をした。
「これ、表紙にしましょう」
そう断言した。
「叶さん、この写真を使うことに問題はないですよね?」
「まぁ普通にオフに撮ったやつなんでいいとは思いますけど」
ザワザワと戸惑いの声が上がる。
「え」
「表紙用の撮っちゃいましたけど?」
そうだ、今日撮影があった号の表紙はいま絶大な人気を誇るマルチタレントの咲良でいくと決定して伝えてあり、その撮影も今日終わらせていた。
確かに写真を表紙として使うにしても、雑誌の中で写真を使うにしても、咲良の写真を使えば契約違反にはならない。
しかし、咲良の事務所も大きな所だ、あまり下手なことはできない。
「こっちの方がいいのだから仕方ないよね」
そこには有無を言わせない編集長の微笑みがあった。誰も逆らえなかったのは言うまでもないだろう。
そして、逆らえなかった瞬間、誰かがこのことを咲良の事務所に伝えなければいけないという嫌な仕事を引き受けるはめになるのは目に見えていたため、どこからか大きなため息が聞こえた。