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幸福な眠り

作者: 中谷 仁

 

 ある日の明け方、うつらうつらしているとだれかが布団を着せかけてくれた。いつのまにか布団をはねのけてしまっていたらしい。寝相の悪さは昔から変わらない。雑魚寝の時には毎回、隣で寝ている人に被害を与えてしまう。布団を着せかけてくれただれかは、おまけにかけ布団の上からぽんぽんまでしてくれた。小さいころ母さんがよくやってくれたやつだ。これをされると、なぜか安心してぐっすり眠ることができる。

と、布団にもぐりこんで二度寝しようとしたところではたと気が付いた。おれは独り暮らしだ。大学に入ってからの二年間、このアパートの一室にひとりで住んでいる。同棲はおろか泊まってゆく彼女ひとりいないし、大学の近くに住んでいるせいで終電を逃した友人を泊めることは多々あるがいまは春休みでここ二週間ほどはだれも泊めていない。つまりこの部屋は俺以外のだれもいないはずなのだった。以前一度昼寝をしているときに友人が勝手に入っていたことがあったが、鍵をかけているのでそれもありえない。ということはどういうことだ。おれに布団をかけてポンポンまでしてくれたのはだれだ。

起き上がって確認しようとしたが、身体はおろか目蓋さえ動かなかった。まるで金縛り……というか、状況的にこれは金縛りそのものだ。出た。とうとう出てしまった。これはあれだ、ユーレイってやつだろ。

前々から出るような気はしていた。向かいはといえばやたらスタイリッシュなつくりではあるけれど寺で、卒塔婆が見えていて。時々、部屋にひとりでいても変な物音が聞こえることがあった。

とうとう遭遇してしまったか。なんだかちょっと感動にも似たものを覚えてしまった。

じつはおれがこういう変な出来事に遭遇するのは今回がはじめてのことじゃない。実家にいた時は(これまた奇妙な偶然で実家の向かいも寺なのだが)俺だけが変な物音を聞くことくらいは序の口で、外壁に猫くらいの動物が断続的に体当たりを続けているとしか思えない音がひとりの時にだけ聞こえたり、その音があまりにもひどいので親父を呼んだら聞こえなくなって親父がいなくなったらまた聞こえ出したり、部屋全体が揺さぶられているかのようなポルターガイストを体験したり、ベタに金縛りも何度かあったり、なんだかんだけっこう頻繁に起こることだったので悲しいかな慣れてしまっていた。さすがにはっきりと「視た」ことはないが、たぶん俺の霊感はそれほど強くはないんだろう。

ユーレイにも善いやつと悪いやつはがいると聞いたことがあるが、怪奇現象に気味が悪いと思ったことはあっても気分が悪くなったようなことはないし、俺が遭遇してきた怪奇現象がもし本当にユーレイの仕業だったとしたら、そのユーレイたちはみなちょっといたずら好きなだけの善良なやつらだったんだと思う。今回のもどうやらその類のようだった。というか、いままでの怪奇現象が俺を驚かすことがメインだったのに対して、今回のは優しい。布団をかけてくれてその上に寝かせつけてくれるなんて、そんな優しいユーレイの話を聞いたことがあるだろうか。オバケのQ太郎もびっくりだ。(おわかりだろうがおれはオバケのQ太郎を観たことがないのであしからず。)

当然邪悪なものも感じられなかったし、まあいいか、独り暮らしの寂しい身にはありがたいくらいだ、なんてことを思って俺はあまり気にしなかった。

翌朝。またうとうとしていたら布団を着せかけられた。ポンポンもされた。というよりはそのせいでちょっと覚醒したけれど、目を開けようとしても目蓋が動かない。しかたないのでまた眠る。まさか二日連続でこんな優しさに恵まれるとは思わなかった。布団の中が心地いい。これはきっと布団から出るなと言われているのだろうし、出るなと言われて出るほどおれは布団への愛が薄くはない。バイトの出勤までまだ時間もある。おれはまた眠りの渦に自ら進んで身を投げた。

その翌朝も、そのまた翌朝も、おんなじことが繰り返された。そろそろ起きようかなと思うと、布団を着せかけられてポンポンやられる。おれは動くことができず、布団から出ることができない。しあわせとしか言いようのないぬくもりに包まれている。家を出なければならない時間まであと五時間もある。やらなくてはいけないことややるべきことはあるにはあるが、いまは春休みでべつに明日に回したところでなんの支障もない。もうちょっと寝ていたって怒る母親もいないし、昨日も遅くまでネットをしていたせいで寝床に入ったのは遅かった。もう少し寝ていよう。こんな気持ちのいい時間を自ら止めてしまうことほどおろかなことはない。

 そのうち、おれはどこで何をしていても布団が恋しく感じられるようになってしまった。バイト先で片付けをしていても、友人と遊んでいても、サークルで飲んでいても、一刻もはやく帰って布団に潜り込みたい気持ちが頭から離れない。その衝動は寝ても寝ても、収まるばかりか強くなる一方だった。

 おれはとうとう予定を意図的に入れないようにしてまで布団にいる時間を引き伸ばし始めた。飲み会の誘いを金がないからと断り、友人のメールにバイトがあるからと返信し、バイトのシフトを予定があるからと減らした。家にいる時間のほとんどは寝ているせいで、洗い物は溜まり、テーブルの上には食べ終わった後のカップ麺やパンの袋、カーペットの上には脱ぎ捨てた服が散乱する。それを横目にして片付けなきゃならないと思いながらも布団に潜る。

 いつしかおれは部屋から一歩も出なくなっていた。最初にあのことが起きた日から、ユーレイは途切れることなくずっと俺を安眠させてくれている。そのうち、ずっと寝ているせいであまり空腹を感じなくなり、何より布団から出るのがおっくうで飯も食わなくなった。以前は友人を呆れさせるほどによく食う性質だったのが嘘のように食欲が沸かない。おれは眠っているだけで、世界中のだれよりも幸せなんだと確信していた。その幸せを妨げるものなら、たとえ自分の生理的欲求であっても許しがたかった。睡眠、というか布団に入って同居人に安眠させてもらうことへの欲望が第一で、それよりほかのことは本当に些事、どうでもよくなってしまっていた。これほどまでにひとつのことに対する欲望が大きくなると、ほかの生理的欲求は消えるらしい。ずっと眠っていて、時々目を覚ましても食欲はおろか排泄欲さえ感じなくなった。おれの欲求という欲求、欲望という欲望はすべて眠ること、布団で過ごすことへ向けられているようだ。

 だんだん、自分が寝ているのか起きているのかさえわからなくなってきた。とにかく幸福感だけが俺を満たしている。時々、布団を着せかけられる感覚とポンポンやられる感覚はあるから、そのときは少しだけ覚醒しようとしているのかもしれない。けれど、もう何が起きているのか確認するために目を開けようとすることもなくなった。そんなことをしたって無駄なのはわかっているからだ。もう、おれの瞳は意味がなくなってきている。そのうち目蓋がくっついてしまうかもしれない。眠るってことがこんなに幸福なことだなんて、おれは知らなかった。夜更かしして寝床に入る時間を縮めたり、あまつさえオールしたりしていたなんて、以前のおれはなんて愚かだったんだろう。もう二度と布団から出たくない。こんな幸せを教えてくれた姿の見えない同居人に、おれは心から感謝している。



 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 少しずつ気持ちが解る気がしました笑 そこまで眠れるとある意味本当の幸せかもなんて 凄く面白かったです(^○^)
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