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8 ※

 肌に感じる風が先ほどよりも温い。御者の男がそう思ったのは太陽の頭が隠れる直前のこと、日没まであと数分もない時のことだ。

(下った分気温が上がってきてるんだな)

 普段ならば肌寒いと感じる気温ではあったが、先ほどまで身を刻む様な凍風を受け続けていたのだ。氷水で手がかじかんだ後に普通の冷水に手を入れれば暖かく感じるように冷えた肌には十分なほどに感じられた。

 視線の先には既に目的地が見えている。紫と赤に染まった日没時特有の色彩をした僅かな陽光を頼りにそこを見れば馬車があり、何人かの人が居る。

 あれが渡す相手かと男は思った。相手の特徴は一切聞かされておらず、指定の場所に着けばそこから先の人間が攫った人間達を運ぶと聞いただけだ。一瞬行商人のキャラバン隊かと思ったがそれならば専用の宿営地、とはいっても柵で囲っただけの場所なのだがそういう場所があるので、もしキャラバンならばもう少し離れた位置にいるはずだ。こんな時間に麓の近くで火も焚かずにいるキャラバン隊などいない。

 なんとか時間までには着きそうだな、と手綱を握り直して男はそう思った。報酬となる金貨は引き渡す際にその男達から受け取る手はずになっている。受け取ってしまえば後は解散するだけだ。

 しかし、男には先ほどから気に掛かる事があった。それは下りを半分程まで走破して少し経った後だろうか。なんだか嫌な予感がするのだ。

 勘と言ってもいい。男は時には何でも言い当てたり探したり出来るような予知染みた直感能力を持つ獣人ではなく、ありふれた只の人間だがなんとなく、背筋がむず痒く感じる理由のない感覚があるのだ。誰かに見られているという感覚が。

 首筋をさすり、周囲を伺うが特に何の気配もない。もしかしたら人食の習性を持つ魔物や獣に狙われているのかと思ったが木々の間にそれらしき影はない。

(考えすぎか)

 唇を小さく開いて溜息を吐く。よくよく考えれば捕まれば只では済まない犯罪を犯しているのだ。多少神経質になってもしょうがないと男は思う。

 金に目が眩んでやってしまったが、実のところ男は後悔していた。男自身は根っからの犯罪者ではなく、悪を善しとしない心は当然ながらある。冒険者という職業、かつ銀糸ではあるので商人のキャラバン隊の護衛や、どこかの街で雇われ傭兵の一人として山賊を壊滅させるぐらいには人を負傷、または殺めた経験はあるが己の欲望のため、無辜の人間を能動的に魔手を伸ばすということはしない。

 しかし、今更後には引けない。引くにはもはや遅すぎるところまで来てしまった。口外無用と釘を刺されている事もあり、もしここで抜けたら一体どうなるのか分かったものではない。

 幸いにしてここまで順調に来たこともあり、この先に障害など何も無い様に思われた。あともう少しで一年は遊んで暮らせる程の大金が手に入る。そう思えば悪事を成したと言う事に沈む心も多少浮かれようというものである。

「おいみんな起きろ! もうすぐ着くぞ!」

 仲間の男達に声を掛ける。みな殆ど寝る間もない強行軍で疲れ切っているのだ。警戒する必要もあまりない状況では容易く睡魔が襲う。御者の男の声に左右に座っている者たちが防寒具で顔まで隠し、唸り声を上げながら身じろぎする。

(あともう少し。もう少しだ!)

 もう一度目覚めを促す声を張り上げれば左右の男達は不機嫌そうな顔をしながらも目覚めた。今はどこにいる、何時ぐらいだ。そのような言葉を二、三言ほど応答してする中、馬車内部の見張りに置いた者と馬車後部の昇降口に配置に着いている者の声が聞こえないことに気付いた。

(車輪と蹄の音でかき消されたか?)

 馬が疲労し、最初より大分勢いが落ちているものの、馬車を引く速度はまだまだ余裕があり、馬が石畳を蹄で叩く音も疲労はあるが困憊というわけではない。少し大声で喋らなければ左右の男達の声も聞こえなくなる程には煩い。

 それにその二人も恐らく寝ているのだろうなと思う。それに関しては強行軍である事を考えると別に何も言う事は無い。軍隊ではないのだから命の危機が無い限り眠ってしまうのはしょうがないと言える。そう思う御者の男もかなり眠気があるが時折清涼性のある植物の茎を噛んで何とか耐えていた。

 二人を起こすのは諦め、馬車を安全に操作する事だけを集中させる。もう少し経てば金貨の黄金の輝きという最高の目覚ましで起きる事になる。思わずにやける顔を隠そうともせず御者の男は馬を走らせて行く。




◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆




「見つけた!」

 思わず声に出してエレオノーレは高空で叫んだ。

 現在位置は伍星山の最高部を越え、下りに差し掛かっている最中だ。索敵行動として高く跳躍したところ、遥か前方を走る馬車を見つけたのだ。

 馬車の位置を記憶しつつ枝葉を散らし、へし折りながら着地し、地を這うような疾走を開始する。

 髪の先から足の爪先まで精霊に愛され、美の至宝とも言われるエルフの身体を避けられず、否、避ける事もせずにぶつかった草木の汁や跳ねた土の汚れで酷く汚しながら地を駆け、樹上に身を躍らせ、進路を僅かに変えながら気取られぬよう慎重に、なるべく静かに接近していく。

 ここまで来るのに己に一切の妥協を許さぬ全力疾走で来た為、息は上がり、汗が吹き出て肌が濡れ、髪や衣服が纏わりつく。高山でありながら寒さを感じたことは無く、逆に血液が沸騰しているかのように体中が熱い。

 また、足は既に上げるのが億劫な程に疲労しているし、こんな動きをすることなど想像もしていないので履いているミュールは既に両足のヒールが折れていて扁平な靴のようになっている。少し前から腕も武器に手をかけたまま振る事もせずに休めていた。もし休む暇があったとしたらエレオノーレはそこが地面だろうと泥沼だろうと横になって即座に寝ていただろう。休みたい休みたいと訴える身体の呼び掛けを惰弱として動き続ける。

(やはり鍛錬はし直した方がいいですね……!) 

 疲労で固くなる身体を無理矢理動かしながら何十度目かの抱いた思いをもう一度抱きつつ走る。

 己が疲労困憊なのも、今すぐお風呂に入りたいぐらい汗を掻いて気持ち悪い身体になったのも全てリンゼが悪い。リンゼが無様に攫われるからだとエレオノーレは責任転嫁し始める。

(きっと行き倒れを装っていた冒険者、または旅人を介抱しようとして騙し討ちされたに違いありません!)

 救出した暁にはなんでも言う事を聞いて頂きましょう。いっそ家に住み込んで毎日料理作ってもらいましょうあらいい考えですねなどと思っていると馬車の姿が見えてくる。

 馬車の昇降口の所に若い、少年と言っても良さそうな男が一人座っている。寒いのかマントを身体に幾重にも撒き付けており、背には矢筒、手に弓を携えていた。疲れている様子はなく、油断なく周囲を伺っている。

 向こうも強行軍の筈なのに疲れが見えないのは何故かとエレオノーレは思ったが若さのせいかと納得しておく。もうすぐ受け取るはずの金貨のせいもあって気持ちが張っているということもあるだろうか。警戒する視線には気の緩みがない。

 しかし、気の緩みはないが未熟ではあるようだ。弓の下部には銅玉が括り付けてあることから冒険者になってまだ日も浅いようである。良く見れば周囲の警戒も山道の横の森林をただ見るだけであり、その奥を透かし見ようという心がない。すぐ対応出来るように弓と矢をそれぞれ片手に持つということもしていない。荒事はあまり経験したことがないようである。

 冒険者というのはその名とは違い、犯罪紛いの事をするならず者もざらにいる。リンゼのようなフィールドワークや遺跡探索を主にする冒険者は実のところあまりいない。大半は魔物や竜の討伐を生業とし、少数が探索を主とする者たち、残りが犯罪者と言っても過言ではない者たちである。

 自分の身の丈に合わぬ事を成そうとする時、冒険する、という言い回しがある。強大な魔物や飛竜などそれら強靭な生命体にちっぽけな人間が挑む身のほど知らずという皮肉としての冒険者としての呼称。まだ見ぬ秘境や一歩間違えば即死する罠が満載されている遺跡探索を成す正しい意味での冒険者の称号。悪を為す事を主とし、善良で非力な者から金品を奪い、時には殺し、死を持って償いをさせられる侮蔑を含んだ冒険者という呼び名。冒険者という職業は存分に皮肉が効いていると言えた。弓矢を持ったその少年は恐らく犯罪者に近いものだろうとエレオノーレは思う。

(こんなことしなければ長生き出来ましたのに)

 そう思い、刀身が短く、閉所での取り回しが余裕な採取刀を逆手で抜く。生かすという選択肢は最初からない。皆殺し、すべからく皆殺しである。。

 白の燐光が漏れる故、目立つ命術の使用を止めて馬車に追いつき、横について併走する。己の荒い呼吸と、なるべく消しているとはいえ僅かに発生する足音は馬車の車輪の音と馬の蹄がかき消してくれており、気付かれた様子は無い。

 少年が先ほどまでエレオノーレが居た位置を見て何もなしと判断し、視界を反対側に戻す。その瞬間エレオノーレは動いた。

 一瞬だけ速度を落とし、馬車の昇降口の横に移動すると一足飛びに跳躍し、少年の後頭部に採取刀を突き立てた。

 少年の身体が一瞬だけ、雷に撃たれたかのように激しく震え、脱力する。誰がどう見ても即死だがエレオノーレは更にそこから真下に刃を走らせて延髄を切り裂き、背中の中ほどまで裂いてから横に刃を走らせて背骨とその中にある神経を断つ。何がどう間違っても動く事がないように。

 暖かい鮮血を浴びながらも力を失った少年の身体が地面に落ちる事のないように静かに横たえてから馬車の内部を伺い、

「え?」

 呆けたような声を出す椅子に座った男と目が合う。

 神速、右前腕のシースベルトからスローイングダガーを抜いて投擲し、男の額に突き立てつつ木床に広がった血の(ぬめ)りをものともせず、成人男子の大股五歩の距離を一足で詰め、左の貫き手を男の顔面にぶち込んだ。

 皮を穿ち、肉を裂き、顔面と鼻骨を砕き、かち上げ気味の抜き手は脳を攪拌しながら後頭部の骨を砕いて抜ける。声を出す事もなく四肢から力が抜けたのを確認するとやはりこれも静かに横たえながら左手の五指を開き、やはりこれもどんな奇跡が起きても男が動く事の無い様に回しながら引き抜いた。

 脳そのものやそれを保護する硬膜、脳漿。血肉が五指によって更に攪拌され、荒挽きにされつつ噴出した。あっという間に作り出した残酷な死体に思うことも無く、己の腕に付着したそれらを一振りで引き剥がしてリンゼを探す。

 二回呼吸する間もなくリンゼは見つかった。抱き上げて様子を窺えば呼吸はしており、胸に耳を当てれば心臓も問題なく元気に動いている。頭上を見れば、備え付けられた毒煙を吐き出すカンテラがあるのでそれを車外へ排除し、ついでに気付かれぬように入り口の幌を開け、周囲もはためきを生み出さない程度に切り裂いて風を取り入れる。薬を飲ませても煙を車内から排出しなければ意味がないからだ。

 麻痺治しの薬筒を腰に据えたアイテムポーチから取り出し、リンゼに飲ませる。だが意識がないせいか舌で阻まれ口中に溜まるだけで飲む気配を見せない。その様子を見たエレオノーレは己の口当てを外し、口中に薬を含んで何の躊躇もなくリンゼに口付けて口移しを試みる。

 薬を流し込み、食道へ流れ込む事を阻止する舌の根元を己の舌先で僅かに押し下げ、少しずつ嚥下させる。一気に流れ込ませると咽てしまうからだ。

 喉に指を当て、きちんと飲んでいるか確かめつつおよそ十呼吸分口づけたまま、最後は歯の凹凸や口中の窪みに溜まった薬液を舌で探り集め、お互いの唾液と混ぜて流し込んでから離れる。もう間もなく麻痺はなくなるはずだ。睡眠の方は適当に起こせば良い。

 あとはこの馬車が止まるまで待ち、その先で人攫いの下手人を皆殺しにするだけである。リンゼの横に座りながらエレオノーレは少し身体を休める事にした。

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