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珍しくその日は空腹から目が覚めた。

 その理由は簡単だ。昨日一食も摂っていないからである。いくら面倒くさがりで、燃費の良いエレオノーレと言えども一昼夜飲まず食わずはさすがに応えた。

 いつものように井戸に飛び込んでから、風精が髪を乾かすのを待たずに食料庫を漁る。神術が使えない彼女には冷蔵保存という言葉はなく、干し肉や、日にちが経っていないパンしか食べる物が無い。

 だが不幸にも満足な量の保存食料が何も無かった。あるのは二、三口分の干し肉と小さめのパンが一つ。子供の腹だって満たせやしない量だ。あ゛ー……と不機嫌な声を出して食料庫の扉を閉める。

 テーブルに付き、口の中の水分を取られながらもそもそとそれらを食べている内にリンゼが作るはずだった料理といま口にしている物を比べてどうしようもなく腹が立ったのでエレオノーレは朝一番でリンゼのところへ文句をブチ撒けてやろうと思った。

 今日の店は自主定休である。食い物の恨みほど怖いものは無い。干し肉を荒々しく食い千切りながらエレオノーレは獰猛な笑みを浮かべた。




◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆



「帰ってきてない?」

「あぁ。昨日朝いったっきりだ」

 朝食の屋台で買った肉と野菜の串焼きを頬張りながらエレオノーレがリンゼの住む家の扉を荒々しく叩き、眠い目を擦りながら出てきた同居人と思しき人間は不機嫌そうにそう言った。珍しいエレオノーレの外見に惑わされぬ男であるらしい。単純に安眠を妨害された苛立ちが勝っているだけかもしれないが。

「一度も?」

「そうだ」

 エレオノーレはてっきりリンゼが依頼で得た報酬を使って食事をして満足し、エレオノーレの事を忘れて帰ったのだと思っていた。だからこうやって文句を言いにきたのだが帰ってきていないとは予想外だった。

「どこ行ったか知ってますか? 私は護衛と聞いていたんですが場所までは聞いていないのです」

「俺も知らん。朝一で張られていた依頼を受けたとしか聞いていないからな」

 どうやら同居人と言えども親しい間柄ではなさそうだ。お金が無い冒険者同士が行うルームシェアリング。ただそれだけの同居人の関係のようだった。

「ふむ……」

「もういいか? 昨日遅かったもんでもう一眠りしたいんだが……」

 あくびをするその男に謝罪する。閉まった扉の前でエレオノーレは少し考えた。

 試練の森でも、近くにあるダンジョンでもリンゼの能力ならば、問題は無いはずである。銀糸に上がったばかりだがその実力は銅玉とは比べ物にならないはずなのだから護衛対象が二、三人居ても守りきれる。だからこそ銀糸が授与されるのだ。

(もしかして行方不明?)

 一瞬その事が頭を過ぎったが、馬鹿らしいと思う。理性が働く人間なら荒事に手慣れた冒険者、しかも銀糸を襲う理由もないはずだし、獣に食われるような弱い銀糸もいない。

(冒険者ギルドに行ってみようか……)

 ギルドには簡易的な宿泊設備もあり、疲れ果てた冒険者がよくそこで寝ることもある。もしかしたらそちらで寝ているのかもしれない。エレオノーレは前向きに考えることにした。



◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆



 冒険者ギルドはヴァーレの中心にある煉瓦で出来た建物だ。ヴァーレがヴァーレと名付けられる前からあるその建物は、この街が出来た年数を煉瓦の色が色濃く残している。

 その中、いくつもある受付の内の一つにエレオノーレはいた。

(やっぱりいないか……)

 冒険者ギルドの受付に聞いてみたところ、昨晩にリンゼが来た痕跡はないらしい。宿泊台帳にリンゼの名前は無かった。

 遠征ならばともかく、近場で済む依頼で一日帰ってきていないということは基本的に死んだと見なされる。これが冒険者以外の者なら判断が早いと言われるかも知れないが、冒険者達の間では一日帰ってきてない=あいつ死んだなということである。しかもこの予測はほぼ外れない。

 どうやらリンゼを取り巻く状況は死亡が色濃い状態だ。エレオノーレはそう判断する。

 だがエレオノーレはそんな事を信じはしない。予測はほぼ外れない。だが《ほぼ》なのだ。外れる事もある。リンゼの身に何が起こっているのか確かめる必要がある。だからエレオノーレは受付に言った。

「エレオノーレ=イチトセ、階級白金。リンゼ=アールクヴィスト、階級銀糸の依頼に介入いたします」

 ヴァーレでの冒険者の階級は一般的には、下から初心者の銅玉、中堅者の銀糸、上級者の金糸だ。だがそこにもう一つ、例外的な階級として白金がある。

 白金の意味は冒険者として後世に名を残す働きをした者か、ヴァーレに古くから居る名誉市民としての証である。エレオノーレは後者の扱いとして白金が授けられていた。

 古くからいると言ってもエレオノーレ自身がではない。薬屋が、である。

 ヴァーレの創世を記した歴史書には必ずエレオノーレが継いだ薬屋の事が記載されている。エレオノーレから(さかのぼ)って五代目ほど前に白金が授与され、それ以来薬屋を継ぐものには必ず白金が授けられていた。

「依頼の介入ですか……失礼ですが戦う術はお持ちで?」

 受付が怪訝な顔をしてエレオノーレに聞く。白金を持つものとして名を馳せた冒険者はギルドの登録者にはいないからだ。ゆえに白金を持つものは全員名誉市民となる。王や貴族がいない独立した都市であるヴァーレに置いて、それらは全て膨大な寄付をした商人や、革新的な何かを開発した技術者が授与された物としてギルドは把握している。

 更にエレオノーレは神術が使えないエルフとしてヴァーレで知らぬ者は居ない。腕一つ武器一本で食べていけるほど冒険者稼業は甘くないのだ。

「まぁそれなりには」

 エレオノーレは微笑する。彼女の事情を聞いている受付の女性は少々不安げな顔をして職務を遂行した。

「では銀糸、リンゼ=アールクヴィストの依頼である銅玉の護衛に白金、エレオノーレ=イチトセが介入する事をギルドの名に置いて許可します。報酬の分配方についてギルドが仲を取り持ちますか?」

 本来一人で受けた筈の任務に他者が介入すれば、受け取る額は介入した人数に応じて一人頭の報酬が減っていく。事前に本人同士で取り決めがあるなら問題は無いが、過去にそれで冒険者同士のトラブルがあったため、現在はギルドが仲を取り持って報酬の分配をすることになっていた。

「いいえ、報酬は全額リンゼに」

「分かりました。ではこれが許可状になります」

 丸まった羊皮紙を受け取り、懐に入れる。臀部に掛かるほどに長い金の髪を靡かせながら去るエレオノーレの後姿を受付の女性は不安そうに見ていた。

「彼女の事なら大丈夫だぞ」

 女性の後ろから男の声が掛けられる。彼女の上司である。

「でも神術も使えない人が、ましてや剣一本もまともに持てないって言われる非力なエルフの女性が依頼に介入するなんて命知らずもいいところですよ」

「あぁ、そういやお前は一年ぐらい前に始めてここにきたんだったか」

 上司の男が腕を組んで、彼女が働き出した時期を思い出す。

「エルちゃんはな、色々と特別なんだよ。良くも悪くもな」

「特別……?」

「あぁ、俺はここに座って仕事するまでは冒険者でよ。引退してからはここに座って色んな冒険者を見てきたわけだが」

 組んだ腕を解き、引退した原因である膝から先が無くなった右足を(さす)りながら上司は思い出す。エレオノーレとの始めての出会いを。命の恩人である彼女の姿を。

 思い出しながら、言う。

「純粋にあの子以上に強い奴を見た事がねぇ」




◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆




 自身の家に帰ったエレオノーレは目にするのも久しぶりな物を私室の押入れの奥から引っ張り出していた。

 それは二本の刃物。その内、手に取ったのは薬の材料を取るときに使う、刃渡り三十センチ程の採取刀だ。

 直刀の鈍色の刃は掘る事も考えられており、分厚く、重い。刃の背は鋸のような刃がついていて何かを引き切るのに便利である。また柄尻には金属のリングが取り付けられていて、そこに指を入れれば、一々鞘に戻す事なく、持ったまま別の作業が出来る。

 もちろん本来は戦闘用ではないため、当然ながら鍔に当たる物はないが、これは先代からプレゼントされた特注のもので一般の採取刀とは刃渡りを初めとした様々な部分が違う。

 それをベルトと一体型の皮鞘に戻して後ろ腰に下げる。柄は右の外側を向いており、いざという時に右の逆手で引き抜ける位置だ。

 もう一本の刃物は狩猟刀だ。これもプレゼントされた特別製で片刃の刀身は採取刀と同じぐらいに分厚く、更に刀身、柄共々に黒塗りで、光を反射しないマット加工である。夜に使えば刃筋は全く見えなくなるだろう。刃渡りは六十センチ程。明らかに戦闘用を意識したものだ。

 採取刀が万能的に使えるものならば、狩猟刀は純粋に戦うためだけの物だ。それも柄を外側に向けて左の腰に下げる。後ろから見ると刀身が違う刃物が交差して傾いた(いびつ)な十字を描いている。両利きのエレオノーレにはどちらに重量のあるものを差そうとあまり関係がない。

 他には手入れをしていなかったせいで錆びた大量のスローイングナイフと四肢に一つずつ巻くナイフを携帯出来るベルトシース。傷薬などを持ち歩く為の縦長アイテムポーチが四つ。あとは薬屋を継ぐ者として修行時代に着ていた旅装だ。

 もちろん旅装は成長した今では着れないので廃棄。旅装の代替品として普段自分が着ている私服から動きやすい黒のショートパンツとベージュのハイネックノースリーブカットソーを着て、その上から留め金が付いた、革で出来たベルトを腰に巻く。ベルトがないとアイテムポーチが下げられないためだ。戦闘用の物ではなく、中に金属板や鎖などは縫い込まれていないので斬撃を受ければ簡単に断たれてしまう。

  錆から免れたナイフは予備を含めて百本以上ある中から二十本ほどあったがサイズが小さい。何分小さな子供の頃に使っていたもので、今では彼女の手の平より少し小さい程度である。投げれなくもないがベルトシースも合わせて改めて買いなおしたほうが良さそうだった。四つあるアイテムポーチは狩猟刀にぶつからないように左右の腰に一つずつ。残る二つの位置はナイフを買った後に決めた方が良さそうだ。

(あとは薬やらなんやら補充してマント買って終わりですかね)

 姿見の前でくるりと回って不備がないか確かめる。懐かしいかつての装備を姿身の前で一つずつ手に取っては戻して収め、それを振るっていた頃の体の動きと自分の記憶に齟齬がないか最終確認をする。

 階下に降りて売り物の薬と道具をポーチに収めていく。傷薬から始まり、解毒薬、麻痺治しなどを詰め、道具は閃光玉や爆薬など戦闘に便利なものを選び持っていく。どれもこれも神術で代用出来る一般の冒険者は使わぬものだ。当然全てがエレオノーレの手作りで、一応売り物でもある。神術が使えぬ彼女は重宝していたがエレオノーレ以外に人気はない。一通り詰め終わり、店を出ようとした時に思い出した。

(えーっと……確かこの辺に……)

 店主しか入れぬカウンターの裏、高価で効き目の高い薬の棚、その奥の奥にその木箱はあった。

 箱の大きさは手の平ほどで内部に物が何個も入るような構造ではなさそうだ。少々どころではない程に被った厚みがある埃を吐息や指で払い、蓋を開ければ真っ白な丸薬がある。

(ふむん……要らない気もしますが……)

 それでも念には念を、ということもある。小袋に移してアイテムポーチに押し込み、エレオノーレは店の外に出た。

 何故か道行く人の視線を感じる。一瞥しただけで通り過ぎていく者もいるがその視線は不快なものではなく、どちらかというと驚きと興味だ。何故でしょうと思い、すぐに合点する。

(あー、なるほど。私が武器を下げている所なんて何年も前の事でしたっけ)

 とはいえそれらの視線にわざわざ説明する義理もない。行きますか、と歩き出そうとしたところで目的地を決めていない事に気付いた。といってもリンゼを探す場所は二つしかないのでそのどちらかなのだが、

(最近行方不明者が出てるのは試練の森でしたっけ……でもあそこで行方不明……うーん……)

 銀糸のリンゼが獣に食われたり人攫いに捕まると言うのは少々おかしいとエレオノーレは再度思う。探索の過程で多少の衝突はあれどリンゼは戦闘を主とする冒険者ではないし、つい最近銀糸に昇格したばかりだが探索系の冒険者はなるべく未知の脅威を回避する様にしているため気配察知に優れているし、聴覚が敏感な猫の獣人ということもあって不意打ちには滅法強い筈でもある。

 ここで考えてもしょうがない、近い順から探していきますか、と決めて伸びを一つ。カットソーの裾から綺麗に窪んだ臍が見えるが隠そうともしない。

「装備買った後はまずは試練の森。その後は盗賊の(ほこら)ですかね……はぁぁ面倒な……」


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