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「にしてもリンゼが朝一番に来るなんて珍しいですね?」
私室にて、素っ裸の状態から仕事着に着替えたエレオノーレがリンゼに聞く。仕事着と言っても売り子が良く着るようなエプロンドレスではない。長さや幅が異なる二種類の白布を胸と下半身に巻き付けただけのものだ。
ただ何重にも巻いているので胸は物理的に見えず、下半身は機動性を損なわないように若干タイトではあるがスカートの様になっている。何も巻かれていない腹部を初めとして肩口や胸の谷間など、肌が大胆に露出しているところもあり、リンゼ曰く、
「故郷に居た踊り子みたい。ベール付けてれば完璧」
という評を得た。しかしエレオノーレはこの服装は男性に媚を売るためではなく、単純にエプロンドレスより洗濯が楽という理由をリンゼに言った時、リンゼは何とも言えない顔をした。
その評を下したリンゼはエレオノーレの髪を難しい顔をして結いながら答える。
「今日はお貴族様の観光の護衛でさ。出発の時間も早いから朝一番で薬買いに来たんだよ」
「あぁ、銀糸になったんでしたね。おめでとうございます。でも薬買うお金あるんですか?」
エレオノーレがリンゼの腰に下がった真新しい曲刀を見ながら聞く。
リンゼが扱う武器はカタナと呼ばれる異国の武器だ。カタナの中で最も安い物でも切れ味は凄まじく、それなりの技術がいるが相手の身体を真っ二つにすることも可能だという。
基本的にカタナのような異国の技術を使った物は高価だ。どんな最低の安物でも以前にリンゼが持っていた物は、一般的に流通しているブロードソードの約五本分の値段だとエレオノーレは記憶している。ブロードソード一本で一週間は食うに困らない。カタナ一振りで一ヶ月は不自由なく食べる事が出来る。
「あー……そのことなんだけどさ……」
鏡越しに伺うような視線を見てエレオノーレは理解した。
「ツケですか?」
「……うん」
やはり薬を買う金がなくなったらしい。エレオノーレは苦笑して頷いた。
「いいですよ。でもお金はいりません。その代わりあとでリストを渡すので薬草を何種類か取ってきて頂けませんか」
「そんな事でいいなら喜んで!」
随分と大げさな喜びようだ。この感じだと日々の食事代すら怪しいとエレオノーレは思った。だから付け加える。
「お金がないなら何時でも食べに来ていいんですからね。その代わり作ってもらいますけど」
「……今夜来ます……」
苦笑と共に頷いておいた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
少々遅れながらも薬屋エレオノーレが開店し、適当に接客しながら一人で切り盛りしていた時にその話は来た。
「知ってるかいエルちゃん。最近行方不明者が多いらしいぜ」
名前は知らないがいつもここに来て傷薬を買って行く冒険者だ。薬の対価である銀貨を差し出した右手首に金糸の飾り紐が付けられている。上級の冒険者だ。
「行方不明?」
冒険者が出先で行方不明は対して珍しくもない話だ。野獣や魔物に食い殺されるだとか深入りしすぎて遭難する、崖や川に落ちて転落死、溺死と言った事もよくある話の一つである。
「銅玉が行方不明になる事が多いってぇ話だ。試練の森とか盗賊の祠に行ったやつが帰って来ないんだと」
「装備とかは? その場に残っていなかったんですか? 装備が残ってるんなら珍しいですけどローパーって可能性もありますよ?」
ローパーは魔物の一種だ。無数の触手を持つスライムのような魔物で、触手で捕らえた獲物を自身の体内に引きずり込んで溶かし、その養分を得る生き物である。 また、ローパーは雑食だ。目が無く、温度感知で獲物を捉えるため、触手にかかった物は人間や動物問わず取り込まれ、溶かされて消化されるが、消化出来ない石や鉄で出来た装備品などはその場に残る。
「いや、装備もないらしい。それどころか血痕すらもないって話だ。地蟲に丸呑みされたんじゃねぇかって馬鹿みてぇな話もあるがそれなら誰かが気付くしな」
一瞬人攫い、という言葉が浮かんだが馬鹿馬鹿しいと一笑に伏す。そんな事をする利益がないし、奴隷売買は大罪だ。世界共通の法律で発覚したら良くて十年単位の長い強制労働、最悪死罪ということになっている。そんなリスクを冒してまで人を攫う馬鹿はいない。それに銅玉ということは初級の冒険者である。大方狼や熊に襲われて巣へ連れ込まれて跡形も無く食われたに違いない。
例え人攫いが居たとしてもそれでリンゼを心配するのは侮辱に近い。リンゼは戦闘系の冒険者ではなく、どちらかというと未開地域や遺跡の探索を主とする冒険者だがそれでも多少の戦闘はあるので腕は立つ。獣人は聴覚や嗅覚に鋭敏な感覚を持つので不意打ちもし辛い。そんじょそこらの犯罪者には負けないだろう。
試練の森は銅玉が行くにはうってつけの場所だ。魔物はおらず、狼や猪などの野獣しかいない。更に少し奥へ行けば中々出ないうえ、出ても屑に近いが金策にぴったりな宝石の採掘場があり、そこまでいかなくても果物や木の実、薬草の採集も出来るとあって、色々な意味で貧弱な銅玉が最初で経験を積むのが試練の森である。このまま放っておけば犠牲はもっと増えるだろう。もしかしたらリンゼが行方不明にならんとしている現場を目撃するなどしてとばっちりを食うかもしれないなと考え、
(あ、でも観光で護衛が云々って言ってたような……)
となるとそこらにある森と対して変わらない試練の森には行かないはずだとエレオノーレは思う。何しろ本当に薬草と果物と木の実と宝石しかないのだ。他の森にないといえば宝石の採掘場だが殆ど出ない所にいく意味もない。
「念のため付近に注意勧告は出されたみたいだな。その内依頼が出されて銀糸辺りが解決するだろ」
袋詰めにした傷薬を持って男が出て行くのをエレオノーレは見送って次の客を相手にする。
客を相手にしながらエレオノーレが思うのは今夜の夕食だ。ご馳走する代償としてリンゼが作る事になっているそれが非常に楽しみである。リンゼの作る料理の味ときたらエレオノーレには天上の物と思えるものであった。思い浮かべるだけで客の相手をする顔が自然に緩むというものだ。
「エルちゃん機嫌がいいな! どうだい? 今度俺と一緒に飯でも」
「お断りします」
銀糸の冒険者ががくりと肩を落とし、傷薬を持ったままとぼとぼと店の外へ出て行くのを見てもエレオノーレは笑顔だった。
「美味しいご飯が私を待っているので今日は早く店じまいしますね。 さぁとっとと買って帰ってください!」
その言葉を受けた客である冒険者達はいつものことだとして苦笑いを浮かべる。このヴァーレに居を構えるただ一人のエルフとしても有名なエレオノーレは美味い料理と酒に目がない事も知られていた。特に良くそれらを提供するリンゼに味覚的な意味で手懐けられている事もだ。だからみな慣れたものであった。
(今夜はなんですかねぇ……前回はケバブとか言う神代料理でしたっけ……前々回は魚だったような……今回は野菜系でしょうか)
遥か昔、神代に数多存在していたという旧き神々が食べていたと言われる料理にエレオノーレは一人今夜に思いを馳せる。
その夜、食事を楽しみにしていたエレオノーレの元にリンゼは帰ってこなかった。