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タイトルに※と付いているのが現在改稿済みの話です。基本的に少しだけ手直しして何話ずつか纏めただけのものでございます。話しが以前とがらりと変わるのはもうちょっと後なんじゃよ。
現象の数だけ精霊がある。そういったのは遥か昔、そう言葉にしか残らないぐらい遠い遠い昔のひと。
路地を駆ける子供の頬を撫でる風は悪戯好きな風精が傍を通ったということ
人々を照らす暖かな日差しは厳しくも優しい光精が見つめているということ。
荒ぶる炎は乱暴者の炎精が張り切っているということ。
雨が降るのは慈愛に満ちた水精が悲しんでいるということ。
大地が時折揺れるのはのんびり屋な地精が寝返りを打ったということ。
夜に闇が天幕を張るのはひねくれ者の闇精が怖がらせながらもゆっくりと休ませようとしていること。
精霊達は基本的に人間の味方だ。だが〝命力〟を彼らに渡せば話は変わる。
命力とはこの世にあまねく意思ある物が持っているものを消費、変換して精製する事が出来る。
それは魂だ。
生きているならば産まれた時から、生きていない物は長く時を経るか、人工的に魔具となり心を得たもの、それらに魂は宿る。それを命力として精製し、精霊に渡せば精霊はその力を何十倍、何百倍にも高める事が出来る。
人間やエルフが鳥に負けじと空を飛び、全てを焼き尽くす灼熱の溶岩の中へ飛び込んでも火傷一つ負わない奇跡の力をこの世の魂あるものたちは扱う事が出来る。
もちろん制限はあり、消費する神術の規模の大きさで渡す命力の量も変わってくる。
そして命力とは魂を削るものだ。一定の境界を越えなければ時が魂を元に戻してくれるとはいえ、変換しすぎれば命に関わる。限界を超えて最後の一片まで消費しつくしてしまえばその魂の持ち主は輪廻の輪に乗ることもなく、ただ静かに消えていく。
便利な神術にも危険はある。だが一般市民が扱う大多数の神術はそこまで大量の命力を消費したりはしない。
それらは全て生活に根ざしたものだからだ。竈に火を入れるのに炎精に火種を作って貰う、本を読むための明かりが欲しいから光精に光源になってもらう、家の掃除をしたいから風精に埃を風で持ってきてもらうとかそのようなもの。
それらは何十回と使ったところで眩暈すら覚える事が無い程度で、大多数の人間はそのような神術を寿命で死ぬまで使い続けるだろう。
魂を磨耗させ、消滅死する程に至るのは、今では大嵐や津波、噴火時などの歯止めが効かない程に荒れ狂っている精霊を鎮め、天災を止めたり、術者の力量に不釣合いな神術を一人で発動する場合ぐらいのものだ。
また、エルフは元々の魂の規模が大きい上に、命力の変換効率も素晴らしく、術の構成なども人間とは一線を画す。ましてや無条件に精霊に愛されており、術者にやる気がなくても精霊が勝手に頑張って効果を上げてしまうと言う事を踏まえば人間の術者は太刀打ちは出来ない。
そんなエルフにも弱点はある。
それは肉体の脆弱さだ。治癒が早いとはいえ、その腕は若木のように細く、筋力も外見と同じぐらいにない。エルフの男と人間の女が力比べをすれば僅差でエルフの男が勝つぐらいだ。エルフの力自慢とごく一般人の人間の男の力の差が大体同じぐらいである。人間とエルフの戦士同士が物理的にぶつかれば、技術の差はともかく力負けは必ずエルフだ。
また、神術という名称は全体的なものを含めてのものであり、細かな物を含めると複数の名称がある。
日々の生活に使う神術を生術。戦闘や狩猟に使う神術を戦術。物や人の移動に使う神術を動術。 相手の動きや神術を妨害する神術の総称を封術という。また、更に神術は精霊によって頭に付く名称が若干変わり、例えば夜間、照明を作って本を読むというものならば光生術。戦闘の際に風の刃を形成して切り払うというものならば風戦術というものになる。普通の生活を送る一般的な人間ならば生術しか使わないだろう。
肉体が脆弱だが神術寄りのエルフ。エルフ程に神術は得意ではないが、エルフと比べれば頑強な人間。その相互補完出来る特性もあってかこの二種族は仲が良い。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
冒険都市ヴァーレ。エレオノーレが住んでいる所はそう呼ばれている。
そこ、ヴァーレは一攫千金を狙う冒険者達の一大拠点であり、新米冒険者の登竜門だ。
もちろん新米だけではない。手練れの冒険者もここに拠点を置き、各地へ旅をする。
誰もが知っている名の知れた冒険者から、昨日冒険者としての生を歩み始めた者までが一同に集結し、明日へと思いを馳せる。
冒険者という職業は過酷だ。とある秘境に眠ると言われるあるのかないのかよく分からない財宝を探しにエレオノーレ特製の傷薬を大量に買っていった気さくな中年とその仲間達が、折れて砕けたぼろぼろの武器と鎧らしき破片、わずかな肉片と大量の血痕だけを残して樹海の奥へ消えたこともある。彼女が顔見知りだと分かったのは血に濡れたロケット、その中にあったこれまた血まみれの、中年とその家族らしき人物が写っている写真があったからだ。
人食の習性がある魔物か魔獣にやられた事は明白だった。無残な帰還を遂げた人懐っこい笑顔を浮かべていた中年とその仲間たちにエレオノーレは彼らが信じていたという神に向けて魂の安息を祈った。
ヴァーレでは毎日のようにどこそこの誰が死んだ、行方不明になったという話しがあるが、それでも都市の人口は減らない。毎年増加を繰り返し、都市の規模がどんどん拡大していき、今ではエレオノーレの商売敵も山のようにいる。だが彼女の店は受け継いだもので、その店はヴァーレが出来て間もない黎明の時代から改修や改築を繰り返し今に至る。その老舗の風格と、それに違わぬ傷薬の効果は熟練した冒険者が後輩冒険者に薦める代表的な店だ。
尚且つ今代の店主が美しいエルフだと触れ込めば新米手練れ問わずむさ苦しい冒険者達が朝から彼女の店の前で行列を作る。更にここの店主は朝が弱く、よく寝坊して本来の開店時間より遅く店開きをするときもある。その時のとある姿が男性にとても人気で、それを間近で見ることが出来る先頭は、同じように列に並んでいる女性冒険者達の冷たい視線をものともせず、競争相手を殴り倒してでも手に入れたい位置だ。
だが今回行列の先頭に立つのは珍しい事に男ではなく女だった。もちろんその背後では男たちによる取っ組み合いになりかねないほどの殺気と、女たちによる肌寒ささえ感じられる程の冷気が漂ってはいたが。
「もうそろそろ店が開く時間なんだけどなー」
大の男三人が並んで入っても肩どころか装備すらぶつからないぐらい大きな扉。そこに掛けられている開店準備中と書かれた札を手で弄びながら彼女は扉に嵌め込んであるドアガラス越しに店の中を伺う。
店内を覗くその瞳は縦に細く、また、人が持つ事はない金の色だ。髪色は僅かに深い茶色で長さは肩甲骨に僅かにかかる程度とそれほど長くは無い。肌は濃くも薄くもない褐色、彼女の最大の特徴は時折弾かれたように動く髪色と同色の獣耳と尻尾であろう。様々な人種が入り混じるヴァーレでは珍しくもない猫の獣人種だ。
何度か店の扉を叩いてみても返事は無い。光精に聞けば店開きの時間はわずかだが過ぎている。寝坊しているのかと思ったところで目当ての人物が来た。
あくびをかましながら悠然と歩いている。寝坊してる癖に随分余裕あるなと頬を緩め、近くまで来た彼女を見て、そして自分の目を疑った。
「待っ――!」
言葉よりまずは行動する事を彼女は選んだ。
全力で自分の側に引っ張ってドアを開けさせまいとする。だが、
「うわわわわわ……!」
凄まじい力で引っ張られた。踏ん張った足が砂を擦る音を立てながら石畳の上を滑る。
(エルフの癖になんて力――!)
抵抗空しくドアは開かれ、店主、エレオノーレが姿を現した。
「ああ、申し訳ありません。少しばかり遅れましたがただ今より薬屋エレオノーレ開店でございます」
――全裸で。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ヴァーレの中心にある冒険者ギルド。そこにある依頼掲示板にありふれた護衛の募集紙が張り出されていた。
内容は珍しく荒事とは縁のない富裕層達が物見遊山をする間の護衛。ただ護衛とはいってもなるべく手は出さずに見守り、本当に危険なときだけ手助けするというものだ。
冒険者ギルドとは冒険者達の集会場となる場所だ。ここでなにそれを期日まで持ってこい、魔物または魔獣を討伐してこいなどという依頼を受けたり、他の冒険者と交流を図って共に一攫千金を求めて行く仲間を募ったりする
冒険者という職業は階級制で、それは三種の金属で出来た飾り紐で判別される。下から数えてまだ日にちが浅い冒険者には小さな銅玉が付いた飾り紐が、それなりに場数を踏んで初心者から抜けた中堅どころの冒険者達には特殊な製法で作られた、戦斧の一撃を受けても断たれない銀糸で編まれた飾り紐。この過酷な仕事の過程で淘汰、洗練された一握りの冒険者達が、一流の証たる金糸の飾り紐を付けるのだ。これを一目で分かる位置に付けるのが常識となる。
それなり以上の実力を持つと評価された銀糸の冒険者達が一番最初に受ける依頼は大概がその護衛任務であった。
任務のために行く場所も、殆どが自分達が通ってきた場所で、もちろん狼を初めとした危険な野獣、はては低級な魔物もいるが、銀糸であればその程度は苦も無く守り通せるし死亡することもないだろう。
この仕事を長く続けたい上での教訓は、無理をするなである。知らないものは触らず、二度と手に入らない貴重なものでも命よりは安い。何事も程ほどに、というのが偉大な先人たちと冒険者の歴史を作っている幾つもの無理をした屍が遺したものである。あまり守っている冒険者はいないが。
現在ちょっとしたパニック状態にある薬屋エレオノーレ。店主の名前がそのまま店名になる店。そこに並ぶむさ苦しい行列。その先頭にいる彼女も冒険者の一角であった。
反りの浅い、真新しい曲刀を帯びているベルトに銀糸の飾り紐を結び付けている。彼女はエレオノーレの友人で、先日中堅と認められたばかりの冒険者だ。
そのエレオノーレの友人、獣人のリンゼは突然全裸で出てきた友人の胸へ顔面からダイブを敢行していた。
好き好んで胸に顔を埋めているわけではない。リンゼのその趣味は無かった。薬屋エレオノーレの扉は内開きで、エレオノーレが全裸であることに気づいたリンゼがその扉を引っ張っていたが、エレオノーレの力に負けて開いて行く扉に吸い込まれるようにつんのめった先にエレオノーレの胸があったのだ。
支えを求めて前に出した両手がエレオノーレの桜色を隠し、カウンター気味に出てきた胸の双山に手と顔が埋まる。五指が食い込むように沈み、己の両頬に当たる柔らかさ、リンゼの耳が埋まるほどのボリュームに同性ながら一瞬夢見心地になった。
(まだ成長してるのかこの女……!)
一瞬揉み潰してやろうかと思ったが止めておいた。それより現状をどう打開するかである。
唯一正気である自分は視界と両手を塞がれている。そして後ろには全裸に見とれている暴徒寸前の冒険者たち。なんで友人がダイブしてきているのか分からない寝ぼけエルフ。まだ誰もリアクションしてないために辛うじて場の均衡が保たれているが、
(動いたら不味いっ……!)
ダンジョンや森の奥深くで強敵をやりすごす感覚に似ている。空気が硬い。精霊達ですらこちらに中てられて身動き一つすらしない状況。そこに投入されるのはエレオノーレの戸惑いの声だった
「あの、皆さん……? 一体なぜそのような鬼気迫る形相を……?」
「場の空気読めぇぇぇぇ!」
リンゼが悲鳴を上げ、暴徒が雄たけびを上げる。それらはう、から始まるものや、お、から始まり、次第にはヴォォォなどという魔獣染みた物も聞こえてきた。
昇格したばかりの銀糸とは言え、冒険者として過酷な現場を生き抜いてきたリンゼの判断は早い。
両手はそのままエレオノーレの桜色を隠しつつ、顔を引っこ抜く。雄たけびに釣られてやってきた音精によるきゅぽんという擬音付きでその行動は行われた。
次いで行われるのは光精を使役しての目晦ましだ。普段洞窟探索用に使う照明の神術に命力を過剰に注いで視界を失うほどに発光量を瞬間的に大きく増大させた。突然の視界の消失に暴徒たち、中には金糸の冒険者も含まれていたがそれらもまとめて混乱する。
最後にリンゼはエレオノーレの両足を、自らの両腕でしっかりとホールドし、一気に上に持ち上げる。
エレオノーレが突然の浮遊感に慌て、リンゼの頭をしっかりかき抱くようにして抱きしめる。顔面が再び双球に埋まるが、そうして出来るのは、
「視界不良の連れ去り形態……!」
リンゼは一気に店内へと走った。
門開きの薬屋のドア。その右側に、右足による蹴りを入れて貴重なエルフ全裸に狂った暴徒の顔面にぶちかましながら閉め、左側に肘鉄を食らわせてドアを閉めた。閉める直前に見えた暴徒の瞳は懇願に満ちていたが同じ女性としては唾棄すべきものである。
「ちょっとエル! 一体どういうつもりなのよ!」
店内へと避難したリンゼは、カウンターに上げたエレオノーレへと呼び慣れた愛称で叱責した。いつも勝気な事を伺わせる切れ長の眦は、普段より更に鋭くエレオノーレを見据えていた。獣人特有の尻尾と人の耳と同じ位置に付いた獣耳が上下に激しく揺れている。困惑混じりの怒りを表しているのだ。
「どういうつもりと言われましても……」
一方のエレオノーレは自分が裸であることに全く気が付いていない。エルフの特徴である長い外耳が困惑気味に下がっている。
「あんた昔からボケてるよね……下、見てみなよ」
リンゼは嘆息気味にエレオノーレの胸を指差した。
「ああ、なるほど」
ようやく合点したらしい。だが羞恥に身悶える事は無かった。カウンターの上にあった、商品の包装にでも使う針金を手の平で弄びながら極めて普通に、特に何の以上も無いように振舞う。
「ボケてる上にズレてもいるよね……羞恥の概念はどんな種族でも変わらないもんなんだけど」
とりあえずなんか着なよ、とリンゼに言われてようやくエレオノーレは腰を上げた。
「あっと、服だけ着て下着付けないとか論外だからね」
「何故分かったのですか!?」
「わからんでか。あんたと三年も一緒にいてどういう性格か分からないほうがおかしいわ物臭エルフ」
ヴァーレにいる者で、銀糸以上の冒険者なら大体の者がエレオノーレは非常に面倒くさがりである事を知っている。店が無ければ日が落ちるまで寝ているし、店があるときでも寝坊はよくする。
接客態度も褒められたものではない。普通に微笑みながら罵倒するし、彼女にちょっかいを掛けるうるさい客は彼女自身によって叩き出される。店内の数箇所は埃を被っているし、棚に並べられた薬は使用期限が切れたものもある。
薬の配達は彼女が店主になってからしたこともないし、材料すら自分で取ってこずに、依頼を出して冒険者任せ。
私生活で言えば朝昼晩の三食の内、どこかの二食を抜くのは普通だ。エルフと言えども腹は減るはずだが、料理を作るのが面倒とエレオノーレは言う。
風呂は井戸に飛び込むこと。布を使って水分を拭うことはせず、そのまま服を着るか、素っ裸のまま就寝だ。
そんな駄目人間、ならぬ駄目エルフのエレオノーレだが、薬の調合の腕は確かだった。先代がせめて飯代は稼げるようにと鬼と化して仕込んだおかげである。常々話しに出てくる先代とやらの努力がなければエレオノーレは森か山に引きこもって精霊達とお喋りするぐらいしか出来ないだろうとリンゼは思っていた。
「あぁ、ヘッタクソ。貸しな。髪の毛ぐらいあたしが結ってやるから服着なよ」
服を着ずに先に髪の毛を結おうとして、何故か苦戦しているエレオノーレに、リンゼは苦笑しながら髪紐を奪い取る。
何故か硬い。手の中を見る。
髪紐と思っていたものは針金だった。リンゼは吼えた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「またリンゼが怒ってるぜ」
「エルちゃんが髪を針金で結おうとしたんじゃねぇか」
「さすがに物臭ったってそれはねぇだろ!」
暴徒から冒険者に戻った男たちは、笑いながらそんな会話を店の前でしていた。