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この小説は題名の割には血生臭いお話しや脳筋成分が含まれている冒険物になりますのでその手のお話しはちょっと……という方はご注意下さい。
タイトルに※と付いているのが現在改稿済みの話です。基本的に少しだけ手直しして何話ずつか纏めただけのものでございます。話しが以前とがらりと変わるのはもうちょっと後であります。
薄暗い森の中。東の空が白む頃。そこに彼女は居た。
いつも着ている白い綿のワンピースの上に、すっぽりと顔まで隠れるぐらい深いフード付きの白のローブ。集落の女たちが神へ歌を奉ずる時に着る物だ。金糸による刺繍が入っていて華美にならない程度には美しい。
手を引かれ森を行く道中、彼女は横の人物へ問うた。
『母上、どこへいくの?』
問われた人物、彼女の母はこう答えた。
『精霊達へお返しを届けにいくのよ』
母も同じローブを着ており、彼女と同じように被ったフードのせいで顔は見えない。だが声音はいつも通りで、それが彼女を安心させた。
『父上、ここは危ないところじゃないの?』
母と彼女を先導するように歩くその背中に彼女は問うた。
問われた人物、彼女の父はこう答えた。
『大丈夫だ。精霊が我らを護ってくれているよ』
父は縁に銀糸で蔓草の刺繍が入った白いフードマントを着ていた。フードは被っていないので長い金の髪が露になっている。
彼女は父のこの髪が大好きだった。何故なら自分も同じ髪色だからだ。左右に下がっている三つ編みを揺らしながら彼女は子供らしく笑った。
『この辺にしよう』
『父上……』
父と同じフードマントを着た、兄弟の中で一番最初に生まれた兄が彼女をちらりと見ながら父へ意味ありげに視線を流した。父親に似たその涼しげな眼差しは集落の年頃の少女に人気があることを彼女は知っている。
父はその兄の問いたげな視線をあえて受け、しかし意に介さずに母を手招きする。
『ちょっとお父さんとお話ししてくるわね』
そういって彼女の手を離そうとする。
『やぁん』
だが、何故だか彼女はその手を離したくなかった。何となく今離したら手の届かないところへ母が行きそうで。だが、
『姉上がいるから大丈夫だぞー!』
姉妹の中で一番最初に生まれた姉が母の代わりに彼女の手を取った。
彼女はこの姉が大好きだった。ただ先に生まれたから得たというだけでは決してないその能力はいつも彼女の出来ない事を平然とやってのけ、彼女が困っていたら助けてくれる。住処となっている大木の上から落ちた時に助けてくれたのはつい最近で彼女は姉の腕に抱かれて大泣きしてしまった。
『それに兄上もいるしさ。怖がることなんかないって!』
空いている片方の手に力強い感触が来た。
姉ほどではないが彼女は兄も好きだった。姉ほどに側に居るわけではないので助けられた記憶はあまりない。だが、大人の身の丈を遥かに超える猛禽に襲われたとき、いの一番に駆けつけて助けてくれたのは兄だ。年若くして大人に引けを取らぬ程に弓の名手の兄による射撃で猛禽は撃ち落されて事なきを得た。
そんな二人が今彼女の両手を取っている。父や母のものと遜色ない心強さだ。僅かに生まれた不安が安堵からの笑みに容易く拭い去られる。
『エル、こっちへおいで』
父が手招きをした。姉と兄が微笑み、手を離して背中を押す。
『なぁに、お父様?』
『これを飲んでおくれ』
差し出されたものは琥珀色の瓶に入った液体だ。液体自体の色は瓶に遮られて見えない。父が開けたのか蓋は無く、匂いを嗅ぐがそれもない。少々どころか十分に不気味だった。
『これは……?』
父に問う。母から答えが来た。
『貴女の力を目覚めさせるものよ』
母からその言葉を聞いて彼女は顔を破顔させた。力といえばあれしかない。彼女が枕を濡らしてまで欲しがるそれはこの世界に生きるものにとってなくてはならないもの。
『これで私も〝神術〟が使えるようになるの!?』
『ええ』
この琥珀色の瓶が想いを叶えてくれる。そう思うと不気味さも気にならなくなった。一気に煽ろうとして父から静止が掛かった。
『飲む前に私たちにその笑顔をよく見せておくれ。私たちの可愛い娘よ……』
両親が寄り添って言う。だから彼女は瓶を持ったままこう言った。
『お父様、お母様! こんなに素敵なお薬をありがとう! これで私、役立たずなんて言われなくて済む!』
煽った。
薬の味は不味くはなかった。というより味がない。苦味ぐらいは我慢しようと思っていた彼女は拍子抜けした。
『う、ン……なんか変わった?』
飲み干し、周囲を見渡す。自分の身体から湧き上がるものもなければ特に周囲に光が溢れるというようなこともなかった。
『あれぇ……?』
ぺたぺたと自分の身体をまさぐる彼女の耳に聞こえるものがあった。
それは姉の声だ。優しくて、頭がいい。彼女の自慢の姉の声。その姉の声は彼女が聞いたことのない感情に染まっていた。
悲哀。それがもたらす泣き声だ。
『エル……エルぅ……』
『姉上……?』
姉は顔を両手に当て、くず折れて泣いていた。母とお揃いのローブ。その目深にかぶったフードの奥から涙が両手の隙間から溢れている。
どうしたのだと問う前に、もう一つ感情が溢れる。
それは憤りだ。その感情は兄から流れていた。
『く……』
歯を砕かぬばかりに噛み合わせ、手のひらに穴が開くのではないかと思うほどに握り締める。強くて格好いい、滅多に怒らぬその兄のかつてない憤怒に彼女は身を竦ませた。
『違う、違うんだ。決してお前に憤っているわけではない』
兄は彼女の怯えた様子を見ると弁解した。だが憤りは治まっていない。
嘘を言っている節はなさそうだが、兄から発せられるその怒気は近寄りがたい。彼女が困ったように視線を彷徨わせるとじっと見ている父母に行き着いた。
『父上、母上! 兄上と姉上が……』
『ああ、分かっているとも。あの二人は不条理に憤り、泣いているのだよ』
父は母の腰に手を回し浅く抱きしめた。その動きは彼女には宝物を守る動きに見えた。この手の内にあるものだけは絶対に守るぞという意思の表れを動作に見る。
彼女は自分も加えてもらおうと父母の元へ踏み出そうとしたその一歩目は大地を踏まなかった。
否、踏んでいたとは思う。その感覚が何故か足裏を通して頭に来なかった。
『あっ?』
二歩目を踏もうとして横に傾ぐ。体勢を立て直そうとした三歩目は力が入らず膝が地を突いた。
激突を避けようと手をついても感覚がない。肩口から突っ込むように転倒し、大地に転がった。
『あ、れ……?』
起きようと四肢に力を込めるがまともに動かない。それどころか四肢に力を入れている感覚すらない。動く事は動くのだがそれはいつもの見慣れた動きではなく、まるで熱に浮かされた病人のように震え、遅く頼りない。
『なん、か……おか、し……』
まるで身体が段々自分のものでなくなっていくかのよう。氷の刃物で感覚を殺しながら少しずつ肉を削り取られていくその感覚は彼女には耐え難いものだった。
『眠れ愛し子――』
母の子守唄。力を込めて歌われるそれは寝る前にせがんでよく聞き、どんな時でも彼女を睡魔へと誘う。
『大丈夫だ。死ぬわけではない』
視界が歪み、思考が定まらなくなり、意識が曖昧になっていく。感覚はほぼ消え失せ、五感すら浸食されてきたところに父の声。
『お前の身体は大地に返し、心は精霊と共にゆく』
最後の力を振り絞って父母の顔を見上げる。やはりというべきか、母はフードの下から抑えようともしない涙を滂沱に流してローブを濡らし、父は声は平坦だったが顔は悲しみに歪んでいて、
『だからまたいつか逢えるだろう。我が娘、愛し子よ……』
頭を撫でる感触が僅かにあり、
『それでも、やはり言わせて欲しい。――お前を、守れなくてすまない……!』
それを最後に彼女の意識は落ちた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
夢を見た。
自分が捨てられ、森を彷徨った時の夢だ。
のろのろとした動きで上半身を起こした彼女は幽鬼のように前髪を垂らし、寝台から降りる。
死にかけの老人の方がマシだとも思える動きで階段を降り、裏庭にある、自宅に備え付けてある井戸の前に立ち、そのまま自然に身を投げた。
程なくして派手な水音が一つ。思いのほか大きかったそれは周囲の木々に止まっていた小鳥達を飛び立たせるには十分なもの。
もがく水音はない。もしこの場に人が居れば彼女は何かを悲観して自殺したと思い、慌てて引き上げにかかるだろうが残念ながらこの場には飛び立ってしまった鳥しか居らず、その鳥の囀りすらもなくなったこの場所は朝ということもあって表通りの喧騒もなく、主が居なくなったこの場所はそのまま小鳥の集会場になるのも時間の問題だ。
だがそこに音が響く。それは井戸の縁を掴む濡れた手が発したものであり、更には声も付いていた。
「っと」
力を感じさせないその声を放ちながら『井戸に飛び込んだ』彼女は身体を一気に引き上げた。
「ふぅ……やはり寝起きにはこれが一番いいですね」
髪を手櫛でかき上げながら彼女は事も無げにそう言った。
手櫛で掻き上げた水気を含んだ金の髪が朝日に反射して燦然と輝く。女性の魅力を司る部分の一つとしては雑な扱いだがエルフには細かな手入れが要らない。
精霊を愛し、愛されるエルフは放っておいても精霊達が常に最高の状態に保ってくれる。彼女は産まれてこの方、自分の髪に枝毛一つすら見た事が無い。自主的に行う手入れと言えば精霊達が悲鳴を上げる中で邪魔になった髪の毛を躊躇い無く切るぐらいだ。神術を殆ど扱えない彼女でも精霊達の姿や声は聞こえる。
「今日もいい天気ですね……」
空を見上げる。雲一つない蒼穹だ。まだ朝日は出たばかりで、家の屋根に陽光が掛かって槍のように彼女の目を刺す。
風を司る精霊、風精達が笑いあい、踊りながら彼女の髪の間を掛け抜ける。風精はこうやって彼女の髪を乾かしてくれるのだ。その柔らかで、悪戯な風は炎の精霊たる炎精が居ないために周囲の気温と同じではあるが、今の季節は花吹雪き、木々鮮やかに生命が踊る暖かな季節。髪を乾かすには十分と言える。
「ありがとう。もう十分ですよ」
精霊に礼を言うことも忘れない。無条件に愛されるエルフと言えども蔑ろにすれば精霊が怒る。精霊を怒らせると後が面倒だ。細かいものでは今してくれているような髪を乾かしてくれなくなるなどという些細なもの。しかし大きなものでは大災害にも繋がる。精霊達は友好的で見返りの品を要求することはないが、相応の礼を求める礼儀正しい最も身近な神なのである。
どんなちっぽけな神でも怒らせると碌な事が無い。そう育ての親から聞いていた彼女は日頃からしていた精霊への感謝を、例え自分に益が無くてもその時からもっと深めている。
(しかし捨てられた時の夢なんて久しぶりに見ましたね)
昔の事なので捨てられた当時の事はしっかりと覚えてはいなかった。ただ、森の民であるエルフですら近づかないような凶暴な魔獣がうろついている鬱蒼とした森の奥深くに、恐らくは薬で眠らされて捨てられた事だけは、夢に出るほどはっきりと覚えている。その後、ありがたい事に行き倒れて半死半生の己を育て親が拾ってくれたらしい。何故あのような人気の無い場所に育て親が居たのかは今をもって分からずじまいではあるが。
彼女自身、捨てられた事は気にしていない。エルフだが神術を使えない役立たずだったからだ。
エルフの間では神術は扱えて当然で、まだ物心付かぬ子供でさえ風精を繰っておもちゃを引き寄せ、遊ぶ。水の中に沈んでは水精の腕の中で揺られて静かに眠り、火の中に飛び込んでは炎精と激しく戯れる。
彼女はどれもこれもした記憶がない。出来ないのだ。精霊が自発的にしてくれる行動はともかくこちらから頼んで何かをしてもらう、というのは無理だった。
神術が使えなければエルフが住まう森で生きていくことは不可能に近い。もっとも安全な筈の家でさえ、下から見れば首が痛くなるような、地上から一番近い枝に乗っても見下ろせば目が眩むような大木の強靭な枝を足場に家を作っているのだ。神術を使えないエルフのための足場などは当然なく、落ちれば命の保障はない。母親や姉妹がするような、風を操って空を飛びながら大木に生る果実取りなどはとても出来なかった。
父親や兄弟、ほか戦える戦士達がする狩りは、地上や空中を問わず大型の獲物を相手に行われた。幼い彼女がそれらの相手をするには神術が使える、使えない以前の問題だった。
エルフは自然の民だが同時に戦士の一族だ。戦いの場では勇壮な彼らは力のない者を養うことはない。
彼女の両親が彼女の事を愛していたかどうかは別として古くからのしきたりに則って彼女は捨てられた。
捨てられた事は今はもう気にしていない。種類を問わねば世にある様々な道具や仕事が神術を扱えることを前提にしたものばかりだ。なるほど確かに役立たずであると彼女は思った。
当時の事を考えるだけで落ち込む己はもういない。店を開く準備を始めようと頭を切り替えて歩き出した時だ。
「……――?」
ふと声が聞こえた。同時に扉を叩く音が聞こえる。
「今の時間を教えて頂けますか?」
光量で時間を計る光精に聞けばどうやら店を開く時間を少し過ぎてしまったらしい。少し呆けすぎましたねと思いながら彼女は光精に礼を言って店へと歩く。彼女の家は店舗と一体型であり、店への扉を開けるまで一分もいらない。
住居と店舗を隔てる引き扉を開ければ、レースのカーテンがかかった硝子の向こうに人影が幾つも見える。見慣れた光景ではあるが焦る事も無くあくびを一つしながら店の扉に手をかけ、開ける。
僅かに重い気がする。地面に擦れる音も聞こえ、彼女は首を傾げた。
(はて、どこか歪みましたかねぇ……?)
そう思いつつも開くのだからいいか、と無理矢理引いていく。
「ああ、申し訳ありません。少しばかり遅れましたがただ今より薬屋エレオノーレ開店でございます」
扉を開けながらふんわりと包み込むような慈愛を込めて彼女は目の前の人物へ微笑んだ。
言い訳は活動報告にて。