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 夜の空間がある。

 濃紺の天蓋には黄金のような輝きを放つ月と、銀砂をぶち撒けたかのような星々が煌いていた。

 その星光の下、エレオノーレは咆哮する。

「返せッッッッッ!!」

 手膝を突いたくず折れた姿勢から怒声を放ちながら指を鉤爪のように大地に食い込ませて、前方へ己の身体を引いて一気に加速した。蹴り足の一歩目、足裏の砂が炸裂したかのように吹き飛び、後方の枝葉を極小の散弾のように削り取る。

 変種との距離はさほどなく、故に瞬き一つ以下の速度で密着する。速度は殺していないので身体全体で変種に当たっていくような体当たりになった。

 変種の身体はそれなりの弾性がある強酸である。当たった感触は泥沼に突っ込んだようなもの。強酸に包まれて速度は鈍り、肌は焼かれ、しかし、

「――……ぁぁぁああああああッッッ!!!」

 己を砲弾として変種の身体、右側面を砕き散らした。

 全身から肉が蒸発する溶解音を放ち、白煙を上げ、しかし再び速度を上げて肌にこびりつく強酸を払うように疾走し、砕かれた衝撃で身を震わせる変種を背後に置き去りにして夜の森へ消えた。

 変種が再生を終えて体勢を整えた時は既に辺りに物体が動く気配は無く、また己の内に取り込んでいた獣人がいなくなっていることに気付いた。エレオノーレ(殺 人 鬼)の前で溶かし、啜ってやろうと変種は目論んでいたのだがどうやら今の激突で取られたらしい。

 しかし、取られたところでもはやあの獣人は死人(しびと)である。触れ合う事も言葉を交わす事も出来ない只の肉の塊。精々が手厚く弔ってやるくらいしか出来ないのだ。

 友の墓の前で立ち竦むエレオノーレ(殺 人 鬼)を想像すれば己の奥を疼かせる何かが少しだけ晴れた。

 変種が再び追跡を開始する。己の巨大な身体の天頂部、そこから梟を生み出し、放つ。

 梟に限らず回りに侍る獣達の殆どが変種が元となる野獣を模倣して作ったものだ。その身体は色も形も本物と寸分違わぬものでありながら強酸で出来ており、また、肉の身を持たないので獣にあらざる力や速度を出せる。扱いとしては意思を持たぬゴーレムに近いものだ。行使する力や速度は限界はあれど生身とは比べ物にならない。

 元となる生身の獣もそれらに紛れ込ませている。殺した後に脳に分体を埋め込んで操っていたのだがやはり肉体の酷使によって欠損が目立っており、もう役に立ちそうにもない。それらを纏めて取り込み、僅かなれど己の糧とする。

 梟を無数に放ち、周囲を索敵しつつ己の身体をあらゆる獣が混ざった野獣の群れに転じる。最初にエレオノーレに追い付いた方法だ。周囲を梟で索敵し、発見次第、獣に分化した無数の己で追跡する。群れの中心となる己の核を潜ませた獣を集団の真芯に置いて細かく指示を出し、エレオノーレ(獲   物)を追い詰める。

 と、索敵していた梟が目標を見つけた。

 正確には白く輝く光の柱だ。森の中から間欠泉のような天へ吹き上げる光の奔流が夜天を貫いている。

 まるで光の槍のような、神術の気配がしないその不思議な現象を変種は怪訝に思い、しかし思うだけだ。特に何かを警戒することもなく全ての獣の鼻先をそちらへ向け、疾風のように駆けて行った。




◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆




 夜闇に染まった森の中をエレオノーレが疾走する。

 白煙を上げて溶解していた己の身体は既に癒え始めており、多少の名残はあるものの動く事に何の支障もない。

 しかし、無茶な突撃の代償として服と大半の装備を失い、全裸である。今は動いて汗をかいているが、少しの間立ち止まれば、吐息が白いこの山中では急速に間に身体が冷えるだろう。

 ただ彼女にとってそんなことはどうでもよかった。最大の懸念は左脇に抱えたリンゼである。比較的綺麗であった上半身まで強酸を浴びたそれは既に只の一抱えある肉の塊と言った方が正しい有様で、未だに溶けた血肉を滴らせ、断面からは臓物が零れ落ちそうになっている。

 それを見ると苦い物を心中に得るがひた走る。

 今、必要な事は距離を取る事だ。距離を取り、右手に握り込んだ死返しまかるかえしをリンゼに使用する。

 使えば失った生命さえ返って来るという門外不出の秘薬。エレオノーレは使った事はないが、使い方は教わっている。

 だからといって今すぐ使うわけにはいかない。あの変種からリンゼを引き離し、隠さなければまたリンゼは犠牲になる可能性がある。もしそうなってしまった場合、元の木阿弥である。手元にある死返しまかるかえしはこの一つだけだ。これを使ってしまえばもう蘇生は出来ない。

 しばらく走り続け、やがて一際目立つ大木の元へ辿り着いた。

 どうやら複数の木々が集まって一つと成しているらしく、途中からまるで融合したような造形になっている。一つ一つは細い木々のようだが、糸の様に寄り集まった結果、大人五人で手を回しても到底回りこめないような太さになっていた。

 普段ならエレオノーレも見上げて鑑賞していたところだが、今はそんな暇は無い。樹の根元に大きなうろを見つけたのでそこに滑るように転がり込んだ。

 洞は幅や奥行きはエレオノーレが横になっても十分な程に広かったが、立てば頭を強かに打つ程には狭かった。また、獣の巣と化していたようでそこかしこに獣毛が落ちている。

 しかし、放棄されてからそれなりの時間が経過しているようだ。獣毛も傷み、煤けて元の色が分からぬ程に白く色褪せており、奥にある寝床と思しき草の固まりは殆どが腐って小虫の温床となっている。

 その狭さゆえに自然と片膝を突くような体勢になり、変わり果てたリンゼを横たえる。首のようなものはあるが頭は無く、どちらが前か後ろか分からない肉塊。露出した内臓はただ血と内容物を零すだけだ。

 当たり前だが生の輝きなどは微塵もないそれに一瞬、

(蘇生は本当に可能なんでしょうか……)

 という思いが過ぎり、直ぐに、

先代(お師匠様)は嘘が嫌いです)

 嘘を容易く見抜かれ、手痛い一撃を食らっていた事を思い出す。嘘を吐くのも吐かれるのも忌み嫌っていた先代が、例え他者を救う気休めのものであっても虚言を吐く事など有り得ない。エレオノーレにはその確信がある。死返しまかるかえしはリンゼを蘇生する事が出来るのだ。

 その奇跡くすりの使い方は至って単純。丸薬であるそれをまだ息がある内に噛み砕いて飲むか、既に死しているのならば他者が心臓を割って中で砕くの二通りである。

 今のリンゼは首から上が無い。故に直接心臓に叩き込むしかない。

 断面から零れる内臓の位置や、血管の走りから体の前面を判別、仰向けの状態だったのでひっくり返し、酸にまみれて尚、傷一つ汚れ一つ付いていない二刀の内、採取刀を左の逆手で抜いて胸へ突き入れた。

 エレオノーレにとってそれは手慣れた動作の一つではあったがまさかリンゼ(友達)にやることになるとは思ってもみなかった。苦痛を感じない死体、かつ蘇生させる為とはいえ、友の身体に刃を突き込む事に僅かに体が震える。

 心臓を守っている骨や膜を切り裂いて取り出し、心臓を露出させた。死んで間もないのでまだ鮮やかな赤を保っている。

 死返しまかるかえしを使えなくなる時期、つまり蘇生不可能になるタイミングは何時なのかエレオノーレは知らない。そもそもそんなものがあるのかすら知らないが、リンゼが死亡してからさほど時間が経っていない今なら問題なく蘇生出来る筈だと思う。してくれなければ困る。

 切り開いた心臓の中に死返しまかるかえしを落とし、祈りと共に人差し指と親指で砕いた。

 砕かれた死返しまかるかえしが心臓内に溜まっている血液に沈み、そして、

「っ!?」

 一瞬の間を置いて槍のような光の奔流がエレオノーレの全身を貫いた。

 光戦術で作られた光のような物理的な圧や熱こそ伴ってはいないがそれらを錯覚させるほどの光量と、リンゼから生まれる全周囲への怒涛の光流はエレオノーレに尻餅を突かせ、しばしの間呆然とさせる。

(こ、この光は一体どういう……?)

 死返しまかるかえしの材料にこのような夥しい光を発する材料はない。精々が本体から離れても光を放つ一角獣ユニコーンの角ぐらいだがそれにしたって淡いものだ。持って暗闇を照らそうとしても保持している手しか見えないようなか細い光である。このような閃光を放つものでは決して無い。

 一角獣の角が他の何かと反応して光が増幅されていると考えるのが妥当だが何と反応しているのかさっぱり分からない。そもそも死返しが希少な材料を思いつきで適当に混ぜて出来た偶然の産物で生まれた物である。死者をも蘇生させる程の凄まじい回復力があるという事以外詳しい効能すら分かっていないのだ。副作用もない、筈である。

 尻餅から体勢を戻して光に包まれているリンゼの身体に手を伸ばす。どういうわけか目が眩まぬものの目映まばゆい光の奔流はリンゼの身体を隈なく覆い尽くし、物理的に見えないので彼女が今どうなっているか確かめたいのなら直に触れるしかなかった。

 最初は己が切り開いた胸である。再生中だったらどうしようかと僅かに躊躇い、意を決して触れると柔らかな肉の感触が返って来る。

 どこまでも際限なく飲み込んでいくような〝内側〟の感触ではない。それは指を沈めれば同じだけ返ろうとする張りのある皮膚とその下に確かに存在している肉の感触。

 最初は指先で恐る恐ると。次に手の平全体で胸を撫で回すようにまさぐればその全ての箇所に皮膚の感覚があった。

(――信じられません……)

 強酸を浴びてぐずぐずの肉塊だった筈の体があっという間に元通りになっている。体を伝い、腕の付け根を触ればやはりというべきか、既にそこには腕があった。下へ辿れば上腕があり、肘があり、手首があり、指もあった。

 凄まじい再生速度である。光に包まれて見えてはいないがこの分だと既に下半身も完璧に元通りであろう。骨肉の上から心臓の拍動を確かめればまだ幾分か頼りないもののそれが感じられた。

 口元と胸に手を当て、呼吸を確かめる。していない、と勘違いしてしまいそうな幽かなものだが春の萌芽のような、小さい物ながら確固とした命を感じる。もう少し時間が経てば常人の寝息のようなそれに移っていくだろう。

(もう大丈夫、なんでしょうか……)

 ぺたりぺたりと触り、撫で回すもどこにも異常は見当たらない。末端である手足の指があり、顔が凹んでいるという事も無く、耳や尾が欠けているという事も無い。五体満足である。

(一体何がどう作用してこういう結果に……)

 エレオノーレの薬師の知識は、先代に教え込まれたのと生業のお陰で相応に深い。どの薬草がどういう効果を齎すか、どれとどれと混ぜ合わせたらどういう物が出来るか。書物に書かれている事ならば即座に出てくるかは別として全て知っていると過言でもない。知らないのは先代の身体強化薬のような門外不出の薬だけだ。

 死返しに使われている物に回復効果を齎すものは無い筈、である。また、幾つかはエレオノーレが集めたわけではなく、先代やエレオノーレを含めた全ての薬師が目にしたことも手に入れる事も初めてな物もあったので全ての物にないと言い切れる訳ではない。

(強大な生命力を宿すと言われる竜の心臓……? それとも豊穣のしるしとなる星蜜の花……? この膨大な光はユニコーンの角でしょうか……?)

 分からない事だらけである。一度良く調べて見た方がいいのかもしれない。少しだけなら端切れのような材料の余りがあった筈である。死返しを作るには全く足りないが幾つかの物を混ぜて反応を見ることも出来るだろう。

 そう思っている間にリンゼから生まれる光が治まってくる。瀑布のようだった光の奔流は見る見るうちに弱く狭まり、彼女の胸の中心より生まれ出た拳大の小さな光球が弾けたのを最後に消え失せた。

 名残として周囲に僅か、雪のような白の燐光が漂っている。それも触れば散って消えた。季節外れの雪のようだとエレオノーレは思った。

 再びリンゼに目を戻す。血色が悪い事を除けばやはり健康そのものである。呼吸と鼓動を再び確認してみると死人よりはマシといった先ほどよりかは力強い。しかし、まだ弱りきった病人のそれである。下手に動かそうものならあっさり死んでしまいそうであった。

(暫くここに釘付けですねぇ)

 しかしそれには一つ問題があったのである。エレオノーレはその程度なら意に介さないが、リンゼにとっては生命活動に関わる事態である。

 現在位置は分からないが伍星山の中腹以上である、その筈であるとエレオノーレは思う。勢いに任せてかなりの距離を突っ走ってきたから方角も街までの距離もさっぱり分からないがとりあえず中腹以上である。

 何しろ寒いのだ。今の位置では雪は見えないがもう少し登れば昼の気温で溶け切らなかった雪が見れるかもしれない、と思うほどに。

 エレオノーレは問題ない。ここが厳酷な雪山であれば流石に焦るが水が凍るか凍らないかの気温程度では何とも思わない。

 しかしリンゼは違う。リンゼは極めて普通の獣人である。探索系の冒険者ということで多少は寒暖に慣れているかもしれないがこの気温で防寒装備がないのなら命が危うい。

 そして全裸である。

 二人とも全裸なのである。

 服が溶かされたので全裸なのである。

 二人で身に着けているものを合わせてみてもエレオノーレが腰に巻いている何で出来ているかわからない、先代から貰った二振りの刃とそれを収める革鞘と一体化しているベルトだけである。

 他の装備は全て溶けたか攻撃を受けて落としてしまったので全裸なのである。

 つまりエレオノーレが危惧している事は、

(……このままではリンゼが凍え死んでしまいます)

 なのである。

 早く暖かい所に辿り着かなくては色々と不味い。リンゼが意識を取り戻し、炎の神術を使って火を熾してくれれば話は違ってくるのだが、

(起きる気配がありませんね)

 未だ昏睡状態である。いつ目覚めるかはエレオノーレにも分からない。だがこのまま自然に起きるのを待っていれば確実に凍死である事は理解出来る。

 少々手厳しいが抱いて運ぶか声を掛けて起こし、火を焚いてもらうか。どっちにしようか迷った所で、

「――あぁ、まだお前がいましたね」

 鳥の羽ばたき、猪の鼻息、熊の足音、犬の集団音。生命と意思を持たない自立人形ゴーレムのような規則正しいそれらの音が、およそ生命の出せない速度で迫ってきている。

 まだ遠く、到着するには少し猶予がある。エレオノーレは周囲を見渡し、

「ん、これでいけそうですね」

 己の目的に合致する、まるで誂えたような大岩を見つけるとそれを軽く持ち上げ、

「よいしょっと」

 静かに音を立てる事無く、身を隠していた木の根元に置いた。――入り口を塞ぐ様に。

「うん。これでリンゼには手を出せないでしょう」

 生物が入れるような隙間が無い事を確認した後、狩猟刀を左手で、採取刀を右手で抜く。

 それぞれ逆手持ちだ。軽く手前に振って順手に持ち替え、更に二刀を今持っている手からもう片方へ同時に投げ渡す。

 空中で刃同士衝突する事もなく、手に収まる。それぞれ受け取るとほぼ同時、双刀を上空へ放り投げて一歩前に出る。

 刃の切れ味は一回も研いでいないにも関わらず、薄刃のような切れ味を誇っている。無防備に触れればエレオノーレも傷を負う程の鋭さ。加えて見かけにそぐわない重量もある。戦槌の重量に剃刀の切れ味を持った武器だ。

 しかし彼女は重力に引かれ落ちてきたそれらをいとも容易く、背面に回した両の手で掴んだ。それも柄ではなく、刃の腹だけを掴んで止めたのだ。迫り来る剣を人差し指と親指で止めるように。絵空事のようなそれを苦も無く実践してみせる。

 掴んだそれを背面から僅かに角度を付けて前方に捻りを加えて投げる。肩を髪一本分の余白を残して切っ先が通り過ぎ、エルフの特徴である長い耳朶も回転数を調節することで巧みに避けた。

 前に戻した手を広げれば右手に狩猟刀、左手に採取刀の柄がそれぞれ返って来る。順手で握り、自然体の無形で構えた。

 エレオノーレは曲芸も出来るというわけではない。ただ、一つ間違えば大怪我をするその二振りをその様に扱うのは何故か。

 ――双刀の扱いに慣れているからである。目を瞑っても同じ動きが出来る程に慣れているのだ。

 何度も血反吐を吐きながら戦闘を重ね、重ねて、重ね続けて慣れきったのである。

 ブランクはある。筋力も落ちた。持久力も落ちた。しかし、それでも思うのだ。




「負ける気がしない」

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