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 伸ばされた触手は無数。槍のように形状を変化させ、目を見張る速度で繰り出してきたそれをリンゼを抱えたまま大きく後ろに跳躍して距離を取った。

 跳ぶ軌道は低く、速度は速く、上ってきた山道を滑るように跳び退り、高速で迫る触手の槍衾を一瞬で引き離す。

 着地と同時に左右から森を通り、静かに伸ばされてきた触手によって挟み撃ちを受けた。

 右から迫る触手が首の前から薙ぎに、左からの触手が膝裏を払う形だ。エレオノーレはそれを目視せず、触手が巻く風切り恩で察知し、その場で手を突かぬ後方宙返り(バック フリップ)。触手の動きに合わせるように回避する。

 跳躍中、仰け反ったエレオノーレの眼前を触手が振り抜かれて行く。顎と鼻の先を掠め、乱れた髪が触手に触れ、溶解音を立てて何本か持って行かれた。着地し、白煙を上げる溶けた髪の毛先を眺め、また僅かな痛痒を掠めた部分に感じてエレオノーレは考える。

(私に傷を付けられる程の強酸ですか……大抵の酸なら痒くなることもないのに)

 強酸で知られるスライムの身体は普通の生物なら触れた瞬間に肌が爛れ、あっという間に深い所の肉や骨が露出する程の強い酸で出来ている。即座に水で洗い流すなどの処置をしなければあっという間にその部位は溶け落ちるだろう。

 しかしエレオノーレは強化された身体ゆえにスライムに触れても全く問題が無い。目に入れば少し染みるがそれだけであり、髪の毛一本も傷むこともない。

 しかし、この正体不明の真っ赤なスライムのようなものは違う。並みの攻撃は受け付けないエレオノーレの身体を、僅かとはいえ酸でダメージを与えてみせた。掠めただけなので痛痒を覚える程度で済んだが直撃すればその箇所の皮膚は焼け爛れることになるだろう。

 そしてこの酸を只の生き物であるリンゼが浴びればどうなるのか。先ほど、この変種とも言うべきスライムの落着に巻き込まれた馬は一呼吸も間を置かずに足の骨が露出するほど損傷を受けていた。恐らくはそういうことなのだろう。

飛沫(しぶき)でも浴びさせないようにしないと……)

 戦うのは持っての外だ。その真紅の身体を構成している恐るべき酸を豪雨のように飛ばされたらエレオノーレは無事でもリンゼは無事ではすまない。エレオノーレは速いが雨をかわす事など出来ないのだ。

「リンゼ。しっかり捕まっていて下さい。振り切りますよ」

「え、ちょっ」

 リンゼをお姫様だっこ(横抱き)にして命術を発動する。白の燐光が漏れ出して、僅かに周囲を照らす。静かに張り巡らされていた周りを囲む触手が動きを起こすより早くエレオノーレは動いた。




◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆




 今、眼前に居た標的が風のように掻き消えたのをそれは感知した。

 それに目は無い。だが、周囲の温度を蛇のように感知し、獲物を視る事は出来た。

 思考は鈍く、また不明瞭なものだ。支離滅裂な、言葉というには幼稚なものが脳内に浮かんでは消えて考えは定まらない。

 胡乱な意識のまま周囲の温度を探り、未だ逃げ出さず、こちらを窺い見る臆病な動物達を探知。それら全てへ一気呵成に触手を伸ばして捕らえ、

「―――」

 内に取り込み、溶かして啜った。

 触手に含まれる強酸の有無は己の意思一つだ。酸を一切含まぬ軟体状の触手にも出来る。特にする意味もないが。

「―――」

 今しがた取り込んだ動物達にそれと相対していたものはいない。落胆しながら山道を登り始める。

 ここを進めば大量の暖かな肉と血液にありつける。何故かそう思い、

「―――――?」

 何故そう思ったのかを疑問に思った。

 身を震わせ、千々(ちぢ)に乱れた思考を纏まりのあるものにしようとする。

 体内にある己の命を司る核。そこに収められている〝それら〟から探り、〝視て〟理解した。

(――このさきにはいっぱいひとが)

 先ほどとは打って変わり、思考が一つになる。嵐で荒れ狂っていた思考の大海が白波を立てる穏やかなものになり、

(あ……)

 生物を捕食しようと己を駆り立てるその根源を思い出す。

 金の髪、翠の瞳、美しい(かんばせ)、思考の嵐は落ち着いたがまだ思い出せることは少ない。もっともっとと貪欲に己の内を探り、知識を掘り出す。

 必ず、成し遂げなくてはならない。己は何者で何故こうなったのか、どうしてこんな事になっているのか。そんな事はどうでもいい。

(ころして、やる)

 ノイズが走る記憶の中の鏡、そこに映るエレオノーレ(さ つ じ ん き)を溶かして啜らなければこの根源(うらみ)は消えそうにもない。




◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆




 エレオノーレの首に両腕を回し、尻尾まで太股に必死にしがみつきながらリンゼは思った。

(吐きそう)

 その理由はエレオノーレが激しく上下に跳ねるからである。

 低く、地面を擦るような動きではなく、力いっぱい跳躍して山なりに跳ぶ軌道だ。最初の跳躍の時には内臓が背中から飛び出しそうな加速の重みがあり、それが跳躍の頂点に達したところで上向きの慣性が胃を突き上げてくる。それを堪えた所で着地の衝撃が来るのだ。

 着地の衝撃はエレオノーレが膝を曲げたり、リンゼを抱える腕の力を調整して最大限殺している事もあって相応のものはあるものの身体的負担は内臓を揺さぶる程度だ。しかし、それが厄介で、波一つない水面に水滴を垂らすと、反動で同じように跳ね返ってくるように堪えた物が再び突き上げてくる。

 そんな事を何度もやっている内に我慢出来ぬものになってきた。跳躍の最中、褐色の肌を持つ筈のリンゼが、青くなっているのをかいま見たエレオノーレが僅かに笑って提案した。

「吐いても構いませんが」

「あんたに掛かるでしょぉ……おぇぇ……」

 ん~、と僅かに宙を仰ぎ、エレオノーレは思案する。

 もう既にスライムの変種からは大分引き離し、影も形もないが先ほどの様に跳んで来る可能性もあるため油断は禁物として振り切りの動作は継続している。リンゼが変調を来たそうとも止める選択肢はないため、基本的にこのままだ。

 また、エレオノーレが今回持ってきた薬は戦闘系が主で吐き気止め等といった常備薬の類は持ってきていない。万が一持ってきたとしても物理的な衝撃で吐き気を催しているリンゼに効くかどうかは微妙だ。

 着地の際に吐き気を止める、気分をすっきりさせる清涼系の薬草を探してはみるが見当たらない。基本的にそこら中に生えているものなのだが運が悪かったようだ。

「しばらく我慢してもらうしかありませんね」

 そう結論を出せば、

「無理……もう無理……。出るから止めて……」

 嘔吐(えず)きながら死にそうな声が返ってくる。そうしてやりたいのは山々だがエレオノーレに足を止める考えなどない。

 何故なら先ほどから妙な胸騒ぎがするのだ。勘と言い換えてもいい。首筋がぴりぴりするような、修行時代に幾度も感じたそれは危機を孕む物が殆どである。そしてそれは変種と遭遇してから絶え間なくエレオノーレに何かを知らせてくる。

(スライムなら一度見失った獲物を襲ってくる事は無い筈なんですが……)

 スライムは思考は出来るがそれは愚鈍なもので、まるで霞のように定まらぬ思考と言われている。捕らえた獲物を捕食中にちょっかいを掛けると重りとなる捕食中の獲物を切り離して対処に当たり、それが済めば食事を再開する、というわけではなく、食い掛けの獲物が隣にあるにも関わらずまた新たな獲物を待ち続ける。

 食いかけに手を伸ばさない性質というわけではなく、ただ忘れているだけである。犬ですら埋めた骨の場所は分かるというのにだ。スライムが厄介なところは強酸と一度に伸ばせる触手の数と速度、それだけである。神術を使えないわけでもないが精度も威力も低く、危険性は全く高くない。

 しかしあの変種にそれが当て嵌まるかと言えば疑問が残る。普通のスライムは跳んで来ることもないし、エレオノーレの身体を傷つける強酸を持つこともない。真っ赤な身体は動物を取り込み過ぎて血液の分解が済んでいないだけとも考えられるがそれ以外は説明出来ない。正に正体不明と言うべきものだ

(う~ん……。杞憂であって欲しいんですが……)

 用心はするに越したことは無い。エレオノーレもいい加減に横になって休みたいがまだまだ休憩するわけにはいかないようだ。

「マジで、ほんとマジで止めて下さい……! 喉元まで酸っぱいのが来てる……!」

「あ、そのまま吐いても構いませんよ。私にかかってもお気になさらず」

「あたしが気にするっつーの……つーかこのまま吐いたらあたしもゲロまみ――あ、もうむり」

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