序
この作品は、『汚れなき邪悪な心』の続編です。まずは『汚れなき邪悪な心』をお読みください。また、『アンチテーゼ』は事実上、この作品の外伝となります。当小説と『アンチテーゼ』は、物語の起きる時期がまったく同じであるため、同時進行とさせていただきますので、ご了承ください。
人間は都合よくできている。人生の中で、何回くらいそう感じただろうか。
例えば、この上なく恐ろしい事件が起きたとする。勿論しばらくは皆、その恐怖を忘れられず、今度は自分の番かもしれない。自分が被害者と同じ目に遭うのかもしれないと、不安を抱えながら生活を送る。中には自分には無関係な話だと、普段と同じように生活する者もいるだろう。が、今はとりあえず、前者を前提として話を進める。
恐怖と共に過ごす生活……いくらこの上なく強い恐怖だとは言っても、それがいつまで続くだろうか。しばらくすると、いつの間にかその恐怖を忘れ、普段の生活に戻ってはいないだろうか(ただし、これは直接被害に関係していない者に限る)。
仕方のない事と言ってしまえばそれまでである。実際、人間の脳は物事を徐々に忘れていくように作られている。何も忘れずに生きていくことなど、人間にはまず無理だ。記憶を忘却できるからこそ、人は生きていける。
しかしもし仮に、この上ない恐怖が二度続いたらどうなるだろうか。その恐怖が一生頭に焼きつき、忘却することも許されないようになってしまうかもしれない。
著者の意味不明な仮説だ。しかし、その実験の行く末を見たいと言う者も、中にはいるはずである。
時が流れると共に、人は忘れていく。ある日起きた悲劇を。ある日起きた奇跡を。たとえ人がそれを拒んだとしても、無情に記憶は零れ、消えていく。恐怖を覚えている者達には残酷だが、人には忘れたいことを忘れる権利がある。逆に、忘れてはいけないことでも忘れなければならない義務もある。もし大切な人と昔に交わした大切な約束を忘れていたとしても、それを責めてはいけない。
それは人間の生まれ持った機能なのだ。本当に大切な約束なら、あなたが思い出させてやればいい。あの日、あの時交わしたあの約束を、大切な人の中で埋もれた記憶の中から引っ張り出してやればいいのだ。
引っ張り出せなかったとき、それは時の忘却にさらされたのだと、諦めるしかないだろう。残酷だが、人である以上避けることはできない。
さて、その惨劇は一人の男から始まった。正義感の強い男は、国民の信用を失った警察を正義の集団に変えるために行動を起こした。しかし結果、男の下に集った天才達の力が共鳴することはなく、警察革命は最悪の結果で幕を閉じた。
……かに見えた。しかし、まだ終わってはいない。
惨劇から数年。新たな恐怖が幕を開ける。
見届けていただきたい。実験の続きを、新たなる実験の行く末を……。その結果が見えたとき、あなたの頭では、価値観そのものが変わっているかもしれない。