(八)
また別の時は、母の兄である権中納言より庭を見に来てくれるよう招かれ、皆で訪れた。権中納言の別邸は小倉山の山麓にあり、訪れた時はちょうど、庭は木瓜の花が盛りとなっていた。
「そうか、権大夫殿は北嵯峨は初めてであったか」
権中納言は上機嫌で言った。屋敷の周囲は生きものが絶えたように静かで、静寂の中に、曇天の空を背景に、白木瓜の、薄紅をほんのりぼかして枝一面に咲き乱れる様は、権中納言がわざわざ招くだけあってあたかも無何有の郷をそぞろ歩くような美しさである。庭を案内しながら、権中納言は周辺の見所をあれこれと義弘に講釈していたが、ふと思い出して、
「そうそう、手近なところだと、ここから少し上った所に京極中納言の庵跡がありましてな」
と言った。
「藤原定家卿の。嵯峨和歌集(百人一首)を編まれた山荘にござるな」
義弘は強く心惹かれたようだった。一通り庭を見、座敷で菓子などいただいたあと、義弘は足を伸ばしてその庵跡を訪れてみたいと言った。
「わたくしお供致します」
陶子がすぐに腰を上げた。
「ああ、陶子はまだ訪うたことがあらなんだか。うむ、あそこの寺は景色も大層よろしいから、良い折じゃ、権大夫殿に連れて行っていただきなさい」
と、伯父の快諾を得て、陶子は勇んで義弘と共に出かけた。定家が庵を結んだという二尊院へは、木々の間を通された林道を行く。林道と言っても、繁く往来のある参拝の人々のため、並んで歩けるだけの幅もあり、地面も下草を払って整えられていたが、義弘は林に入ると、後ろに従っていた従者に命じて、陶子の脇に付かせた。左右を義弘と従者に挟まれ、前には先達の者、後ろにも家人が二人従っているため、陶子は自然と人垣に周りを囲まれて歩くような格好になった。
「厭。これではまるで引き立てられて行く罪人のようではありませんか」
「ところどころ、道が滑ります」
不満顔の陶子を、義弘はそう言ってなだめた。それから急ににやりと笑って、耳元に口を寄せ囁いた。
「探題殿に怪我でもされては、幕府の九州経営は立ちゆかぬのでござりまするぞ」
「まあ、それは」
たちまち顔を赤らめて、陶子はおとなしくなった。
「権大夫様、ひどうございます。お忘れ下さいと何度も頼んでおりますのに」
目じりをきっと張って、陶子は義弘をにらみつけた。が、まつげに囲まれた黒い瞳には照れ隠しの笑みが消し切れずに残っている。そこを目ざとく見つけ、義弘は悪戯な少年のように、声を殺して笑った。
「探題殿」とは、陶子と義弘の間の、ごくつまらない密事と繋がった言葉なのだった。十、どころか二十近くも義弘と年が離れていることが、陶子には気に病まれてならなかった。出来るだけ大人びて美しく見えるよう、義弘の前では立居振舞い、言葉の端々、墨をすったり筆を取ったりといった些細な所作にまで、神経を砕いていた陶子であった。ある日、陶子は父のことづてを預り、義弘を部屋に訪ねた。
「父が酒でもと申しておりますが、如何でございますか」
陶子はことづてを伝えた。
「よろしゅうござるな。すぐ伺うとお伝え下され」
「承知致しました。では、西の棟に用意が出来てございますから、参られよ」
どうしたはずみか言葉が滑り、参りましょうとか、お越し下さいとか言うべきところを、陶子は、参られよ、と、男言葉を使って言ってしまった。陶子は飛び上がって慌てた。せめて義弘は気づかずにいてくれたらと願ったが、それも虚しく、おや、という表情のあと義弘は弾けるように笑い出した。
「も、申し訳ございません。わたくし、その、とんだ失礼を……」
「いや、謝るほどのことではありませんよ」
しかしそう言いながらも義弘は相も変わらず可笑しそうに大笑するばかりで、とうとう恥ずかしさにいたたまれなくなって、陶子は顔を覆って部屋を出て行こうとした。
「お待ち下され」
義弘が袖を捕え、笑いながら陶子を押しとどめた。