(七)
* * * * *
母は陶子が義弘の部屋を訪れては長く戻らぬことに、快い顔をしなかった。幕府の要人として室町の御所へしばしば出仕しなければならず、またおちこちの屋敷で開かれる歌会、連歌会に招かれて出かける夜も多く、権大夫様はそういうお忙しい身であるのだから、邪魔してはならぬというのが理由であった。
「あなたの相手ばかりしておられぬ方なのですよ」
「遊びに参っているのではありませぬ。歌を見ていただいているのです」
しかし陶子はいつにない頑なさでそう言い張って、母の言に従おうとはしなかった。母も歌を楯にされては、今川の歌道に重きを置く家風を知っているだけに、渋々ながら娘の行動を容認せざるを得なかった。
多忙の義弘ではあったが、しかしその多忙の合間に、陶子たちと共に遊びに出たことも幾度かあった。ある時は、父の提案で皆で大堰川に出かけ、舟遊びを愉しんだ。大堰川は愛宕山の北方、佐々里峠を源に京を南下する桂川の下流部で、大堰川と名を変え嵐山の裾を巡る頃には川幅は広がり流れも緩やかになる。五百年の昔、この穏やかな水流に船を浮かべ詩歌や管弦を愉しんだ宇多上皇に倣い、川面に船を遊ばせ船上で酒を酌みつつ歌を詠もうというのが、父の趣向であった。
広い川面は雪解け水も収まり、春光を流しながら濃緑に静まっていた。川岸に迫る嵐山の勾配には山桜が咲き始めていた。山頂の方は未だ蕾であるのか山肌は葡萄色にくすみ、それが山裾に向かって徐々に薄紅を帯びて下りて来る。水際に立つものの中には気ぜわしく満開に咲きほころんだ花枝もあり、白い花衣の光彩が舟でゆく者たちの瞳に射した。
華やかなにぎわいを乗せて舟は緩やかに進んだ。義弘と、父母と、陶子。それから義弘の従者、陶子の家の郎党、侍女。父と義弘とだけはさすがに筆を取りつつ景色に眺め入っていたが、あとの者たちはたまの遊興のこととて、男たちは酒に女たちは菓子と他愛ないおしゃべりに夢中になって、宇多上皇の催されたものとは随分様子の違った舟遊びとなっていた。陶子もまた、始めこそ父に倣って筆を握っていたものの、絵巻物を繰るように次々と現れる景色の美しさと、規則正しく舟を揺する波の愉しさにいつしか筆を投げ出し、舟べりに寄って身を乗り出した。銀の箔がそよぐような、優しく小さな川音が陶子を包んだ。日を追って温みを増す日射しを押しとどめるように、川風は冬の未練を残して肌に冷たい。風が渡るたび、川面には砕かれた陽光が群れ踊った。陶子は髪を耳に挟んで舟べりから水へ指を伸べた。白い桜の花びらが一ひら光の砂子の間を漂っている。舟底を柔らかにせり上げる波のたゆたいに阻まれて、花弁は陶子の指先から幾度も滑って逃れた。
「そのように身を乗り出してはなりませぬよ」
義弘と父のそばで酌をしていた母がはらはらして声をかけた。気づいた周りの侍女たちが慌てて陶子の体を押さえた。
「川は、不思議ね」
母の声など気にも止めず、陶子は濡れた指先にやっと花弁を捕え、頬を上気させた。
「井戸底に溜まった水などは気味悪いのに、川は何もかもが澄み切って、面白く見える。本当に不思議」
「莫迦なことを言って」
母が呆れたように咎めた。
「童のような真似をしてはしたない。それに川風にあたると冷えますよ。慎ましくしておりなさい」
陶子は笑って、ようやく体を引いた。と、舳先の方から呵呵とした笑い声が起こった。見れば父と義弘である。いつの間にか見晴らしの良い舳先へ座を移し、何を語らっていたのか愉しげに笑い合っていた。父の声は川音に遮られて良く聞こえなかったが、義弘の声は川のさざめきを払って高く響いた。大木を一陣の風が吹き抜けるような、男性的な笑声に、陶子と母は思わず目を見合わせ、それから袖の陰で好もしい忍び笑いを洩らした。
「あのようなお客人だと、屋敷が華やぎまする」
いつになく母がそんなことを言った。そして口元の笑みはそのままに、ほっとかすかなため息をついた。
「勿論旦那様が訪うて下さるのは嬉しいけれど、あのお年にございますから。どうしてもこちらが気遣わねばならぬことの方が多くなりますもの。華やぐというわけにも……」
生まれてから今日まで父母が声を荒げ合ったことなどなかった。二人の間にはいつも安寧と慈愛と微笑とが行き来していた。親類縁者が皆、口を揃えて仲睦まじさをうらやむ母の人生にも、その陰には母なりの寂しさというものがあるのかと、そんな思いが陶子の胸をふっとかすめたが、その時、舟は水の上に大きく張り出した花枝の下を過ぎた。川風が吹き、思わず目を奪われたふなびとたちの頭上に白い花びらがはらはらと散った。女たちの口から鈴を振るような歓声が上がった。陶子の胸に一瞬兆した翳りも、散る花と共に川上へと吹き流された。
「ならば母上、これからはお屋敷にもっとお客人をお呼びなさいませ。父上も差しつかえないと申しておられますものを」
母に向かって、役にも立たぬであろうそんな提案を言ったきり、陶子は母を置いて舳先の方へ寄って行った。控えていた侍女の手から瓶子を受け取った。
「権大夫様、寒くはございませぬか」
盃に酒をつぎながら、陶子は気遣った。陶子も含め舟の人は皆川風に備えて着込んでいるというのに、義弘ばかりは、多少厚手とはいえ帷の上に単衣を着たきりなのである。しかし義弘は
「何、むしろ川風が心地良うござる」
と、快活に手を振った。陶子に気を遣わせまいと痩せ我慢を張っているのではなく、肌で受けるにはまだ少し寒過ぎる風も、舟の底板を透して時折上って来る水の冷たさも、実際苦にならぬようであった。義弘の横顔に川面から跳ね返って陽の光が射している。真夏の刺すような陰影ではない、白く霞んだ柔らかな光の反射である。それが、義弘の面輪によく合っていた。周防という暖かな地の陽を浴び、南の海風を浴びて生きて来た義弘の体には、凍てつく冬をものともせぬ陽光がみなぎっているのかもしれなかった。その、目には察せられぬ炎が、陶子には慕わしかった。