(六)
「陶子殿の歌は、詞を丁寧に選ぶだけでずっと良くなります」
短冊を見て義弘はそう言った。
「替言において大切なことはやはり何よりも根気です。歌詞を選ぶのは時も手間もかかりますが、そこを厭わず、これという一語に行き着くまで飽かずに幾たびも熟考することです。しかし同時に、言葉自体に引きずられて風情を見失わぬようにも、常に心がけねばなりません。そこに気を配るだけで、陶子殿の歌は見違えるようになりますよ」
替言とは作歌における技術の一つである。心風情はそのままにして歌語に推敲を加え、その景色、風情を詠み表わすに最もふさわしい、極められた唯一の詞を選ぶというもので、これを提言したのは冷泉派の歌人、冷泉為秀であった。二条派の義弘が冷泉派の技巧に言及したことに陶子が意外そうな顔をすると
「わたしは必ずしも二条派の歌論の如く、三代集の歌言からはずれてはならぬとは、思いませぬ」
陶子が歌の添削を申し出た時には二条派の冷泉派のと言った義弘であったのに、そのような、二条派の歌風を半ば否定するようなことを言って、陶子を驚かせた。
「古今の歌仙が用いておらぬ歌言を用いても差しつかえないと思いまするが、しかし、あまりに奔放な詞は慎むべきです。例えば『春雨』という語があるからと申して『夏雨』などと勝手な言い換えをしてはならぬとは、これはわたしが連歌を学んだ折に言われたことですが、歌においても変わりありません。自儘に造った語は耳新しく、それゆえ鮮やかな印象を与えますが、却って歌全体の趣を損なうあやうさもありますれば。耳立たぬ、なだらかな、聞きよい詞を用いるよう心がけることです。先程わたしはあのように申しましたが、しかし三代集には折に触れ立ち戻るべきですよ」
「難しゅうございますね」
文机に硯箱や短冊を並べた上で、陶子は眉間にしわを寄せた。義弘はその傍らで、文机は陶子に占拠されてしまっているので、膝の上に手控えを広げ何事か書きつけていたが、しきりと頭をひねっている陶子にくすりと笑いかけた。
「探題殿もよく、そうやって頭から湯気を立てて考え込んでおられますよ」
「まあ、大叔父様が、でございますか」
陶子は思わず目を見張った。大叔父様、大叔父様と如何にも親しげに語ってはいるが、実のところその大叔父は、陶子が生まれる前に九州に下向しているため、陶子は一度も会ったことはないのだった。歌人として、または幕府要人としての功績ということならば、父を始め周りの大人たちからあれこれと聞かされたが、その人となりを窺わせるような血の通った話はついぞ聞く機会がなかった。義弘のもたらした意外な人間像に、陶子は双眸に光の射し込んだような強い印象を受けた。
「わたくしのように歌詞に悩みわずらうことなどないと思うておりました」
「いや、作歌の際は常に、臭いものにふたをしたような心を抱くと、探題殿は申しておられます。つまり詞において妥協があったという自省が、いつも残るのですな。そのためか、以前に詠んだものを再び取り出し、直しを加えては思い悩まれることもしばしばです。探題殿には、作歌とはすなわち懊悩にございまするな。ですから、今陶子殿は詞を捕えられずに苦しんでおられまするが、それはいわば、歌人として逃れることの出来ぬさだめであって、決して陶子殿の未熟を示すものではありません」
と、陶子を励ましておいて、義弘は話を継いだ。
「歌は、しょせんは芸能に過ぎません。が、探題殿はその芸能に過ぎぬ歌道の内に、人としての道を探っておられまする。名誉のためでなく、ましてや遊興のためでなく、ただ己が求道のための作歌にござる。しかもいつ命が消し飛ぶかも分からぬいくさ場で求めて行こうというのですから、あのお心ばえには頭が下がる思いが致します」
「――まことに、お歌に厳しい方でいらっしゃいますのね、大叔父様という方は」
感嘆と不安のないまぜになった表情を、陶子は浮かべた。了俊の名に恥じぬ作歌を、と気負ったとて、果たしてそこまでの苦悩と求道を課す勇気が自分にあるものだろうか。
「しかしその、歌に関しては自らに厳しいはずの探題殿が、酒に関しては自制が効かぬのですから、分からぬものです」
陶子の目によぎった不安の色を察してか、義弘は、今度は一転してそのような話を始め、陶子はまた驚いた。
「自制が効かぬとは、まさか酔って狼藉なさったりするのですか」
「量をひかえるということがお出来にならぬのです。お年がお年にござりまするゆえ、あまり過ごされてはと周りが案じておるのでござるが、一旦ひかえられても翌日からまたずるずると。幸い酔われても狼藉ということはございませぬ。まあどのみちあの御老体が、たとえ抜き身をかざして暴れたとて、たかが知れておりまするが」
一見穏やかながらその実、身もふたもない義弘の物言いに、陶子はとうとう、声を立てて笑ってしまった。しかしその突き放したように無遠慮な悪口の中に、陶子は、義弘と大叔父との間に結ばれて来た交わりの親密さを垣間見る思いがした。
「権大夫様も、大叔父様のような方ですか」
ふと陶子は訊いた。
「酒のことにございまするか」
「あら。いいえ、お歌のことです」
「いや、わたしは探題殿とは違います」
こうべを振って、義弘は否定した。
「探題殿はいわば、探題であるよりも武将であるよりも、まず先に歌人であるのだと、左様にわたしは思いまする。――無論、揶揄で申しておるのではありませぬ。しかしわたし自身はと申せば、これは何よりも先に、武人にござる。大内左京権大夫という男は如何に生きるべきであるのか、それをかえりみた時、精神の内に柱を成しておるのは武人としての己にござる。それゆえ、わたしも歌に心を砕いてはおりまするが、しかし最後に求めるのはもののふの道であり、そしてその道はやはり、いくさ場の、敵の刃の下にあるのだと、左様に思うておりまする」
その一瞬、義弘の瞳の中に光がひるがえった。それは、血のたぎりとも呼ぶべきものかもしれなかった。陶子は、周防、長門から九州のいくさ場を、血と砂塵を従えて駆け巡って来た義弘の人生を思った。胸を衝かれる思いがして、陶子はいつまでもその瞳を忘れかねた。