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(九)

「お気を悪くなさらずに。今しがたの陶子殿の口振りが探題殿とあまりに似ておられたもので」


「大叔父様と」


「何と申しますか、こちらの身が自然と引き締まるような物言いが、ちょうど出陣を控えられた探題殿に似てござった。声音も容姿もまるで違うおふたりであるのにと、つい可笑しゅうなったのでござる。このとおり、何卒(なにとぞ)ご容赦下され」


 そう言って義弘は大真面目に両の拳を床につけ、主にでも詫びるように陶子に向かって深々とこうべを垂れた。義弘の前で失態を演じてしまったやりきれなさはまだ胸につかえていたが、その(ひょう)げた仕種に陶子は思わず吹き出して、そして笑ってみると失態も何となくすすがれたような気持ちがした。


「収めましょう。おもてをお上げなさい」


 陶子も負けじと、平伏する義弘の頭に鷹揚(おうよう)に答えた。二人の笑い声が風のように部屋を吹き抜けた。


「あの、権大夫様。先程のわたくしの非礼、誰にも言わないで下さいませんか」


 ひとしきり笑い合ったあと、陶子は義弘のそばへ寄って声をひそめた。


「非礼とは、参られよ、のことにござりまするか」


 と、義弘はにやにやしながらその言葉をわざわざ繰り返し、しかしすぐに頷いた。


「承知致した。口外は致しませぬ」


「それと権大夫様も、お願いですから忘れて下さいませ」


「それも承知致しました」


 きっとですよ、と、しっかりと口止めした陶子であったが、しかし内心では、義弘も多くの大人と同様、年若い陶子との口約束など守りはするまいと思っていた。家を揺るがすような大事ならばともかく、陶子のは取るに足らない失敗談に過ぎないのである。陶子の口振りが大叔父の了俊に似ていたとは、酒の席で披露するに格好の笑い話であるし、以前父が、周防からの客人に仁王像を期待していた陶子の逸話を酒の肴にしたように、義弘もまた今から酒の膳についた途端、たちまち禁を破って皆に面白可笑しく語って聞かせるのだろうと、陶子は部屋を下がりながら肩を落とした。


 次の日、陶子は立居振舞いの躾には厳しい母に呼び出されるものと身構えていたが、その日が過ぎ、翌々日が過ぎてもその気配は一向になかった。数日の間平穏をいぶかしんだのち、陶子は父母にそれとなく尋ねてみた。が、二人ともまるきり的外れなことを言うばかりで、事情を知りながら恩情を持って不問に伏してくれているというのではなく、本当に何も知らないようだった。陶子は初めて、自分とのつまらない約束を義弘が守ってくれたと知った。


『ああ、権大夫様という方は』


 そういうお方なのかと、陶子は嬉しさに胸を震わせた。翌日陶子は侍女を連れて近くの野に出かけた。おだまきや山吹といった野花を腕いっぱいに摘んで戻り、大きな花生けに手ずから生けた。経机に乗せ、侍女二人に義弘の部屋まで運ばせた。


「これは、見事にござるな」


 部屋に運び込まれて来た、こぼれるばかりに花の咲き乱れた花生けに、義弘は書見台から上げた目を見張った。


「近くの野で摘みましたの。権大夫様に、お礼のしるしですわ」


「礼? 何の礼ですか」


「それは、内緒」


 陶子は袖で口元を隠し、愉しくてたまらぬようにくっくっと笑った。


「では何の礼かは捨て置いて、素直に受け取りましょう」


 捕らえどころのない少女の心を、義弘は恐れもせず、抗しもせずそのままに受け止め、微笑した。手をしばし花叢(はなむら)に遊ばせ、それから礼にと言って春の野辺を歌に詠み、陶子にくれた。


 件の一件を口外せぬとの約束を守ってくれた義弘であったが、義弘自身も忘れてくれるようにというもう一つの約束の方は、しかし義弘は結局、守らなかった。それからも、義弘は何かといっては陶子を「探題殿」と呼んだり、また二人きりの時は陶子に対し僕のように慇懃(いんぎん)にかしこまって見せたりしては、面白がった。そのたび、陶子は大仰(おおぎょう)に眉をそばだて、目をいっぱいに見張って怒った表情をつくろう。まず義弘が笑い、それから陶子が笑う。ひとしきり笑い合って、そこでやりとりは終わるのだった。それは陶子と義弘が共有した、ささやかな、しかし二人だけの秘め事であり、一連のやりとりは二人にしか理解し得ぬ秘密の言語であった。怒ったり、たしなめたりしながら、そのくせ陶子は、義弘との間にその密やかな会話の始まるのを、いつも心待ちにしていた。

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