2 〜 富士の大樹海 〜 後編
エルフたちの集落を訪れる為、富士樹海を進む奏とアリシア。
その道半ばにして、奏たちは当のエルフたちから襲撃を受ける。
しかし、襲撃者たちはなぜか奏だけを狙っておりーー
「――ッ、遅いぞ!」
言いながら、奏はそれよりも先に回避行動を取っていた。
風を切る音が、しっかりと彼の耳には届いていたのだ。
三本は奏が腰を下ろしていた切り株に突き刺さり、残りの一本は他でもない彼の手の中に。
「そう言いつつも、ちゃんと避けてるじゃないですか」
「それとこれとは話が別だろ?」
忙しなく襲いかかってくる矢をかわし続ける奏とは対照的に、アリシアは切り株に腰を下ろしたまま。
エルフたちの恩人である魔女は立ち上る湯気にふーふーと息を吹き掛けて、奏お手製のスープをちびちびと啜っている。
「てか、何でオレだけなんだよ」
「それだけ奏が怪しいってことなのでは?」
微笑みながらの口調は辛辣だった。
「ったく、しょうがねぇな」
存外、恩人を拉致して道案内させている悪人とでも思われているのかもしれない。
もしくは、単に人間が嫌いなのか。
或いは、その両方。
戦う意志は微塵もないのだが、このままでは事情を説明するのも難しい。
とりあえず、落ち着いて貰うしかない。
襲撃者たちの気配を探る。
射撃の腕は悪くはないが、あまりにも狙いが正直過ぎる。
まさしくそれは、遠方から獣を仕留める為の技術だった。
迷い込んだ登山客相手であれば、それで十分かもしれないが、彼らが標的にしているのは忍霧 奏である。
忍霧流歩武術免許皆伝の腕前にして、正統後継者。
矢は暴風雨のように奏に襲いかかってくる。
とはいえ、それだけだ。
彼等の気配を正確に把握している奏にとって、出所が分かっているだけの矢の軌道は目を瞑っていても回避できる。
だったらその軌跡を導くことだって、不可能ではない。
おそらく一流の狩人であるだけの彼等は果たして奏の思惑をどれだけ察しているのか。
交差点の中心には奏自身。
その交わる軌道線上には狩人たちがいる。
図ったタイミングは寸分違わず絶妙。
標的である奏はその瞬間、同時に遮蔽物でもあった。
そして、矢は奏のいた空間をすり抜けた。
射手たちにはまさに、矢が奏の体を通りぬけたかのように見えたことだろう。
僅かな驚きの感情が木陰の向こう側からも伝わってくる。
たった一瞬の間。
だが、その僅かな時間が致命的だ。
「がっ――」
「ぐぁ――っ!」
標的を素通りしていった矢は、奏の意図した通り、茂みの向こう側に消えて別の射手を見事に射抜く。
狩人としては一流かもしれないが、戦士としては二流止まり。
しかし、それは全員には当てはまらなかった。
「一人、ちゃんとしたのがいるな――」
奏の意図を理解し、不意の急襲をかわした存在は一つ。
ソレは既にその場を離れ、奏から距離を取るように森林を駆け回っていた。
流石はこの樹海に暮らし、守護を請け負う者。
その動きの軽やかさは、故郷の森を同じく駆け回って育った奏から見ても見事なレベル。
「――で? あんたはそっから何を見せてくれるんだ?」
それに奏は余裕を持って追随する。
襲撃者の中で最たる手練れは間違いなくこの人物であった。
深くフードを被って表情をこちらに悟らせないようにしてはいるものの、線の細さからソレが女性であることは分かる。
片手に弓を携えながら、器用にこちらの様子を確認しつつ、至近距離からその弦を引く。
しかし、そんな距離から放たれる矢は手間が掛かるだけで、牽制にも至らない。
それでもほんの僅かではあるものの時間は稼げる。
その僅かな一瞬で、彼女は奏との距離をどうにか維持する。
間合いの取り方が上手い――
技術的な面だけで言えば、正直負ける要素はないと言えるだろう。
しかし、生死を賭けた場面において、そんなシンプルな状況に陥ることは極めて稀だ。
それこそ、そこには場所だって大きく影響する。
こういった樹海のような場所はまさにその代表例だろう。
平坦とはいかない大地や、一つとして同じ形状ではない木々。
彼女は、まさにそういったモノを活かすのが上手いのだ。
奏が故郷の山を知り尽くしていたように、彼女はこの樹海を知り尽くしている。
まともに相手にするのにここまで厄介な相手もそうはいない。
自分と相手の力量を把握し、その上でどうにか立ち回るだけの知恵と技術。
魔女狩り機関のエージェントたちとは異なる意味で厄介な相手だった。
しかし、やりようがないわけではない。
森に長けているという点においては、奏だって彼女に引けは取らない。
「――――っ」
要するにこの環境に適応すれば良いだけの話。
その点において言えば、彼女は格好の教科書でもあった。
追随すればするだけ、この樹海におけるノウハウが手に入る。
この樹海全てとなれば話は別だが、周辺の環境だけであれば、手間はそれほど掛からない。
故郷である忍守山での経験がここで活きる。
全くのゼロから知ることと、類似した環境での経験を持った上での知識の収集は話が全く異なる。
必要なのは彼女をこのエリアから逃がさないこと。
そして、それだけであれば、奏にとっては造作もない。
大まかなエリアの把握は既に終わっている。
襲撃者を檻の中に囲い込む。
ついに、踏み出す一歩が完全に彼女を追い越した。
忍霧流歩武術――影貫。
相対する者を影ごと抜き去ると同時に腹部への強打。
「ぐぁ――っ」
その一撃は彼女を大樹の幹に強烈に叩き付けた。
「一応、言っておくけど、オレはアンタらと争う気はないんだけど……」
「私たちの恩人を人質にしておいて、何を宣う!」
思い違いも甚だしい。
どこをどう見れば、奏がアリシアを人質に取っているように見えるというのか。
「とりあえず聞いておくけど、話し合うという選択肢は?」
「あると思うのか? 人間風情が!」
「辛辣過ぎる……」
エルフ族の人間嫌いは世界的にも有名だが、まさかここまでとは思わなかった。
「来い、シルフ! ドリアード!」
咆哮と同時に、風が樹海を駆けた。
エルフの戦士が剣を抜く。
同時に、精霊が舞い踊り、彼女の周りで剣と成した。
錬成された剣は二振り。
その属性は精霊の名を冠する通り、風と森。
剣は踊る。
彼女の周りを彩るように。
「ブレードダンサーか」
それも精霊使いの。
果たして彼女のような精霊使いのブレードダンサーが一体何人いるだろうか。
精霊使い自体が極めて稀な存在。
それも精霊を剣として自在に使役できるレベルまでとなると更に希少。
それが今、奏の目の前にいる。
ブレードダンサーは近接戦闘のプロフェッショナルだ。
精霊使いでともなれば、間違いなくその道の最上位クラスだろう。
これまで幾度と強敵と立ち合ってきた奏であっても、彼女のような存在と相見えるのは初めてのことだ。
「行くぞ!」
ブレードダンサーが疾走する。
そして、それを追従する二振りの精霊剣。
彼女が腕を振るわなくとも、精霊剣は彼女の意思を汲み取り、踊る。
駆ける戦士の姿は縦横無尽。
精霊剣は彼女の道筋を助成し、時には足場とさえなる。
初見であれば、苦戦するのは必至。
しかし、彼女が首を狙うのは忍霧 奏である。
不規則な軌道で襲撃者の周囲を舞う精霊剣に対して、奏はそれを完全に無視して彼女へと突っ込んだ。
「――――っ!」
これに虚を突かれたのは彼女の方。
それでも奏の繰り出した短刀を手持ちの剣で受け止めて、彼女は精霊剣を容赦なく振り下ろす。
精霊剣が体に届くその刹那にも、奏の顔には恐怖の色一つどころか、危惧する気配すらない。
なぜなら――
「なっ――」
パリン――
奏に触れたその瞬間、精霊剣が砕け散った。
奏が彼女のことを知らないように、彼女も奏のことを知らない。
当然、奏がダッドトイであるということも――
対魔術師戦においてだけ見れば、ダッドトイというデメリットはメリットにもなりうる。
それは他でもない奏自身が、先日の魔女狩り機関――ヘカトンケイルとの一戦で証明済みである。
彼の強敵たちに有効だったのであれば、この状況下においても同様であるのは間違いない。
奏の抜き放った短刀――姫守が間髪入れずに襲撃者に迫る。
魔術を使うためにはある程度の集中力が必要である。
その為の補助として詠唱や構築魔術という技術があるのだが、精霊魔術に関しては通常のソレよりも遥かに高い集中力が要求される。
アリシアレベルともなれば、それすらも難なくこなして見せるのだろう。
しかし、それは彼女が魔女だからである。
果たして目の前の彼女がそれと同等かその水準のレベルであるかどうか。
「――――ッ!」
彼女がその領域にいないのは一眼で分かった。
対人戦に不慣れという点においては、他の襲撃者たちと変わりない。
奏の繰り出す斬撃をどうにか防ぐので精一杯というレベル。
「ヌルいな――」
追い詰めるのに必要となったのは僅かに四手。
ガラ空きになった腹部へ蹴りを見舞う。
「がっ――」
全身から酸素が吐き出されると同時、彼女の体は再び大樹へと叩き付けられていた。
「もう良いだろ、アリシア?」
「そうですね……」
そう言ったアリシアはちょうどマグカップを空にしたところだった。
「そろそろ実力差は分かって頂けたでしょうか?」
「ま、魔女様……」
まだどうにか意識を保っている襲撃者たちにアリシアが語り掛ける。
「私たちは大人しく、彼に従うしかないのです」
「おい――」
冗談は時と状況を見極めて言って欲しい。
「冗談です。魔女ジョークですよ、魔女ジョーク」
「マジで笑えないから止めてくれ……」
本人は茶目っ気を見せているつもりのようだが、正直笑えない。
「コホン。兎にも角にも久しぶりですね、アスメリア」
「知り合いだったのかよ……」
「えぇ。なにせ私は彼女の名付け親ですので」
「マジか……」
「大マジです」
奏にだけ見えるようにこっそりピースをして見せるアリシア。
少し自慢げなのは正直とても可愛い。
「彼との実力差は思い知りましたか?」
「ぐっ……」
アスメリアと呼ばれたエルフの少女はまだどうにも納得いかないところがあるらしい。
外見は奏よりも少し年上に見えるくらいだろうか。
しかし、エルフは外見も若い姿が長く続くので、見た目では年齢を判断し辛い。
「彼は忍霧 奏。私の守護者です。以降、そのように対応してください」
「しかし、魔女様――っ!」
「お願いしますね?」
「……はい」
有無を言わせぬ迫力に、アスメリアは頷くしかない。
流石に名付け親ともなると、頭が上がらないらしい。
「ついでに言っておきますが、私は彼女のおしめだって変えたことがあります」
名付け親であると同時に育ての親のような存在でもあるらしい。
「そりゃ、頭も上がらないわけだ」
「くっ、人間風情が……」
「アスメリア?」
「な、なんでもありません――」
どうやら魔女に育てられたエルフ娘はなかなかのじゃじゃ馬に育ったらしい。
「一応、私も人間なんですけどね?」
「魔女様は、魔女様ですので」
エルフ族の人間嫌いは有名だ。
アリシアが命の恩人であったとしても、そこはどうやら変わらないらしい。
「とりあえず、昔のようにシアママとは呼んでくれないんですか?」
「その、私も今年で七十五になりますので……」
「残念です……」
心底悲しそうに項垂れるアリシア。
彼女との再会はアリシアにとって、楽しみの一つだったに違いない。
「それで、道案内はして頂けるんですか?」
「も、もちろんです! 魔女様のご来訪を喜ばない者など、集落には一人としていません!」
アスメリアの言葉を奏は聞き漏らさなかった。
つまり、そこに奏は含まれていない。
そして、それにはきっとアリシアも気付いている。
ただ指摘していないだけ。
きな臭さを感じつつも、奏とアリシアはアスメリアたちに先導されて、樹海の更に奥へと進んでいく。
エルフたちの集落に到着した頃にはすっかり日が暮れていた。




