2 〜 富士の大樹海 〜 前編
魔女狩り機関を撃退した奏とアリシアは傷を癒すため、櫻美組に身を寄せていた。
傷が癒えた奏は幼馴染である鞍刃と紅人をはじめとする櫻美組の面々に見送られ、アリシアと共に旅立つ。
アリシアの希望で目的地は東――富士樹海の聖域へ。
魔大陸の転移から世界には聖域と呼ばれる場所がいくつか出現した。
特に有名なのが南米大陸のアマゾン熱帯雨林とヨーロッパのオルレアン大森林。
そして、ここ日本の富士樹海。
元より禁域だった富士樹海は、魔力に侵されたことにより、その深さと迷域のレベルを世界トップレベルにまで引き上げた。
専門のガイドなしでは立ち入ることさえ禁じられたその場所は、とある種族たちにとっては楽園とも呼ばれている。
エルフである。
かの種族は転移前から自然との共存に重きを置いており、転移後もそれは変わらない。
「で、ここがかの有名な富士の大樹海か」
話では何度も聞いたことがあるが、奏も実際に訪れるのは初めてだった。
「昔はここまで不気味な雰囲気ではなかったんですけどね」
「どれくらいぶりなんだ?」
「そうですね。まぁ、最後に訪れてから七十年くらいぶりですかね」
改めてアリシアが魔女であることを思い知る。
「奏、先頭を任せても良いでしょうか?」
奏もここまでとは言わないまでも、知識がなければ迷い込んでもおかしくない忍守山に住んでいた身。
森についての馴染みで言えば、隣の魔女よりも奏は余程深い見識を持っている。
「もちろんだ」
元より言われずともそのつもりである。
不死である身とはいえ、女性を先に行かせるわけには行かない。
これだけの深い森なのだ。
野生の獣はもちろん、魔獣だって多く棲息しているだろう。
それらの露払いをするのは他でもない自分の役目である。
「目的地まではどれくらいあるんだ?」
「そうですね、順当に行けば大体二日くらいでしょうか」
もちろん、アリシアだけなら転移魔法で一瞬だ。
逆に奏だけであれば三日も彷徨えば辿り着けるだろう規模。
「一応、オレがお前を背負って走るという選択もあるが?」
「……絶対に嫌です」
「だよなぁ」
「そんなことをされたら、私はここに来るまでに折角堪能した駅弁を口から出してしまいます」
「よし、ピクニック気分でゆっくり行こう」
まだ身につけて間もない一張羅を吐瀉物で汚すのは流石に抵抗がある。
「まぁ、魔術のスペシャリストに森のエキスパートがいるんだ。かの有名な富士の大樹海くらい、どうとでもなるだろ」
その道中は極めて順調。魔獣や獣の襲撃はあるものの、事前にアリシアが魔術で探知してくれるので先手を取られることはない。食料代わりに数体を狩った以降は、撃退こそすれ、殺しはしていない。
「良いんですか、それで? また襲ってくるかもしれませんよ?」
「良いんだよ。アイツらもそんなバカじゃないさ」
獣はこちらが思っているよりもずっと賢い。
時が経てばリベンジを挑んでくることはあるだろうが、当面は問題ないはずだ。
「一応、こっちが縄張りに勝手に入ってるような状態だしな。必要最低限だけ狩って、無駄な殺生をする必要はないよ」
「まぁ、総じてエルフはそういうのを嫌う傾向にありますしね」
余計な波風は立てないに越したことはない。
「自然との共存はオレとしても嫌いじゃないしな」
幼い頃は忍守山でトレーニングの一環として、よくサバイバルをしたものだ。
今のサバイバル技術の多くはその時に培ったモノである。
必要最低限というのは、裏を返せば最高効率の追求であると奏は思っている。
本当に必要なモノだけを見極める技術。
それを奏はサバイバルで徹底的に磨き上げた。
「でも、まさか野宿でここまで豪勢な食事にありつけるとは思いませんでしたよ」
「まぁ、これくらいはな」
日の落ちた森の中で、焚き火がパチパチと弾ける。
それを囲むのは日中に討伐した魔獣の肉を使った串焼きだ。
石を組み上げた簡易の竈門の上ではぐつぐつと魔獣の骨から取った出汁のスープが良い香りを放っていた。
「この樹海の自然が豊かなおかげだよ。流石は聖域に指定されるだけはある」
串焼きには自生していたスパイスが練り込まれていて、スープには採取したばかりの山菜やキノコがたっぷりと使われている。
元々、ストックしていた調味料を多少使用してはいるが、そこも必要最低限だ。
「一応、食料は大量に保管してあるんですよ?」
アリシアの扱う魔術にはストレージというアイテム保管用の魔術がある。
そのおかげで食料や備品にはかなり余裕がある。
しかし、資金も資材も有限である。
節約できるところは節約して困ることはないだろう。
「それにこういうのこそ、旅の醍醐味って言うんじゃないか?」
奏から差し出された串焼きは絶妙な焼き加減で、食欲を刺激する魅惑的な香りを放っていた。
口の中が火傷するかもしれないとしても、熱々のソレに齧り付かずにはいられない。
「――どうだ?」
「はふ、はふ――これは、いけますね」
感想こそ淡白ではあるものの、こちらに視線一つよこさず串焼きに齧り付く姿は作り手冥利に尽きる満点の回答だった。
魔獣の肉が持つ獣臭さは強烈だ。
しかし、それを上手く消し去り、絶妙な味わいに仕上げてくれるのが現地調達のスパイスである。
富士樹海に入ったのは当然、初めてである奏だが、その自然の豊かさは想像以上だった。
サバイバルに精通している奏から見れば、食料の宝庫と呼べるレベル。
「良い森だな」
状況が状況でなければ、数日キャンプで留まりたいくらいだ。
「彼等がこの樹海を気にいるのも当然ですね」
聖域と呼ばれる場所はいずれも世界遺産に指定されるレベルの豊かな自然を誇る。
そこに住み着くエルフたちはいずれもその場所の保全活動に従事することが義務付けられていた。
つまり、自然との適度な共存が求められるという話。
その点において、エルフは極めて適役である。
奏もキャンプやサバイバルは好きではあるが、そこにずっと住み続けられるかと言われれば、答えはノーである。
自身が生活していくために利用している様々な文明の利器は、既に現代人にとって必要不可欠なレベルで生活に浸透している。今更、いきなりない状態で生活しろと言われても了承できる方が希少だろう。
しかし、エルフたちはそうではない。
彼等は原始的な生活を好み、転移後においても自分たちの伝統的な生活を営んだ。
そんな彼等のような存在は聖域の守護者として適役だ。
「もちろん、中にはそんな伝統的な生活を拒み、こちらの世界に馴染もうとしたエルフたちもいますけどね」
「つまり、街中で見掛けたエルフはそんなはみ出し者たちってことか」
「またはそんなはみ出し者たちの子孫かもしれませんが」
エルフ族の寿命は長い。
人族が百年前後であるのに対して、彼等の寿命は千年にも届く。
「とはいえ、それ故に街中で見かけるエルフの多くは純血種ではない者の方が多いでしょうけどね」
「そうなのか?」
「エルフはただでさえ珍しいですから」
その上でエルフ同士が出会い、恋仲になる確率は奇跡に等しい。
「一番の問題は、彼等の排他的な文化ですけどね。もう少し他文化との交流に寛容になれば良いとは、私も思っています」
「でも、そんなエルフたちとアリシアは旧知の間柄なんだろ?」
例外はどんな状況でも存在しうる。
「あくまでもここのエルフたちだけですよ。何せ、彼等にこの聖域の存在を教えたのは、他でもない私ですからね」
「あぁ、そういうことか」
それなら納得もいく。
いくらエルフたちが排他的な種族とはいえ、住む場所を斡旋してくれた恩人で、しかも魔女ともなれば、無下にはできないだろう。
「それでも長老レベルになれば、私より随分と長生きですけどね」
「流石はエルフって感じだな。その長老って何歳くらい何だ?」
「確か……、八百歳くらいでしたかね……」
事実を聞かされて感覚がおかしくなってくる。
「それで、今オレたちを取り囲んでるコイツ等は知り合いか?」
「どうでしょう。そうであることを祈りますが……」
奏とアリシアを囲んでいる気配は四つ。
当たり前だが、奏の知り合いではない。
ここはエルフたちと既知であるアリシアが頼りだ。
「魔術でその辺分かったりしないのか?」
「そういうのを組めば可能ですが、少し時間が掛かりますね」
「何でもできるようで、できないこともあるんだな……」
「あくまでも術ですからね。事前に準備しておかなければ、できることもできません。魔術なんてモノはそういうモノですよ」
そして、その積み重ねが魔術を成す。
汎用性の高いモノは共有、簡略化され、人々の生活に浸透していった。
「とはいえ、誰にでも身につけることができるような魔術を使うのは初心者くらいですけどね」
「そうなのか?」
「もちろん、全く使わないわけではありません。そういうのは生活魔術レベルですよ。高位の術者ともなれば、自ずと自分のスタイルに合わせて術式をカスタマイズするのが普通です。そう、例えば――」
その瞬間、アリシアが指を鳴らした。
「こんな感じでしょうか」
起点となったのは奏。
アリシアが自分を起点として魔術を起動しなかったのは、そうした場合に魔術が奏に干渉しようとしてしまうのを防ぐ為だ。
奏は魔術の影響を受けない。
その体質を考慮すれば、彼女の行使する魔術は自然とそうなる。
術式に起点となる座標を組み込む手間は必要となるが、それにより彼女の魔術は意図した通りに効果を発揮する。
精度を大幅に向上させた探知魔術。
それをたったの数秒で、奏との会話の片手間にやってのけたのだ。
「で、どうなのよ?」
お客様のご様子はいかがなものか。
「そうですね。簡単に言えば――」
その瞬間――
「なぜか怒ってますね?」
奏に向かって、四方から無数の矢が放たれていた。




