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1 〜 出立 〜

 学園での死闘から二日。

 忍霧 奏は櫻美組に身を寄せていた。

 魔女狩り機関のエージェント――狼炎・ヴォルフガングとジャンヌ・アルメリアを撃退したものの、相手は国際機関のエージェントだ。

 それを相手にして能天気にいつも通りに生活するわけにもいかない。

 理由が理由なだけに、奏は国際指名手配となってもおかしくない状況なのだ。

「調子は悪くなさそうですね、奏?」

「まぁな。悪く見ても八割って言っても良いくらいかな?」

 そして、その要因が他でもない彼女である。

 魔女――アリシア・エイトテイル。

 この世界には良い魔女と悪い魔女がいる。

 前者をウィッチ、後者をメイギスと呼称し、彼女はそのメイギスにおける筆頭。

 登録ナンバー000、最悪にして災厄のメイギス。

 かつて友人だった彼女がメイギスであることが発覚し、その果てに奏と恋仲となった。

 その過程で奏は魔女狩り機関の二人と死闘を演じ、死にかけたりしたわけだが、今となってはそれも些細なことである。

 兎にも角にも、今こうして五体満足でリハビリができているのがその証拠。

「というか、お前等、自主練サボってるだろ?」

 櫻美邸の広すぎる庭に倒れ伏す組員たちに向かって、奏は呆れたように毒を吐く。

「そういうとこだけ鞍刃に似なくて良いんだよ。まったく……そこはどうせなら紅人に似ろよ。マジで」

 何にでも得意不得意があるのは当然だ。

 しかし、結果如何にしても、その過程は見え隠れするものだ。

「とりあえずなんだ。お前等まとめて婆ちゃんにしごいてもらうからな?」

「「「ッ…………」」」

 無言の抗議は何ら意味をなさない。

 むしろこれは奏にできる唯一の慈悲である。

 音に直接看破されるのではなく、奏というワンクッションが間に挟まっているのだ。

 そこにどれだけの効果があるのかは奏の知るところではないが、ないよりマシだろう。多分。

「本当、頼むぞ紅人。櫻美組の未来はお前の手に掛かっている」

「善処する……」

 根が真面目な紅人のことだ。

 おそらく彼らに対してもサボらないように促してはいるはずである。

 だが、彼等も一筋縄ではいかないドロップアウト組。

 加えて、他でもない彼等の頭がそれ以上のサボリ魔なのだからどうしようもない。

「本当ならこういうのはお前の仕事なんだぞ……?」

「わ、分かってるわよ――」

 奏と紅人のやり取りを苦虫を噛み潰したような顔で聞いているのがその当人。

 櫻美 鞍刃、奏の幼馴染にして、櫻美組の未来の組長である。

 奏が魔女狩り機関のエージェントとの決闘に集中できるよう、二人は学園の入り口でガーゴイルの一掃を引き受けた。

 結果、奏との約束を果たした二人ではあったが、余裕というわけにはいかなかった。

 せいぜいが辛勝と言えるレベル。

 おそらく二人共、もう少し上手く立ち回れると思っていたのだろう。

 奏としては十分に助かったのだが、自信満々に引き受けた結果がアレとは当の本人たちも思ってはいなかったようだった。

「それで奏、調子はどうなのよ?」

「そうだな。悪くない」

「なら、今日も良いわよね?」

「もちろん」

 鞍刃からの申し出には是非もない。

 むしろ望むところだ。

 アリシアに回復魔術を施されてから鞍刃の雰囲気は少し変わった。

 奏や音からすれば、ようやくかというところ。

 或いは音からすればこれを想定してのことだったのかもしれない。

 本能で彼女も理解しているのだろう。

 自身に足りていないのが圧倒的な戦闘勘であることに。

 センスは達人である音ですら認める超一級レベル。

 しかし、悪癖であるサボり癖のせいで、肝心なところでの集中力が足りなかったり、要所での一手を選び損じてしまう。

 加えて鍛錬不足による持久力の低さも問題だ。

 その全てを解決するには徹底的に自身を虐め抜くしかない。

 櫻美 鞍刃は対等でありたいのだ。

 頼れる友人として、切磋琢磨できるライバルとして。

 今の彼女は間違いなく足手纏いだった。

 他でもない彼女自身がそう認めてしまっていた。

 彼女自身のアイデンティティを取り戻すために、鞍刃はこの数日がむしゃらに奏に挑んでいた。

 それが分かっているからこそ、奏も断ることはない。

 待望の弟子の成長を喜ばない師はいないのである。

「まぁ、やる気があるのは認めるよ。やる気があるのはな」

 とはいえ、結果がそう簡単についてこないのが武芸だ。

 特に今の鞍刃はやる気が前に出過ぎている状態。

「もっと冷静になれよ、鞍刃。山の獣でもお前よりもっと賢く動くぞ?」

「う、五月蝿いわね……」

 大の字に倒れた鞍刃がゼエゼエと全力で酸素を体内に取り込んでいた。

 呼応して立派に育った胸も大きく浮き沈みを繰り返す。

 まぁ、今はこれでも良いだろうと思う。

 鞍刃は鞍刃で今、必死にもがいているのである。

 彼女なりの答えを自分で見つけられるよう見守るべきだろう。

 わざわざ手を貸さなければならないほど、奏の幼馴染は弱くはないのだから。

「むぅ……」

「何だよ、アリシア」

 緊張を緩めた奏の隣で、一連のやり取りを眺めていたアリシアが小さく服の裾を引っ張っていた。

「言うのもなんですが、彼女の目の前であまり堂々と、その……見るのはどうかと思いますよ?」

「んん――?」

 話の方向がいきなりとんでもない向きへと捻られていた。

「確かに? 私のはですね、その、そこまで成長しませんでしたけど……」

 ここは大人しく聞かなかったことにするのがきっと正解だろう。

 何よりもそういった惚気に興じるにはここは少しというか、かなり人目が多い。

 櫻美組の面々はいつだって娯楽に飢えている。

 大抵は身内間での賭博がソレに当たるが、幼少期から可愛がってきた子供たちの恋愛事情となると話はまた別だ。

 それこそ三日三晩どころでは済まないのは想像に易い。

 頬を赤らめながらブツブツと呟くアリシアはとりあえず置いておいて、奏は紅人に問い掛ける。

「紅人もやっとくか? まだ時間はあるんだろ?」

 時間は限られてはいても、できるだけ櫻美組の面々には恩を返しておきたい。

 今後に備えるのであれば、少しでも彼等の地力を上げるのに力を尽力したい。

「そうしたいのは山々なんだが、師匠にもシゴかれるのは目に見えてるからな……」

 音の鍛錬が厳しいのはいつものことだ。

 彼女から受けられる指導はそれだけで貴重。

 文明の利器を使えれば良いのだが、音は携帯を所持していない。

 盗聴の心配があるため、電話による連絡は不可。

 こうなると、連絡の手段は信頼できる人物による手紙または伝言しかない。

「それにお前等も夜には出発するんだろう? 余裕を持って少し休んでおくべきだ」

 気遣いのできる幼馴染で助かる。

 伝令役としてこれほど信頼できる人間はいない。

 彼自身も忍霧流の門扉を叩いた人間である。

 師匠の元へ教えを乞いに訪れるのは何も問題のない。

 そんな彼に、奏は家族へと宛てた手紙を託していた。

 万が一のことも考えて詳細は省いているが、先日の出立の際に音には事情を話しているし、紅人からも伝わるだろう。

 今生の別れにするつもりはもちろんないが、そうなる可能性もないとは言えない。

 何しろこちらには誰もが知り、恐れる災厄にして最悪の魔女。

 登録ナンバー000、アリシア・エイトテイルがいるのである。

 今この瞬間にでもアリシアと共に、指名手配されてもおかしくない。

「それで? お前たちはここを出てどこに向かうつもりなんだ――?」

 奏とアリシアは日が暮れたタイミングでこの街を出る。

「オレも細かい場所はまだ聞いてないんだけど――」

 アリシアには行っておきたい場所があるらしい。

「東へ――富士の樹海に用事があるんだってよ」


「はい、これ。頼まれてた端末よ」

「助かるよ」

「……ちゃんと連絡しなさいよ」

「分かってるよ」

 鞍刃の繰り出すボディブローを、奏はしっかりと受け取る。

「まぁ、なんだ。気を付けてな」

「色々ありがとな紅人。婆ちゃんたちのこと、よろしく頼むよ」

「お前ほど上手くやれる自信はないが、精々師匠に鍛えて貰うさ。次会う時には、お前に負けないくらい強くなるぞ」

「楽しみにしてる」

「アリシア、さんで良いのかな? 奏のことをよろしく頼む」

「えぇ――」

 色々と巻き込んだ後ろめたさからか、自分から積極的に櫻美組の人間に関わろうとしなかったアリシアだが、それでも鞍刃と紅人とは多少なりとも親睦を深めることはできただろう。良い友人となってくれればと期待をしたのだが、数日ではまだ顔見知りレベルと言ったところだろうか。

 それでも、この街に知り合いがいるという事実は悪いことではないだろう。

「……アンタ、ちゃんと約束は守りなさいよ」

「善処します」

「……っ! ほんとムカつくわね、アンタ」

「お互い様ですよ、櫻美 鞍刃」

 できれば、もう少し波風を立てない間柄になって欲しい。

「とりあえず、喧嘩仲間って感じか……」

 少しでも感情を表に出せる間柄というのは彼女にとっても貴重な存在だろう。

「というか、お前ももうちょっと人付き合いを学べよなぁ」

「五月蝿いわよ。別に困ってないから良いのよ、私は!」

「俺はもう十分に困ってるんですよ、お嬢……」

「だ、そうだが?」

 お目付役である紅人に言われては、流石の鞍刃も多少はバツも悪いらしい。

 彼女は将来、櫻美組の頭になる人間だ。

 今はまだ紅人や他の面々が矢面に立ってくれているが、数年後にはそうもいかなくなる。

 それを見越せば、もう少し外交術を身に付けて欲しいところである。

「まだまだ子供ですね、櫻美 鞍刃?」

「お前だって少し前までただの引きこもりだったじゃねぇか……」

 どの口が偉そうに言えるのか。

「それはそれ、これはこれ、です」

「本音は……?」

「……め、めんどくさいじゃないですか」

 これまた鞍刃に引かず劣らずのバツの悪そうな顔をするアリシア。

「お前な……」

 そんな彼女がコホンと息を整える。

「櫻美組の皆様――」

 きっとこの数日は彼女にとって数十年、いや下手をすれば百年以上ぶりに楽しく過ごせた日々だった。

「大変お世話になりました。この数日、私が心穏やかに過ごすことができたのは皆様のおかげです」

 分かりやすく騒いだり、はしゃいだりしたわけではないけれど、櫻美組の面々に奏が稽古を付ける様を微笑んで眺めていたのを彼は知っている。

「私のような大罪人を疑うことなく、匿ってくれた御恩は、一生忘れません。本当にありがとうございました」

 アリシア・エイトテイルはメイギスである。

 例え、それが濡れ衣であったとしても、彼女の立ち位置は揺るがない事実である。

 それでも、鞍刃や紅人をはじめとした櫻美組の面々は彼女を受け入れてくれた。

 彼女、彼等が晒されてきた環境もあるだろう。

 だとしても、アリシアに絡み付く事情は考慮するには少しばかり重過ぎる。

「まぁ、最初はビビったけどよ」

「でもよぉ、坊の彼女とか言われちゃあなぁ?」

「これは見ないわけにはいかねぇって話だ」

「正直、あの日の夜は酒が進んだぜ」

「美味い酒を飲ませてもらったな!」

 「ガハハ――」と、年長組の面々は飄々と答える。

 お世辞抜きに、実際その通りなのだから困った話である。

「一体、何が面白いのかしら――?」

 一方で、その酒の肴が気に入らなかったのが鞍刃。

 ドスの聞いた声に、年長者組は一瞬にして全員が明後日の方向を向く。

「まぁ、なんだ。世話になった」

「はい。この御恩はいつか必ず」

「気にすることはないわ。あんたは私たにとって家族みたいなもんなんだから」

 幼少期から一緒に鍛錬に励み、何度も寝食を共にした。

 そんな櫻美組の面々は奏にとっても間違いなく家族同然だった。

「ちゃんと帰ってきなさいよ」

「あぁ――」

 正直、約束はできない。

「あんたも……ちゃんと、奏と一緒に帰ってきなさいよ」

「は、はい……。ありがとうございます」

 鞍刃から掛けられた言葉が意外だったのか、アリシアはキョトンとした顔を見せる。

「あと、まだ負けたわけじゃないから――」

「っ……! 私も負けませんから」

 アリシアと鞍刃が固い握手を交わす。

 他の皆は気付いていないようだが、奏と紅人には彼女たちの手に異様なほど力が込められているのが分かる。

「はぁ、お前も大変だな……」

「オレ、なのか……?」

 そう答えた奏へ紅人が信じられない者を見るような目を向ける。

「何だよ?」

「いや、俺は何も言えない。気にするな。いや、やはり少しは気にしてくれ」

「どっちなんだよ……」

「まぁ、何だ。元気でやれよ、奏」

「たまには連絡しなさいよ」

「あぁ――」

 気付けば、一同は櫻美家の庭の端まで来てしまっていた。

 最初は鞍刃と紅人の二人だけだったはずの見送りも、辿り着いた時には屋敷にいた組員たちのほとんどが集まっていた。

 出発は正面玄関でも裏口でもなく、庭の端から壁を飛び越えて。

 奏の身体能力であればこれくらいは造作もなく、またアリシアにはそれを可能にするだけの熟練された魔術がある。

「んじゃ、行くか」

「はい」

 別れ際は静寂。

 まずは奏が塀の上に登り、目視で周囲を確認する。

 何もないのを確認した後に、小さく手で合図をする。

「それでは――」

 別れ際に一言を残したのはアリシアだった。

 彼女が塀を越える僅かな間、奏は自分を見上げる旧友たちを一瞥する。

 一瞬、小さく微笑んだ後、二人の姿は櫻美家から消え去った。

「良かったんですか、お嬢?」

「何がよ……」

 組員たちが散り散りになっていく中、鞍刃と紅人はその余韻に少しばかり思いを馳せる。

「いや、俺はてっきりお嬢も付いて行くと駄々をこねるもんかと」

「いくら何でも、私もそこまで馬鹿じゃないわよ」

 漏れる感情は寂しさではなく、悔しさ。

 先日の学園での一件。

 鞍刃は正直もっとやれると思っていた。

 それこそ、奏と背中を合わせられるのは自分以外にいないのだと。

 だが、それはとんでもない思い上がりだった。

 いざ蓋を開けてみれば、魔女狩り機関のエージェントの片割れどころか、その前座であるガーゴイル十数体を相手取るのが精一杯。

 対する奏はエージェント二人相手に、勝ち星を掴み取っている。

 そんな幼馴染の隣に、自分はどんな顔をして並び立てと言うのか。

「私たちは弱い――」

 握り締めた拳からは血が滴っていた。

 本音を言うのであれば、もちろん付いて行きたかった。

 しかし、それは自分が奏と対等であればこその話だ。

 今の彼女に自分がそうだと言えるだけの力量も自信もない。

「もっと強くならないと……」

「そうですね」

 そして、それは紅人も同じだった。

「しばらくは師匠のところに詰めるわよ」

「望むところです、お嬢」

 決意を胸に二人は早速、山頂の道場へと向かう。

 見送らざるえなかった幼馴染の背中は未だ遥か遠く。

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