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帰り道

こんにちは!作者の イワヤ (岩屋) です。

第2話も読んでくださり、ありがとうございます!

この回では、二人目の主人公が登場します。第1話とはまた違った雰囲気の、対照的な物語を楽しんでいただければ嬉しいです。

ぜひ、最後までごゆっくりお楽しみください!

よろしくお願いします。


窓越しに外を眺めていた。


「数軒先に住むラッコリン兄弟が、クエス街道の方から戻ってきたところだ。」


弟のダリアンは腰まで泥まみれ。対照的に、兄のセスはいつも通り身なりが整っている。だが、二人とも疲労と不満が顔に張り付いていた。家の敷居を跨げば、両親の説教が待っていることだろう。


本来、彼らのような年頃の子供が、あのような場所を徘徊していい時間ではない。ましてや、クエス街道など論外だ。寝床に入るか、あるいは家族と夕食を囲んでいるべき時刻だというのに。


彼らの表情に滲む疲労を見るに、許容量を超えた活動をしていたことは明白だった。


ふと、私の「今の父親」も、私に似たような期待を抱いているのだろうかと考えた。


だが、ラッコリン家の兄弟とは違い、私には過度な「探索」は許されていない。 私が実際よりも虚弱に見えるからか、あるいは――私が彼らとは**『違う』**存在であることを、本能的に悟られているからか。


私は子供ではない。かつてそうであったことすらない。 子供を演じるというのは、骨の折れる作業だ。


時折、まだ赤子だった頃の光景が脳裏をよぎることがある。 本来、この世界の住人ならば持ち得ないはずの記憶だ。


かつて セスと遊ばされた時のことは鮮明に覚えている。 よだれに塗れたあの「生物」と交流するなど、苦行でしかなかった。


あの忌々しい日々が過ぎ去ったことには感謝したい。


独立の時は近い。 自身の進路を、自身の意思で決定できる日はそう遠くないはずだ。 偽りの自分を演じ続ける必要がなくなるという事実は、私にいくばくかの安息をもたらしてくれる。


その時まで、あと少しの辛抱だ。


「ヌエ?」


部屋の隅から、父の叫び声が聞こえた。 いつものように酒に溺れ、暗がりに沈んでいる。


「はい、父さん」


私は努めて従順な声色で答えた。 彼を刺激するのは得策ではないからだ。


「お前の母さんは……もう戻ったのか、ヌエ?」


私は小さく溜め息をついた。


部屋の反対側には、母を祀る祭壇がある。 供えられた枯れた花々が、その問いを嘲笑っているかのように見えた。 十三年が過ぎてもなお、彼は彼女の帰還を待ち続けているのだ。


「いいえ、父さん……まだ戻っていません」 私は淡々と答えた。


この件に関して、私の感情はとうに摩耗しきっている。 家の中の壁一面が彼女の追悼で埋め尽くされているというのに、彼は一日に三度は同じ質問を繰り返すのだ。


時折、自問せずにはいられない。 これが本当に、私に与えられるべき運命だったのかと。


私はもっと違う、より良き生を期待していたはずだ……。 それなのに、現実はどうだ。悲嘆と酒に沈んだ、この崩壊した家庭に落ちるとは。


これは、前世の罪に対する罰なのか? あるいは、私が望むような生を送る資格など、端から持ち合わせていなかったとでもいうのか?


闇の向こうで、父が何か判然としない言葉を呟くのが聞こえた。おそらくは泣いているか、あるいは母リディアの件で自身を責め苛んでいるのだろう。


テーブルの上に散乱していた空き瓶を片付けるため、彼に近づいた。


鼻をつく悪臭。 体から発散される林檎酒と尿の入り混じった臭気は、耐え難いものだった。


この世界にシャワーという文明の利器は存在しない。 彼を清潔にするには、川へ連れて行くか、宿屋の湯を使わせるのが最善だろう。


かつての私は、浅はかにも水魔法で彼を洗おうとしたことがある。 だが、その結果は惨憺たるものだった。 水滴が一粒たりとも彼に触れる前に、私は酷い暴行を受けたのだ。


私が最後の瓶を手に取った時、父が口を開いた。


「俺みたいな汚物は……見てて恥ずかしいか? ヘドが出るか?」


「いいえ、父さん……そんなことはありません」 私は反射的に答えた。


直後、破裂音が響いた。 父が足元の床に瓶を叩きつけたのだ。


飛び散ったガラス片が私の皮膚を切り裂き、鮮血が滲む。 それでも、私は微動だにしない。


動いてはならない。反応してはならないのだ。 父がこのような癇癪かんしゃくを起こすのは初めてではない。 無視することこそが、常に最善の対処法だと経験則で知っている。


私の足から血が滴り落ちるのを見て、父の激情が急速に萎んでいくのが分かった。


私の中に怒りはなかった。 あるのはただ、憐憫れんびんだけだ。 彼に対する哀れみ……そして、心の奥底では私自身への哀れみでもある。 彼の悲惨な姿に、自分自身の影を重ねずにはいられないからだ。


「もう一本……」 父はそれだけ呟いた。


私は無言で頷いた。


僅かな食料が残る貯蔵室へ向かった。 手近な木箱に腰を下ろし、足の傷口に食い込んだガラス片を抜き取り始めた。 幸い、傷は深くない。 だが、破片を一つ引き抜くたびに、私の顔には苦悶の表情が張り付いた。


(次はもっと慎重に立ち回らねば……) そう思考した矢先だった。


「ヌエ!」父の怒声が飛んできた。


「ただいま。まだ酒が見つかりません」 私は従順に答えた。 彼からの返事はなかった。


私は棚を物色し、最後の一本を見つけ出した。 夜、少し嗜むために私が隠しておいた、飲みかけのボトルだ。


「一本だけ残っていました」 隠し場所からボトルを掲げ、声を張り上げた。


返答はない。 代わりに、彼の居場所から何かが破壊される不快な音が響いてきた。


(少し待つべきか……) 私は考えた。 彼は今、暴力的な状態にある。このボトルの中身を何かで嵩増かさましして、誤魔化す方法はないだろうか。


数秒の思考の末、私は**「詰んだ(チェックメイト)」**という結論に至った。


水で薄めれば即座にバレる。 かといって、半分しか入っていないボトルをそのまま渡せば殺されるだろう。


酔いが冷めるまで数時間、家を空けるしか選択肢はない。


私は大きく息を吐き、覚悟を決めた。


ボトルを手に貯蔵室を出た。 あの祭壇の前を通り過ぎ、父の方を見る。 どうやら彼の癇癪かんしゃくの犠牲になったのは、台所にあった小さな木の椅子のようだ。無残な残骸となっていた。


「これで全部です」


床に寝転がっている彼の近くにある、小さな木のテーブルにボトルを置いた。 酒の少なさに彼が反応する時間を与えてはならない。


私は即座にきびすを返し、家を出た。


夜のとばりが下りていた。 空の大部分を星々が埋め尽くしているが、一部は雲に遮られて見えない。


私は手のひらに小さな火球を浮かべ、それを頼りに歩いていた。 叔母に教わった、初歩的な魔術だ。


歩を進めるにつれ、家路につく隣人たちの姿が目に入った。 家族に温かく迎え入れられる者もいれば、怒れる妻に叩き出される者もいる。


好色な老人たちは娼館へ、まだそこまで枯れていない連中は宿屋(酒場)へと足を向けていた。


生憎あいにくと、私はそのどちらにも入店できない。 「子供お断り」という規則が、近い将来撤回される見込みもなさそうだ。


「ヌエ」


背後から名を呼ばれた。 私は気怠けだるげに振り返った。この時間に徘徊はいかいしているところを見つかるのは、これが初めてではない。


「ヌエ、またか?」


声の主はボルディールだった。使い古されたプレートアーマーをまとった、この村に残る数少ない衛兵の一人だ。


「やあ、ボルディールさん。こんばんは」私は努めて愛想よく答えた。


「ええ、またです。でも、大したことじゃありませんよ」 そう言いながら、私は芝居がかって背伸びをした。


「そうか……すまないな」 彼はバツが悪そうに答えた。


「親父さんはどうだ?」


「いつも通り……良くはありません」


「なぁ、坊主……辛いのはわかるが、いつか終わりは来る。あの男に少し時間をやってくれ。リディアと出会ったばかりの頃の親父さんを覚えているが、あいつの口からはリディアのことしか出てこなかったもんだ。リディアがどうした、リディアがああした、ってな……」


私は広場の方を眺めながら、曖昧な笑みを浮かべた。


「信じていないのか?」ボルディールが尋ねた。


「いいえ、そうではありません」 私は首を振った。


「ただ、いかにも父らしい、筋の通った話だと思いまして」


彼は私の肩に手を置いた。


「皆、彼女がいなくて寂しいんだ、坊主……」


「ええ、存じています」 私は何の感慨もなく答えた。


「大きくなったら何になるか、考えたことはあるか? 村に新しい衛兵が増えるのは悪いことじゃない。俺も引退まであと数年だからな」


ボルディールはそう言って、未来の責任を私に押し付けようとした。


実のところ、将来のことなど考えていない。 一般的に子供時代とは瞬く間に過ぎ去るものらしいが、私にとっては永遠にも等しい長さに感じられる……。


「さあ、考えたこともありませんね」


私は自分の細い腕を持ち上げて見せた。


「この筋肉で何ができると? 風が吹けばよろけるような貧弱な体ですよ」


「力だけが全てじゃないさ、ヌエ」 ボルディールはパイプを口にくわえながら言った。


「かつての大戦では、最も貴重な『資源』とされたのは魔術師だったんだ」


「本当ですか?」 私は問い返した。


「この世界の人間は皆、魔力を持っているはずでは?」


「その通りだ、坊主。我々は皆、タラミールから授かった魔力を持っている。だが、その力を磨き上げ、鍛錬することに生涯を捧げた者はごく僅かだ」


彼は紫煙を吐き出した。


「火花を散らしたり、水滴を出したりするのは基礎の基礎に過ぎない。大半の連中は、魔術が『曲げ』、『形作り』、そして『支配』できるものだということを理解せず、一生あんな手品遊びで終わるんだ」


彼は私の目を覗き込んだ。


「お前は、ただ手のひらに浮かべる以上のことを……その魔力を意図的に操作しようと試みたことはあるか?」


私は答えなかった。 彼の言葉は、私の思考に一石を投じた。


これまで私は、万人が魔術を行使できるのなら、そこに神秘など存在しないと考えていた。 要するに、誰もが魔術師というだけの話だ。


私の中で設定していた「限界」とは、せいぜい他人と同様に基礎的な術式を習得すること止まりだった。 何ら壮大でもなければ、特別でもない。


「ハッ、答えにきゅうしたか?」ボルディールは鼻から煙を噴き出しながら笑った。


私は営業用の微笑を浮かべた。


「まあ、そんなところです、ボルディールさん……考えたこともなかったので」


「なら……この トレイブの里の次代の大魔導師を目指してみるか?」 彼は諦めずに勧誘を続けてくる。


「ですが……他にはどのような魔術があるのですか?」 私は純粋な疑問を装って尋ねた。 「火や水、風くらいしか存在しないと思っていました」


ボルディールは少し考え込んだ。パイプの煙が風に流れて消えていく。


「俺も専門的なことは詳しくないがな。都には魔術の学校や大学があるらしい……」


彼は確証がなさそうに言葉を濁しながら続けた。


「確か、『時間の魔術』……あるいは『生命の魔術』……とかがあるんだったか」


「ん、ああ……そうですか?」 と相槌を打ちつつ、私の思考は慣性に従って暴走を始めた。


「時間を操作する魔術師がいると? つまり、因果律いんがりつを崩壊させずに、現在のタイムラインを保ったまま過去を改変できるというのですか?」


ボルディールはパイプを吸う手を止め、まるで私が死語でも話しているかのような目でこちらを見た。


「坊主、誰かが過去に戻るとすりゃ、嵐の警告だとか、収穫を救うためとかだろ。 『崩壊』なんて大層なもんじゃない。お前は考えすぎだ」


「そんな単純な話ではありません、ボルディールさん。過去で何か――たとえ蝶一匹に触れるだけでも、その干

渉は未来を変貌させてしまう。連鎖的な波及効果……いわゆる相対性の基本ですよ」


ボルディールは鼻から煙を吐き、パイプの吸い口で地面を指した。


「蝶だと? あんなもん、ため息一回分の命しかねえ。空気を動かす力すらねえよ。 妙なことを言う奴だ……そんな色付きの虫けらが怖いのか?」


話が通じない。私は溜息を殺した。


「……言葉のあやですよ」 私は即興で誤魔化すことにした。


「『双頭の杖の理屈』というやつです。片方の端を折れば、もう片方の端もバランスを崩して折れてしまうという話でして」


ボルディールは首を横に振り、再び星空を見上げた。


「奇妙な理屈だ……杖が折れたなら、別の棒切れを探してくりゃいいだけの話だろうに」


「まあいい」 と、彼は短く笑った。


「お前が有名な魔術師になったら、その『蝶々の杖』とやらを持ってきてくれ。そいつがお前の言うほどもろい代物か、俺が見てやるよ」


私は苦笑した。 壁と会話しているようなものだ。だが、少なくとも好感の持てる壁ではある。


「ええ……いつか、そのうちに」


私は諦念ていねん混じりに答えた。


遠く、娼館の入り口付近で騒ぎが――喧嘩が勃発し始めていた。


私はボルディールの反応をうかがった。彼は私の方を見ており、今のところ介入する意思はないように見受けられた。


だが不意に、フードを被った男が娼館の正門から叩き出された。 泥酔していることは明白だ。 男は激情に駆られたか、剣を抜き放ち、周囲の人間を威嚇し始めた。


ボルディールが深い溜め息をつく。その辟易へきえきとした様子に、私は微かな笑いを禁じ得なかった。


「くそっ、俺の出番かよ」


彼はそう毒づくと、素早く剣を抜き、現場へと駆け出した。


「止まれ! トレイブの里の衛兵だ! ルシウス王の名において、剣を収めろ!」


私はその乱闘の行方を見届けようとは微塵も思わなかった。 私にとっては何の関心もない、ただの雑音だ。


(家に帰るとしよう)


娼館の方から響く怒声を背中で聞き流しながら、私はきびすを返した。


「おい、少年! 何事だ?」 遠くから男の怒鳴り声が聞こえた。


私は彼の方へと歩み寄った。男は視線を喧嘩の現場に固定したままだ。 会話が可能な距離まで近づいたところで、私は口を開いた。


「ええ……まあ、娼館で酔っ払いが暴れているだけのようです」


「随分と派手な喧嘩になったな?」 遠くで響く剣戟けんげきの音を聞きながら、彼は言った。


「そのようですね」 私は小さく溜め息をついた。


「君はヌルンドの息子さんだね?」


「ええ、そうです」


「おお! 大きくなったな。俺たちのこと、覚えてるか?」


私は彼の背後にある家と庭を一瞥し、ようやく目の前の男がラッコリンの父であると認識した。


「ええ……なんとなく。ですが、以前はもう少し髪があったような?」


男の顔色がさっと青ざめた。


「違いない。農作業と二人のガキの世話だ、誰だって禿げるさ、ハハハ」 どうやら、彼の琴線きんせんに触れてしまったようだ。


彼は私たちを隔てる低い木の柵に寄りかかった。


「調子はどうだ?」


「ええ……まあ、悪くはありません。文句を言うほどでは」 私は何ら関心を示さずに答えた。


彼は再び喧嘩の方へと視線を戻した。


「どっちが勝つと思う?」


「ボルディールさんだといいのですが」


戦況は拮抗きっこうしているように見えた。 剣と剣が激しく打ち合う音が止まない。 私の中に、微かな懸念が芽生え始めた。


「分が悪そうですね」 私は尋ねた。


「そうだな」男は頷いた。「ボルディールも昔のようにはいかない。寄る年波には勝てんか」


「そうですね」


「ダマリアンがこれを見なきゃいいが……あいつなら間違いなく、『古くからの友人』であるあの衛兵を助けに飛び込んでいくだろうからな」


その言葉は、まるで召喚の儀式のようだった。 開け放たれた窓から、小さな影が飛び出した。 それはさながら、地上へと落下する隕石の如く。


「衛兵のおじさんが戦ってるって誰と!?」


少年は叫んだ。友人を助けに行けるという事実に、その瞳は興奮で輝いている。


その速度は尋常ではなかった。 足の動きを目で追うことすら叶わず、ましてや追走することなど不可能だ。


「ダン!今すぐ戻りなさい!」


父親が怒号を飛ばす。 だが、既に彼我ひがの距離は開いていた。聞こえなかったのか、あるいは聞く耳を持たなかったのかは定かではない。


「クソッ!」 父親が毒づく。


「連れ戻してくる。すぐ戻る」


「同行します」 私は即答した。


徐々にではあるが、その騒乱は私の興味をき始めていた。


ダリアンの父の走りは鈍重だった。運動能力が高いとは言えず、まるで去勢牛か野牛バイソンが走っているかのような様相だ。私はその後方から、貧弱な足で必死について行った。


一歩進むごとに、剣戟けんげきの音は激しさを増していく。 刃が交錯するたび、火花が闇に沈んだ広場を照らし出した。


野次馬の輪ができ、娼館の窓からは女たちがその光景を見下ろしている。老いたボルディールが、この夜に残された僅かな平穏を守ろうと奮闘する姿を。


現場に到着すると、疲弊した老兵の姿があった。 顔を玉のような汗が伝い落ちている。


ダリアンの父は群衆の中に息子の姿を探し始めた。一方、襲撃者は見境なく剣を振り回し続けている。


「状況はかんばしくありませんね」 私は禿頭とくとうの男に告げた。 「どうしますか?」


彼の眼差しは鋭利なものへと変貌していた。 数秒前までの、人の良さそうな男の面影はない。


「君は下がっていろ」 彼は吐き捨てるように言った。


まただ。 またしても、私はただの「足手まといのガキ」として扱われた。 大人の事情に首を突っ込む邪魔者扱いだ。


介入すべきではないのか?


私は奥歯を噛み締めた。


観客としての位置から、私はその茶番を見守っていた。 彼らは増え続ける野次馬を無視して戦い続けている。


視界の隅で、ダリアンがゴキブリのように広場の屋根や壁を這い回り、戦況を覗くのに最適な角度を探している

のが見えた。父親の方は、まだ群衆の中に息子を探している。


私はあの禿頭とくとうの名前を叫ぼうとしたが、知らなかった。


「おい! おい!」 声を張り上げてみたものの、群衆の喧騒にかき消されて届かない。


ボルディールは既に限界を迎えていた。片膝を地面につき、防戦一方だ。このままでは、最悪の結末を迎えることになるだろう。


その時、彼が飛んだ。ダリアンは勢いよく踏み切り、飛び込み選手のように襲撃者の頭上へと落下した。少年が戦いに身を投じる姿に、群衆は息を呑む。


標的に着地するやいなや、彼は男の頭を引っ掻き回し始めた。男はよろめいた。


「離せ、このゴミクズが!」 男は半狂乱で叫び、爪を立ててくる子供を振り払おうともがく。


父親はまだ息子がどこにいるか気づいていないらしく、人波を押し分けながら、あえてその方向を見ないようにしているようだった。


次の瞬間、男はダリアンの髪を掴んだ。頭皮ごと引き剥がさんばかりの剛力だ。ダニを取り除くかのように子供の抵抗を封じた。


男は少年の目を睨み据え、そのまま地面に叩きつけた。ダリアンが苦痛の声を上げる。


「このクソガキが! 何様のつもりだ?」 男は歯を食いしばり、剣の柄を強く握り直した。


その獣のような悲鳴を聞き、父親はようやく事態を認識して戦いの中心へと駆け寄った。 だが、私の目から見て、それは絶望的だった。息子がさらに傷つけられる前に到達するのは不可能だ。


「子供を放せ!」ボルディールが叫ぶが、地面に突き立てた剣を杖にして立つのがやっとの状態だ。


男は聞く耳を持たず、剣を手に少年へと歩み寄る。その短い生涯を終わらせるつもりだ。


いつの間にか、私は群衆の隙間をすり抜けていた。 最悪の事態を回避しようと、足が勝手に動いていた。


脳裏にボルディールの言葉が蘇る。『戦争において、魔術師は最大の資源だ』


それが私を突き動かした。 結局のところ、私も「何者か」になれるのかもしれない。


男は抵抗できない子供を執拗に蹴り上げていた。ダリアンは涙を流して悲鳴を上げている。私はあと数人で最前列というところまで来ていた。


迷わず泥の中に身を投げ出し、その勢いを利用して観客の足の間をスライディングで抜け出した。


特等席だ。 愚かな少年の体に、剣が振り下ろされる瞬間が鮮明に見えた。


その刹那、両手に熱い脈動を感じた。 心拍に合わせて、私の目の前に「砂の薄い壁」が隆起した。


頼りないほど薄く見えたが、その壁は最初の一撃を受け止めるだけの強度を持っていた。 剣の刃が弾かれ、後方へと跳ね返り、小さな砂煙が舞う。


硬質な衝撃音が響き渡り、その薄い砂の膜が脅威を一時的にらしたことを証明した。


その僅かな時間が、ダリアンの父にとっての好機となった。彼は男の剣を持った腕を万力のように掴んだ。顔面を数回殴打されたが、そんなものは彼には何の影響もないようだった。


さらに握力を込めると、男の手首がへし折れる音がした。 手から離れた剣が再び薄い砂の層に落ち、跳ねて地面に突き刺さる。


男が苦悶の声を上げる。もはや打つ手なしか。ようやく立ち上がったボルディールが加勢し、二人は男を地面にねじ伏せた。


私の下には意識を失った少年が横たわり、頭上には未だ解除することのできない砂の層が覆いかぶさっている。 群衆が安堵の歓声を上げ、散っていく気配が伝わってきた。


心臓は早鐘を打ち、アドレナリンが神経をたかぶらせている。 終わったのか? 私は成功したのか?


視界の端で、ボルディールの足が動くのが見えた。彼は少年の父親に短く言葉をかけた。すると父親は私の展開した術式を強引に打ち砕き、息子を引き剥がして抱き上げた。呼吸はあるか、外傷はないか、確認を急いでいる。


「おい! 息子よ! 返事をしろ、無事か?」


彼は膝から崩れ落ちながらも、診断を続けた。その小さく、満身創痍まんしんそういとなった生き物の胸に耳を当てる。 安堵あんどが彼を包んだ。少年はまだ呼吸をしている。


私は地面に仰向けに倒れ込み、夜空を見上げて安堵の息を吐いた。 傍目はためには分からないだろうが、あの防壁を維持し、攻撃に耐え抜いた代償は大きかった。魔力と体力を著しく消耗している。


私は乱れた呼吸を整えることに専念した。


ボルディールは何も語らなかった。奇妙な沈黙がその場を支配している。通常の治安維持官であれば、捕縛した襲撃者に対して「牢屋で腐るまで反省しろ」だの「俺がたっぷりと可愛がってやる」だの、警察権力によくある決まり文句の一つも吐き捨てるところだろう。だが、彼は沈黙を守っていた。


「ヌエ……? お前なのか?」


腕をへし折られ、地面に這いつくばっている男がうめくように言った。


私はその声の主に、瞬時に気づいてしまった。 限界まで目を見開く。


「息子よ……お前なのか……? 俺は、何ということを……」


「父、さん……?」


私の口から出たのは、それだけの言葉だった。




現在、新しいエピソードを準備中です!物語はすでにかなり先の方まで進んでいますので、これからの展開を楽しみにお待ちいただければ幸いです。

少しずつ更新していきますので、気長に応援よろしくお願いします!

それでは、次の第3話でお会いしましょう!

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